第101話 ドラフト登録
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
卒業式から二日後、僕の前には、卒業証書よりも重く見える赤縁の登録票が置かれていた。
王都中央にある王国合同選抜局。その登録大広間は、天井から七枚の旗が下がっていることから「七旗の間」と呼ばれている。
炎獅子。
土亀。
水蝶。
雷虎。
風鷹。
光龍。
そして灰鬼。
風の入らない広間で、七枚の大旗は静かに垂れていた。布に刺繍された紋章は、学院の校章とは違う重みを持って僕たちを見下ろしている。
卒業生たちは旗の下に設置された長机へ並び、白い登録票へ必要事項を書き込んでいた。
僕の前にあるものだけが違う。
紙の縁は赤く、左上には細い黒色の封印帯が二重に貼られている。
最上段に記されているのは、入学した時から変わらない二行だった。
――魔力量・学年下位。
――属性適性・なし。
それに続いて、卒業式でようやく加えられた記録が並ぶ。
――学院卒業・認定。
――特殊候補枠。
卒業証書を受け取った時は、本当に卒業できたのだという喜びで胸がいっぱいだった。
けれど、学院を卒業することと、王国騎士になることは同じではない。
卒業生には、七騎士団の候補者として登録する資格が与えられるだけだ。登録票と学院記録を七人の騎士団長が審査し、必要な人材を指名する。
どこからも指名されなければ、騎士にはなれない。
僕の場合は、普通の候補よりもその可能性が高い。
赤い縁取りは、それを隠さないためにある。
「特殊候補のアルトさんですね」
受付にいた成人登録官が、周囲へ聞かせるのではなく、僕にだけ届く声で確認した。
「はい」
「書面の確認と身体状態の申告があります。こちらの個別確認室へお願いします」
成人登録官は僕の登録票を伏せ、他の卒業生から内容が見えないように革製の文書板で挟んだ。
警戒されていないわけではない。
列に並ぶ卒業生の何人かが、僕の左腕と赤い登録票を見比べていた。
そこにあるのは恐れだけではなかった。好奇心もあれば、学院中央での戦いを知る者の静かな敬意もある。
三週間ほど前なら、僕自身も、この視線をどう受け止めればいいのか分からなかっただろう。
今は、見られる理由があると理解している。
僕は治療布と黒銀色の封魔具に覆われた左腕を身体の近くへ寄せ、成人登録官の後について歩いた。
長く立っていたせいか、右脚の奥には薄い痺れが戻り始めている。
個別確認室には、机と椅子、それに身体状態を確認するための寝台が一つあった。
待っていた成人治療職員が立ち上がる。
「封魔具は外しません。固定具と治療布の外側だけを確認します。痛みや熱に変化があれば、見た目に異常がなくても申告してください」
「分かりました」
僕は椅子へ座り、左腕を台の上へ置いた。
成人治療職員は二重固定の留め具を一つずつ目視し、緩みがないことを確認する。治療布へ触れる指にも、封魔具を動かそうとする力は入っていない。
「左腕の痛みは?」
「普段も残っています。昨日より強くはありません」
「熱は?」
「疲れると少し上がります。今は変わりません」
「右脚」
「長く立っていると痺れます。今も少しだけ」
僕が答えるたび、成人治療職員は記録紙へ書き込んでいく。
異変を隠さない。
それは監視条件である以前に、学院中央で僕が学んだことだった。
確認を終えた成人治療職員が、封魔具の固定位置へ小さな印を記録して離れる。
代わって成人登録官が、赤縁の登録票を僕の前へ開いた。
「監督条件を読み合わせます」
並んでいる文面は、卒業前の合同審査で説明されたものと同じだった。
黒銀色の封魔具を継続して装着すること。
二重固定を維持すること。
定期的な身体検査と魔力検査を受けること。
《暴食》の第一覚醒を無断で使用しないこと。
単独任務へ就かないこと。
任務時には成人監督者、または正式な監督騎士を付けること。
左腕、知覚、空腹、契約境界に異常を感じた場合は、即座に報告すること。
危険が認められた場合は、任務を中断して検査を受けること。
「以上の条件は、どの騎士団へ指名された場合も継続します」
「はい」
「第一覚醒は、対象を限定して数呼吸維持した記録があります。しかし、完全制御とは認定されていません。再現試験も行いません」
