第148話 奪う線、渡す力
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
フィアが見つけた一拍は、斬るための隙ではあっても、人と術式を分ける答えにはまだ足りなかった。
奪取弁が閉じ、集積板の光が落ちる。
一拍遅れて放出弁が開き、熱を帯びた圧力が僕たちの側へ押し出された。
床溝には、人へ戻る帰還線も、魔力を奪う強制接続線も重なっている。時機が分かっても、どちらを斬るべきか見分けられなければ剣は振れない。
「位置未確定。切断は待て」
成人封印騎士の声に、フィアは剣を下ろさず頷いた。
右腕の簡易固定具は残ったままだ。柄を握る指にも痺れがあるはずなのに、刃先だけは揺れていない。
八人の捕虜は、いまだ中央環に繋がれていた。
浅い呼吸。震える肩。時折苦痛に歪む顔。
その上では、白灰色の司祭衣をまとったヴァレクが制御廊に立っている。彼を覆う障壁は、中央環の脈動と同じ周期で厚くなっていた。
ガイ団長は二本ある階段の中央に立ち、大剣の切っ先を石床へ向けている。
ヴァレクへ飛び掛からないのは、足元の支柱も操作輪も、捕虜へ繋がる設備の一部だからだ。
「線だけ見ろ。あいつの言葉も首も後だ」
その声が、僕の意識を捕虜へ戻した。
僕の左腕では、治療布の下に固定された黒銀色の封魔具が鈍く痛みを返している。二重固定は動いていない。
ローディンは僕の前を塞ぐ位置から離れなかった。
「土亀より伝令。局所分離の準備が整った」
核心部入口から成人騎士の声が飛んだ。
先に入ってきたのは、土亀の成人構造騎士たちだった。
彼らは床へ短い支柱を立て、留め縄を張り、既存の根が支えていた境界へ鉄製の床楔を打ち込んでいく。
その後ろから、ティアナが姿を見せた。
蜂蜜色の長髪は汗で頬へ張り付き、息はまだ整いきっていない。第145話で展開した《根界分離》を避難区画側で維持し続けてきた負担が、足取りにも残っていた。
ゴウセル団長が半歩前に立つ。
「避難区画は第二構造班が引き継いだ。範囲は入口から指定床溝まで。一度だけだ」
「うん。人のほうを、ちゃんと内側へ分ける」
父娘の会話はそれだけだった。
ティアナは八人ではなく、まず床を見た。
担架が通る搬出路。捕虜の寝台。低く走る根。金属導管の下を通り、中央環へ集まる床溝。
成人盾騎士が左右へ立つ。
ガルドも大盾をわずかに傾け、ティアナの正面から制御廊への射線を切った。
ヴァレク側の縦導管が明滅する。
次の放出が来る前に、ティアナは両手を床へ向けた。
「大地よ、根を束ね、守る命の道を囲み、侵す魔力の流れを分かて。味方の脈を内へ退け、敵より伸びる一筋だけを外へ残せ――第二階位・土・植物複合魔法《根界分離》」
石床の継ぎ目が、低く鳴った。
土を割って現れた細い根が、床溝の左右へ潜り込む。
巨大な壁ではない。
人の鼓動と同じ間隔で震える帰還線を内側へ囲み、逆向きに張り詰める強制接続線だけを外へ押し出していく。
重なっていた光が、細い二筋へ分かれた。
一方は捕虜へ戻り、もう一方は中央環へ引かれている。
「分けたよ。でも、切ってない」
ティアナの声と同時に、膝が揺れた。
成人構造騎士が肩を支える。床の根へ掛かる負荷は、支柱と楔へ分散されていた。
「任務終了。後方へ」
ゴウセル団長の命令に、ティアナは反論しなかった。
僕たちを一度見てから、成人治療補助員に伴われて入口側へ下がる。その歩みは遅かったが、自分の足で避難区画へ戻っていった。
「セルフィナ、観察線まで」
成人封印騎士に呼ばれ、セルフィナが入口の停止線まで進んだ。
淡い銀緑色の髪の先が、核心部から吹く熱気に揺れる。彼女は精霊を床溝へ入れず、普通の水滴を指先から落とした。
水滴が割れ、片方の筋へ引かれる。
細い根の繊維も同じ場所で中央側へ震えた。
セルフィナは床へ白墨の短い印を置く。
「人へ戻る脈はこちらです。外へ押し出された線とは、もう重なっていません」
次に石粉を散らす。
奪取弁が開いた瞬間だけ、粉は二本の白線の間へ吸い寄せられた。弁が閉じると止まり、放出弁が開けば逆側へ吹き戻される。
「切断候補はここです。ただし、確定は封印班へお願いします」
