第141話 二つの星冠
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
二枚の星冠印は同じ形をしていたのに、その下へ記された命令は、互いの目的を潰し合っていた。
一枚は、封蝋が紙の上端にある。
命令番号は縦線から始まり、切断された赤黒い制御紐は右巻きで固定されていた。
もう一枚の封蝋は下端だ。
番号の先頭には二重円。紐の巻き方も逆だった。
同じ保守枝道に対し、一方は支持具を抜けと命じ、もう一方は熱輸送路として維持せよと命じている。
第百四十話の対話と資料照合から二日後。
僕は王国選抜局の北方対策用制限作戦室で、その二枚を改めて見比べていた。
窓のない部屋の中央には、継ぎ目のない大きな机がある。
僕の左腕は治療布に包まれ、その上から黒銀色の封魔具を二重に固定されていた。黒い紋章も肩の手前で止まったままだ。
机へ近づきすぎないよう椅子の位置を合わせたのは、主監督騎士のローディンだった。
普通の片手剣は持ってきていない。
ここで僕に求められているのは戦うことでも、資料を一人で解くことでもなかった。
ベルゼバスから何度も「器」と呼ばれてきた人間として、成人側が整理した言葉に食い違いがないかを確かめることだった。
「新たに復元できたのは、この一枚です」
セレネ・クロウ先生が、二枚の命令書の間へ細長い紙を置いた。
元は幾つかに裂かれていたらしい。
切断面を合わせ、薄い保護紙へ載せた索引だった。
上半分には縦線から始まる番号。
下半分には二重円から始まる番号が並んでいる。
その横に、短い分類名が書かれていた。
「器成院命」
僕が上の文字を読む。
左手で紙の端を押さえようとして、指が半拍遅れた。痛みは以前より弱くなっていても、感覚はまだ完全には戻っていない。
無理に動かさず、右手で紙を押さえ直す。
「下は、星門院命……」
「はい」
セレネ先生は二枚の命令書へ指を移した。
「二種類の書式ではありません。二系統の命令です」
器成院命の番号は、封蝋を上に置く書類と一致している。
星門院命の番号は、封蝋を下に置く書類と一致していた。
成人情報分析官が、それぞれの赤黒い制御紐を透明な保全板の上へ並べる。
右巻きと左巻き。
外見が似ているだけに、逆向きの結び目が妙にくっきり見えた。
「どちらにも他命令上書き欄があります」
セレネ先生の指が、二枚の右下にある四角い空欄で止まる。
「しかも、承認階級は同格です。どちらも、相手を上書きできる同格の封印欄を持っています」
「片方が上司で、もう片方が部下って線は?」
ガイ団長が尋ねた。
無精髭の残る顎へ手を当て、雑に羽織った団長外套の下から資料を見下ろしている。
「現時点では薄いと判断しています」
「別の部署が、現場で意見を食い違わせただけじゃねえのか」
「同日、同区画に対して、双方が先行命令を無効と記しています。単なる担当範囲の違いなら、一方がもう一方の設備を壊す命令まで出す必要はありません」
セレネ先生は断言しなかった。
けれど、二枚の紙に残った上書き線は、偶然では片づけられないほどはっきりしていた。
成人記録官が、別の綴じ書類を開く。
表紙には、拘束中のローデン評議官に関する制限供述記録と書かれていた。
「学院侵攻後の供述記録から、関連部分を一か所だけ抜き出しています」
ローディンが僕へ説明する。
「評議官は組織構造への質問にはほぼ黙秘していた。ただし、尋問担当が一連の命令を同一指揮者によるものと仮定した際、一度だけ訂正した」
記録官が、紙に残された文章を読む。
「『器を成す者と、門を開く者を同じにするな』」
短い一文だった。
首領名も、人数も、場所もない。
それでも、復元された索引紙の文字と重なる。
「供述だけなら、意図的な誤誘導も考えられます」
セレネ先生が言った。
「ですが、本人が見ることのできない場所で保全されていた索引紙に、同じ区分がある。二つを合わせれば、組織内部で実際に使われていた呼称である可能性は極めて高い」
成人情報分析官が、新しい記録紙の見出しへ二つの名を書く。
器成派。
星門派。
「二派だけとは限りません」
セレネ先生は、記録官の筆が止まる前に付け加えた。
