第111話 灰鬼の門
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
合同ドラフトから四日後、身体検査と事務手続きを終えた僕たちは、王都旧城壁沿いに立つ灰鬼騎士団本部の門前にいた。
僕の右にはフィア。
左にはセルフィナ。
少し離れた後ろには、三人分の候補資料を運んできた選抜局の成人記録官がいる。
僕たちの胸元にあるのは、正式な騎士身分証ではない。
灰鬼騎士団への暫定配属札だ。
入団の誓約も、階級の授与も、所属班の決定もまだ終わっていない。
今日から始まるのは、灰鬼騎士団側での受け入れ手続きだった。
「……思っていたより、砦ね」
フィアが灰色の城壁を見上げた。
「うん。ただ……」
立派、と続けるには、少し迷う外観だった。
灰鬼騎士団本部は、王都を囲む旧城壁の一部を利用して建てられている。
元は小さな防衛城塞だったらしい。
けれど、長年の増築によって建物の形は大きく変わっていた。
古い灰色の石壁へ、色の薄い石材が継ぎ足されている。
低い屋根の隣から、三階建ての細長い塔が突き出していた。
右側には木造の渡り廊下が伸び、その先へ鉄板で補強された倉庫が並んでいる。
窓の形も大きさも揃っていない。
屋根の高さもばらばらだ。
ガイ団長の整えきっていない髪と、雑に羽織った団長外套を思い出す。
「ガイ団長らしいかも」
僕が言うと、フィアも短く頷いた。
「雑」
「外観については、否定できません」
セルフィナはそう答えながら、建物より先に門の周囲を見ていた。
正門は、人が通る中央門と、荷車用の搬入門に分かれている。
中央門の前には武器確認用の検査台があり、搬入門には物資箱が一列に並べられていた。
箱の側面には、内容、搬入元、到着時刻、確認者の名が記されている。
どの箱も壁際へ寄せられているのに、壁へ密着はしていない。
人が一人通れる幅が、必ず後ろに残されていた。
「火が出た時に、奥の箱まで動かせる」
僕が呟くと、セルフィナが頷いた。
「それだけではありません。搬入口と人員通路が交差しないよう、地面の線で分けられています」
足元を見る。
石畳には、白、黄、赤の細い線が引かれていた。
白は人員。
黄は物資。
赤は負傷者搬送路らしい。
赤い線だけは段差を避け、門の横から本部後方へ真っすぐ続いている。
左腕や右脚に不安がある僕でも、担架を運ぶための道だと分かった。
正門の左右には門衛台がある。
右側には若い男性騎士。
左側には、同じくらいの年齢に見える女性騎士が立っていた。
どちらも二十歳を少し越えた程度だと思う。
腰には剣。
腕には短い盾。
けれど、僕たちへ武器を向けるような威圧感はなかった。
男性騎士が手元の予定表を確認する。
「本日の新規暫定配属者は三名。アルト、フィア、セルフィナ。相違ありませんか」
「ありません」
選抜局の成人記録官が答えた。
ガルドもユノも、他の候補者もいない。
今日、灰鬼騎士団の門をくぐる新人候補は、僕たち三人だけだ。
「確認は一名ずつ行います。最初にアルト候補」
「はい」
僕は検査台の前へ進んだ。
赤縁の候補札と灰鬼の暫定配属札を右手で渡す。
男性騎士が番号を読み、女性騎士が予定表と照合した。
「携行武器、片手剣一振り」
「はい」
剣は抜かない。
鞘へ収めたまま、柄、鍔、鞘の留め具を確認してもらう。
続いて、女性騎士の視線が僕の左腕へ移った。
治療布の上には、黒銀色の封魔具がある。
「特殊候補の封印確認を行います。取り外しはしません」
「お願いします」
門衛詰所から成人封印担当が出てきた。
僕の左腕へ直接触れる前に、確認する箇所を一つずつ説明する。
封魔具の外側。
二つの固定具。
封印番号。
治療布のずれ。
黒い紋章が封魔具の先から露出していないこと。
どれも目視と記録の照合だけだった。
二重固定を緩めることも、封魔具を作動させることもない。
「封印番号一致。二重固定に異常なし。皮膚への圧迫痕は、四日前の身体記録から変化なし」
成人封印担当が告げる。
「痛みはありますか」
「長く歩いたので、少し引っ張られる感じがあります。強い痛みではありません」
以前の僕なら、大丈夫です、とだけ答えていたかもしれない。
