第16話 名門の槍
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
銀色の穂先が、僕の胸を真っすぐに指していた。
それを握る少年を、僕は知っている。
濃紺の髪に、琥珀色の瞳。
僕より頭一つ近く高い身体を隙のない学院制服で包み、背筋を槍のように伸ばしている。
「レグルス……?」
「ようやく名前を呼んだな、アルト」
レグルス。
王国でも名の知られた槍騎士の家系に生まれた、名門貴族の嫡子。
十回生の戦闘順位では、常に上位十名へ入っている。
「槍の名門の跡取りだぞ」
「どうしてレグルスが、戦闘順位最下位を?」
周囲へ集まり始めた生徒たちの囁きにも、レグルスは反応しない。
琥珀色の瞳は、僕だけを見ていた。
「指名模擬戦は、すでにバルト先生へ申請してある」
指名模擬戦。
特定の生徒を相手に選び、教師の監督下で行う学院の実戦訓練だ。
「でも、どうして僕なんかを選んだの?」
何気なく口にした瞬間、レグルスの瞳が鋭くなった。
「僕なんか、と言うな」
風も吹いていないのに、銀槍の穂先が低く震える。
「え……?」
「僕が選んだ相手を、君が勝手に侮辱するな」
周囲の空気が張り詰めた。
レグルスが怒っている。
けれど、その怒りが僕を見下したものではないことだけは分かった。
「ご、ごめん」
「謝ればいいと思っている、その顔も気に入らない」
「僕、何かしたかな?」
「君が忘れていても、僕は忘れていない」
それだけ言うと、レグルスは足元の槍を引き抜いた。
「準備しろ。逃げることは許さない」
◇
指名模擬戦は、その日の午後に行われることになった。
訓練場の中央へ、安全用の結界が張られている。
武器にも致命傷を防ぐ術式が施されているけれど、痛みまで消えるわけではない。
「三本勝負だ」
バルト先生が僕とレグルスの間へ立つ。
「有効打、武器の喪失、降参。どれか一つで一本とする」
先生は僕を呼び寄せ、右脚を曲げ伸ばしさせた。
「痛みは?」
「普通に動かす分にはありません」
「《閃駆》は一度だけ許可する。痛みが出たら、その時点で中止だ」
「はい」
開始位置へ向かおうとすると、ティアナに腕を引かれた。
「待って。胸当てがずれてる」
ティアナは僕の正面へ立ち、胸当ての留め具を直し始める。
肩紐を引かれ、顔が近づいた。
「じ、自分でもできるよ」
「今から戦う人は、余計なところに手を使わないでください」
剣帯も締め直される。
鞘に結ばれた緑色の組紐を確かめると、ティアナは僕の胸当てへ手のひらを置いた。
「勝ってとは言わないよ」
「うん」
「でも、始まる前から自分じゃ無理だって決めないで」
彼女の瞳は、僕を疑っていなかった。
「……分かった。できることを全部やってみる」
「それならよし」
ティアナが離れると、今度はフィアがやってきた。
右手には、昨日巻き直した白い包帯が残っている。
「レグルスの槍は、速さより間合いの支配が厄介」
「間合い……」
「穂先だけを見ないで。肩と腰、それから後ろ足を見る」
フィアは銀槍へ目を向ける。
「《閃駆》を正面から使えば、槍先へ自分から飛び込むことになる」
「じゃあ、横から――」
「《閃駆》は途中で曲がれない」
「そうだった……」
「だから考えて。あなたは座学上位でしょう」
励ましてくれているのかは分からない。
けれど、フィアなりに僕が勝つ方法を考えてくれていた。
「ありがとう」
「礼は、三本終わってからでいい」
開始位置に立つ。
向かい側では、レグルスが銀槍を構えていた。
「始め!」
合図と同時に、僕は剣を抜いた。
レグルスは動かない。
