第192話 ドラフトの演武場
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例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
検査へ向かうはずの搬送車が止まり、扉の向こうに七旗ドラフトの演武場が見えた瞬間、説明されていた行き先が嘘だったと分かった。
朝、三重封印隔離病棟を出る時まで、僕は本当に検査だと思っていた。
王都外の施設で、三契約へ対応した封印治療と適合検査を行う。現在の病室では実施できない接続確認があり、終了後の扱いは結果を見て決める。
そう説明されていた。
移送に使われたのも、鉄格子の檻ではない。
淡色の敷布を張った医療搬送車だった。身体を傷つけない安全帯を使い、成人医療担当者が出発前から脈と呼吸を記録していた。
鎖も、硬い拘束環もない。
白くなった髪も、青灰色の瞳も、そのままだった。
右前腕の赤黒く盛り上がった瘢痕には治療布が巻かれ、短い左小指の先にも清潔な包帯がある。
左腕の《暴食》、右上腕の《憤怒》、上胸部の《色欲》。
三つの紋様は別々の位置に残っていたが、移送中に異常な反応は起きなかった。
レイシアは朝早く、王都から離れた荒野へ出発している。
任務が何日かかるかは分からない。それでも、終わったらすぐ来ると言っていた。
僕の検査も、その頃には終わっていると思っていた。
病棟へ戻ったら結果を話す。
次の面会では、孤児院へ婚約をどう報告するか決める。
正式な手続きに必要なものを成人記録官へ尋ね、指輪はレイシアと二人で選ぶ。
僕はその順番を何度も考えながら、搬送車の揺れを受けていた。
扉の外に見えた石造りの入口は、その未来とは違う場所へ続いていた。
「降りられますか」
成人医療担当者に尋ねられ、僕は返事をする前に演武場を見た。
観客席の形も、石床へ続く通路も覚えている。
かつて七つの騎士団旗の下で名前を呼ばれ、騎士として進む道を選んだ場所だった。
「……ここが、王都外の施設なんですか」
担当者は答えなかった。
安全帯が外される。
僕は差し出された手を借りず、搬送車から足を下ろした。
脚にはまだ長期拘束の衰えが残っている。石床を踏んだだけで膝が揺れたが、立つことはできた。
通路を抜けると、演武場の全体が見えた。
観客はいなかった。
騎士団旗もない。
代わりに、成人騎士の盾列が中央の石床を囲んでいた。
盾は外へ向けられていない。
全てが、これから中央へ立つ僕へ向けられていた。
一定の間隔で封印柱が立ち、その外側には透明な物理隔壁が重ねられている。
攻撃を外へ漏らさず、内側へ閉じ込める配置だった。
成人封印担当者は柱と確認板の間を往復していた。避難担当者は中央から外へ続く経路を確保し、記録台では筆を持った者が待っている。
治療用の寝台はなかった。
適合を調べる装具も見当たらない。
灰鬼騎士団が、盾列のさらに内側へ配置されていた。
中央近くにはガイ団長が立っている。
大剣は鞘へ収まっていたが、外套の上からでも、いつでも動ける姿勢だと分かった。
その後ろに、フィアがいた。
ティアナもいる。
レグルスも、セルフィナもいた。
四人とも生きて、現実の石床へ立っていた。
救護区画で生存記録を見た。成人担当者からも説明を受けた。それでも、同じ場所に立つ四人を見た瞬間、僕の手には存在しない剣の重さが戻った。
フィアの途切れた声。
僕の名前を呼ぶティアナの声。
折れたレグルスの槍。
弾き飛ばされたセルフィナの髪と瞳。
そこから先は接続された偽記憶だ。
僕は四人を追撃していない。
四人は今も生きている。
分かっているのに、左手の指が震えた。
四人は僕へ近づかなかった。
それぞれ決められたらしい位置へ立ち、武器も向けていない。
足元には閉じられた封印箱が一つずつ置かれていた。ガイ団長の近くにも同じ大きさの箱がある。
蓋の確認印は、どれも破られていなかった。