けれど、レイシアとは異変を隠さないと約束した。
騎士団が変わったからといって、その約束まで変わるわけではない。
成人封印担当は余計な顔をせず、僕の言葉を記録へ加えた。
「右脚の痺れは」
「今はありません。疲労が強くなると出ます」
「確認しました」
赤縁の候補札を見ても、門衛たちは騒がなかった。
《暴食》について尋ねることもない。
必要な条件だけを確認し、僕へ候補札と暫定配属札を返す。
「アルト候補、外門内の待機線へ進んでください」
「はい」
次はフィアだった。
候補札、暫定配属札、携行する剣を別々に確認される。
右腕についても、治療記録と現在の状態を尋ねられた。
「日常動作に問題なし。全力使用後の反動は未確認」
フィアが簡潔に答える。
「未確認を、反動なしとは記録しません」
女性騎士も淡々と返した。
「分かってる」
フィアは嫌そうな顔をしなかった。
むしろ、ほんの少しだけ納得したように見えた。
最後はセルフィナだ。
外部協力候補であること。
エルフ側へ提出される活動記録の範囲。
精霊に関する情報を、本人の同意なく一般記録へ移さないこと。
灰鬼騎士団の命令と、外部協力候補として拒否できる範囲。
一つずつ確認される。
セルフィナも曖昧に頷かない。
「その項目は、任務中の緊急命令にも適用されますか」
「生命救助と即時撤退を除きます。例外が生じた場合は、命令者と理由を記録します」
「承知しました」
三人分の確認が終わると、外門が僕たちの後ろで閉じられた。
まだ内門は開かない。
二つの門を同時に開けない構造らしい。
僕たちが立つのは、外門と内門に挟まれた広い確認区画だった。
右側には武器架。
左側には救護用の担架と水。
正面の内門とは別に、斜め後方へ細い通路が伸びている。
「退路」
フィアが言った。
「だと思う。正門が塞がっても、ここから外周へ出られる」
門前では雑然として見えた増築も、中へ入ると役割が分かれていた。
見栄えを揃えるためではない。
必要になった機能を、必要な場所へ足している。
「建物の形は統一されていません。しかし、配置と手順には一貫性があります」
セルフィナが静かに結論づけた。
内門脇の受付棟へ案内される。
窓越しに見える中庭では、若い団員たちが忙しく行き来していた。
男性と女性は、ほぼ同じくらいの人数に見える。
大きな盾を背負った女性騎士が、補給記録を男性事務職員へ渡していた。
細身の男性騎士は両腕に物資箱を抱え、女性の武具担当から置き場所を指示されている。
女性が治療担当で、男性が前衛。
そんな単純な分け方ではなかった。
どの団員も歩く時に周囲を見ている。
角を曲がる前には速度を落とし、物資を運ぶ者へ道を譲る。
腰へ武器を下げていない事務担当も、手の甲や指に剣を握り続けた硬い跡があった。
「武器も」
フィアが受付棟の横を見た。
長い武器架には、剣、槍、短剣、鎖の付いた武器、鉄製の杖が並んでいる。
形は全く揃っていない。
それでも刃には油が引かれ、柄の革は緩みなく巻き直されていた。
固定具の位置まで一定だ。
「全部、すぐ抜ける。でも、勝手には落ちない」
「見ただけで分かるの?」
「それくらいは」
フィアは武器架から、中庭を歩く団員たちの足元へ視線を移した。
「事務の人も、荷物を持ってる人も、歩幅が崩れてない」
訓練を見ているわけではない。
誰も武器を振っていない。
それでも、全員が日常の動作へ戦うための身体の使い方を染み込ませているのだと、フィアには分かるらしい。
受付棟の壁には、今日の任務表が掛けられていた。
炎隊、水隊、風隊、土隊。
学院や他騎士団で見たような属性ごとの区分はない。
代わりに、空間保管、城塞管理、獣性追跡、血液管理、呪言運用、夜間遮蔽、幻術偵察、近接制圧という担当欄が並んでいる。
空間保管の欄には、保管量、搬入口、取り出し口、使用者が記録されていた。
便利だからといって、好きな場所から自由に物を出せるわけではないらしい。
城塞管理の机には、壁そのものより、扉、通路、足場、退路を記した図面が重ねられている。
土を動かすためではなく、拠点全体を一つの防衛構造として扱うための記録だ。