なら、こちらから行くしかない。
身体強化を脚へ流し、間合いを詰める。
あと三歩。
剣を振るには、近づかなければならない。
あと二歩――。
「遅い」
銀色の光が伸びた。
避けようと思った時には、槍の穂先が僕の胸当てへ触れていた。
「そこまで! 一本目、レグルス!」
何をされたのか、理解すらできなかった。
僕は一度も剣を振っていない。
レグルスも、大きく踏み込んではいなかった。
槍の長さと、ほんの小さな一歩。
それだけで僕の間合いの外から攻撃を届かせた。
「やっぱり勝負にならないか」
「順位差を考えれば当然だろ」
見学する生徒たちの声が聞こえる。
けれどレグルスは、勝った顔をしていなかった。
「立て」
槍を引き、低い声で告げる。
「今の君に勝っても、何の意味もない」
胸の痛みをこらえ、僕はもう一度剣を構えた。
◇
「二本目、始め!」
今度は、すぐに踏み込まない。
フィアに言われた通り、穂先から視線を外す。
レグルスの肩。
腰。
後ろ足。
右肩がわずかに沈んだ。
来る。
僕は身体を横へずらし、伸びてきた槍を鞘で払った。
金属が擦れる。
槍の軌道が外れた。
「入れる!」
剣を振れる距離よりも、さらに内側へ。
そこなら長い槍は使えない。
そう思った。
レグルスの両手が滑り、槍の持ち手が一瞬で短くなる。
「槍は、穂先だけではない」
柄が僕の肩へぶつかった。
「くっ……!」
体勢を崩した足元へ、槍の石突が滑り込む。
足を払われ、身体が浮いた。
それでも剣は離さない。
地面へ落ちる前に腕を伸ばした僕の手首へ、風を纏った柄が打ち下ろされた。
指が開く。
剣が石床へ転がった。
「二本目、レグルス!」
槍の内側へ入っても、何もできなかった。
遠ければ穂先。
近づけば柄と石突。
レグルスの周囲すべてが、槍の間合いだった。
「どうして、そんな目をしている」
レグルスが、倒れた僕を見下ろしていた。
「そんな目?」
「負ける前から、負けたことを受け入れている目だ」
「そんなつもりは……」
「昔の君は、負ける時でも僕から目を逸らさなかった」
昔。
その言葉が、胸の奥へ引っかかった。
「僕たち、昔に戦ったことがあるの?」
レグルスの表情が凍る。
「……本当に、覚えていないのか」
「ごめん」
「また、それか」
握られた銀槍の周囲で、風が渦を巻いた。
「君はいつも、謝れば相手が傷つかないと思っている」
◇
三本目。
これが最後だ。
レグルスは、これまでと同じように槍を構えている。
正面から《閃駆》を使えば、槍へ飛び込む。
それは分かっている。
それでも今の僕に、あの間合いを一歩で越える方法は他にない。
「始め!」
右脚と体幹だけを身体強化する。
足裏へ魔力を集める。
レグルスの目が、僕の右脚へ向いた。
「それが《閃駆》か」
知っている。
レグルスは、僕の技を調べていた。
「一度しか使えない。直線にしか進めない。使ったあとは右脚が止まる」
銀槍が、ゆっくりと引かれる。
「弱点を晒した技で、僕に届くと思うな」
それでも。
始まる前から、無理だと決めない。
ティアナの言葉を思い出す。
「行くよ、レグルス」
短距離加速。
接触の瞬間だけ、剣先へ魔力を纏わせる。
「《閃駆》!」
視界が後ろへ流れた。
一歩。
僕が持つ、最速の一歩。
レグルスは横へ避けない。
槍を引いて間合いを変え、僕が進む直線上へ穂先を置いた。
このままでは刺さる。
曲がれない。
止まれない。
なら――剣で勝つことを諦める。
僕は、自分から剣を手放した。
「なに……?」
落ちる剣へ、レグルスの瞳が一瞬だけ動く。
腰に残った鞘を抜き、槍の柄へ叩きつけた。
穂先が胸の横を通り過ぎる。
