第109話 騎士団長統括
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
レイシア団長とガイ団長が第九階位の最初の一節へ息を吸った瞬間、空席だった騎士団長統括席の後方から、短い停止命令が響いた。
「そこまでだ。詠唱を始めるな」
大声ではなかった。
それでも、その一言は三重の防護板を越え、大演武場の隅々まで届いた。
ガイ団長が真っ先に反応した。
振り返りも、聞き返しもしない。
握り直したばかりの大剣を即座に下ろす。
足元に重なっていた無色の環から光が引き、床と上空へ仮置きされていた軸も消えていく。
重力は生じなかった。
小石一つ動かないまま、ガイ団長の第九階位は準備段階で解除された。
「……統括」
ガイ団長が低く呼ぶ。
その声を聞き、レイシア団長も聖剣の切っ先を下げた。
水色と淡い緑金色の線から魔力が引いていく。
根を思わせた模様が消え、幹も、上空へ伸びようとしていた枝も、現実の植物になることなく薄れていった。
最後の線が消えた後、レイシア団長は聖剣を鞘へ収めた。
第九階位の詠唱は始まっていない。
魔力経路も繋がっていない。
二人とも、最初の一語を発する前に止まった。
「第九階位準備術式、解除を確認!」
成人封印官が声を上げる。
「魔力経路の本接続なし! 現象発生もありません!」
成人選抜官も上げかけていた確認札を下ろした。
「両名、その場で待機してください。騎士団長統括の命令を優先します」
二人は従った。
専用封戦場の北側では、アーサー団長が防護設備への魔力供給を維持している。
ゴウセル団長、イグナシオ団長、ギルバート団長、シルフィ団長も同じだった。
誰も、今の声へ驚いてはいない。
驚いているのは、僕たち候補者の方だった。
空席だった騎士団長統括席の後ろで、重い扉が開く。
上層の進行管理区画から続く専用通路。
そこから現れたのは、長い年月を刻んだ穏やかな顔と、見慣れた学院外套を持つ老人だった。
「……学院長?」
僕の声が漏れる。
隣で、フィアの目が僅かに見開かれた。
「どう見ても、学院長」
「でも、あの席は……」
「見れば分かる」
フィアの短い返事とは裏腹に、その視線も学院長と空席を行き来している。
ティアナも防護板の向こうで身を乗り出しかけ、成人警備員に止められていた。
「え、学院長? どういうこと?」
メルトも答えられない。
レグルスは驚きを表へ出すまいとしていたが、紫の瞳は学院長から離れなかった。
セルフィナだけは、七人の団長を順に確認している。
「七人とも驚いていません」
彼女が静かに言った。
「以前から知っていた反応です」
学院長が騎士団長統括席の横へ立つ。
成人選抜官は背筋を伸ばし、会場内へ正式に宣言した。
「騎士団長統括、オルフェン・レグナス学院長、ご入場です」
その瞬間、七人の騎士団長が一斉に礼を取った。
防護設備を維持する五人は持ち場を離れず、学院長へ頭を下げる。
レイシア団長とガイ団長も、傷ついた身体で姿勢を正した。
騎士団長統括。
七人の団長へ停止を命じ、七騎士団に関わる最終的な判断を下す席。
そこへ向かって歩いているのは、僕たちが十年間見てきた学院長だった。
入学式で新入生へ笑いかけた人。
卒業式で僕たちを送り出した人。
そして今、七人の団長から礼を受けている人。
「候補者への情報開示を許可する」
学院長が成人選抜官へ告げた。
「はい」
成人選抜官が一枚の記録票を開く。
「オルフェン学院長は、王国七騎士団の騎士団長統括を兼任しています。この情報は、指定された王国成人職員および七騎士団長へ開示済みです」
第三防護区画がざわめく。
「候補者については、在学中の学院評価および騎士団志望が統括権限の影響を受けないよう、本段階まで秘匿されていました」
学院長へ気に入られれば、騎士団へ入りやすくなる。
反対に、学院長へ叱られれば、七騎士団から遠ざけられる。
そんな誤解を生ませないため、学院長としての立場と、騎士団長統括としての立場は僕たちから切り離されていたらしい。
少なくとも、僕だけを欺くためではない。
候補者全員が同じように知らされていなかった。
「びっくりした……」
ティアナが胸を押さえる。
「お父さんは知ってたんだ」
