第20話 共通の敗北
鎧蜥蜴の尾が、唸りを上げた。
「伏せて!」
ティアナが両手を振り下ろす。
僕たちの前で、何重にも編まれた蔦が壁になる。
直後、巨大な尾が激突した。
蔦が千切れ、衝撃だけが空洞を駆け抜ける。
身体を低くしていた僕たちの頭上を、砕けた石が飛んでいった。
「右へ動く!」
フィアが叫ぶ。
四人で壁際へ移動する。
鎧蜥蜴は追ってこなかった。
巨大な身体を反転させ、唯一の出口らしき整備通路へ尾を叩きつける。
轟音。
天井が崩れ、出口が大量の瓦礫に塞がれた。
「逃がす気がないのか……?」
「違う。本能で、自分の縄張りを閉じたんだ」
レグルスが風を送り、瓦礫の隙間を探る。
「風が通らない。あそこからは出られない」
鎧蜥蜴が身体を震わせた。
鱗の間を、黒い光が走る。
落下時に傷ついていたはずの脇腹が盛り上がり、砕けた鱗が下から押し出された。
新しい鱗が、傷を完全に覆う。
壁へ目を向ける。
安定魔石から伸びる黒い術式が脈打つたび、鎧蜥蜴へ魔力が流れ込んでいた。
「壁から補給を受けてる」
「なら、あの魔石を壊せばいい?」
ティアナの蔦が、最も近い安定魔石へ向く。
「駄目だ」
僕はすぐに止めた。
「安定魔石は迷宮の魔力濃度を支えてる。ここだけじゃなく、上の階層まで繋がってるかもしれない」
無理に破壊すれば、溜め込まれた魔力が一度に溢れる。
空洞の崩落だけでは済まない可能性があった。
「改竄された術式だけを消せる?」
フィアが尋ねる。
「今の僕には無理だ。下手に触れば、何が起きるか分からない」
鎧蜥蜴が四本の脚で床を掻いた。
石が削れ、巨体が沈む。
突進の構えだ。
「散らばらないで!」
ティアナが地面へ種を撒く。
僅かに溜まった土から蔦が伸び、僕たちの背後へ斜めの土壁が立ち上がった。
鎧蜥蜴が突進する。
正面から受けることはできない。
土壁の傾斜に沿うように、四人で側面へ逃れる。
巨体が壁へ衝突した。
空洞全体が震え、鎧蜥蜴が顔を上げて咆哮する。
その瞬間だけ、喉元の鱗が扇のように開いた。
内側に、柔らかな皮膚が見える。
「喉だ」
僕の言葉に、三人の視線が集まる。
詳しく話す時間はなかった。
「ティアナ、脚を。フィアは頭を上げさせて。僕が開く。レグルスが刺す」
「分かった」
誰も問い返さなかった。
鎧蜥蜴がこちらを向く。
ティアナが両手を握り込んだ。
土壁の陰から蔦が走り、鎧蜥蜴の両後脚へ巻きつく。
「今!」
フィアの細剣が、床を擦った。
刃から放たれた雷が石床を走り、鎧蜥蜴の左前脚へ届く。
巨体が痙攣し、フィアへ顔を向けた。
フィアは一人で飛び込まない。
雷を纏ったまま、蔦の届く範囲を保って横へ走る。
鎧蜥蜴が牙を剥き、彼女へ吠えた。
喉の鱗が開く。
僕は右脚だけへ身体強化を流した。
一歩。
強化を切る。
次に足裏へ魔力を集中し、短距離加速を使う。
二つを同時には繋がない。
《閃駆》ではなく、それぞれの第一階位魔法として使う。
鎧蜥蜴の顎下へ滑り込む。
開いた鱗の一枚へ、剣の鞘を差し込んだ。
「ぐっ……!」
鱗が閉じようとする。
両手で鞘を押し込み、隙間を広げる。
「レグルス!」
銀槍を構えたレグルスの周囲で、風が収束した。
身体ではなく、槍先だけを加速させる。
放たれた刺突が、僕の肩の横を通り過ぎた。
槍先が鱗の隙間へ吸い込まれる。
硬いものを貫く音。
喉元へ、僅かに血が滲んだ。
