第175話 意識を失う量
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
マリアベルが次に測ろうとしたのは、僕がどこまで耐えられるかではなく、どれだけ魔力を流せば意識を失うかだった。
壁の物理弁には、以前より細かな刻線が刻まれていた。
その下には複数の圧力札が並び、拘束室の床から伸びた供給口が、黒い拘束台の内部へ接続されている。
振り子式の計時器。脈を測るための革紐。呼吸の回数を刻む記録札。瞳孔を確かめる小さな鏡。
どれも意思を持たない、ただの物理器具だった。
だからこそ、それを並べた者の意図だけが、むき出しになっていた。
僕の両手首と両足首、腰、胸は拘束具で固定されている。今日は頭の左右にも支持枠が追加されていた。
痙攣しても頭を打たないためだ。
僕を守るためではない。余計な負傷で測定を中断しないためだった。
右前腕では、赤黒く盛り上がった瘢痕が脈に合わせて痛んでいる。
白布と小型固定具に包まれた左小指は、先端が欠けたままだ。失った部分は戻っていない。
確認鏡の端に映った髪は、黒に近い濃紺だった。瞳も左右とも青灰色のままで、黒い紋章は左腕の肩手前で止まっている。
施錠箱の中には、奪われた黒銀色の封魔具が収められていた。
壁には、灯具が消えて点くたびに刻んできた二行が重なっている。
アルト・ロウェル。
人間は対象外。
十五歳の僕がどの刻線まで意識を保てるか。その結果を書くため、マリアベルは金属製の記録板を持って立っていた。
「今回は、供給量と意識消失点を対応させます」
「僕は協力しない」
「承知しています」
穏やかな返事だった。
拒絶を聞き入れた声ではない。拒絶の有無が実験条件へ影響しないと告げる声だ。
「意味のある応答が消え、瞳と呼吸から意識消失を確認した時点で供給を停止します」
「それより前に、僕がどれだけ痛んでも止めないってことか」
マリアベルは否定しなかった。
「今回、苦痛の強さは主要記録項目ではありません」
無名の成人担当者が、僕の右手首へ革紐を巻いた。指先を脈へ添え、別の担当者が胸の動きを見ながら記録札へ印を付ける。
顔の横へ確認鏡が置かれた。
「基準測定を始めます。名前は?」
「アルト・ロウェル」
自分の名前は、マリアベルのために答えたのではない。
壁へ刻んだ文字と同じだ。僕が器でも核でもなく、人間として持っている名前だった。
「現在地は分かりますか」
「第五環の最深部側。星門派に捕らえられている」
記録板の上で筆記具が鳴る。
脈、呼吸、瞳孔、発語。そこに僕の怒りは書かれなかった。
「基準状態、応答明瞭。第一段階を開始してください」
担当者が物理弁を最初の刻線まで回した。
壁の奥で、重い何かが動いた。
床から低い振動が伝わり、拘束台の供給口が微かに唸る。第五環から送られた魔力が外側から左腕を押した。
黒い紋章が熱を帯びる。
最初に痛んだのは、右前腕の瘢痕だった。
閉じただけの傷が、皮膚の下で引きつる。遅れて左小指の欠損部が疼き、左腕全体へ鈍い熱が広がった。
「脈拍上昇。呼吸は維持」
「応答を確認します。私の声が聞こえますか」
「聞こえている」
まだ声は揺れなかった。
マリアベルは僕の返答ではなく、弁の刻線と振り子の往復回数を書き込んだ。
一定の時間が過ぎる。
「第一段階終了。意識消失なし。第二段階へ」
弁が次の刻線へ進んだ。
魔力圧が一気に濃くなる。
左腕の内側で、閉じていたものが僕の意思を押し退けて開いた。
僕は選んでいない。
名を呼んでもいない。
それでも《暴食》の吸収反応は、供給口から流れ込む魔力を捉えた。
空気が左腕へ引かれ、圧力札が細かく震える。吸い込まれたのは、設備から供給された魔力だけだった。
担当者もマリアベルも、拘束具も施錠箱も対象にはならない。
黒い紋章は肩手前の境界を越えなかった。左手にも前腕にも外殻は現れず、僕の身体は人間の姿を保っている。
代わりに、左手の震えが強くなった。
短い小指は固定具の中で動かない。他の指が拘束台を掻こうとして、感覚より遅れて僅かに曲がる。
胃が持ち上がるような吐き気がした。
「吸収反応を確認。外形変化なし。指先の震え、第二段階より発生」
僕が息を詰めても、マリアベルの筆記具は止まらなかった。
痛みは文章にならない。
始まった段階だけが、一行になる。
「第三段階へ移行します」
弁が回る音が、なぜか遅れて耳へ届いた。
灯具の光が一度消えたように見えた。
実際には消えていない。確認鏡の中でも炎は燃え続けている。それなのに視界の端から黒い影が狭まり、炎だけが明滅して見えた。
耳の奥で高い音が鳴る。
マリアベルの声が、口の動きより遅れて聞こえた。
「名前を答えてください」
僕は唇を開いた。
名前なら壁にある。
けれど、今の僕をここへ繋ぎ止めるには、それだけでは足りなかった。
「任務が終わったら、二人で孤児院へ帰る」
