第112話 三人の入団誓約
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
灰鬼の門をくぐった僕たちが最初に案内されたのは、訓練場でも団長室でもなく、成人治療職員の待つ身体検査室だった。
僕とフィア、セルフィナの候補資料は、既に選抜局から灰鬼騎士団へ移されている。
けれど、資料が届いたことと、正式に入団できることは別だった。
身体検査室の扉は大きく、片手でも開けられる重さに調整されている。
室内には三台の検査台と、二つの出入口。
担架を通せる幅の通路には、椅子も箱も置かれていなかった。
「中央の通路を塞がないでください」
短い鉄紺色の髪をした女性が、僕たちを案内した成人事務職員へ告げた。
細身の身体に灰鬼騎士団の外套を隙なく着込み、琥珀色の瞳で室内全体を確認している。
「灰鬼騎士団副団長、ヴェラ・グランツです。本日の受け入れ手続きを統括します」
僕たちも順に名乗る。
ヴェラ副団長は三枚の確認札を机へ並べた。
重ねない。
アルト。
フィア。
セルフィナ。
一枚ずつ離して置く。
「先に明確にしておきます。同日に入団手続きを行いますが、三名を一組として審査することはありません」
ヴェラ副団長の視線が、僕、フィア、セルフィナへ順に向く。
「特にフィア候補とセルフィナ候補を、アルト候補の監視役として扱う予定はありません。三名は、それぞれ別の新人候補です」
「分かりました」
僕が答えると、フィアも頷いた。
セルフィナは確認札の間隔を見てから、静かに口を開く。
「書類上でも、監督責任は分離されていますか」
「されています。後ほど、監督登録書の原本も確認していただきます」
「承知しました」
ヴェラ副団長は満足した様子も見せず、室内の奥へ視線を送った。
「セシリア。始められますか」
「いつでも」
灰金色の髪を肩で切り揃えた女性が、検査器具の載った台から顔を上げる。
細い眼鏡の奥にある瞳は穏やかだった。
白を基調とした服装で、灰鬼騎士団の外套は身に着けていない。
「王国成人治療機関から派遣されました、医療協力員のセシリア・オルディスです」
セシリアは三人へ向けて軽く一礼する。
「私は灰鬼騎士団員ではありません。団長や副団長の部下でもありません。医療上の問題があれば、入団、訓練、任務の中止を勧告します」
「団長命令より上なの?」
フィアが尋ねる。
「現場指揮はできません。ただし、負傷を理由とした停止勧告を、団長の都合で消すこともできません」
「分かった」
フィアは短く頷いた。
セシリアの隣には、赤褐色の長い髪を後ろで一つに結んだ若い女性騎士がいる。
彼女の机には、記録紙、封印容器、本人同意欄の付いた書類が、用途別に並べられていた。
「リディア・ヴェルン。灰鬼と治療職員を繋ぐ医療記録連絡員よ」
明るい声だった。
けれど、書類を扱う指先に軽さはない。
「血液魔法使いだけど、今日は誰の血も要らないから安心して。必要になっても、本人同意、治療職員の許可、採取量の確認。この三つが揃うまで触れない」
「それを最初に説明するのですね」
セルフィナが言う。
リディアは僅かに笑った。
「名前を聞いただけで、何でも勝手に吸うと思う人がいるからね。前にいた場所じゃ、説明する前に部屋の扉を閉められた」
笑い方は明るいままだった。
けれど、その言葉だけは長く残った。
「ここでは、能力名より手順が先です」
ヴェラ副団長が告げる。
「では、アルト候補から始めます」
僕は片手剣を武器架へ預け、検査台の前へ座った。
セシリアが左腕を支える位置を確認する。
黒銀色の封魔具は外さない。
治療布を全てほどくこともない。
成人封印担当が立ち会い、二つの固定具と封印番号を確認した。
「左腕を、無理のない範囲で上げてください」
僕はゆっくりと肘を曲げる。
肩の手前で、治療布の下が引きつった。
「止めてください」
セシリアの声は穏やかだ。
僕はすぐに腕を止めた。
「今、何を感じましたか」
「少し痛みました」
「少し、では記録できません。場所と、痛み方と、どの時点で始まったかを」
眼鏡の奥の視線が、僕から外れない。
僕は左腕の感覚へ意識を向け直した。