成人封印騎士が木札を差し込み、物理弁の動きと照合する。
一周期。
二周期。
帰還線側の札は、捕虜の呼吸と共に微かに動く。外へ分けられた線の札は、奪取弁が開いた時だけ中央へ傾いた。
「強制接続線、分離を確認」
別の成人騎士が集積板を確認した。
「奪取弁閉鎖後、流入停止。放出弁が開くまで一拍。切断候補を暫定承認します」
長い金髪を高く束ねたアーサー団長が、鞘に収まったエクスカリバーから手を離す。
「観測と記録の一致を確認しました。一本ごとに止め、捕虜側を再確認してください」
「了解」
フィアが剣を胸元へ引き寄せた。
左右の成人盾列が間隔を狭める。
「紫電よ、我が刃に沿い、偽りの脈だけを断て――第一階位・雷魔法《雷装・断脈》」
紫の光が刃の縁だけを走った。
部屋へ雷鳴は広がらない。
細く、鋭く、斬るべき一線へ届くための光だった。
その時、制御廊の縦導管が強く明滅した。
圧力が鉄柵を震わせ、核心部へ叩き込まれる。
ガルドの大盾が正面から受け止めた。
鈍い音と共に、すでに小さく凹んでいた盾面がさらに軋む。ガルドの長靴が石床を半歩滑り、その後ろから二人の成人騎士が肩を当てた。
停止杭が床を削り、衝撃を三つの盾へ分ける。
「まだ立てる」
ガルドの低い声がした。
上ではガイ団長と灰鬼成人隊が、曲がった鉄柵の手前で隊列を維持していた。
ヴァレクの障壁は厚い。
だが、僕たちの前にいる成人騎士の背中も崩れていなかった。
「奪取、閉鎖」
成人記録官が告げる。
集積板への流入が消えた。
「放出弁、未開放」
セルフィナの白墨の先で、細い線から張りが抜ける。
「今」
フィアが一歩だけ踏み込んだ。
《雷剣・断線》。
刃は人へ戻る脈を避け、外へ分けられた一本だけを横切った。
細い破裂音がした。
切れた線の両端が跳ねたが、捕虜へ向かっては戻らない。土と根の境界が、敵側の端を床溝の外へ押さえ込んでいる。
「逆流なし!」
「捕虜側の脈動、維持!」
切り離された寝台へ、水色の蝶が降りた。
レイシアは僕ではなく、その捕虜の顔を見ていた。
「一人目、受け取る。拘束具は成人救護班が外して」
薄い水膜が男の鼻と口の周囲から漏出魔力を逸らす。水蝶の成人騎士が寝台の両側に入り、呼吸を確認してから金具へ手を掛けた。
男は立ち上がらない。
意識も戻らない。
それでも、中央環に合わせて跳ねていた身体の震えは弱まっていた。
二本目は、次の閉鎖周期で切れた。
三本目では、帰還線の位置がわずかにずれた。セルフィナが白墨を引き直し、成人封印騎士が木札を置き直してから、フィアが斬った。
四本目の前に、周期が縮んだ。
奪取弁が閉じた直後、放出弁がほとんど間を置かず持ち上がる。
「今――」
成人記録官の声より早く、線がアルト側へ張った。
フィアの剣は動かなかった。
紫電を宿したまま、切っ先だけを床から離す。
「短い。斬らない」
直後、放出された圧力が封印板を叩いた。
留め具が曲がり、金属音が僕の胸まで響く。
もしフィアが踏み込んでいれば、刃の先で集積魔力が弾けていた。
「見送り適正。周期を再計測する」
成人封印騎士は責める言葉を一つも使わなかった。
フィアの呼吸は速くなっていた。右手の指を一度開き、感覚を確かめてから柄を握り直す。
次の周期は長かった。
成人騎士が補助弁を物理的に押さえ、二つの弁の間へ再び一拍を作る。
四本目。
五本目。
六本目。
切れるたび、レイシアの水蝶が別の捕虜へ移り、水蝶成人隊が一人ずつ受け取った。
中央環の脈動が弱まっていく。
制御廊のヴァレクを包む障壁も、八層あった膜を一枚ずつ剥がされるように薄くなった。
七本目を切った後、フィアの刃へ細い水滴と根の繊維が絡んだ。
敵が補助奪取線から引き剥がした魔力の名残だった。
離れた空導管では、レグルスの風の残滓も震えている。
フィアはそれを見下ろし、短く言った。
「前に渡した時は、私が決めた」
僕は彼女の横顔を見た。
フィアは僕を見ず、切断線だけを見続けていた。
「これは違う。誰も渡していない。奪われた力」
同じように人の外へ出た力でも、渡されたものと奪われたものは同じではない。
けれど、渡す意思があれば何でも安全になるわけでもない。