演武場の外縁にはローディンがいた。
こちらを見てはいたが、手に武器も魔法具もない。何かを始める様子もなかった。
「ガイ団長」
僕の声は、透明な隔壁へ当たって小さく返った。
「検査をする場所には見えません。これは何の配置ですか」
成人医療担当者が僕の脈を確認した。
別の担当者が呼吸数を記録すると、二人とも中央から数歩離れた。
ガイ団長が外套の内側から封書を出した。
団長印ではない封蝋を割り、折られた命令書へ目を落とす。
紙が開かれる音だけが、演武場へ響いた。
ガイ団長は命令書を下げ、僕を見た。
「ここは検査場じゃねえ」
意味を理解するより早く、右上腕の紋様が熱を持った。
「お前に下った判決は、永久封印だ」
胸の奥から、呼吸が一つ抜け落ちた。
「異変が確認された場合は、俺たちがここでお前を殺す」
誰かが盾を持ち直した。
金属の縁が石床を擦った音が、ひどく遠く聞こえた。
「判決……?」
僕はガイ団長の持つ紙を見た。
「裁判をしたんですか。いつ……僕は、何も聞いていません」
「非公開の特別裁判だ。お前にも、レイシアにも通知されてねえ」
「僕が話したことは」
「事情聴取記録、医療記録、婚約の確認記録。全部、証拠として使われた」
喉が塞がった。
治療へ繋げるために全部話した。
星門派を追及し、三魔神契約を治療する方法を探してもらうためだった。
婚約を記録へ残した時、王国の紙の上にも僕たちの未来が一行だけ生まれたと思った。
隔離病棟で契約反応を隠さず申告した。
規則を守り、治療を続ければ、いつか外へ出られると信じた。
「判決文でも、お前が被害者だって認定は変わってねえ」
ガイ団長の声が続いた。
「自発的な犯罪行為は確認されていない。人格も倫理観も維持されてる。人間と精霊を喰った事実もねえ。これは犯罪への刑罰じゃなく、国家危険管理処分だ」
「だったら、どうして」
「善意が残ってても、外から身体を強制された前例がある。今の王国には、三契約を確実に止める手段がねえ」
正しい言葉なのかもしれない。
僕は一度、意思を残したまま左半身を強制換装させられた。
四人への致命軌道を外すことしかできず、傷つける動きそのものは止められなかった。
それでも、僕の知らない場所で僕の残りの人生を閉じる理由に、その事実が使われた。
「即時死刑へ移る条件は三つだ」
ガイ団長は命令書を見ずに告げた。
「ベルゼバス、サタネグラス、アスモリーナの三魔神同時顕現。成人医療担当と成人封印担当が客観的に確認した人格消失。本人の意思で停止できない周囲魔力の強制吸収。どれか一つが確認された時点で移行する」
三つとも、今は起きていない。
だから盾列は待っている。
封印柱も、透明な隔壁も、僕が条件のどれかへ変わる瞬間を待っていた。
永久に閉じられるか。
その前に殺されるか。
「レイシアは知っているんですか」
最初に聞きたいことは、それしかなかった。
ガイ団長は首を横へ振った。
「知らねえ。判決も、死刑条件も、ここもだ。今朝、王都から離れた荒野へ出された」
「任務は……」
「実在する正規任務だ。ただし、あいつをここから離す意味もある。契約反応の重要な対象で、条件成立時には処刑へ介入する立場にもなる」
昨日の透明な隔壁が浮かんだ。
終わったらすぐ来る。
戻る頃には終わっているかな。
次に会ったら孤児院へ何を話すか決めよう。
指輪の話も。
うん。約束。
レイシアは、僕が検査を受けていると思って帰ってくる。
僕のいない病室へ。
胸の暗紫色の紋様が内側から締まった。
息を吸おうとしても、空気が喉から先へ進まない。
右上腕の《憤怒》が脈打つ。
怒れ、と身体が迫ってくる。
王国を憎め。
真実を隠した大人を憎め。
ここへ並んでいる騎士を、ガイ団長を、四人を、自分の人生を憎め。
左腕の《暴食》には、深い空白が生まれた。
何も考えず、その空白を満たせばいい。
目に映るものへ手を伸ばせば、恐怖も判決も感じなくなる。
