第104話 重なる指名
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
七つの騎士団による一巡目の指名と受諾確認が終わっても、僕の名前が記された二枚の第一指名札だけは、成人記録官の前に残されていた。
水蝶騎士団、第一指名。
アルト・ロウェル。
灰鬼騎士団、第一指名。
アルト・ロウェル。
同じ名前を記した二枚の札の間へ、赤い保留札が置かれている。
ティアナとメルトは、既に土亀の団旗の下へ移っていた。
レグルスは炎獅子。
ユリウスは光龍。
メルナは水蝶。
双子は、それぞれ別の候補者として風鷹。
北部地方学院の候補者は雷虎。
学院で同じ場所に並んでいた者たちが、七つの団旗の下へ分かれている。
それでも、僕とフィア、セルフィナ、ミナを含め、まだ指名を待つ候補者も残っていた。
そして僕は、二騎士団から指名されたため、候補者席から動けない。
「重複指名候補の予備調整へ移ります」
成人選抜官が進行台の前へ出る。
「これは最終調整ではありません。両騎士団の指名意思、受け入れ条件、監督計画、候補者本人の意思を記録するための手続きです」
成人事務職員が、新しい記録紙を三枚運んできた。
一枚は水蝶騎士団。
一枚は灰鬼騎士団。
最後の一枚は、僕自身の意思確認用だ。
「レイシア団長、ガイ団長。指名提出の順序に関係なく、重複指名成立後の発言権は対等です。互いの発言を妨げないでください」
「承知しました」
レイシア団長が即座に答える。
「分かった」
ガイ団長は椅子へ深く座ったまま、気のない返事をした。
成人選抜官の眉が動く。
「正式な場です。理解したことが記録へ残る返答を求めます」
「承知した」
言い直した。
レイシア団長は水蝶の団旗の前に立っている。
先ほどメルナを迎えた時には、穏やかな笑みを向けていた。
今は笑っていない。
水色の瞳は、成人選抜官でも記録紙でもなく、僕を見ている。
その視線を知っている。
孤児院にいた頃、僕が熱を隠して外へ出ようとした時。
転んだ膝を隠し、まだ走れると言い張った時。
レイシアは怒るより先に、ああして僕を見た。
昔と同じ目だ。
けれど、彼女はもう、僕の手を引いて部屋へ連れ戻すだけの少女ではない。
一つの騎士団を預かる団長として、僕を指名している。
反対側では、ガイ団長が無精髭を撫でていた。
一巡目で二枚目の指名札を使わず、僕の名を書いた一枚だけを提出した男だ。
候補資料は団長席の机に置かれている。
雑に閉じられているが、黒い封印帯は正しい位置へ戻されていた。
「最初に、水蝶騎士団の受け入れ条件を確認します」
成人選抜官が告げる。
「レイシア団長。アルト・ロウェル候補は、一般候補と同じ任務条件では受け入れられません」
「承知しています」
「封魔具の継続装着、二重固定、定期的な身体検査と魔力検査、第一覚醒の無断使用禁止、単独任務禁止。異常発生時には、作戦目標より任務中断を優先します」
「全て維持します」
迷いのない返答だった。
「正式な監督騎士を付ける必要があります」
「水蝶騎士団の成人騎士から、主監督者と副監督者を一名ずつ選定します。どちらかが任務へ参加できない場合、アルトもその任務へ出しません」
成人記録官の筆が動く。
「医療体制は?」
「騎士団本部の治療区画へ専用の検査枠を設けます。ただし、アルトを他の団員から常時隔離するつもりはありません。異常が確認された場合のみ、成人治療職員と監督騎士の判断で検査区画へ移します」
「第一覚醒の研究利用について」
「本人の同意があっても、王国と騎士団長統括の許可がない再現実験は認めません」
成人選抜官が頷く。
レイシア団長は、アルトだから特別扱いして条件を軽くすると言っていない。
むしろ必要な制限を一つずつ引き受け、その上で騎士団員として日常へ戻す方法を用意していた。
「水蝶騎士団の方針を記録しました。続いて、灰鬼騎士団」
「封魔具も固定も、そのままだ」
ガイ団長が先に答えた。
「単独任務にも出さねえ。監督役は俺が選ぶ。検査日をさぼったら、本人ごと治療区画へ放り込む」
「表現はともかく、条件維持の意思として記録します」
成人記録官が淡々と書き取る。
「異常発生時の対応は?」
「任務中断。本人を退かせて、残りの団員で続行できるなら続ける。無理なら部隊ごと退く」
「第一覚醒の研究利用は?」
「やらねえ」
短い返答だった。
成人選抜官が続きを待つ。
ガイ団長は面倒そうに頭を掻いた。
「腹を空かせて、どこまで喰えるか確かめるような真似は訓練じゃねえ。暴走させて止めました、なんて記録を増やす気もない」