土亀騎士団の持ち場にいるゴウセル団長は、娘の声が聞こえても振り返らない。
今は中立立会人として、防護設備の維持を続けている。
学院長は騎士団長統括席へ腰を下ろさなかった。
専用封戦場に立つ二人を見下ろし、静かに名を呼ぶ。
「ガイ団長。レイシア団長」
「はい」
レイシア団長が答える。
ガイ団長も、大剣の切っ先を床へ向けたまま学院長を見た。
「安全設備があることと、第九階位まで使う必要があることは別だ」
普段と同じ落ち着いた声だった。
けれど、その声に言い逃れを許す柔らかさはなかった。
「成人選抜官は、基礎魔法陣の構築までしか許可していない。二人とも詠唱開始前に停止したため、規則違反とは記録しない」
学院長の視線が、第八階位の衝突で損耗した床へ落ちる。
「だが、許可され得る範囲と、実際に行うべきことを分ける責任が団長にはある」
床には円形の亀裂が残っている。
上空設備の光も弱い。
成人封印官の報告では、防護設備の余力は三割を下回っていた。
「候補者を守る計画の優劣を決めるために、その候補者の前で王都中央の防護余力を使い切るつもりだったのか」
誰も答えない。
学院長は声を荒らげていない。
それでも、第八階位同士がぶつかった時より、大演武場が静かに感じられた。
ガイ団長が先に口を開く。
「悪かった。熱くなった」
軽い調子ではなかった。
普段なら浮かべるはずの笑いもない。
「アルトを面白いと思ったのは本当だ。剣士として育てたいのも変わらねえ。だが、第九階位まで持ち出す必要はなかった」
「その判断を、詠唱前に自分で行うべきだった」
「その通りだ」
ガイ団長は反論せず、学院長の言葉を受け入れた。
学院長の視線がレイシア団長へ移る。
彼女の顔色は白い。
唇の端にはまだ血が残り、聖剣から離れた右手も震えている。
「レイシア団長」
「私は、アルトを守る責任を他へ譲れません」
レイシア団長は正面から答えた。
「水蝶騎士団なら、異常を早く見つけ、停止し、連れ帰れます。私が勝たなければ、その責任を担えないと判断しました」
言葉は団長として整えられている。
けれど、その奥にある感情を僕は知っている。
レイシアは、僕を失う可能性を受け入れられない。
何年離れていても、通信が一度も届かなくても、その思いを手放さなかった。
学院長も、それを笑わなかった。
「守るためだからこそ、止まる判断も必要だ」
静かな言葉が返る。
「自分が倒れれば、誰がアルトを監督する。防護設備を使い切れば、誰が候補者たちを守る。責任を譲れないと言うなら、なおさら自分の責任だけで周囲の安全を使い切ってはならない」
レイシア団長の指先が僅かに動いた。
「……はい」
長い耳が少し伏せられる。
それでも目は逸らさない。
叱責を受け止め、レイシア団長は頭を下げた。
胸が痛んだ。
二人がここまで戦った原因には、僕の指名がある。
僕は第三防護区画の前へ進みかけた。
成人警備員が制止する前に、発言の意思を示す。
「学院長」
学院長が僕へ顔を向けた。
「発言を許可する」
成人警備員が透明な防護板の内側にある発言位置まで道を開ける。
僕は左腕を身体へ寄せたまま、そこへ立った。
「僕が同意した査定戦です。二人だけの責任ではありません」
自分のために二人が傷ついた。
第八階位まで使わせた。
第九階位の準備へ入っても、第三防護区画から見ていることしかできなかった。
「アルト」
学院長は僕の言葉を遮らず、最後まで聞いてから答えた。
「候補者として条件を確認し、査定戦へ同意したことには、お前自身の意思がある。その責任まで否定するつもりはない」
穏やかな目が、少しだけ厳しくなる。
「だが、候補者へ二人の騎士団長を止める責任まで負わせてはならない」
「でも――」
「成人がどこまで力を使うかは、成人の責任だ。まして、この二人は王国七騎士団を預かる団長だ」
学院長はレイシア団長とガイ団長を見る。
「アルトへ背負わせるつもりはないな?」
「ありません」
レイシア団長が即答した。
「ねえよ」
ガイ団長も続く。
「お前が止めなかったから第九階位へ進んだ、なんて話にはしねえ。そこは俺たちの判断だ」
二人の言葉に、僕は返せなくなる。
自分に全く責任がないとは思えない。
けれど、それを理由に二人の判断まで背負えば、二人が団長として認めた責任を奪うことになる。