「確認できた独立命令元が二つというだけです。第三、第四の系統が存在しない証明にはなりません」
星冠教団という一つの名の内側に、少なくとも二つの目的がある。
その事実は、第百四十話で見た相反命令よりも、名前を与えられたことで一段重くなった。
「次を」
ガイ団長が促す。
成人分析官が、机の端に置かれていた薄い帳簿を開いた。
紙面には人名がなかった。
左端へ並ぶのは番号だけだ。
その右へ、適合、定着、顕現域、継続時間という欄が続いている。
さらに下を見る。
薬品。
封印材。
腕部固定具。
搬送用拘束具。
そして、その次の行に人員数があった。
人間が、器具や薬品と同じ欄へ置かれている。
「これは北方の外郭補給所から回収された人員移送帳です」
「人員……」
書かれている数字は人数だ。
なのに、そこには誰が運ばれたのかを示す名前が一つもない。
番号の後ろに、適合不良、定着未了という短い記述だけが残っている。
僕の左前腕が、封魔具の内側で冷たく痛んだ。
ベルゼバスは僕を器と呼ぶ。
だが、目の前の帳簿で使われる器という言葉は、もっと乾いていた。
その人が誰なのかを消し、何かを入れるための空間だけを数えている。
「器を作って、何を入れるんですか」
僕は帳簿から目を逸らさずに尋ねた。
「資料上の目的は、魔神の顕現です」
セレネ先生が答える。
声は冷静だった。
だからこそ、言葉の意味だけが室内へ重く落ちた。
「人間の身体を、魔神またはその一部が留まれる状態へ変える。適合、定着、顕現域という欄は、その工程を示している可能性があります」
「魔神を外から呼ぶんじゃなく、人間の中へ?」
「そう読めます。ただし、正確な方法は分かりません」
セレネ先生は帳簿の最後の頁を開いた。
そこにも成功という文字はない。
継続時間の欄は、空白か、短い数字で途切れていた。
「完全な顕現へ成功したという証拠は、まだありません」
「部分的な顕現は?」
ガイ団長の問いに、セレネ先生はすぐには頷かなかった。
「その可能性を疑わせる語はあります。しかし、何をもって顕現と記したかが不明です」
皆の視線が、一瞬だけ僕の左腕へ集まった。
治療布も封魔具も、二重固定も変わっていない。
「《部分換装》と同じかどうかも、分かりません」
僕から先に言った。
「ベルゼバスが身体の一部を貸したと主張した現象と、器成派の技術を、言葉が似ているだけで同じにはできません」
「その通りです」
ローディンが応じる。
「アルト・ロウェルが器成派によって作られたという証拠もない。今回の資料から出生へ話を広げることは認めない」
僕は小さく息を吐いた。
何も分からないことを、都合のいい答えで埋めない。
その線を成人側が先に引いてくれた。
セレネ先生は器成派の帳簿を閉じ、代わりに大きく折り畳まれた図面を広げた。
中央に、細長い塔が描かれている。
王都のどこからでも見える、星冠塔。
図面には塔を中心とする幾つもの軸線と、地下へ伸びる輸送経路が記されていた。
「こちらが星門院命に添付されていた資料です」
塔の上部には、封印圧。
地下経路には、熱量、魔力量、輸送損失。
最上部を指す欄には、神界門保全という文字がある。
「神界への門……」
「星冠塔最上部に存在するとされる門です」
成人分析官が、北方坑道の経路図を横へ置いた。
僕たちが壊した術式中継器の番号板も、その隣に並ぶ。
番号の末尾が、星門派の輸送表と一致していた。
「北方で集めていた熱と魔力が、直接この塔へ届いていた証拠はありません。ただ、同じ管理番号が使われています。広域輸送網の一部だった可能性があります」
「星門派は、その門を開こうとしてるのか?」
ガイ団長が図面の最上部を見る。
「そこまでは不明です」
セレネ先生は答えた。
「開く、閉じる、奪う、制御する。どれも資料だけでは確定できません。確認できるのは、彼らが人員の回収より星冠塔、中継器、輸送量、神界への門を優先していることです」
器成派は、侵入者を追うためなら中継器を捨てる。
星門派は、中継器を守るためなら追跡を中止する。
「器成派のやり方に反対しているなら、星門派は利用できませんか」
僕は可能性を尋ねた。
ガイ団長の目が、すぐにこちらへ向いた。
「敵同士だからって、片方が味方になるわけじゃねえ」