届いた。
四人の攻撃が、初めて一つの場所へ重なった。
だが次の瞬間、壁中の安定魔石が黒く光った。
大量の魔力が鎧蜥蜴へ流れ込む。
槍が刺さった傷口から新しい鱗が生え、レグルスの穂先を押し戻した。
僕の鞘も弾き出される。
「離れろ!」
鎧蜥蜴の体内から、魔力が溢れた。
衝撃波が空洞全体へ広がる。
身体が浮いた。
背中から石床へ落ち、肺の空気が押し出される。
ティアナの蔦が千切れた。
フィアの雷が消える。
レグルスの銀槍が床を跳ねた。
それでも鎧蜥蜴の喉元には、傷一つ残っていなかった。
「来る!」
フィアが叫ぶ。
鎧蜥蜴が暴れた。
誰か一人を狙っているのではない。
尾が壁を薙ぎ、前脚が床を砕き、巨体そのものが空洞を壊していく。
「下がって!」
ティアナが土壁を立ち上げる。
尾が直撃した。
壁も蔦も、一度に砕ける。
無数の岩が僕たちへ降り注いだ。
ティアナは避けるより先に、両腕を広げた。
彼女の正面に大きな花が咲き、花弁が僕とレグルスを覆う。
岩が花弁を突き破った。
鈍い音とともに、ティアナの肩が跳ねる。
「ティアナ!」
脇腹にも石が当たり、彼女は膝をついた。
フィアが雷を纏って駆ける。
攻撃のためではない。
「左へ二歩! 次は上!」
落石の隙間を読み、僕たちへ進路を示している。
その背後から、鎧蜥蜴の尾が振り抜かれた。
直接は触れていない。
それでも尾が生んだ風圧が、華奢な身体を持ち上げた。
フィアが壁へ叩きつけられる。
右手の包帯へ赤い染みが広がり、細剣が指から滑った。
レグルスが彼女の前へ入る。
「伏せろ!」
銀槍を横へ構えた直後、二度目の尾が激突した。
金属が軋む。
銀槍の柄へ、細い亀裂が走った。
レグルスの身体も槍ごと弾かれ、床へ転がる。
脇腹を押さえたまま起き上がろうとするが、右腕が震えていた。
同じ一撃で、僕たちの形が崩された。
ティアナの壁も。
フィアの速さも。
レグルスの槍も。
何一つ、鎧蜥蜴を止めていない。
巨体が迫る。
僕は剣を構え、倒れた三人の前へ出た。
身体強化を使う。
右脚に力を込める。
けれど鎧蜥蜴の前脚は、剣で受けられる大きさではなかった。
爪が刃へ食い込む。
金属が悲鳴を上げ、一部が欠けた。
「っ……!」
全体重を乗せられ、片膝が床につく。
腕が震える。
剣を押し返せない。
左腕の紋章が、焼けるように熱くなった。
『喰え』
ベルゼバスの声が、頭の中へ響く。
『壁も、獣も、すべて喰えば勝てる』
意識を魔力へ向けてしまう。
安定魔石から溢れる濃厚な魔力。
鎧蜥蜴の内側で膨れ上がる魔力。
どちらも、甘い匂いを放つ食べ物のように感じられた。
『守りたいなら、力を選べ』
その向こうに、三つの光があった。
ティアナの温かな土色。
フィアの鋭い雷光。
レグルスの澄んだ風。
傷つき、弱くなった三人の魔力まで、飢えた僕の中へ流れ込もうとしている。
暴食を開けば、鎧蜥蜴だけで止められない。
僕が二体目の怪物になる。
「使わない」
『ならば、そこで潰れろ』
爪の重さが増した。
僕は欠けた剣を握り直す。
暴食を使わなくても勝てると思ったわけじゃない。
もう、勝てないことは分かっていた。
それでも仲間を喰うより先に、剣を離したくなかった。
鎧蜥蜴が前脚を持ち上げる。
僕の右脚には、立ち上がる力が残っていない。
その爪が、今度こそ僕たちへ振り下ろされた。
