第107話 団長同士の決闘
成人選抜官の開始旗が振り下ろされた瞬間、レイシア団長の聖剣はガイ団長の右肩へ走り、横合いから現れた大剣が火花ごと弾いた。
火花が消えるより先に、聖剣が返る。
右手首。
左膝。
二つの斬撃を、ガイ団長は大剣の柄と刃の腹で受けた。
受けるだけではない。
二撃目を塞いだ大剣が、そのままレイシア団長の脇腹へ押し込まれる。
レイシア団長は聖剣を大剣の側面へ触れさせた。
重さへ逆らわず、身体を半歩だけ横へ滑らせる。
大剣が脇を通過する。
その重さに引かれるように、レイシア団長自身もガイ団長の内側へ入った。
肩口へ聖剣が返る。
ガイ団長は後ろへ退かない。
一歩前へ出て、聖剣が加速し切る前に大剣の鍔で手元を押し上げた。
そのまま肩をぶつける。
レイシア団長が身体を捻る。
二人の肩が触れる直前、彼女はガイ団長の脇を抜けた。
背後へ回った聖剣を、大剣の刃が待ち受ける。
ガイ団長は振り返っていない。
柄の端を握り、大剣だけを背後へ回していた。
鋼と鋼が擦れ合う。
レイシア団長は反発を使って間合いの外へ出た。
大剣が追う。
横薙ぎ。
レイシア団長は床へ沈むように身を伏せた。
淡い銀青の髪の上を、巨大な刃が通過する。
大剣は専用封戦場の境界へ向かい――ガイ団長の足が床を掴んだ瞬間、ぴたりと止まった。
風だけが境界の内側で渦を巻く。
一歩も外へ漏れない。
レイシア団長が低い姿勢のまま踏み込む。
聖剣がガイ団長の膝を狙った。
大剣が垂直に落ちて塞ぐ。
その刃を足場にするように、レイシア団長が身体を浮かせた。
聖剣の柄が、ガイ団長の右肩へ迫る。
ガイ団長は大剣から片手を離し、手甲で柄を弾いた。
レイシア団長の身体が僅かに流れる。
そこへ大剣の柄頭が突き出された。
彼女は空中で聖剣を挟み、衝撃を受け流す。
着地した時には、もう次の斬撃が始まっていた。
何度、刃が重なったのか分からない。
火花が一つ消える間に、別の場所で二つ目が散る。
中央。
東。
再び中央。
僕が剣を追えた時には、二人とも既にそこにはいなかった。
転移ではない。
踏み込み、重心移動、剣の軌道。
全てが繋がって速く見えているだけだ。
けれど、その一つ一つを目で追うことができない。
「何合?」
僕は視線を外せないまま尋ねた。
「十四」
フィアが答える。
一拍遅れて、眉を寄せる。
「……たぶん」
「フィアでも?」
「二つ、見失った」
フィアの右手が、僅かに動く。
刃筋を捉えてから身体へ命令を送る。
その間に、次の攻防が終わっているらしい。
レイシア団長の小さな踏み込みから、三つの剣先が生まれたように見えた。
右肩。
左腕。
膝。
ガイ団長は大剣を盾のように立てる。
身体の向きと刃の角度だけで、三本に見えた軌道を一か所へ集めた。
甲高い音。
レイシア団長の聖剣が弾かれる。
ガイ団長の左足が半歩だけ引かれた。
大剣が下から返る。
レイシア団長は読んでいた。
聖剣の柄を落とし、大剣の根元を押さえる。
二人の顔が刃越しに近づいた。
「最初から飛ばすな」
ガイ団長が言う。
「アルトを待たせていますから」
レイシア団長の口調は穏やかだった。
押さえていた聖剣が捻られる。
大剣が外へ流れる。
同時にガイ団長の肩が迫り、レイシア団長は半歩だけ退いた。
その肩口を大剣の切っ先が掠める。
布が一筋、宙へ舞った。
ガイ団長の頬にも細い赤線が生まれている。
いつ聖剣が触れたのか、僕には分からなかった。
「双方、離れてください!」
成人選抜官の声が響く。
二人が同時に後退した。
直前まで高速で斬り結んでいたとは思えないほど、停止命令への反応が速い。
聖剣も大剣も下げられる。
成人治療職員が規定の距離から状態を確認した。
「双方、軽微な擦過傷。関節、呼吸、意識に異常なし」
成人封印官と結界担当の成人職員も、専用封戦場を囲む設備を順番に見る。
「境界への接触なし。外部への衝撃流出もありません」
床には足跡に沿った傷が残っている。
だが、観覧席側へ伸びた亀裂は一つもない。
二人は魔法も強化も使わず、自分たちの剣技だけで力の向きを抑え込んでいた。
「武器戦による有効接触は同数。査定を継続しますか」
