第188話 三魔神隔離病棟
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
王都へ入って最初に見たのは、帰るはずだった孤児院ではなく、治療のために重ねられた三枚の封印扉だった。
臨時救護区画を出た僕は、救護用の搬送寝台に横たわり、物理搬送車で王都まで運ばれた。
成人封印隊と水蝶救護班が左右を固め、灰鬼盾列が外周を守っていた。窓には薄い覆いが掛けられ、僕の白い髪も、三つの契約紋様も、王都の人々へ晒されてはいない。
身体を押さえているのは、揺れから守るための柔らかな安全帯だけだった。
黒い拘束台も、硬い拘束環もない。
それでも、車輪が床の継ぎ目を越えるたび、手首には存在しない金属の重さが蘇った。
短くなった左小指を握り込み、僕は呼吸を数えた。
ここは星門派の施設ではない。
僕を運ぶ人たちは、行き先も、触れる場所も、先に説明してくれている。
王都に着いたのだ。
同じ王都のどこかに、ロウェル孤児院がある。
今すぐ門をくぐることはできなくても、昨日までより遠ざかったわけではなかった。
搬送車が止まり、最初の封印扉が成人封印隊員の手で開かれた。
機械の声はしない。確認札を読み合わせ、二人が左右の操作具を動かすと、厚い扉が静かに壁へ収まった。
二枚目の内側には、透明な隔壁に囲まれた観察通路があった。
三枚目の向こうに見えたのは、白い寝台と清潔な敷布、水差し、普通の灯具、朝の光が入る採光窓だった。
「ここが、当面の治療室です」
成人医療担当者が、僕から見える位置で説明した。
「内側が生活と処置を行う病室、中間が医療観察区画、外側が封印隊の管理区画です。扉は自由に開けられませんが、寝台へ身体を固定することはありません」
当面。
その言葉を聞いて、少しだけ息を吐けた。
永遠ではなく、少なくとも今日から始めるための言葉に聞こえた。
安全帯を外す前にも確認があった。
「今から腰と脚の帯を外します。よろしいですか」
「はい」
帯が一本ずつ外される。
僕は自分の意思で右手を持ち上げられた。震えてはいたけれど、誰にも押さえつけられていなかった。
搬送寝台から白い寝台へ移る時も、腕を支えてよいか尋ねられた。
足へ力を入れると膝が崩れそうになったため、僕は頷いた。二人の成人救護担当者に支えられ、数歩だけ歩いた。
その数歩で息が上がった。
それでも、自分の足で移った。
寝台へ上体を起こしたところで、成人封印技師が紙の記録を開いた。
「以前使用していた黒銀色の封魔具について説明します。装具は第五環最深部側で回収され、現在は施錠箱へ証拠として保管されています」
「壊れてはいないんですか」
「外された際の損傷は調査中ですが、形は残っています。ただし、今のあなたへそのまま戻すことはできません」
封印技師が、僕の左腕、右上腕、上胸部を順に示した。
左腕の黒い紋章は肩の手前で止まっている。
右上腕には赤黒い《憤怒》の紋様。
衣服の下、上胸部には暗紫色の《色欲》の紋様。
三つは繋がらず、別々の場所に刻まれたままだ。
「以前の装具は、《暴食》単独契約だった時の左腕の接続を前提に調整されています。ですが現在は、長期間の魔力注入と二つの契約因子の追加によって、接続構造が変化しています」
「古いものを戻すと、どうなりますか」
「位置が合わなければ、閉じるべきでない経路を閉じる可能性があります。他の二契約への干渉、魔力の逆流、強制開放、身体損傷も否定できません」
右上腕が熱を持った。
封魔具まで奪われた、と怒りへ変えようとする圧力だった。
けれど、装具を外したのは目の前の技師ではない。
危険だから調べるという説明も、僕を傷つけるためのものではなかった。
「右上腕に熱があります。《憤怒》の反応だと思います」
僕が告げると、医療担当者が時刻と発言を紙へ書いた。
「他に変化はありますか」
「ありません。怒りに似た圧力はあります。でも、ここにいる人を責めているわけではありません」
発言と身体反応が、別の欄へ記録された。
封印技師も説明を急がなかった。
「現在の接続を一つずつ確認します。その後、旧装具を再調整できるか、別の接続方法が必要かを検討します。再使用できるとも、できないとも、今は断定しません」
戻せないのは、今の話だった。
これから先まで、方法がないと決まったわけではない。
「調査には、どのくらいかかりますか」
「正確な期間は答えられません。三契約を同時に扱った記録がないためです」
医療担当者が引き継いだ。
「隔離解除や退院も、現時点では保証できません。ただし、現在の状態を固定したまま放置する場所でもありません。治療段階ごとに身体状態と契約反応を確認し、処置、面会方法、行動範囲を見直します」
「外へ出るための条件も、ですか」