「では、《暴食》を灰鬼騎士団の戦力として積極的に使用する予定はないと?」
「順番が逆だ」
ガイ団長が僕を見る。
「そいつは剣士だろ。まず剣と身体と無属性の使い方を鍛える。《暴食》は、使わなきゃ全員死ぬ場面で、条件が揃って、成人責任者が許可した時だけだ」
胸の奥が僅かに揺れた。
アークデーモンを倒したから選んだのではない。
《暴食》があるから、珍しい兵器として欲しがったのでもない。
ガイ団長は僕を剣士として見ている。
「灰鬼騎士団には、無属性魔法と物理戦闘を扱う成人騎士が複数います」
ガイ団長は続ける。
「属性がないことを欠陥として直す気はない。魔力量が少ないなら、少ないまま届かせる方法を教える」
レイシア団長の長い耳が僅かに動いた。
「アルトの戦い方と灰鬼騎士団の訓練が適合することは、否定しません」
公の場に相応しい、静かな声だった。
ガイ団長が片方の眉を上げる。
「随分と素直だな」
「事実を否定するつもりはありません」
「なら、譲るか?」
「譲りません」
返答だけは、一呼吸も置かなかった。
観覧席から、小さなどよめきが起きる。
レイシア団長はそちらへ顔を向けず、ガイ団長だけを見た。
「灰鬼騎士団が無属性戦闘を教えられることと、アルトが灰鬼騎士団へ行かなければならないことは同じではありません」
「水蝶が治療に強いことと、そいつが水蝶に行かなきゃならないことも同じじゃねえだろ」
「水蝶騎士団は治療だけの騎士団ではありません」
「灰鬼も殴るだけの騎士団じゃねえよ」
二人の声は荒くない。
武器へ手を伸ばす者もいない。
それでも、団長席の間へ見えない線が引かれたようだった。
「アルトは、自分の状態を小さく報告することがあります」
レイシア団長が言う。
「左腕が痛くても動かせると言います。空腹が強くても、まだ耐えられると答えます。一人で済むなら一人で背負おうとします」
僕は思わず左腕へ目を落とした。
治療布。
黒銀色の封魔具。
二重固定は今日も外されていない。
全部、レイシアの言う通りだった。
「私は、その癖を候補資料より前から知っています」
「だろうな」
「異変へ早く気づくことも、監督者に必要な適性です」
「そこは認める」
ガイ団長があっさり頷く。
レイシア団長の表情が僅かに緩んだ。
だが、次の言葉ですぐに戻った。
「けど、知りすぎてる奴は、退かせる場面で退かせられねえこともある」
大演武場が静まる。
レイシア団長の水色の瞳から、僅かに温度が消えた。
「私が団長としての判断を失うと?」
「そうは言ってねえ。可能性を記録しろって話だ」
ガイ団長が成人記録官を顎で示す。
「特殊候補を引き受けるなら、都合のいいところだけ見るな。俺が面白がって無茶をさせる可能性も、水蝶が大事にしすぎて実戦から遠ざける可能性も、両方書いとけ」
成人記録官の筆が一度止まり、すぐに動き出した。
自分の欠点まで含めて記録させる。
ガイ団長が何も考えていない男ではないと、改めて分かる。
レイシア団長も反論を急がなかった。
一度だけ僕を見る。
その目の奥にあるものを、僕は知っている。
何年も届かない通信を送り続けたこと。
返事がなくても、僕を忘れなかったこと。
学院侵攻の最中、遠く離れた隊列から僕を見つけたこと。
僕が傷つけば、彼女が団長としての冷静さを失う可能性は、きっとゼロではない。
けれど、それだけで彼女が積み上げてきたものを否定したくもなかった。
「懸念として記録してください」
レイシア団長が成人記録官へ告げた。
「ただし、私はアルトを戦場から遠ざけるために指名したのではありません」
声は穏やかだった。
「彼が自分で選んだ騎士への道を、危険だからという理由だけで奪わないために指名しました」
胸の奥へ、真っ直ぐ届く。
守られるだけではなく、同じ場所で戦う。
いつか僕が願ったことを、レイシアも選ぼうとしている。
ガイ団長はしばらく彼女を見たあと、口元を僅かに上げた。
「なら、余計に譲る理由がねえな」
「こちらにもありません」
成人選抜官が木槌を一度鳴らした。
「両騎士団の監督計画と懸念事項を記録しました。候補者本人の意思確認へ移ります」
僕の前へ、成人事務職員が記録紙を置く。
署名欄は三つ。
水蝶騎士団の審査継続を受けるか。
灰鬼騎士団の審査継続を受けるか。
双方を辞退するか。
「アルト・ロウェル候補」
成人選抜官が僕を見る。
「水蝶騎士団と灰鬼騎士団、どちらか一方の審査を辞退することもできます。双方を辞退する権利もあります」
「はい」
「双方の審査を継続した場合、後の重複指名調整へ進みます。その方法は、まだ決定していません」
水蝶の団旗を見る。
レイシア団長がいる。
僕がずっと追いかけてきた人。