あの時のフィアの選択も、傷も、消費した力も、なかったことにはできない。
だからこそ、ヴァレクが勝手に同じものとして扱うことは許せなかった。
「七本、切断確認。最後の一本が見えない」
成人封印騎士が保守板の裏へ確認具を差し込んだ。
八本目は金属外殻と床の間を通り、捕虜側の帰還線と近い位置で奥へ折れている。
「この角度では斬れない」
フィアは即座に認めた。
無理に刃を入れれば、帰還線まで傷つける。
成人伝令が外殻突破地点へ走った。
やがて、炎獅子の成人盾列に囲まれ、レグルスが姿を見せた。
白金の短髪は汗で額へ張り付き、銀槍を支える肩も上下している。
セシリアの声が後方から飛ぶ。
「一度だけです。詠唱後は下がってください」
「承知しています」
成人封印担当が保守板の下端へ白い楔札を差し込んだ。
「安全対象はこの継ぎ目のみ。奥の導管へ力を通すな」
イグナシオ団長が短い破砕梁を担ぎ直す。
「開けるのは俺たちだ! 坊主、継ぎ目だけ寄越せ!」
レグルスは成人盾列の内側で銀槍を構えた。
「風よ、我が銀槍に沿って螺旋を結び、重なる守りの継ぎ目へ潜れ。貫く一点を押し広げ、閉ざされた標への道を開け――第二階位・風魔法《螺旋開甲》」
銀槍の先から生まれた螺旋は、保守板全体へ広がらなかった。
白い楔札の一点へ潜り込み、重なった鉄板の継ぎ目だけを押し広げる。
金属が低く軋んだ。
レグルスの腕が反動に震える。
「下がれ! ここからは成人班だ!」
イグナシオ団長の声と共に、炎獅子の成人騎士が鉄楔を打ち込んだ。
一打。
二打。
火花ではなく、鉄の削れた粉が盾へ当たる。
短い破砕梁へ四人が肩を入れた。長靴が石床を滑り、もう二人が後ろから押す。
保守板は捕虜と反対側へ、指二本分ずつ曲がっていく。
最後にイグナシオ団長が加わり、成人騎士たちと同じ梁を押した。
板が吹き飛ぶことはなかった。
剣一本が正しい角度で入るだけの道が開いた。
レグルスは銀槍を支えたまま一歩下がった。呼吸は乱れていたが、再び詠唱を始めようとはしない。
「位置を再確認します」
セルフィナが新しい水滴を落とす。
成人封印騎士が木札を差し、帰還線の位置が変わっていないことを確認した。
奪取弁が開く。
閉じる。
集積板への流入が止まった。
放出弁は、まだ開かない。
「一拍」
フィアが開いた隙間へ刃を通した。
《雷剣・断線》。
八本目の強制接続線が切れた。
中央環の脈動が大きく乱れ、やがて捕虜たちとは異なる周期へ落ちていく。
「八本、切断確認!」
「人体側への逆流なし!」
「全員、生存反応あり!」
歓声は上がらなかった。
レイシアと水蝶成人隊は、呼吸の浅い者から順に保護を続けている。意識が戻らない者もいる。切り離せたことと、助かったことは、まだ同じではない。
「寝台ごとの搬送準備。受領区画までは土亀の第二線を使う」
捕虜たちは一人ずつ人として数え直され、避難区画へ渡す順番が決められていった。
その間にも、すでに体外へ抜かれていた魔力は核心部へ残っていた。
行き場を失った力が床溝で膨らみ、積層集積板を内側から鳴らす。
「人体へは戻せない。経路が損傷している」
成人封印担当が物理弁を閉じた。
「味方魔法由来の残留分を副溝へ分けろ。水、根、残留風は処理対象から除外」
封印騎士たちが隔離板を差し込み、三種類の痕跡を別の封印溝へ逃がす。
残ったのは、捕虜の身体から強制的に引き出され、今は全ての接続を失った魔力だけだった。
一つの隔離槽。
一対象。
成人封印騎士が確認札を順に返していく。
「体外」
「人体、魂、生命との接続なし」
「帰還線、切断済み」
「敵制御線、切断済み」
「味方魔法、精霊、結界、封印設備の混入なし」
アーサー団長が最後の札を見る。
「封印上の限定処理を承認します」
セシリアの声が続いた。
「一呼吸を超えた時点で停止します。痛みが急増した場合は、その前でも中止です」
ローディンが僕を見た。
「失敗時は隔離槽を閉鎖して撤退する。お前が唯一の手段ではない」
「はい」
「命令する。隔離槽一つ、一呼吸だけだ」
僕は左腕を身体の前へ出さなかった。
封魔具へ触れず、隔離槽だけを見据える。