「はい。それも記録し、検討します。ただし、安全が確認できた範囲からになります」
すぐに帰れるとは言われなかった。
けれど、帰れないとも決められていない。
治療を続け、今の接続を調べ、安全な封魔具か別の方法が見つかれば、扉の外へ進めるかもしれない。
その先には孤児院がある。
医療担当者は、最初の診察内容を一つずつ読み上げた。
白いままの頭髪。左右とも青灰色の瞳。赤黒く盛り上がった右前腕の瘢痕。先端を失った左小指。三つの独立した契約紋様。
「お名前と年齢をお願いします」
「アルト・ロウェル。十六歳です」
「契約の対象境界は維持されていますか」
「はい。人間と精霊は対象外です」
脈と呼吸を測った後、右前腕の治療布を交換することになった。
担当者の指が瘢痕へ近づいた瞬間、黒い台の上で腕を押さえられた感触が戻った。
「待ってください」
手が止まった。
誰も僕の腕を掴まなかった。
「止めました。触れる前に、改めて手順を説明します」
古い治療布を端から剥がし、瘢痕の色と盛り上がりを確認し、新しい布で覆う。それ以上のことはしないと説明された。
呼吸が戻るのを待ってから、僕は頷いた。
「お願いします」
処置は説明された通りに終わった。
左小指の欠損部も、許可を取ってから洗浄され、柔らかな保護布で包まれた。食事は薄いものを少量ずつ。水も一度に飲みすぎないよう、杯へ分けて渡された。
眠れなければ記録し、眠った時間を罰や実験へ利用しないとも言われた。
疑う感覚は、すぐには消えない。
けれど僕が止めてほしいと言った時、本当に手が止まった。
その事実を、一つ目の治療記録として信じることにした。
最初の処置が終わり、短い休息を挟んだ頃、透明な隔壁の外へレイシアが現れた。
面会申請と成人確認を終え、水蝶騎士団長の装備を預けたうえで観察通路へ入ってきたらしい。
淡い銀青色の長い髪。
澄んだ水色の瞳。
わずかに揺れた長い耳。
本物のレイシアだった。
剣を振り下ろした偽の感触が右手へ蘇る。
倒れる声まで聞こえた気がした。
けれど隔壁の向こうのレイシアは立っていて、僕を見ている。
上胸部の暗紫色の紋様が、内側から強く締めつけた。
会えた安心を、離れる恐怖へ変えようとする反応だった。
「胸の紋様が締めつけます」
僕は観察通路の医療担当者へ伝えた。
「レイシアを見てからです。離れることへの怖さが強くなっています。でも、何かを強いるつもりはありません」
筆が紙の上を走った。
脈は速くなっていたが、僕の名前も年齢も、対象境界も変わっていない。
レイシアへ近づくために隔壁を壊そうとも思わなかった。
怖さと、僕が何を選ぶかは別だった。
音声孔の前に置かれた椅子へ座ると、レイシアも向こう側の椅子へ腰を下ろした。
透明なのに、手を伸ばしても触れられない。
それでも、顔も声も確かに届く。
「すぐには出られないみたい」
「うん。急がなくていいよ」
レイシアは無理に笑わなかった。
ただ、僕と同じ時間を見ようとするように、まっすぐ頷いた。
「待たせることになる」
「一年待ったんだから、今さら少しくらい増えても変わらない」
軽い言葉ではなかった。
失われた一年を消すのではなく、その一年を越えても、これからを急がなくてよいという言葉だった。
僕は白くなった髪へ触れ、それから治療布に包まれた右腕を見た。
一年前と同じ姿には戻れないかもしれない。
それでも、治療の先に進むのは今の僕だ。
「治療が終わったら、孤児院へ帰ろう」
「そのあと正式な手続きと、指輪だね」
孤児院の門を二人でくぐり、並んでただいまを言う。
婚約を報告して、それから王国で正式な手続きをする。
どんな指輪を選ぶかは、まだ決めていない。だからこそ、選ぶ時間が僕たちの先に残っている。
「うん。これからのことを、二人で決めよう」
隔壁は、僕たちの未来まで分けるものではなかった。
今は触れられなくても、治療記録は増えていく。身体が回復すれば、調べられることも増える。安全な接続方法が見つかれば、面会の距離も、動ける範囲も見直される。
一つずつ進めばいい。
成人医療担当者が、面会終了の時刻を穏やかに告げた。
胸の紋様が再び締めつける。
寂しい。
けれど、その寂しさはレイシアの時間を奪ってよい理由にはならない。
僕は椅子から立ち、透明な隔壁へ右手を添えた。
レイシアも向こう側から、同じ位置へ手を重ねた。
間には透明な板があり、温度は伝わらない。
それでも、二人が選んだ未来は、その向こうへ途切れず続いていた。
「触れられない透明な隔壁の両側から同じ場所へ手を置き、レイシアの『また来るよ』は、次の面会だけではなく、その先も二人で生きていく約束になった。」
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