僕は発言位置で頭を下げた。
「……分かりました」
学院長が頷く。
続いて、成人選抜官へ向き直った。
「騎士団長間選抜査定戦を終了する」
「承知しました」
成人選抜官が終了旗を掲げる。
「騎士団長統括命令を受理。騎士団長間選抜査定戦を、現時刻をもって終了します!」
成人記録官が一斉に記録を始める。
停止時刻。
第八階位までの使用。
両団長の負傷と魔力消費。
第九階位は詠唱開始前に停止。
発動なし。
「最終判定、双方の有効到達は同時または判定不能。勝者なし。査定戦による暫定配属優先権は、いずれの騎士団にも発生しません」
水蝶騎士団の団旗も、灰鬼騎士団の団旗も動かない。
僕の赤縁の候補札も、そのままだ。
成人治療職員が専用封戦場へ入り、レイシア団長とガイ団長を別々の治療位置へ誘導する。
二人は抵抗しなかった。
レイシア団長の右腕には固定布が巻かれる。
ガイ団長の裂けた両手にも治療布が当てられた。
傷が消えたわけではない。
魔力も戻っていない。
二人は治療を受けながら、学院長の次の言葉を待った。
「戦闘で勝った者が、必ずしも候補者を育てる最適な者とは限らない」
学院長は僕の二枚の指名札を、成人事務職員に審査卓へ戻させた。
「この査定戦で証明されたのは、二人とも十分に強く、十分に制御できるということだけだ」
レイシア団長の広域制御と救護判断。
ガイ団長の無属性技術と、重さまで支配する剣。
二人とも、あれほどの力を使いながら専用封戦場の外へ破壊を漏らさなかった。
だからこそ、戦いでは決められなかった。
「アルトの配属は、決闘の結果では決めない」
学院長が断言する。
ガイ団長は何も言わない。
レイシア団長も第一指名を記した札を見つめたまま、反論しなかった。
「水蝶騎士団の計画は、救護、異常の早期発見、複数人による継続監視、広域防衛、撤退経路に優れる」
学院長が水蝶の計画書へ手を置く。
「レイシア団長は、アルトが痛みや空腹を実際より軽く伝える癖も知っている。封魔具、二重固定、単独任務禁止、定期検査を維持する計画にも欠格はない」
次に灰鬼の計画書へ手を移す。
「灰鬼騎士団は、無属性戦闘、低魔力の精密運用、基礎剣術、足運び、重心、呼吸、身体作りに優れる。成人治療職員と成人封印官も監督系統へ入っており、安全条件を満たしている」
学院長は二枚の書類を並べた。
「水蝶はアルトを生還させる適性を伸ばす。灰鬼は、危険な力へ頼らず自分の剣で立つ適性を伸ばす。方向は違うが、評価は同等だ」
どちらも、僕を《暴食》の器として選んだわけではない。
レイシア団長は、僕が危険へ呑まれないよう守ろうとしている。
ガイ団長は、その危険へ頼らなくても戦えるよう鍛えようとしている。
「アルト」
「はい」
「二つの計画と、今の査定を見た。希望は変わったか?」
全ての視線が僕へ集まる。
僕はレイシア団長を見た。
治療布を巻かれた腕。
白い顔。
それでも、僕を見る水色の瞳には、幼い頃から変わらないものがある。
次にガイ団長を見る。
無精髭も、雑に羽織った外套も変わらない。
けれど、僕の危険な力ではなく、足と腰と剣を育てると言った言葉に嘘はなかった。
「僕は、レイシアの隣へ立てる騎士になりたい。その夢は変わりません」
レイシア団長の瞳が僅かに揺れる。
「灰鬼騎士団なら、属性のない僕が、自分の剣を伸ばせるとも思っています」
その光が、ほんの少しだけ痛みを帯びた。
それでもレイシア団長は、僕の言葉を遮らない。
「どちらかを拒んで決めるのではなく、正式な結果に従います」
学院長が僕を見つめる。
「二つとも、お前自身の意思だな?」
「はい」
「承知した」
成人記録官が新しい記録を加える。
候補者アルト。
水蝶騎士団、灰鬼騎士団の双方の指名を維持。
双方の審査継続を希望。
「では、状況を整理しよう」
学院長は七人の団長を見渡した。
「監督条件は同等。安全性も同等。育成方向は異なるが、候補者本人は双方を望んでいる。専門審査でも、他団長の意見でも優劣はつかなかった」
査定戦でも決まらなかった。
第九階位へ進んだとしても、それは育成先の正しさを証明しない。
「新たな評価材料がないまま私が選べば、私個人の好みが入る。団長同士の話し合いへ戻せば、権力や取引が入る。爵位、家柄、血縁、政治的な繋がりも判断材料にはできない」