短い言葉だった。
机上の星門派資料には、輸送効率を保つために集落単位の熱量を計算した表が残っている。
誰から熱を奪ったのかは書かれていない。
人間を器にするか、塔を動かすための量として数えるか。
人を人として見ていない点は、どちらも変わらなかった。
「二つの派閥が互いを妨害している可能性は高いです」
セレネ先生が続ける。
「ですが、王国や民間人を守るためではありません。それぞれの目的が衝突しているだけです」
成人記録官が、二派の確認欄へ暫定ではなく正式整理の印を入れた。
星冠教団内部に、少なくとも二つの独立した大派閥が存在する。
器成派。
星門派。
同じ印を掲げながら、別のものを見ている敵だった。
「派閥名だけじゃ討伐はできねえ」
ガイ団長が椅子へ深く座り直した。
「指揮を出してる奴と、出してる場所は」
成人分析官が、三つの物証を机へ運んだ。
一つ目は、先ほどの人員移送帳。
二つ目は、器成用封印材の受領書。
三つ目は、北方命令を上書きした溝付き金属板だ。
帳簿の最終頁へ書かれた承認名。
受領書の末尾へ残る署名。
金属板の裏へ刻まれた細い文字。
三つとも、同じ名だった。
「ヴァレク・サルディオ」
僕が読み上げる。
その前には称号が付いている。
「器成司祭長……」
「個人承認番号も一致しています」
分析官が、三つの番号へ細い指示棒を置く。
「封蝋には、本来並ぶ七つの小星のうち、左端の一つだけを欠かせる個人差があります。金属板にも同じ欠けが刻まれている」
セレネ先生が筆跡の拡大写しを横へ並べた。
最後の文字だけ、縦画が僅かに内側へ曲がっている。
「別人が名を借りた可能性を完全には排除できません。ただし、独立して回収された三資料の承認番号、個人印、筆跡が一致しています」
「役職は」
「器成司祭長。器成派の最終承認者です」
ガイ団長がその名を一度だけ口の中で確かめる。
「ヴァレク・サルディオ」
姿は分からない。
年齢も、属性も、使う武器もない。
今どこにいるのかさえ、資料は教えてくれない。
それでも、星冠教団という大きすぎた敵の内側から、初めて討つべき首領の名が現れた。
「場所へ進みます」
成人分析官が、古びた輸送札を差し出した。
北方で回収された普通の紙札だ。
特別な力はない。
端は泥で変色し、紐を通す穴が擦り切れている。
その中央に、同じ符号が何度も記されていた。
「LZ―VII」
同じ符号は、食料、水、封印材、固定具の輸送帳にもある。
分析官が王国の旧施設台帳を開いた。
廃止施設の頁をめくり、北西地区の一覧で止める。
「LZはラウゼン丘陵。VIIは第七施設を示す旧式の輸送符号です」
頁の中央に書かれていた施設名を、僕は目で追った。
旧王立第七施療院。
かつて感染症や特殊な魔力障害を負った人々を、王都から離して治療するために使われた場所だった。
石造りの個室棟。
地下隔離区画。
荷車用の斜路。
外周壁と裏門。
治療用の地下貯水槽から伸びる、古い排水路。
廃止されてから長く、王国施設としては使われていない。
「器成派資料では、《中央器成院》と記されています」
セレネ先生が別の輸送表を示した。
行き先欄に、同じ符号と内部名が並んでいる。
「資料だけで、現在も使われていると判断したわけではありません」
成人分析官が、外周観測記録を開いた。
王国側の成人斥候が、施設内へ入らずに確認したものだ。
雨の後にも残る、新しい二輪台車の轍。
使われていないはずの煙突から上がる排気。
食料樽と水樽を積んだ荷車が、一定の間隔で裏門へ入った痕。
外周を歩く見張りの装具には、右巻きの赤黒い制御紐があった。
器成派の巻き方だ。
「地下区画の排水口から、周囲より温度の高い水が流れています。夜間にも複数の人影が交代していることを確認。旧台帳にはない遮蔽板が、内側の窓へ追加されています」
「中は?」
「未確認です。斥候は外周観測だけで戻しています」
ガイ団長が頷いた。
「それでいい。見つけた奴まで中へ飲ませる必要はねえ」
帳簿に記された食料と水の量は、見張りだけが使うには多い。
人員移送帳には、送り出した記録はあるのに、戻した記録のない番号が幾つも残っていた。
「収容されている人がいるんですね」