「肘を肩の高さ近くまで上げた時、封魔具の内側から肩へ向かって引っ張られる痛みがありました。強くはありません。腕を下げれば、すぐに弱くなります」
「今も残っていますか」
「僅かに残っています」
「それで記録できます」
セシリアはリディアへ合図する。
僕の言葉が、そのまま医療記録へ書き込まれた。
「痛みを隠した報告は、勇敢なのではありません。治療記録を壊す報告です」
セシリアの声は変わらず静かだった。
「かつて、『少しだけ』という言葉を信じて、救護の開始が遅れたことがあります。私は同じ記録を作りたくありません」
それ以上、誰のことだったのかは語らなかった。
「分かりました。これからも、できるだけ具体的に伝えます」
「できるだけ、ではなく、伝えてください」
「……はい」
リディアが記録紙へ線を引きながら笑う。
「セシリアは、曖昧な言葉だけは逃がしてくれないから」
「あなたも採取量の小数点を逃さないでしょう」
「血は返せないからね」
軽いやり取りだった。
それでも二人が別々の責任を持っていることは分かった。
続いて、黒い紋章の範囲を確認する。
肩の手前まで。
四日前の記録から変化はない。
「空腹は」
「朝食を食べてから二刻ほどです。今は普通です」
「味覚、嗅覚、視覚の変化は」
「ありません」
「自分ではない何かの意思や、契約境界の変化を感じますか」
「今は感じません」
感じないことと、存在しないことは同じではない。
セシリアも、僕の返答だけで問題なしとは書かなかった。
本人自覚なし。
そう記録する。
右脚も確認された。
今は痺れていない。
長く歩いた時や、疲労が重なった時に出ることを伝える。
最後に、現在の魔力状態を標準器具で確認した。
魔力量は変わらない。
学院の学年下位だった頃と同じ、少ないままだ。
「条件付きで、正式入団可能です」
セシリアが最終欄へ署名する。
「封魔具、二重固定、単独任務禁止、第一覚醒の無断使用禁止、定期検査。全条件を継続します」
「はい」
「条件が残ることは、あなたの入団を否定することではありません」
その言葉に、僕は顔を上げた。
「条件を守った状態で所属を認めるための検査です」
危険が消えたわけではない。
けれど、危険が残っているから門の外へ戻されるわけでもなかった。
次はフィアだった。
右腕の可動域。
指の握り。
手首を返した時の痛み。
過去の反動記録。
一つずつ確認される。
「日常動作での異常はありません」
セシリアが記録を読む。
「ただし、全力使用後の反動は、治療後にまだ確認されていません。完治とは記録しません」
「訓練で確認する」
フィアが答える。
「段階的にです。初日から最大出力を出した場合、私は訓練を停止します」
「分かった」
「本当に?」
「同じことを二度言わせないで」
セシリアが僅かに目を細める。
フィアも視線を逸らさなかった。
「では、一度で守ってください」
フィアの口元が僅かに動いた。
「厳しい」
「治療担当への評価として受け取ります」
フィアも条件付きで正式入団可能となった。
彼女の検査書類には、僕の名は一度も書かれなかった。
護衛。
監視。
制止役。
そのどれにも登録されていない。
最後はセルフィナだった。
身体検査そのものは、僕やフィアと大きく変わらない。
違ったのは、精霊に関する確認だった。
「精霊との契約内容は、身体検査の対象へ含めません」
セシリアが明言する。
「あなたが治療上必要だと判断し、自分から情報を開示した場合のみ記録します。王国側から精霊へ接触を求めることもありません」
「緊急時は?」
「あなたが意思表示できない場合でも、精霊を王国の所有物として扱うことはありません。生命救助に必要な処置と、契約への介入は別です」
セルフィナはすぐには答えなかった。
書類の文面と、セシリアの言葉を照合している。
「記載内容と説明は一致しています。現時点で異議はありません」
セルフィナも条件付きで正式入団可能となった。
三人の検査が終わると、ヴェラ副団長が次の書類を机へ置いた。
監督騎士登録書。
その隣には、一人の男性騎士が立っていた。
黒髪と灰色の瞳。
腰には片手剣。