学院長は少しだけ目を細めた。
「ならば、あみだくじで決めよう」
大演武場から、音が消えた。
第九階位の停止命令よりも深い沈黙だった。
「……え?」
ティアナが最初に声を漏らす。
「今、あみだくじって言った?」
「言いましたね」
セルフィナも、珍しく一度だけ瞬きを増やした。
フィアは学院長を見つめる。
「本気みたい」
レグルスが眉を寄せた。
「全評価が完全に同等なら、無作為抽選は理屈として成立する。だが……本当にあみだくじなのか」
学院長は冗談を言った顔ではない。
「使用するのは紙、墨、筆、定規のみ。魔力、武力、団長権限、爵位、家柄、血縁、政治的圧力、騎士団間の取引を禁ずる」
成人選抜官へ顔を向ける。
「学院長である私も、結果へ手を加えない。複数の成人記録官を立ち会わせ、紙の表裏と線を物理的に確認させなさい」
「承知しました」
成人選抜官は戸惑いながらも、すぐに成人事務職員へ指示を出した。
ガイ団長が口元を上げる。
「いいじゃねえか。剣も魔法も権力も使えねえなら、それが一番公平だ」
「ガイ、笑うところではないわ」
シルフィ団長が呆れた声を向ける。
「俺は真面目だぞ」
「真面目な顔に見えないと言っているの」
ギルバート団長は眉間を押さえた。
「二人とも、今は黙ってくれ」
三人のやり取りに気を取られかけた時、別の声が届く。
「……あみだくじ、ですか?」
レイシア団長だった。
第九階位を準備していた時さえ揺れなかった声が、僅かに震えている。
「アルトの行き先を、偶然へ委ねるのですか?」
「アルトの価値を偶然で決めるのではない」
学院長が答える。
「既に適格と認められた二つの計画のうち、どちらへ暫定配属優先権を与えるかを決めるだけだ。アルトには結果後も辞退権が残る」
「ですが、再審査を行えば――」
「新しい評価材料があるのかね?」
レイシア団長は答えられない。
学院長は追い詰めるような口調を使わなかった。
「両方が正しい以上、実力、権力、感情、取引のいずれかで決めれば、どちらかの恣意が入る。ならば、誰の意思も入らない物理抽選が最も公平だ」
学院長は僕を見る。
「アルト。抽選を拒み、自分で片方を選ぶ権利もある。あみだくじによる暫定配属優先権の決定へ同意するか?」
僕は二枚の第一指名札を見る。
簡単な選択ではない。
それでも、自分で双方の審査を受けると決めた。
その評価が同等なら、どちらかを否定するための理由を無理に作ることも違う気がした。
「同意します」
僕ははっきり答えた。
「結果を見た後にも、辞退権が残るんですね?」
「残る。正式入団も別手続きだ。お前を誰かへ譲り渡す抽選ではない」
「それなら、正式な結果として受けます」
学院長が頷く。
ガイ団長は迷わない。
「灰鬼も受ける。指名は撤回しねえ」
レイシア団長は、すぐには答えなかった。
水色の瞳が僕へ向く。
何年も送り続けた通信。
幼い頃の約束。
第一指名。
第八階位まで使っても譲らなかったものが、今度は本人の努力では制御できない偶然へ委ねられようとしている。
やがてレイシア団長は、震える指をゆっくり握った。
「水蝶騎士団も、規則へ従います」
声を整え、続ける。
「ただし、第一指名は撤回しません」
「記録を維持する」
学院長が答えた。
成人事務職員たちが戻ってくる。
運ばれてきたのは、大きな白紙を載せた平板。
黒い墨。
筆。
そして、何の魔力も宿していない木製の定規だった。
成人記録官が紙を持ち上げ、表と裏を確認する。
別の成人記録官が厚さを測る。
成人封印官も近づき、魔力が付与されていないことだけを確かめた。
まだ、一本の線も引かれていない。
ただの白い紙だ。
それを見つめるガイ団長は、面白そうに笑っている。
けれど、レイシア団長だけは違った。
第九階位を前にしても揺れなかったレイシア団長の水色の瞳が、紙と墨だけのあみだくじを前に、初めて明確に揺れた。
「面白かった!」
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「今後どうなるの!!」
と思ったら
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