これはもう、誰かの身体へ戻る力ではない。
誰かの意思も、魂も、記憶も含まない。
切り離され、放置すれば破裂する強制放出魔力だけだ。
僕は《暴食》を一呼吸だけ開いた。
隔離槽の内側で膨らんでいた魔力が、一つの対象のまま消えていく。
広げない。
隣の封印溝へ触れない。
一呼吸が終わる。
僕は即座に閉じた。
左手から前腕へ鋭い痛みが走り、喉が乾いた。右脚にも痺れが戻る。
けれど、別の属性も、記憶も、誰かの感覚も入ってこない。
「《暴食》終了」
ローディンが宣言した。
成人封印騎士が隔離槽へ確認具を入れる。
「槽内空白。副溝、封印設備、捕虜側に変化なし」
その直後だった。
ごん、と核心部の奥で重い音がした。
圧力を失った切替輪が、吊り下げられた重りに引かれて逆回転を始める。
「戻り止めが外れた!」
成人封印騎士が停止杭を差し込む。
だが、切替輪の内側にある手動爪が閉じない。大型の籠手は狭い保守隙間へ入らず、破砕具を使えば帰還線の保護板まで割ってしまう。
「このまま戻れば、予備集積板が救護線側の導管へ繋がる!」
「封鎖して撤退するか、三呼吸で固定するかだ」
アーサー団長が僕の左手と保守隙間を見比べた。
「アルト・ロウェル。一般実戦許可ではありません。一回限りの緊急救助使用です」
セシリアが鋭く告げる。
「三呼吸が上限。異常があれば一呼吸でも止めます」
ローディンは僕の目を見た。
「《暴食》の終了は確認済みだ。同時使用ではない。三呼吸で固定できなければ手を離し、全員撤退する」
「分かりました」
僕は狭い隙間の前へ膝をついた。
治療布も、黒銀色の封魔具も、二重固定もそのままだ。
肩の手前で止まっている黒い紋章に変化はない。
「開始」
一呼吸目。
左手の指先が黒銀色へ変わった。
変化は掌を越え、治療布に覆われた前腕の範囲まで進み、そこで止まる。
上腕にも肩にも広がらない。
僕は保守隙間へ指を入れ、戻ろうとする手動爪を掴んだ。
圧力が左腕へ食い込む。
普通の手なら骨ごと挟まれていた。
それでも装置を握り潰さず、爪を開いた位置で保持する。
ガルドの大盾が僕の側面へ入り、跳ねた金属片を受けた。
「一呼吸!」
ローディンの声。
二呼吸目。
イグナシオ団長と炎獅子成人破砕班が、切替輪の根元へ鉄楔を差し込む。
土亀成人構造班が反対側から停止杭を押し、破砕梁へ体重を掛けた。
僕一人で止めているのではない。
六人の成人騎士の長靴が床を削り、支柱と縄と楔が圧力を分けている。
左指の感覚が遅れる。
前腕の内側が焼けるように痛み、右脚の痺れで膝が揺れた。
「二呼吸! 次で終わりだ!」
三呼吸目。
成人封印騎士が切替輪の穴へ固定栓を押し込んだ。
土亀構造班が楔を打ち、炎獅子の破砕班が梁を最後まで押し切る。
金属同士が噛み合う音がした。
「固定完了! 終了!」
ローディンの命令に、僕も答えた。
「終了!」
四呼吸目へ入る前に、黒銀色の変化が指先から消えた。
僕の宣言と消失の時機は重なった。
けれど、僕が自分の意思だけで消したのかは分からない。
左手へ元の感覚が戻った途端、鋭い痛みが前腕を貫いた。指は大きく震え、触れていないはずの鉄の冷たさが遅れて残る。
額から冷汗が落ちた。
「アルト、活動停止です」
セシリアの声に、僕はその場から動かなかった。
成人記録官が短く書き留める。
左手指先から前腕まで。
三呼吸。
手動爪の保持。
終了宣言と消失時機は一致。
任意解除は未確認。
一般実戦使用許可は未承認。
固定された切替輪は、もう戻らなかった。
中央環から制御廊へ伸びる縦導管も、一つずつ光を失っていく。
ガイ団長が大剣を構えたまま、薄くなった障壁の向こうにいるヴァレクを見上げた。
ヴァレクは倒れていない。
拘束もされていない。
彼自身の魔力も、予備の設備も、まだ何一つ確定していなかった。
それでも、捕虜八人の呼吸と彼の障壁は、もう同じ周期では脈打っていなかった。
奪われた力が人から切り離され、三呼吸の左腕が元へ戻った時、制御廊のヴァレクを覆っていた他人の魔力が、初めて剥がれ落ちた。
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