獣性追跡の担当者は、泥の付いた靴を入口で履き替え、採取した足跡の写しを照合していた。
嗅覚や聴覚だけを頼るのではなく、地図と時刻も一緒に記録している。
血液管理の棚には封をされた容器が収められ、採取量、本人同意、成人治療職員の確認、廃棄時刻まで札へ書かれていた。
喉を守る帯を付けた呪言担当は、必要のない発声を避けるためか、筆談札を腰から下げている。
暗色の外套を畳む男女のそばには、夜間偵察の交代表がある。
幻術担当の机には、避難誘導用と敵性撹乱用の記録が分けて積まれていた。
一番奥では、手首と足首へ厚い布を巻いた闘術担当が、負傷者搬送用の担架を点検している。
どれも変わった力だ。
けれど、変わっているという理由だけで集められているようには見えなかった。
何ができるのか。
何をしてはいけないのか。
誰と組ませるのか。
異常が起きた時、誰が止めるのか。
全てに担当と記録がある。
「精霊術の項目はありません」
セルフィナが任務表を見た。
「ないね」
「歓迎されていると判断するには、まだ材料が足りません。ただ、既存の区分へ無理に押し込むつもりではないようです」
全面的に信用した言葉ではない。
それでも、セルフィナが初めから拒絶しているわけでもなかった。
受付担当の女性騎士が、奥の記録室を開けた。
「候補資料の移管を行います。候補者三名と、指定された成人担当者のみ入室してください」
僕たちは一人ずつ中へ入った。
一般団員の視線は届かない。
厚い扉が閉じられる。
机の上には三つの空いた受領枠が用意されていた。
選抜局の成人記録官が、最初にフィアの資料を取り出す。
灰鬼騎士団の成人事務職員が枚数と封印番号を確認する。
成人治療職員が右腕の治療履歴を受け取る。
武器使用へ制限が必要な場合、治療判断が訓練予定より優先されることも説明された。
フィアは右手で確認欄へ署名した。
次はセルフィナ。
外部協力候補としての条件と、精霊に関する情報の閲覧範囲を確認する。
灰鬼騎士団へ入ったからといって、人族への全面的な忠誠を誓ったことにはならない。
報告で確定事項と推測を分けるという記録も、そのまま引き継がれた。
セルフィナは一行ずつ読み、自分の署名を加えた。
最後に、赤い縁の付いた資料箱が置かれる。
室内の空気が変わった気がした。
けれど、誰も僕を見なかった。
成人事務職員は封印番号を読む。
成人封印担当は封が損なわれていないことを確認する。
成人治療職員は身体記録と検査予定を受け取る。
選抜局の成人記録官は、書類枚数と封印済み記録媒体の数を告げた。
一つの数字につき、二人以上が確認する。
「候補者アルトへ、移管後の閲覧権限を説明します」
成人事務職員が僕へ向き直った。
「通常記録は、団長、指定事務職員、成人治療職員、成人封印担当、今後登録される監督騎士が閲覧できます。第一覚醒と契約境界に関する封印記録は、団長であっても単独では開けません」
「ガイ団長でも?」
「はい。成人封印担当と成人治療職員の同席が必要です」
団長だから全てを好きにできるわけではない。
「封魔具の継続装着。二重固定。第一覚醒の無断使用禁止。訓練や実験を目的とした再現禁止。単独任務禁止。監督者登録前の任務および訓練参加禁止」
条件が順に確認される。
「任務前後の身体検査と魔力検査。左腕、空腹、知覚、黒い紋章、契約境界の変化を記録。異常が認められた場合、訓練と任務を即時中断します」
どれも、ドラフト前から定められていたものだ。
灰鬼騎士団へ来ても、解除される条件は一つもない。
同時に、新しく厳しくされた条件もなかった。
「《暴食》は昇級、戦果、育成評価の対象外です」
その言葉に、胸の奥の力が僅かに抜けた。
僕は右手で確認欄へ署名する。
赤縁資料は鍵の付いた保管箱へ収められた。
成人事務職員と成人封印担当が別々の鍵を使い、受領時刻を記録する。
僕の資料を見た誰も、面白そうに笑わなかった。
怖がって距離を取ることもなかった。
危険を隠さない。
けれど、危険だけで僕を決めない。
灰鬼騎士団の受け入れ手続きは、その両方を守っていた。
記録室を出ると、内門の前に人影があった。
無精髭。
整えきっていない髪。
片方の肩から落ちかけた団長外套。