崩れた天井の隙間から、半透明の小鳥が飛び込んだ。
風で形作られた、セルフィナの精霊。
小鳥は整備扉の前で弾け、淡い翡翠色の光を残した。
直後、扉が外側から吹き飛んだ。
「四人から離れろ!」
バルト先生が空洞へ飛び込む。
鎧蜥蜴へは向かわない。
先生の剣が、壁を走る黒い術式を正確に斬った。
一本。
二本。
三本。
安定魔石から鎧蜥蜴へ流れていた黒い魔力が途切れる。
「供給を切った! 拘束しろ!」
後方から入った教師たちが、僕たちの前へ防壁を展開した。
光の鎖が鎧蜥蜴の四肢と尾へ巻きつく。
巨体が暴れ、鎖を引き千切ろうとする。
しかし、砕けた鱗はもう再生しない。
バルト先生が床を踏み込んだ。
全身に流れていた魔力が、剣を握る両腕へ集まる。
剣の腹が、鎧蜥蜴の顎を下から打ち抜いた。
巨体が浮き、背中から地面へ沈む。
石床が陥没した。
教師たちは緩めることなく拘束術式を重ね、鎧蜥蜴の口と四肢を完全に封じた。
四人で何をしても止まらなかった魔物が、動かなくなる。
「生存者四名、確認! 負傷者から運べ!」
先生たちの声が遠く聞こえた。
そこで、僕の意識は途切れた。
次に目を開けると、白い天井があった。
学院の医務室。
胸には包帯が巻かれ、右脚は固定されている。
隣の寝台では、ティアナが肩と脇腹を治療されていた。
向かいには、右手へ新しい包帯を巻かれたフィア。
さらに奥に、腕と肋骨を固定されたレグルスがいる。
壁へ立てかけられた銀槍には、はっきりと亀裂が残っていた。
僕の欠けた剣も、寝台脇の台へ置かれている。
「鎧蜥蜴は拘束した」
医務室の壁際に、バルト先生が立っていた。
「調査中だが、戦闘能力は少なくともC級上位。供給量次第ではB級に届いていた可能性もある」
誰も声を出さない。
「お前たちの撤退判断は正しい。時間を稼ぐ判断も、喉を狙った作戦も間違っていない」
先生は、そこで言葉を切った。
「だが、正しい判断だけで生き残れるほど、実戦は甘くない」
否定する言葉はなかった。
「今回は、お前たちの力が足りなかった」
それだけを告げ、バルト先生は医務室を出ていった。
沈黙が残る。
誰か一人が失敗したのなら、その失敗を直せばよかった。
けれど今回は違う。
僕の判断も。
ティアナの魔法も。
フィアの速さも。
レグルスの槍も。
四人で合わせた攻撃さえ、何も残せなかった。
寝台の端で、何かが動いた。
ティアナが、動かせる方の手をこちらへ伸ばしていた。
僕も指先だけを伸ばす。
僅かに触れる。
「いる?」
小さな声だった。
「いるよ」
それ以上、言葉は続かなかった。
フィアは包帯を巻き直された右手を見つめている。
レグルスは、亀裂の入った銀槍から目を逸らさない。
僕も欠けた剣を見た。
誰も、次は勝つとは言わなかった。
しばらくして、レグルスが寝台から上体を起こした。
「その槍、修理できそう?」
僕が尋ねる。
レグルスはすぐには答えなかった。
亀裂へ指を沿わせ、銀槍を強く握る。
「アルト。明日、訓練場へ来てくれ」
「また勝負?」
「違う」
レグルスは、フィアとティアナにも視線を向けた。
「今度は、僕一人では足りない話だ」
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
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