マリアベルの目が、壁ではなく僕の口元へ向いた。
「質問への直接回答ではありませんが、意味のある発語を確認」
筆記具が金属板を擦る。
「その言葉を選んだ理由は?」
答えなかった。
これは彼女へ渡す説明ではない。
僕が忘れないための約束だ。
突入前夜、レイシアは私たちが別々の配置へ就くことを受け入れた。
命令を破って傍にいるとは言わなかった。僕にも、配置を捨てて追いかけてほしいとは言わなかった。
その代わり、任務が終わった先を一緒に選んだ。
孤児院へ帰る。
報告をする。
正式な手続きを進めて、二人で指輪を選ぶ。
あの時に差し出された手の温度は、今ここにあるものではない。僕が過去に触れた、本物の記憶だった。
幻でも、地下の向こうから届いた声でもない。
だから、奪われない。
「任務が終わったら、二人で孤児院へ帰る」
今度は少し掠れた。
マリアベルは約束の意味を尋ねなかった。
「同一文の反復。発語明瞭度、僅かに低下。意識は維持」
僕が未来を守るために口にした言葉が、意識を測る札へ変えられていく。
それでも黙るよりよかった。
彼女の記録になることより、僕の中から消えることの方が怖かった。
「第四段階へ」
物理弁がさらに回された。
次の瞬間、背中の筋肉が勝手に縮んだ。
胸の固定帯が鳴り、両肩が拘束台から浮きかける。頭は左右の支持枠に受け止められ、硬い台へ打ちつけずに済んだ。
左脚が跳ねた。
足首の拘束環が金属音を立てる。
痙攣が収まった直後、今度は右腕が震えた。瘢痕の下へ熱い線を押し込まれたような痛みが走る。
息を吸おうとしても、胸が半分しか動かなかった。
「全身の断続的痙攣。呼吸浅化。脈の間隔に乱れ」
「瞳孔反応は残っています」
担当者の報告が、水の向こうから聞こえる。
拘束室は変わっていない。
壁も床も天井も、黒い拘束台も同じ場所にある。
それなのに輪郭だけが二つにずれ、マリアベルの姿が重なって見えた。
「アルト・ロウェル。聞こえていますか」
返事をしようとすると、顎が震えた。
舌は動く。喉もまだ声を作れる。
「任務、が……終わったら、二人で孤児院へ帰る」
一息では言えなかった。
それでも、最後まで繋げた。
「応答までの遅延あり。同一文の意味は維持。意識消失なし」
マリアベルは淡々と記録する。
僕が誰と帰るのかも、なぜ帰りたいのかも、彼女は知らない。
知らないまま、言葉が途切れるまでの時間だけを測っている。
振り子が往復するたび、音が遠くなった。
担当者が僕の脈を確かめ直す。
「痙攣は増加しています。呼吸は浅いままです」
「回復不能な徴候は?」
「現時点では確認できません。ただし、応答は不安定です」
マリアベルは圧力札を見た。
それから、まだ残っている次の刻線へ視線を移した。
「意識消失点は未確認です。最後の一段階へ進めてください」
痛みがあるから止める、という選択は最初からなかった。
担当者の片手が弁を回す。
もう片方の手は、そのまま弁へ残された。僕の意識が途切れた瞬間、閉じるためだ。
それは救助の準備ではない。
次にも使える状態で僕を残すための手順だった。
弁が最後の刻線へ達した。
光が細くなった。
全身へ流れ込んだ魔力が、熱ではなく重さへ変わる。皮膚の外側と骨の内側から同時に押されているようで、どこが痛いのかさえ分からなくなった。
《暴食》は僕の意思を待たずに供給魔力を呑み続ける。
髪は濃紺のまま、瞳も青灰色のまま。
黒い紋章も肩手前で止まり、黒銀色の外殻は現れない。
ただ、人間の身体だけが追いつけなくなっていく。
胸、腕、脚が一度に強張った。
拘束具が激しく鳴り、息が喉で途切れた。
視界から壁が消える。
最後まで残ったのは、灯具の細い光と、壁へ刻んだ名前の一部だけだった。
アルト・ロウェル。
僕は、まだ僕だ。
「応答を確認します」
マリアベルの声が途中で欠けた。
――答えて。
そう聞こえたのかもしれない。
実際に何を問われたのか、もう分からなかった。
だから僕は、彼女の質問ではなく、自分の約束へ答えた。
「任務が……終わったら……」
声が切れる。
息を吸う。
帰る場所を、言葉の先から手放さない。
「二人で……孤児院へ、帰る」
振り子の音が消えた。
暗闇の中で、担当者が物理弁へ手を掛ける気配だけが残った。
任務が終わったら、二人で孤児院へ帰る――最後にその約束を残し、限界を越えた魔力の中で、僕は意識を失った。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
と思ったら
下にある⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎から、作品の応援をお願いいたします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークといただけると本当に嬉しいです。
何卒よろしくお願いいたします。




