第220話「魔導神の弟子」
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例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
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数時間かけて築いた砦を、私は息を弾ませながら見上げた。
三重の土壁。その継ぎ目を抱く巨大な根。内側には地下避難路が通り、負傷者を運ぶ植物の足場が伸びている。回復を助ける花床も、敵を絡め取る蔦も、周囲を見渡す高台もある。
学院が襲われたときに使った《根壁連砦》を、今の私にできる限り発展させたものだ。壁は厚さも角度も変えてある。一本が折れても、隣の根が重みを受ける。見た目だけ立派な張りぼてじゃない。
過去の私なら、迷わず完成だと言ったはずだ。
「……どう?」
汗で頬に張りついた短い髪を払い、オベイロンを見る。
少しくらい驚いてくれてもいい。そんな期待を隠しきれない私の前で、オベイロンは砦を一度見上げただけだった。
右手が持ち上がる。
その人差し指の先に生まれたのは、豆粒ほどの魔力弾だった。
「え、それで試すの?」
答えはない。
魔力弾は門にも外壁にも向かわず、砦の隅の、何もない地面へ落ちた。
ぱちん、と乾いた音がした。
衝撃すら感じない。なのに、私の胸の奥で何かが切れた。
「――あ」
外壁の下から黒い亀裂が走った。補強していた根の緑が一斉に失われ、土色にくすむ。支えをなくした外壁が傾き、二重目の壁へ肩をぶつけた。
鈍い轟音が続く。
押された壁がさらに内壁を押し、足元が大きく跳ねた。地下から岩が噛み砕かれる音が響き、避難路の天井が落ちる。負傷者を運ぶはずの足場は葉から萎れ、回復用の花は首を折るように枯れた。
まだ一つも傷ついていない高台まで沈黙した。蔦がほどけ、土煙の中へ落ちていく。
私の中では、一本の太い魔力経路から枝分かれしていた感覚が、根元から順に暗くなっていた。壁、道、足場、花床。切れた枝へ魔力を送ろうとしても、入り口そのものがない。
「強度が……足りなかった?」
「違う」
オベイロンは、最初に弾を当てた地面を示した。
「壁ごとの荷重は分けていた。だが、魔力の供給も制御も発動条件も、すべてここへ集めた」
私が最初に置き、最後まで使い続けた基点だ。
「壊れない砦などない。必要なのは、一つ壊れたあとも人を守り続ける構造だ」
崩れた壁を見れば、反論なんてできなかった。
「それに、もう一つ基点がある」
「もう一つ?」
「お前だ。負傷し、意識を失い、魔力が尽きれば、全機能が止まる」
オベイロンの視線が私へ戻る。
「これは砦ではない。お前が両手で抱え続ける、巨大な一枚盾だ」
土煙が晴れる前に、彼は訓練場の四方へ人形を置いた。
東に防衛人形。西に動く敵役。中央に三体の避難用人形。その先に、傷を示す印を刻んだ一体。
「巨大術式は禁止する。四つを別々に動かせ」
東は魔力弾を土壁で二発だけ防ぎ、そこで解除。西は標的が白線を越えた瞬間だけ蔦で拘束し、止まれば解除。合図で三体の避難路を開き、最後の一体が通れば閉じる。道を壊された場合は別経路を作る。
負傷者役は印が変色してから回復補助を始め、敵が範囲へ入れば即座に止める。
「順番は?」
「教えない。進路も間隔も位置も変える」
対象も、始める瞬間も、続ける長さも、終わらせる条件も全部違う。
「……分かった。やる」
最初の魔力弾が東へ飛んだ。
私は即座に土壁を立てる。一発目を受けた瞬間、西の人形が動いた。白線へ足が触れる直前に蔦を走らせる。
間に合った。だが二発目は、一発目よりずっと短い間隔で来た。
そう思って蔦へ意識を寄せた途端、背後で薄い破砕音がした。土壁が紙みたいに削れ、二発目が防衛人形の肩を叩く。
合図が鳴る。私は地面を割って避難路を開いた。けれど、その形を整えた一瞬に蔦が緩み、敵役が腕を引き抜いて白線の内側へ駆け込んだ。