「可能性は高い」
ローディンが答える。
「ただし、人数も、生死も、負傷状態も分からない。器成派の実験対象であるかどうかも、突入前には断定できない」
確定できない。
けれど、いないものとして扱うこともできない。
ガイ団長が二つの派閥資料を机の端へ退け、旧王立第七施療院の施設図を中央へ置いた。
「作戦目的を決める」
部屋の空気が変わった。
資料照合が、討伐準備へ切り替わる。
「最優先は、施設内にいる生存者の発見と救出だ」
ガイ団長の指が、個室棟と地下隔離区画を順に示す。
「先に生きてる奴を出す。儀式を止めるのはその次だ」
成人記録官が作戦目的を書き始める。
「三番目に記録と物証の保全。ヴァレク・サルディオは、生きて取れるなら取る」
「拘束不能の場合は」
ローディンが確認する。
「抵抗を続け、収容者や味方の生命へ重大な危険がある場合だけだ。成人指揮で討伐する。首を持ち帰るために救助を遅らせるな」
討伐という言葉は、敵を全員殺すという意味ではなかった。
中にいる人を出す。
人間を器へ変える工程を止める。
何が行われていたのかを残す。
その順番を守るための作戦だった。
「星門派が器成派を妨害しに来る可能性もあります」
セレネ先生が言う。
「援軍とは扱うな」
ガイ団長は即答した。
「器成派を潰すために星門派へ道を開けたら、今度は塔へ何を運ばれるか分からねえ。二方向とも警戒対象に置く」
まだ討伐隊の人数は決まらない。
侵入時刻も、正面門と裏門のどちらを使うかも、地下排水路へ人を入れられるかも未定だ。
医療班。
封印班。
救出班。
外周を維持する成人盾列。
撤退経路。
準備すべき項目だけが、作戦紙へ増えていった。
やがてローディンが、僕の前へ一枚の空欄付き書類を置いた。
「アルト・ロウェルの参加判断は、この作戦決定とは分ける」
僕は書類を見る。
前線。
後方。
本部待機。
どの欄にも、まだ印はない。
「器成派は君を標的とする可能性が高い。現地へ出れば、捕獲、誘導、儀式利用を試みられる危険がある」
「僕を使って中から誘い出す案は」
「採用しない」
ローディンの返答に迷いはなかった。
「本人が承諾しても、君を儀式材料として求める相手へ囮として差し出すことは認められない」
ガイ団長も僕を見る。
「行きたいってだけじゃ連れてかねえ。置いていきたいってだけでも外さねえ。医療、封印、監督、作戦。全部の判断を通す」
「普通の剣もですか」
「そこからだ」
左手はまだ遅れる。
長く立てば右脚も痺れる。
《部分換装》は一度再現しただけで、制御できたとは確認されていない。
「《部分換装》の実戦使用は引き続き禁止です」
ローディンが明言した。
「《暴食》についても、この作戦を理由とした使用許可は出ていない。ベルゼバスへの協力要請も行わない」
「はい」
僕は左腕を身体へ寄せたまま答えた。
「これは、力を試すための作戦じゃない」
器成派の資料に、人間の継続時間が書かれていた。
僕まで自分の力を試すことを優先すれば、その帳簿と同じ見方をしてしまう。
「参加するかどうかも、審査を受けます」
ガイ団長は褒めなかった。
ただ一度頷き、作戦図へ視線を戻した。
成人分析官が、王都北西の地図を広げる。
ラウゼン丘陵。
細い旧街道。
廃止された施療院へ続く搬入路。
地図の端には星冠塔も描かれていたが、今回そこへ印は置かれない。
討つべき対象を混ぜないためだ。
成人記録官が赤い鋲をガイ団長へ渡す。
金属の先端が、旧王立第七施療院の位置へ触れた。
硬い音が一度だけ鳴る。
人を番号に変える帳簿。
魔神を入れるための器。
その命令へ承認を与えた首領。
別々だった証拠が、一つの地点へ集まった。
「器成派主要拠点、《中央器成院》」
記録官が作戦図の欄へ記す。
「首領、器成司祭長ヴァレク・サルディオ。王国正式討伐対象への指定審査を開始します」
まだ出発はしない。
剣も抜かれていない。
けれど、もう相手は名前のない教団ではなかった。
二つに割れた星冠の片方、その首領ヴァレク・サルディオと器成派の拠点が、王国の討伐図へ初めて赤く刻まれた。
「面白かった!」
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