第23話 七彩祭、開幕
朝食を二人分食べても、胃の底にはまだ空洞が残っていた。
普通の空腹とは違う。
パンも卵もスープも、身体には入っている。それなのに左腕の奥だけが、昨日喰った魔力弾の続きを求めていた。
幸い、ティアナたちの魔力が食べ物に見える状態は収まっている。
だからこそ、あの時に蔦へ伸びかけた左手の感触を、はっきりと思い出せた。
「アルト、置いていくよ」
食堂の出口からティアナに呼ばれる。
「今行く」
僕は手袋の下の紋章を押さえ、席を立った。
扉の向こうには、昨日までと違う学院が広がっていた。
校舎の窓から窓へ七色の光帯が渡され、尖塔には色の異なる旗が翻っている。
中庭の魔導灯は昼間から輝き、石畳の上には光で作られた花びらが舞っていた。
騎士団の外套を着た卒業生や、着飾った貴族、市民の姿も見える。
王立アウレリス英雄学院最大の祭典。
七彩祭が、今日から始まる。
開幕式が行われる中央演習場は、立ち見が出るほど混雑していた。
僕たちは四人で観覧席の端に並ぶ。
中央の舞台には誰もいない。
鐘が一度鳴った。
その瞬間、舞台の七か所へ橙色の光が落ちる。
七人の少女が現れた。
高い位置で結ばれた橙色の髪。
蜂蜜色の瞳。
どれもメルナだ。
「全部、幻像?」
僕が目を凝らすと、隣のフィアが首を横へ振った。
「一人だけ本物。でも、光の屈折が細かすぎて位置が読めない」
七人のメルナが、それぞれ違う方角へ手を伸ばす。
同時に、演習場の上空へ七つの小さな標的が放たれた。
不規則に高度を変えながら飛び回る、起動用の魔導具だ。
七人の手から、何十枚もの投擲輪が放たれた。
観客席から歓声が上がる。
けれど、空気を切る本物の音は二つしかない。
二枚の投擲輪は、互いに反対の弧を描いた。
一枚目が赤の標的を貫き、その反動で軌道を変えて橙と黄へ向かう。
もう一枚は緑をかすめ、青と藍を続けて打ち抜いた。
最後に二枚が空中で交差する。
片方が紫の標的を下から跳ね上げ、もう片方が中心を正確に射抜いた。
赤。
橙。
黄。
緑。
青。
藍。
紫。
七本の光柱が、正しい順番で空へ伸びる。
二枚の輪は大きく旋回し、舞台中央に立つ本物のメルナの両手へ戻った。
遅れて、六人の幻像が光へ溶ける。
「七彩祭へようこそ!」
メルナが両腕を広げる。
七色の光柱が上空で重なり、学院の紋章へ変わった。
大きな歓声が演習場を揺らす。
「昨日、掲示板を止めた時もすごかったけど……」
「あれで戦闘順位上位十五名に入ってるの」
ティアナは自分のことのように笑った。
「あの幻像を敵へ見せながら、本物の輪は別の角度から飛んでくる。初めて戦うと、どこを守ればいいか分からなくなるよ」
舞台のメルナが指を鳴らす。
上空の紋章が、巨大な円形競技場へ形を変えた。
剣と槍が交差する。
個人戦で競う武闘大会。
次に現れたのは、壁の配置を変え続ける迷宮と、その中を走る三人の人影。
三人一組の迷宮競技。
幻像は光で飾られた大広間へ変わり、礼装姿の男女が踊る。
祭典最終夜の舞踏会。
最後に、いくつもの魔導具と術式が空を埋めた。
生徒たちが研究成果を披露する魔導展示。
四つの光景が舞台の周囲を巡る。
本戦は明日以降。
今日は開幕式と参加登録が中心になる。
「以上、四つの催しが七彩祭の主役です! でも見ているだけじゃ、祭りの半分しか楽しめませんよ!」
メルナが投擲輪を掲げる。
「参加する人は、このあと中央広場の登録所へどうぞ!」
開幕式が終わると、人の流れが一斉に中央広場へ向かった。
競技ごとに色の違う受付が並んでいる。
赤は武闘大会。
緑は三人迷宮競技。
青は魔導展示。
舞踏会の案内板だけは、広場の噴水近くに立てられていた。
僕は赤い受付へ向かった。
「アルト?」
ティアナが後ろから呼ぶ。
振り返ると、ティアナだけでなく、フィアとレグルスも僕を見ていた。
「出るの?」
「うん。今の僕が、どこまで届くのか確かめたい」
勝てるとは言えない。
学院最下位という順位も、数日鍛えただけで消えるものではない。
それでも、参加しない理由にはならなかった。
列へ並び、渡された申請書を机へ置く。
参加者名の欄へ、迷わず文字を書いた。
アルト・ロウェル。
「最下位も出るのか?」
「模擬戦で三敗したばかりだろ」
後ろから小さな声が聞こえた。
笑いも混じったが、振り返らなかった。
申請書を受付へ渡そうとした時、白い手袋をはめた指が、その端を押さえた。
「努力したという事実だけで、結果が変わると思っているのか」
整えられた金髪と、冷たい青い瞳。
ユリウス・クラウゼルが、僕の名前を見下ろしていた。
腰には装飾の施された長剣がある。
武闘大会の登録証は、すでにその手に握られていた。
「思っていないよ」
「なら、なぜ出る」
「だから、結果を変えられるか確かめる」
ユリウスの目が細くなる。
「祭典の試合は、努力を披露する場ではない。騎士団の者が見るのは、誰が勝ち、誰が負けたかだ」
「うん」
「観客は、食らいついただけでも拍手をするかもしれない。だが僕は、同情を勝利とは呼ばない」
ユリウスは申請書から指を離した。
「なら、観客の同情ではなく勝利で僕の前まで来い」
それだけ告げ、受付から離れていく。
僕の後ろにいたレグルスは、口を挟まなかった。
ユリウスの背中ではなく、僕を見ている。