「継続します」
「続ける」
「使用出力を申請してください」
「第二階位までの強化を申請します」
「俺も同じだ」
成人選抜官は、他の成人職員が安全確認札を上げるまで待った。
最後の一枚が上がる。
「低階位の汎用強化を許可します。術式準備中の攻撃は禁止。双方の準備完了後に再開します」
レイシア団長は呼吸を一つ整えた。
唇は動かない。
彼女の足元に幾何学模様が浮かび、細い魔力の線が脚、手首、聖剣へ伸びていく。
第七階位までを無詠唱で完成させるレイシア団長に、第二階位の詠唱は必要ない。
だからといって、魔力消費や制御まで消えるわけではない。
流す量、強める場所、専用封戦場へ漏らさない範囲。
それらを一呼吸の間に組み上げている。
対するガイ団長は、大剣の切っ先を床へ下ろした。
息を吸う。
「形なき力よ、我が骨と刃を巡れ。踏む足を支え、振るう重みをこの手の内へ定めよ」
短く、明瞭な詠唱。
最後の一音と同時に、無色の魔法陣がガイ団長の足元へ展開した。
身体。
足裏。
大剣。
三つへ魔力が分かれていく。
同じ第二階位でも、完成までに必要な手順は違う。
レイシア団長は言葉を必要としない。
ガイ団長は一節ずつ積み上げなければならない。
けれど、完成した術式の精度に、詠唱の有無による優劣は見えなかった。
「双方、準備完了を確認。再開!」
旗が下りる。
レイシア団長の姿が、消えたように見えた。
実際には床を蹴っている。
ただ、着地と踏み込み、踏み込みと斬撃の境目がない。
中央で火花が散った。
次は東側。
さらに北側。
レイシア団長の聖剣が大剣の腹を滑り、その反発を次の加速へ変える。
足が床へ触れた時には、もう次の剣先がガイ団長の手首を狙っていた。
ガイ団長の大剣も速い。
振り始めは、巨大な刃とは思えないほど軽い。
レイシア団長の聖剣が側面へ触れた瞬間、その重さが変わった。
空気が潰れるような音が鳴る。
レイシア団長は正面から支えない。
聖剣を斜めに傾け、圧力を床へ流した。
石の表面が浅く窪む。
ガイ団長の軸は崩れない。
足裏へ集めた魔力が身体を支え、受け流される方向へ先に重心を置いている。
次の瞬間、大剣が軽くなった。
片手で刃が返る。
レイシア団長の左肩へ迫る。
彼女は首を傾け、紙一枚ほどの距離で避けた。
聖剣がガイ団長の右手首を狙う。
大剣の柄が回転して弾く。
ガイ団長が一歩進む。
大剣の間合いからレイシア団長を出さない。
剣を振るたびに、彼女が次に立てる場所を一つずつ消していく。
「速い方が追い詰められてる」
ミナが息をのむ。
「速さで追ってるんじゃない」
フィアが短く答える。
「先に場所を取ってる」
レイシア団長が大剣の横薙ぎを跳び越えた。
空中で身体を捻り、聖剣を真下へ向ける。
ガイ団長は大剣を引き戻さない。
横薙ぎの勢いを残したまま、自分を軸に一回転した。
柄頭が空中のレイシア団長へ迫る。
聖剣と柄頭が衝突する。
レイシア団長は衝撃へ逆らわず、後方へ飛んだ。
着地。
膝を沈める。
弾かれた距離を、そのまま助走へ変えた。
聖剣がガイ団長の胸元へ伸びる。
大剣は戻らない。
ガイ団長は左手を柄から離し、聖剣の腹を手甲で叩いた。
剣先が団長外套を浅く裂く。
同時に大剣の鍔が、レイシア団長の腰布を掠めた。
また同数だった。
「雑に見えるだけよ。ガイは一度も、外へ力を逃していない」
シルフィ団長が言った。
視線はガイ団長の足元と、大剣の止まる位置を追っている。
「足幅も、刃の角度も、最後に止める場所も計算しています。雑なのは外見と生活態度だけよ」
「聞こえてるぞ」
「戦いに集中しなさい」
言葉は鋭い。
それでもシルフィ団長の目には、ガイ団長の技術への疑いが一つもなかった。
「次は西側だ」
ギルバート団長が、結界担当の成人職員へ告げる。
「西側の第二防護位置を確認してくれ」
言い終わるより早く、レイシア団長がガイ団長を押し込む。
ガイ団長の左足が軸になった。
大剣が西へ返る。
その退路には、既にレイシア団長の聖剣が置かれている。
刃と刃がぶつかった。
衝撃が西側へ走り、確認を終えた防護設備の内側で止まる。