数日前に第八階位を使った反動が残っているのか、右肩の動きは僅かに硬い。
それでもガイ団長は、壁へ預けていた背を起こした。
大剣は鞘に収めたままだ。
「遅かったな」
「確認項目が多いので」
成人事務職員が即座に返す。
「省いてねえだろうな」
「一項目も」
「ならいい」
ガイ団長は面倒そうな顔をしているのに、確認を急がせなかった。
成人事務職員から受領記録を受け取り、三人分を最後まで読む。
自分の署名が必要な箇所も飛ばさない。
見た目が雑なことと、仕事を雑にすることは、同じではないらしい。
署名を終えると、ガイ団長は最初に僕を見た。
「アルト」
「はい」
「左腕、空腹、紋章、知覚、右脚。おかしいと思った時点で言え。耐えられるかどうかを、お前一人で決めるな」
僕が黙って痛みや空腹を軽く言うことまで、資料で確認している。
「分かりました」
「監督が決まるまでは、剣も訓練もなしだ」
「素振りもですか」
「なしだ。四日待てたんだ。もう少し待て」
ガイ団長は僕の左腕ではなく、腰の片手剣へ目を向けた。
「育てるのは《暴食》じゃねえ。低い魔力をどう通すか、どう立つか、どう踏むか、どう斬るかだ。足と腰と呼吸を作ってから、お前の剣を伸ばす」
「はい」
次に、フィアへ向く。
「フィア。お前を取ったのは雷が派手だからでも、速いからでもねえ」
「知ってる」
「人を斬る前に、術式線を斬った判断だ。それを鈍らせるな。あと、右腕の反動を隠すな」
「隠さない」
短い返答だった。
けれど、フィアの視線はガイ団長から逸れなかった。
最後にセルフィナ。
「セルフィナ。人族を信用したふりはしなくていい。灰鬼も同じだ」
「団長自ら、それを言うのですか」
「分からねえことを、分かったふりされる方が困る」
ガイ団長は肩をすくめた。
「確定したことと推測を分けろ。精霊も仲間も使い潰すな。疑うべき時に疑え。ただし、疑った理由は報告しろ」
「合理的です。少なくとも、現時点では」
「それでいい」
三人へ別々の条件が告げられた。
僕を中心とした一組としてではない。
アルト、フィア、セルフィナ。
それぞれ違う理由で、灰鬼騎士団へ呼ばれている。
「今日から預かる新人候補は、お前ら三人だけだ」
ガイ団長が内門へ親指を向ける。
「同じ日に入ったからって、同じ班に入れるとは限らねえ。監督、治療、適性、本人の希望を確認してから決める。勝手に三人で組んで動くなよ」
「分かりました」
「分かった」
「承知しました」
三人の返事も重ならなかった。
それを聞き、ガイ団長が僅かに口元を上げる。
「ここじゃ、変わった力を持ってることは欠点じゃねえ。使い方を知らねえことが欠点だ」
内門の向こうから、規則正しい足音と物資を運ぶ声が聞こえる。
「何属性かはどうでもいい。何を守れて、何を止められるかを見せろ」
ガイ団長は受付棟にいる成人職員たちを順番に指した。
「治療は治療の担当に従え。封印は封印の担当に従え。そいつらの報告を聞いて、最後に責任を負うのは俺だ」
雑な言葉だった。
けれど、そこに曖昧な部分はなかった。
「本日の受領手続き、全項目完了しました」
成人事務職員が告げる。
「内門開放を許可します」
門衛の女性騎士が操作輪へ手を掛けた。
重い金具が外れる。
二枚の内門が、左右へゆっくりと開いていく。
その向こうにいた若い団員たちは、僕の赤縁札を見ても仕事を止めなかった。
空間を扱う者も。
城を形作る者も。
獣の性質を借りる者も。
血液、呪言、闇、幻、身体を武器とする者も。
普通ではない力を、普通ではないまま放置していない。
記録し、鍛え、制御し、誰かを守る役割へ変えている。
僕もここで、《暴食》ではなく、一人の剣士として立てるかもしれない。
フィアは整備された武器架を見た。
セルフィナは幾つもの担当札と記録表を見た。
僕たちは同じ門の前に立っている。
けれど、ここへ来た理由も、これから確かめたいものも違う。
それでよかった。
灰鬼の門が開いた先にいたのは、寄せ集めの異端ではなく、常識から外れた力を戦場の秩序へ変えた、若い精鋭たちだった。
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