左肩から、レグルスの懐へ飛び込んだ。
衝突。
それでもレグルスは倒れない。
僕の右脚から、力が消える。
最後に伸ばした指先が、レグルスの胸元へ触れた。
硬い金属。
家の紋章だ。
琥珀色の瞳が、大きく見開かれる。
けれど、そこまでだった。
銀槍がレグルスの手の中で回転する。
石突が僕の胸当てへ打ち込まれた。
「がっ……!」
身体が後ろへ弾かれる。
動かない右脚では、着地できない。
僕は背中から石床へ倒れた。
「そこまで! 三本目、レグルス!」
三対零。
レグルスの完勝だった。
僕は一度も、有効打を取れなかった。
「当然の結果だな」
「でも最後、懐まで入ったぞ」
「触っただけだろ」
周囲の声が遠く聞こえる。
痛かった。
悔しかった。
それでも僕の指には、まだ紋章へ触れた感触が残っている。
「やっぱり、レグルスはすごいね」
レグルスの顔が歪んだ。
「そんな言葉が欲しいんじゃない!」
初めて、彼が声を荒らげた。
「僕は君に褒められたいんじゃない」
銀槍を握る手が震えている。
「僕を見ろ。僕を超えようとしろ」
「どうして、そこまで僕に……」
「それすら忘れた君に、何を言えばいい」
レグルスは背を向けた。
勝者のはずなのに、その背中は誰よりも傷ついて見えた。
◇
「もう。本当に無茶ばっかり」
ティアナが僕の腕を自分の肩へ回した。
右脚に力が入らず、一人では立てない。
「ごめん」
「私じゃなくて、脚に謝って」
訓練場の端へ運ばれ、胸当てを外される。
ティアナの指が、槍を受けた場所へそっと触れた。
「痛っ」
「三回とも、ちゃんと痛そうだね」
「三回目は石突だから、少し違う場所で……」
「説明しなくていいです」
冷やした葉を胸へ当てられる。
「勝てなくてもいいって言ったけど、三回もまともに受けていいとは言ってないよ」
「でも、最後だけは届いた」
「有効打じゃないよ」
「うん。それでも、前は剣を振れる距離にも入れなかったから」
ティアナは呆れたように息を吐く。
けれど、少しだけ笑っていた。
「じゃあ、今日はそれで我慢してあげる」
隣では、フィアが去っていくレグルスを見ていた。
「あの槍は、あなたに勝つためだけの槍ではない」
「どういうこと?」
「あなたに、自分を認めさせようとしていた」
フィアは包帯の巻かれた右手を左手で押さえる。
「勝ったのに、少しも満足していなかった」
「どうして僕なんだろう」
「それは、あなたが忘れている」
フィアは過去を知らない。
それでも、僕よりレグルスの表情を正しく見ていた。
◇
模擬戦が終わるころ、空から雨が落ち始めた。
ティアナに肩を借りて訓練場を出ようとした僕を、レグルスが呼び止める。
「アルト」
振り返る。
レグルスは雨の中に立ち、銀槍を握っていた。
「明日、旧訓練庭へ来い」
「どうして?」
「君が忘れたものを、返す」
雨粒が銀の穂先を打つ。
その音を聞いた瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
雨に濡れた、古い訓練庭。
泥の中へ倒れた銀色の槍。
泣きそうな顔で、それでも立ち上がろうとする小さな少年。
――レグルス。
幼い僕の声が、その名前を呼んだ。
「今のは……」
「ようやく、少し思い出したか」
レグルスの金色の瞳が、雨の向こうで僕を射抜く。
「忘れたなら、思い出させてやる」
銀槍の穂先が、六年前と同じ雨を切った。
「九歳の雨の日――君が僕に何を言ったのかを」
「面白かった!」
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