彼女に選ばれたことは、言葉にできないほど嬉しい。
孤児院で交わした約束へ、ようやく手が届き始めたようにも思う。
次に灰鬼の団旗を見る。
ガイ団長は、僕の属性適性がないことも、魔力量が少ないことも、封魔具も監視条件も知っている。
そのままで剣士として育てると言った。
どちらかの評価を、聞かなかったことにはしたくない。
「危険性と条件を見た上で選んでくれたなら、僕は両方の審査を受けます」
成人選抜官が確認する。
「一方の指名を拒絶する意図ではなく、双方の審査継続へ同意する、という意味で間違いありませんか?」
「間違いありません」
右手で二つの欄へ署名する。
水蝶騎士団。
灰鬼騎士団。
署名を終えた瞬間、胸の内側にあった緊張が少しだけ形を持った。
行き先は決まっていない。
けれど、決まっていないことから逃げずに立つとは決めた。
レイシア団長は、一瞬だけ寂しそうな目をした。
それでも、僕の署名を止めなかった。
昔のレイシアなら、僕の腕を抱えて、水蝶の席まで連れていこうとしたかもしれない。
今の彼女は、強く指を組みながらも、僕が自分で選ぶことを待っている。
ガイ団長は面白そうに笑っていた。
「アルト」
フィアが呼ぶ。
「何?」
「選ばれた後の方が大変ね」
「僕も、今そう思った」
「遅い」
短く言い切り、正面へ戻る。
セルフィナは、僕の署名が記された紙を見ていた。
「少なくとも、危険性を隠した指名ではありません」
「うん」
「両騎士団とも、条件を理解しています。その上で結論が異なるのであれば、簡単には終わらないでしょう」
「やっぱり、そう思う?」
「既に簡単には終わっていません」
もっともな答えだった。
土亀の暫定配属席から、ティアナがこちらを見ている。
目が合うと、両手で小さく候補札を示した。
自分はここに決めた、と伝えるような仕草だった。
僕も赤縁札を軽く持ち上げる。
まだ決まっていない、と返す。
ティアナは少しだけ眉を下げ、それから笑った。
その隣では、メルトが新しい記録紙を成人事務職員から受け取っている。
二人とも、もう候補者席にはいない。
けれど、遠くへ行ったようには見えなかった。
成人記録官が書類を整理している間、ゴウセル団長が僅かに身を屈めた。
団長席と暫定配属席。
公の場である以上、父娘だからと長く言葉を交わすことはできない。
それでも、ゴウセル団長はティアナだけへ届く声で告げた。
「よく、生きて戻った」
ティアナの目が僅かに見開かれる。
先ほどまで、候補者として厳格に評価していた父親の言葉だった。
ティアナは嬉しそうに口元を緩めた。
「うん。ただいま、お父さん」
それだけだった。
抱き合うことも、涙を流すこともない。
ゴウセル団長は一度だけ娘の肩へ手を置き、すぐ団長としての姿勢へ戻った。
ティアナも土亀の暫定候補として座り直す。
父親に選ばれた娘ではない。
自分の記録と希望で、父親が率いる騎士団へ進んだ候補者だった。
炎獅子の席では、レグルスがイグナシオ団長から受諾後の書類を受け取っている。
僕の視線に気づくと、紫の瞳がこちらを向いた。
何も言わない。
ただ、自分の胸元にある炎獅子の暫定札を一度指で示した。
先に行く。
それでも競争は終わらない。
先ほど交わした言葉を、もう一度繰り返す必要はなかった。
僕も小さく頷いた。
成人事務職員が全ての書類を回収する。
「予備調整の記録が完了しました」
成人選抜官が宣言した。
「アルト・ロウェル候補の暫定配属は、引き続き保留とします。水蝶騎士団および灰鬼騎士団は、次の調整通知まで指名条件を変更できません」
水蝶の第一指名札。
灰鬼の第一指名札。
どちらも僕の名を残したままだ。
「最後に確認します」
成人選抜官がレイシア団長へ向く。
「レイシア団長。予備調整を経た現時点で、アルト・ロウェル候補への指名を撤回する意思はありますか?」
「ありません」
迷いのない声だった。
「アルトは、水蝶騎士団の第一指名です」
続いてガイ団長へ向く。
「ガイ団長。指名を撤回する意思はありますか?」
「ない」
ガイ団長は椅子の背へ身体を預けた。
「俺も撤回しねえ」
レイシア団長とガイ団長が、再び互いを見る。
今度は感情だけではない。
受け入れ条件も、監督計画も、育成方針も示した。
その上で、二人は同じ結論へ辿り着いている。
アルト・ロウェルを必要とする。
成人選抜官が木槌を鳴らしても、二人の視線は外れなかった。
水蝶と灰鬼、二つの団旗の下から向けられる視線は、どちらも一歩も退く気がなかった。
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