「どうして分かったんですか」
僕が尋ねると、ギルバート団長は戦場から目を離さず答えた。
「ガイは学院時代から、退かされた直後に左足を軸として返す。シルフィと私は、何度もあれに付き合わされた」
シルフィ団長が眉を寄せる。
「思い出させないでちょうだい」
ガイ団長、ギルバート団長、シルフィ団長。
学院時代からの同期である三人にしか分からない積み重ねがある。
「レイシア団長とは同期ではない」
ギルバート団長が続けた。
「彼女の癖を知ったのは、団長就任後の合同訓練と共同任務だ。彼女は相手を追ってから斬るのではない。退路を予測し、先に二撃目を置く」
一人は学院時代から。
もう一人は騎士団長となってから。
異なる年月に積み重ねた観察から、二人の攻撃が重なる場所を読んだのだ。
「停止!」
成人選抜官の命令に、二人が距離を取った。
呼吸が僅かに深くなっている。
それでも剣先は揺れていない。
「低階位使用による境界異常なし。身体状態、継続可能」
「中階位までの引き上げを申請します」
レイシア団長が告げる。
「第五階位までを申請する」
ガイ団長も続いた。
成人選抜官は即答しなかった。
成人治療職員が両者の瞳、呼吸、手足を確認する。
成人封印官と結界担当の成人職員が境界設備を巡り、成人警備員が安全区画の人数と退路を再確認した。
五人の団長も、それぞれの立会位置から安全確認札を上げる。
最後にゴウセル団長が床面を確かめ、問題なしを示した。
「第五階位までの汎用強化および制御術式を許可します。術式準備中の攻撃を禁じます」
レイシア団長が静かに息を吐いた。
声はない。
一つ目の魔法陣が足元へ開く。
二つ目が聖剣の周囲。
三つ目、四つ目は専用封戦場の東西へ広がった。
幾何学模様を結ぶ淡い光が床を走り、薄い魔力制御が空気の中へ浸透していく。
無詠唱であっても、完成は一瞬ではない。
広い範囲。
複数の作用。
自分の強化と、飛散物や残留魔力の制御。
レイシア団長は数呼吸を使い、術式を一層ずつ重ねた。
ガイ団長は大剣を垂直に立てる。
先ほどより深く息を吸った。
「形なき力よ、我が身を軸とし、大地を支点とせよ。足裏には留まる重みを、刃には走る軽さを与え、触れ合う刹那にのみ落ちる圧へ転じよ。身体と鋼の重心を分かち、なお我が手の内で結べ。向きを違えず、境を越えず、定めた一点の外へ力を逃がすな」
第二階位より遥かに長い詠唱だった。
対象。
媒体。
作用する順番。
力を増す条件。
境界の外へ作用させない制限。
一節ごとに無色の魔法陣が増え、大剣、両腕、腰、足元へ別々に接続されていく。
ガイ団長は詠唱を省略できない。
一語も飛ばさず、制御条件まで言葉で完成させる必要がある。
その間にレイシア団長は術式を完成させていた。
けれど、彼女は攻撃しない。
査定戦はまだ停止中だ。
成人選抜官も、ガイ団長の最後の魔法陣が閉じるまで開始旗を動かさなかった。
「双方、第五階位までの術式完成を確認」
空気が重くなる。
レイシア団長から広がる魔力は薄い。
あまりに薄く、目を凝らさなければ見失う。
対するガイ団長の力は狭い。
身体。
大剣。
足元。
必要な場所へ、異なる重さが収束していた。
「再開!」
床が鳴った。
ガイ団長の一歩で、小さな石片が跳ねる。
石片は安全区画へ飛ばない。
レイシア団長が広げた魔力へ触れ、封戦場の内側へ落ちた。
その間にも、聖剣はガイ団長へ届いている。
右肩。
左脇。
膝。
一つを大剣で防げば、別の場所へ剣先が現れる。
レイシア団長は速くなっただけではない。
床、空気、飛散物、ガイ団長が残した魔力。
専用封戦場全体を把握し、次の踏み込みへ先回りしている。
ガイ団長の大剣が落ちた。
レイシア団長は刃の側面へ聖剣を添え、右へ流そうとする。
大剣の重心が左へ移った。
受け流す方向と逆。
聖剣が押し戻される。
レイシア団長は即座に力を抜き、衝撃だけを上空へ逃がした。
大剣が軽くなる。
ガイ団長の腕が跳ね上がり、同じ刃が横から返ってきた。
レイシア団長は床すれすれまで身体を倒す。
銀青の髪が一房、大剣に触れて宙を舞った。
下から聖剣が伸びる。