負傷者の印が赤くなる。
花を芽吹かせたときには、最初の土壁が完全に消えていた。三発目が防衛人形を倒す。
「止め」
すべてが沈黙した。
「速いだけだ。並列ではない」
悔しいけど、その通りだった。私は四つを同時に見たつもりで、実際には東、西、中央と、視線より速く順番に触っていただけだ。
二度目は、四つから意識を離さないことにした。
土壁も、蔦も、避難路も、花の種も、一本の太い魔力経路に繋いで保持する。今度はどれも薄くならない。敵役を白線の上で捕らえ、避難用人形も道へ入った。
東の土壁が二発目を受ける。
条件どおり、私は壁への供給を切った。
その瞬間、蔦が落ちた。
「え?」
避難路の縁が崩れ、花の種も地中で眠る。一本の経路に繋いだせいで、土壁の解除を四つすべての終了として流してしまったのだ。
敵役が自由になり、道の途中にいた人形へ触れた。
巨大な砦で起こした崩壊を、私は小さな四つでもそのまま繰り返していた。
三度目は魔力を惜しまなかった。
四つへ太く流し込み、多少意識が揺れても消えないよう押さえつける。
立ち上がった土壁は魔力弾を弾いた。けれど、必要な高さを越えて膨れ、避難路の出口まで塞いだ。敵役へ放った蔦は何重にも枝分かれし、そばを通る避難用人形の足まで絡め取る。
「そっちじゃない!」
慌てて負傷者を運ぶ植物の足場を伸ばす。力を注ぎすぎた葉は肩幅より大きく重なり、残った通路を狭めた。
印が変わるより先に花が芽吹く。敵役が乱れた蔦を引きずって踏み込み、咲いたばかりの花床を踏み荒らした。
壁は立っていた。蔦も太い。植物の足場も残っている。
それなのに、避難用人形は一体も安全圏へ着かなかった。
「壁は残った。だが、守るべき者は残らなかった」
言い返す言葉はなかった。
私はしゃがみ、土壁と白線、人形の位置を見比べた。指で土へ四本の経路を描く。速さだけでは順番が生まれる。同時に保とうとすると一本へ束ねる。出力を上げれば、術式同士が人の道を奪う。
なら、もっと完成された形にすればいい。
幼い頃から何度も見た、お父さんの防衛陣形が浮かんだ。
土亀騎士団長の娘なのだから、私も戦場全体を守れなくちゃいけない。
壁の角度を揃え、互いの死角を埋める。根を格子状に伸ばし、避難路と救護区画を左右対称に分けた。お父さんの背中越しに見た配置を、一つずつ思い出して重ねる。
さっきより精密で、整っている。どこから見ても、一つの完成した防衛陣に見えた。
オベイロンの指先に、また豆粒ほどの光が宿る。
魔力弾は左後方の基点へ落ちた。
根の格子が一斉に色を失った。壁が傾き、左右対称に繋いだ区画が互いを引きずる。精密だったぶん、崩壊まで同じ速さで伝わった。
「お前は誰を守ろうとしている」
私は土煙の向こうに並ぶ人形を見た。
「ここにいる全員」
「ならば、なぜ守られる者ではなく、父親の背中ばかり見ている」
胸を突かれ、声が止まった。
「魔法騎士の娘であることを証明しようとするな。ティアナ・テラフォードの守りを作れ」
崩れた陣形は、どこから見ても立派だった。
一つにまとめれば、大きく見える。完成されて見える。私一人で全部を守っているように見える。そうすれば、土亀騎士団長の娘にふさわしいと証明できる気がしていた。
でも、お父さんの戦場は本当にこんなに整っていただろうか。
思い返せば、残す壁を決める横顔があった。崩れる区画から根を切り離す手があった。敵に壊させる場所を選び、重傷者から先に逃がしていた。
お父さんは、全部を一つに抱えていたんじゃない。
外形をなぞることと、教わった守りを使うことは違う。
「もう一度、やる」
今度は大きな砦を作らなかった。
東の土壁、西の蔦、避難路、回復用の種。離れた四か所へ小さな基点を置き、それぞれに開始と終了の条件を結ぶ。見栄えは悪い。細い魔力の線は、どれも途中で繋がっていない。
合図より先に敵役が進路を変えた。