胸の《色欲》は、レイシアと二度と会えないという恐怖だけを何倍にも広げた。
彼女がいないなら、その先には何もない。
そんな形へ、僕の願いを歪めようとしていた。
違う。
そう思ったはずなのに、声にならなかった。
視界が狭くなる。
石床が黒い拘束台へ変わったように見えた。
手首にはない拘束具が食い込み、短い左小指へ失った先端の痛みが戻る。
偽の剣がレイシアへ振り下ろされた。
倒れる音がした。
現実ではない。
それでも脚から力が抜け、僕は石床へ膝をついた。
もう考えたくない。
何も感じたくない。
三つの反応へ意識を預ければ、この痛みを僕が抱えなくても済む。
その考えが、自分のものではない場所から滲んできた。
「医療確認を開始します」
成人医療担当者が僕の正面で膝をついた。
隣では成人封印担当者が、三つの紋様と周囲の確認板を同時に見ている。
「呼吸の乱れと解離反応を確認。周囲魔力の減少はありません。三契約の顕現もありません」
「人格確認を行います。あなたの名前を答えられますか」
口を開いても、最初は息しか出なかった。
ガイ団長の足音が一歩だけ近づいた。
「沈黙や恐慌を人格消失に数えるな。手順どおり待て」
成人担当者は頷き、質問を重ねなかった。
僕は石床へついた左手を見た。
短い小指。
黒い契約紋章。
それでも、これは僕の手だ。
「……アルト・ロウェル」
声は掠れていた。
「年齢は」
「十六歳」
「対象境界を答えてください」
右腕の熱は消えていない。
胸も締めつけられたままだった。
それでも、何を選ぶかまで紋様へ渡したわけではない。
「人間と精霊は対象外です」
成人医療担当者が僕の瞳を確認した。
「フィア、ティアナ、レグルス、セルフィナの現在を認識できますか」
僕は一人ずつ見た。
四人とも生きている。
偽記憶の中ではなく、朝の光が差す演武場に立っている。
「全員、生きています。僕が殺した記憶は偽物です。僕は現実に四人を傷つけました。でも、残った意識で致命軌道を外しました」
「レイシア・ロウェルと、次に何を話す約束をしましたか」
胸がまた痛んだ。
「孤児院へ婚約をどう報告するか……それから、指輪の話です」
成人封印担当者が確認板から顔を上げた。
「契約反応は継続していますが、身体行動の全面支配はありません。本人による拒否と対象境界を確認」
「一時的な恐慌及び解離反応です。人格消失条件は成立していません」
ガイ団長が盾列へ片手を上げた。
誰も前へ出なかった。
僕は自分の膝へ手を置き、ゆっくり立ち上がった。
三つの紋様は残っている。
王国への信頼が元へ戻ったわけでもない。
この判決を理解したからといって、受け入れられるわけでもなかった。
「僕は死にたくありません」
演武場の全員へ届くように言った。
「永久封印にも同意しません」
フィアの手が僅かに動いた。
ティアナは僕から目を逸らさなかった。
レグルスは真っ直ぐ立ち、セルフィナは閉じた封印箱の前にいた。
ローディンも外縁からこちらを見ていた。
誰の役割も、僕には分からない。
それでも、目の前にいる人たちを憎むことと、生きるために判決を拒むことは別だった。
「僕はレイシアとの次の面会へ帰りたいです。孤児院へ二人で報告して、正式な手続きをして、指輪を一緒に選びたい。白髪のままでも、この傷が残っても、今の僕として隣に立ちたいです」
声は震えていた。
けれど、それは《憤怒》でも《色欲》でもない。
因子を刻まれる前から、僕が選んでいた未来だった。
「だから、ここで僕の人生を終わらせないでください」
盾列は動かない。
封印柱にも変化はない。
閉ざされた透明な隔壁の内側で、僕は自分の名前と意思を保ったまま立っていた。
殺されるために囲まれたドラフトの演武場で、僕は三魔神へ意識を預けず、レイシアとの次の面会へ帰るために生きると決めた。
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