扉から机までの距離を測るように一度見て、壁際の時計を確認する。
「ローディン・クロウです」
口数は少ない。
名乗った後も、余計な挨拶はなかった。
「空間魔法を扱いますが、本日は使用しません。アルト候補の主監督騎士として登録を受けます」
ヴェラ副団長が責任項目を読み上げる。
訓練と任務への同行。
異常時の停止。
撤退命令。
成人治療職員と成人封印担当への引き渡し。
任務前後の報告確認。
単独任務の禁止。
第一覚醒の無断使用を止める責任。
ローディンが同行できない場合は、正式な引き継ぎ記録を作る。
口約束だけで別の団員へ任せることはできない。
「ローディン騎士。受諾しますか」
「受諾します」
迷いのない返答だった。
次に僕へ確認が向く。
「アルト候補。監督条件を理解し、ローディン騎士を主監督騎士として登録することに同意しますか」
「同意します」
ローディンが僕を見る。
「監督は檻じゃない。お前を任務から帰すための役目だ」
彼は一度、背後の扉へ視線を向けた。
「俺も昔、監督欄に名前を書かれる側だった」
「ローディンさんが?」
「詳細は、今は関係ない」
短く切られた。
それでも、監督される側の気持ちを全く知らずに言っているのではないと分かった。
「俺はお前を信用したから引き受けるんじゃない。危険性と条件を読んで、帰還させる責任を負えると判断した」
「はい」
「最初の仕事は報告だ。隠すな」
「分かりました」
僕とローディンが右手で署名する。
ヴェラ副団長と成人記録官が確認し、監督登録が成立した。
「フィア候補とセルフィナ候補は、アルト候補の監督条件へ含めません。三人はそれぞれ別の新人です」
ヴェラ副団長が改めて告げる。
「二人は仲間として異常を報告できます。しかし、常時監視、拘束、第一覚醒時の制圧責任は負いません」
フィアが監督登録書を見た。
「私が近くにいても?」
「正式な責任は成人側にあります」
「分かった」
セルフィナも頷く。
「合理的です。候補者同士の関係へ、成人側の責任を転嫁していません」
「壁より先に退路を確保する。責任も同じです」
ヴェラ副団長の声が、ほんの僅かに低くなる。
「守る場所だけ決め、誰が連れ帰るかを決めない防衛は、防衛ではありません」
彼女が何を思い出しているのかは分からなかった。
ただ、机の端へ置かれていた避難経路図を、指先で真っすぐ揃え直していた。
次に確認されたのは、セルフィナの共同承認書だった。
エルフ側の外部協力承認書。
王国側の灰鬼騎士団所属承認書。
成人記録官とヴェラ副団長が、封、署名、発行日、条件を照合する。
「共同承認によって、セルフィナ候補はエルフとしての身分と文化を放棄せず、灰鬼騎士団へ正式所属できます」
人族全体への無条件の忠誠は求めない。
精霊は王国にも灰鬼騎士団にも属さない。
合意した範囲の任務記録は、エルフ側へ報告できる。
王国の機密を無制限に渡すことはできない。
命令を拒否できる範囲も、緊急救命と即時撤退の例外も記されている。
「書類が承認しても、あなた本人が拒めば所属は成立しません」
ヴェラ副団長が言う。
「条件を理解した上で、手続きを継続しますか」
セルフィナは二枚の書類をもう一度見た。
「継続します。ただし、今後条件が変更される場合は、私自身にも確認してください」
「それも共同承認の条件です」
ようやく、全ての事前確認が終わった。
僕たちは身体検査室から、入団誓約室へ案内された。
部屋は飾り気がなかった。
頑丈な机。
三枚の誓約書。
記録席。
壁際の水。
二つの出入口。
奥には灰鬼騎士団の団旗が掲げられている。
記録席にいた砂色の髪の男性騎士が、僕たちを見るなり大きく手を振った。
喉には保護具。
手には小さな筆談札がある。
彼は素早く文字を書き、こちらへ向けた。
『テオ・バルツ。誓約記録担当。ようこそ。声を使わないのは、無愛想だからじゃない』
明るい笑顔だった。
フィアが札と喉の保護具を見比べる。
「呪言使い?」
テオは頷いた。
新しい文字を書く。
『不用意な一言は、剣より戻しにくい』
一瞬だけ、その表情から笑みが薄れた。
すぐに新しい札へ取り替える。