「何も言わないんだね」
「君が自分で答えた後に、僕が付け足すことはない」
レグルスは僕と入れ替わるように机へ立った。
申請書へ名前を書く。
「ただし、君が僕へ挑む前に負けたら承知しない」
「レグルスも、ユリウスに勝つ前に負けないでね」
「言われるまでもない」
どちらも、一度負ければ終わる個人戦だ。
同じ受付へ、ティアナも申請書を出した。
「ティアナも出るの?」
「土と植物が、どこまで一対一で使えるか試したいから」
フィアは武闘大会への登録を終えると、そのまま緑の受付へ移った。
「三人迷宮にも出る」
「三人はどうする?」
レグルスの問いに、フィアは申請書を見た。
「組み合わせの提出は後日。今日は競技参加だけ登録できる」
「なら、今決める必要はないね」
四人のうち、出られるのは三人。
答えは保留したまま、フィアは自分の名前だけを書いた。
その隣の受付で、淡い銀緑色の髪が揺れる。
白木の長弓を背負ったエルフの少女が、二枚の申請書を差し出していた。
「セルフィナ・シルヴァリス。武闘大会と三人迷宮競技、両方へ登録します」
「両方ですか?」
「日程は重なっていません。問題ありません」
受付の教師が印を押す。
戦闘順位上位十名級。
風と植物精霊を使い、索敵能力では学年最高峰とされる生徒だ。
「セルフィナ」
僕が呼ぶと、翡翠色の瞳がこちらを向いた。
「鎧蜥蜴の時、僕たちの位置を見つけてくれてありがとう。セルフィナの風精霊がいなかったら、先生たちは間に合わなかった」
「礼は不要です。私は異常を報告しただけです」
声音は丁寧だが、会話を続けるつもりはないようだった。
セルフィナは僕の横を通り過ぎる。
その途中で、足元を見て止まった。
「摩擦を利用するのでしたら、その靴では左右差が大きすぎます」
「分かるの?」
「歩幅と擦過音が左右で違いますから」
見れば、右の靴底だけが斜めに削れている。
「次は滑る前に足首を傷めますよ」
助言だけを残し、セルフィナは人混みの中へ去った。
「随分よく見ているな」
レグルスが僕の靴底を覗く。
「上位にいる理由は弓だけじゃないみたいだね」
ふと、観客席の方から大きな声が聞こえた。
「最下位も出るんだ!」
赤茶色の髪に、大きな犬耳と太い尾を持つ少女が、手すりから身を乗り出している。
隣には、黒髪と黒い猫耳、細長い尾を持つ少女が座っていた。
順位表で見たことがある。
ガルナ・フェルザとフェリナ・フェルザ。
どちらも上位十五名に入る獣人の双子だ。
「予選で当たったら、早く終わりそうだね」
フェリナが笑う。
「だったらガルナが先に当たりたい!」
「姉さん、くじは選べないよ」
二人はそれ以上こちらを気にせず、次の登録者へ視線を移した。
僕たちも受付を離れる。
噴水前まで来ると、ティアナが舞踏会の案内板を見ていた。
礼装の男女が踊る絵の下に、最終夜の日付が記されている。
「見てるだけでいいの?」
突然、ティアナの肩越しからメルナが顔を出した。
「メルナ!? 演出の片づけは?」
「投擲輪を返して、あとは担当の先生に任せた。で?」
「何が?」
「武闘大会へ登録する勇気はあるのに、舞踏会へ誘う勇気はないんだ?」
ティアナの頬が赤くなる。
「まだ衣装も決めてないから!」
「衣装より先に相手でしょ」
「順番は人それぞれです!」
二人の視線が、一瞬だけ僕へ向いた。
「僕の服も必要なの?」
「アルトは今のままでいて」
メルナが笑いを堪える。
ティアナは誤魔化すように僕の足元へ視線を落とした。
「そうだ。靴、本当に替えた方がいいよ」
「剣も応急修理のままだから、先に工房へ行かないと」
「だったら明日、王都の魔導具街へ行こう」
ティアナが言う。
「滑走に耐えられる靴と、剣の修理用品。それから武闘大会で使う消耗品も見られるよ」
「ティアナの買い物は?」
「祭典用の小物を少しだけ」
「じゃあ二人で行ってきなよ」
メルナが即座に言った。
「どうしてそこで二人を強調するの?」
「私、明日は開幕演出の後片づけがあるから」
「今、先生に任せたって言ったよね?」
「細かいことは気にしない」
ティアナはしばらくメルナを睨んだ。
それでも僕への誘いは撤回しなかった。
「……アルトは、明日空いてる?」
「うん。一緒に行こう」
買う物が多いなら、二人の方が運びやすい。
僕が頷くと、ティアナは少しだけ表情を明るくした。
その向こうで、フィアがこちらを見ていた。
目が合うと、すぐに三人迷宮競技の案内へ視線を戻す。
理由は分からなかった。
僕は武闘大会の登録証を取り出す。
そこに記されているのは、順位でも属性適性でもない。
参加者――アルト・ロウェル。
勝てるかは、まだ分からない。
それでも僕は初めて、誰かに背中を押される前に、自分の名前を戦う場所へ置いた。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
と思ったら
下にある⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎から、作品の応援をお願いいたします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークといただけると本当に嬉しいです。
何卒よろしくお願いいたします。