ガイ団長の肩へ届く直前、大剣の柄が垂直に落ちて剣先を塞ぐ。
衝撃が一点へ集まった。
床へ蜘蛛の巣ほどの浅い亀裂が走る。
レイシア団長の広域制御が、それ以上の広がりを押さえた。
ガイ団長の力は、その広い制御を一点ずつ突き破ろうとする。
広く、正確なレイシア団長。
狭く、極端に重いガイ団長。
無詠唱で複数の作用を同時に組み上げる才能。
長い詠唱で条件を積み上げ、完成した一点を極限まで研ぎ澄ます技術。
どちらも相手を無効にできない。
異なる完成形が、真正面から噛み合っていた。
「あれで、まだ第五階位なの?」
ティアナが呟く。
視線は二人だけでなく、境界設備と退路の表示を行き来している。
「出力だけの問題ではありません」
セルフィナが答えた。
「二人とも相手と戦いながら、戦場外へ力を出さない制御を続けています」
レグルスも専用封戦場を見据えた。
「一度も、こちらへ流していない。僕たちを守る余力を残したまま互角なのか」
僕たちを守っているのは、防護設備だけではない。
レイシア団長もガイ団長も、攻撃の最後の方向まで選んでいる。
僕を巡って戦いながら、僕を危険へ晒さない。
その技量の差を、嫌というほど見せつけられた。
「アルト」
フィアが呼ぶ。
「見える?」
「ぶつかった後なら」
「私も」
右手を僅かに握る。
「見えてる。でも、間に合わない」
立会位置のアーサー団長も、専用封戦場を見ていた。
けれど、他の団長たちとは視線の置き場所が違う。
聖剣と大剣がぶつかっても、青い瞳は刃を追わない。
レイシア団長の足元へ戻る魔力。
聖剣を通った後、空気へ散らずに収まっていく流れ。
何かを確かめているように見えた。
「セルフィナ。アーサー団長は、何を見てるんだろう」
「分かりません」
セルフィナは即答した。
「少なくとも、勝敗だけを見ている視線ではありません」
それ以上のことは、誰にも分からなかった。
専用封戦場の中央で、ガイ団長が大剣を両手で握る。
初めてレイシア団長が大きく距離を取った。
ガイ団長の身体が沈む。
足元へ重さを集め、大剣だけを羽根のように軽くする。
振り始めた瞬間、刃の重さが戻った。
レイシア団長へ届く瞬間には、さらに増す。
彼女は広げた魔力を、聖剣へ集めていく。
大剣が落ちた。
聖剣が斜めに触れる。
ガイ団長の圧力を側面へ流しながら、レイシア団長自身は刃の内側へ踏み込んだ。
ガイ団長も重心を先回りさせる。
受け流されるはずの大剣が途中で進路を変えた。
レイシア団長の聖剣が、ガイ団長の肩口へ迫る。
同時に、大剣の柄頭が彼女の脇腹へ走る。
どちらかが退けば、相手の一撃が届く。
二人とも退かなかった。
レイシア団長が聖剣の鍔を大剣の柄頭へ当てる。
ガイ団長は大剣の根元で聖剣を挟む。
二つの有効打が、互いの身体へ届く指一本分手前で止まった。
衝撃だけが真上へ抜ける。
専用封戦場の上空で空気が弾けた。
二人が同時に武器を引く。
レイシア団長は南へ。
ガイ団長は北へ。
互いに十分な距離を取った。
「停止! その位置を維持してください!」
成人選抜官が命じる。
二人は追わない。
聖剣と大剣を下げ、深くなった呼吸を整える。
レイシア団長の額には汗が浮かび、聖剣を握る指にも僅かな震えがある。
無詠唱で第五階位を制御し続けた魔力消費は、小さくない。
ガイ団長も右肩を一度回した。
長い詠唱で完成させた重心制御を、大剣と身体へ同時に維持した反動が腕と腰へ残っている。
成人治療職員が状態を確認する。
「両者、軽微な裂傷および筋疲労。魔力消費あり。意識清明。継続意思の確認が必要です」
結界担当の成人職員も境界設備を調べる。
「外部流出なし。床面の損耗は許容範囲。専用封戦場は維持可能です」
「査定継続の意思はありますか」
成人選抜官が問う。
レイシア団長とガイ団長が顔を上げた。
疲労はある。
それでも、どちらの目からも戦意は消えていない。
「『高階位使用許可を求めます』『高階位、使わせろ』――二人の声は、また同時に重なった。」
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