『だから、君たちの言葉も一字ずつ記録する』
誓約室の扉が開いた。
ガイ団長が入ってくる。
髪も無精髭も整っていない。
団長外套も片方の肩から落ちかけている。
それでも団旗の前へ立つと、普段の雑さが少しだけ遠のいた。
ヴェラ副団長が共通の入団条件を読み上げる。
王国法と正式な命令系統へ従う。
民間人と仲間の生命を軽視しない。
能力を無断で使用しない。
負傷と異常を隠さない。
停止と撤退の命令へ従う。
記録を偽らない。
権限を私的な報復へ使わない。
生きて帰る努力を放棄しない。
「決められた言葉を読むだけなら、紙で足りる」
ガイ団長が僕たちを見る。
「誓いは俺に聞かせるためのもんじゃねえ。明日の自分が破らねえように、自分の言葉で言え」
最初に僕の名が呼ばれた。
灰鬼騎士団へ入る。
それは、レイシアの隣へ立つ夢を捨てることではない。
水蝶から第一指名された喜びも、彼女と交わした約束も消えない。
僕はここで、自分の剣を伸ばす。
胸元の暫定配属札へ右手を添えた。
「僕は、危険な力だけに頼らず、自分の足と剣で立てる騎士になります」
ガイ団長も、ローディンも、黙って聞いている。
「異変も痛みも隠さず、仲間と一緒に帰ります」
一度、息を吸う。
「僕自身の意思で、灰鬼騎士団への入団を受諾します」
テオの筆が紙を走った。
「撤回しねえな」
「はい」
次はフィアだった。
彼女は団旗ではなく、自分の右手を一度見た。
「私は、斬るべきものを自分で選ぶ」
短く、真っすぐな声だった。
「速さだけに頼らない。右腕の反動も隠さない」
僕を見ることはない。
誰かについていくための言葉ではなかった。
「私の剣を伸ばすため、灰鬼騎士団への入団を受ける」
「撤回しねえな」
「しない」
最後にセルフィナが前へ出る。
エルフ側と王国側。
二枚の承認書が記録席へ置かれている。
「私は、分からないことを分かったとは言いません」
翡翠色の瞳が、ガイ団長を正面から見る。
「精霊も仲間も消耗品にせず、自分で確かめた事実へ責任を持ちます」
人族を全面的に信用した言葉ではない。
だからこそ、偽りのない誓いだった。
「共同承認の条件を理解した上で、私自身の意思により、灰鬼騎士団への所属を受諾します」
「撤回しねえな」
「いたしません」
テオが三人分の誓約記録を確認する。
ヴェラ副団長が共通条件との相違がないことを確かめる。
ローディンは監督登録書。
リディアとセシリアは医療条件。
成人記録官は三人の署名。
全てが別々に確認された。
ガイ団長が三枚の暫定配属札を受け取る。
代わりに置かれたのは、灰鬼騎士団の正式な団員証だった。
「アルト。フィア。セルフィナ」
一人ずつ名を呼ぶ。
「灰鬼騎士団長として、三名の入団を認める」
ヴェラ副団長が僕たちへ団員証を渡す。
「規則違反は新人でも見逃しません。ただし、必要な休息と退路を用意するのは騎士団の責任です」
ローディンは僕へ一度だけ頷いた。
「最初の責任は、正しく報告することだ」
「はい」
リディアが三人を見回す。
「倒れてから医療室へ来ないでね。歩けるうちに来て」
「倒れる前に止めるのが理想です」
セシリアが訂正する。
「それだと私の出番が減るじゃない」
「医療担当が暇なのは良いことです」
テオが新しい札を掲げた。
『正式に、ようこそ』
その下に、小さく書き足す。
『所属班が決まるまで、迷ったら副団長。怪我ならセシリア。言葉に困ったら俺』
ヴェラ副団長が札を見る。
「団長は?」
テオは少し考え、さらに書いた。
『大剣が必要な時』
ガイ団長が鼻を鳴らす。
「間違ってねえ」
誰も大声で笑わなかった。
けれど、誓約室に張っていた硬さが少しだけ薄れた。
セシリアは先輩騎士ではない。
ヴェラ副団長も、ローディンも、リディアも、テオも、まだ僕たちを全て信用したわけではない。
僕たちも、彼らの過去を何も知らない。
それでも、これから同じ騎士団で積み重ねる時間は始まった。
三つの入団記録へガイ団長の承認印が押された瞬間、僕たちは候補者ではなく、灰鬼騎士団の新人騎士になった。
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