東から一発目。土壁を立てる。二発目で大きな亀裂が入り、壁は崩れた。
再建しない。
空いた意識と魔力を、動き出した三体の足元へ回す。避難路を開き、一体目を通す。
西の人形が白線を越えた。蔦を巻きつける。敵役は止まった直後、仕込まれた刃で蔦を切った。
拘束は作り直さない。切れ残った根元だけを斜めに起こし、直進する足を外側へ逸らす。
地面が鳴った。オベイロンが避難路の中央を落とす。
元の穴を塞ぐより先に、私は横へ細い道を掘った。二体目は植物の足場に運ばれたが、葉の半分が崩落へ落ちる。それでも残った根が人形を新しい道へ滑らせた。
負傷者の位置が奥へ変わり、印が赤く染まる。必要な場所だけに花を芽吹かせる。敵役の影が範囲へ入った瞬間に花を閉じ、逸れたのを見て反対側の種だけをもう一度開いた。
三体目が細い避難路を抜ける。
私はその背後を閉じた。敵役は切れた蔦を越えたけれど、迂回した数歩が届かない。負傷者役の足元では、小さな花床が必要な間だけ淡く光っていた。
土壁はない。蔦も切れた。植物の足場も半分しか残っていない。
それでも、三体は安全圏にいた。
オベイロンは最後まで止めなかった。
「今のは砦ではない。戦場だ」
胸が跳ねた。でも笑うより先に、彼が地面へ四つの光点を置いた。
防衛、拘束、避難、回復補助。光点から伸びた術式は互いに混ざらず、それぞれ違う条件を抱えたまま、戦場全体へ細い連携線を渡していた。
一つが消えると、残った術式の条件が組み替わる。術者が一瞬意識を失っても、あらかじめ定められたところまでは動き続ける。意思を持つのではない。誰がどこへ来たら、何を残し、何を止めるか。その判断を先に術式へ刻んでおく構造だった。
「第六階位に相当する複合防衛術だ。一年かけて、ここへ来い」
遠い。今の私が主力にしている第二階位とは、壁の高さじゃなく、考える量そのものが違う。
でも、見ただけで終わるのは嫌だった。
「一度だけ、やらせて」
「成功はしない」
「それでも」
短い沈黙のあと、オベイロンが光点を消した。
「やれ」
私は四か所へ魔力を落とした。
東で土が持ち上がろうとする。西では根が地中を走る。中央に避難路の輪郭が描かれ、負傷者のそばで回復補助の種が震えた。
一つずつなら、どれも知っている。
けれど、それぞれへ違う開始条件、継続条件、解除条件を刻んだ途端、視界が左右に揺れた。呼吸が浅い。魔力が一息ごとに抜ける。指先が痺れ、開いているはずの手の感覚が薄くなる。
頭の中で四本の魔力経路が重なりかける。
土を意識すれば根が止まる。根へ戻れば避難路の輪郭が欠ける。種を守ろうとすれば、土壁の基点が沈む。
「分けて……そのまま……」
歯を食いしばり、四つを引き離した。
土が一段持ち上がる。根が標的の前まで届く。避難路が人形一体分の幅を得て、種の殻に細い亀裂が入った。
形になる。
そう思った瞬間、私は無意識に四本を一つへ束ねようとした。
魔力経路が中央で衝突した。
土壁が内側から砕け、根が地表へ届く前に千切れる。避難路の輪郭は閉じ、花床になるはずの魔力が土の下で弾けた。
膝の下から力が抜ける。
静かになった訓練場には、壁も道も花床もなかった。
ひび割れた地面の中央に、小さな芽だけが出ていた。
四つのうち一つだけが、ほんの一瞬、他と繋がらない基点として形になった。その痕跡。それ以上ではない。
私は膝をついたまま、浅い息を何度も吸った。手も足も震え、あと少しと思った悔しさが喉に残る。
でもこれは、お父さんを再現できなかった失敗じゃない。
私の守りを作ろうとして、初めて失敗したんだ。
オベイロンは芽を見下ろした。
「明日も同じ訓練だ」
土まみれの手で汗を拭う。震える膝へ力を入れ、小さな芽を見たまま自分の足で立ち上がった。
「一回できなかったくらいで、やめないよ」
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