成人登録官の声は淡々としていた。
冷たいのではない。
必要なことを曖昧にせず伝えるための声だ。
「この登録票には、監督条件と同時に、学院侵攻中の功績記録も添付されます」
成人登録官が次の紙を開いた。
そこには、あの夜に僕が選んだことが記されていた。
災厄級の再生魔力を流し込まれた後、異変を隠さず報告した。
人間、魂、精霊、学院結界を《暴食》の対象から外した。
仲間と成人防衛隊が整えた分離、切断、印、一本道を受け入れた。
心臓遺物そのものを捕食しなかった。
第一階位魔法を必要な一点へ届かせた。
討伐を自分一人の功績として主張しなかった。
成人指揮下で役割と撤退条件を守った。
文字を追うたび、その横にいた人たちの姿が浮かんだ。
根で守る対象を分けたティアナ。
三本の誘導線と最後の循環線を断ったフィア。
本物の心臓を示したセルフィナ。
外殻を支えたレグルスとユリウス。
盾を並べ、僕を六歩手前まで送り、最後には安全帯で回収してくれた成人警備員たち。
どの一行も、僕だけでは成立していない。
「七騎士団には、こちらの功績と監督条件を一組の資料として開示します。片方だけを隠すことはありません」
「その方がいいです」
危険性を伏せて指名されたところで、任務に出た後に誰かを困らせるだけだ。
僕自身にとっても、周囲にとっても、それは騎士になる方法ではない。
成人登録官は頷いた後、最後の説明へ移った。
「特殊候補枠は、通常候補よりも配属後の負担が大きくなります。受け入れる騎士団にも、監督要員と検査体制が必要です。そのため、七騎士団全てが指名を見送る可能性があります」
予想していた言葉だった。
それでも、実際に告げられると胸の奥が重くなる。
卒業式では、大講堂にいた全員が僕の卒業を認めてくれた。
けれど、それと騎士団が僕を必要とするかは別の話だ。
「登録を辞退しても、学院卒業の資格は失われません。地方警備隊の補助職や、来期以降の再登録を選ぶこともできます」
逃げ道ではない。
正式に認められた選択肢だ。
その上で、僕は右手に筆を取った。
「指名されない可能性も含めて、登録します」
成人登録官が僕を見る。
「よろしいのですね」
「はい。選ばれるかどうかは、記録を読んだ人が決めることです。でも、候補としてここに立つかどうかは、僕が決められます」
本来の魔力量を超える力はない。
属性適性もない。
危険な《暴食》が消えたわけでもない。
それでも、登録しない理由にはならなかった。
僕は右手で署名し、筆を置いた。
成人登録官が内容を確認し、登録票の右下へ受理前確認の印を押す。
「個別確認は終了です。希望任務と過去の活動記録を記入した後、資料封印台へ提出してください」
「ありがとうございます」
立ち上がった瞬間、右脚の痺れが少し強くなった。
僕が一度だけ机へ右手をつくと、成人治療職員が見逃さずに声をかける。
「歩行は可能ですか」
「はい。急がなければ大丈夫です」
「登録会場では急ぐ必要はありません。悪化したら戻ってください」
「分かりました」
異常を隠さなかったことを功績として記録された直後に、痺れを隠して転ぶわけにはいかない。
僕は歩幅を整えて個別確認室を出た。
扉の外には、ティアナとメルトがいた。
「終わったの?」
ティアナはそう尋ねながら、真っ先に僕の顔を見た。その後で左腕と右脚へ視線を移す。
「登録はまだ。個別確認が終わったところ」
「身体は?」
「変化なし。右脚に少し痺れがあるけど、申告したよ」
「そう」
短い返事と一緒に、ティアナの肩から僅かに力が抜ける。
その手には白い登録票があった。
第一希望の欄へ書かれているのは、土亀騎士団。
「やっぱり土亀なんだ」
「ええ。学院で守れたものもあったけれど、壊された壁もあった。もっと広い場所で、もっと多くの避難路を繋げる方法を学びたいの」
ティアナらしい希望だった。
一つの強い壁だけではなく、崩れた後にも命が逃げられる道を残す。
学院中央で彼女が選び続けた役割だ。
「私も土亀」
メルトが自分の登録票を軽く掲げた。
「先に言っておくけど、ティアナについていくだけじゃないからね。防衛拠点って、戦う人だけじゃ維持できないでしょ。補給も倉庫も避難者の寝床も要る。私はそっちを覚えたいの」
「分かってるわ」
ティアナが答えると、メルトは少し得意そうに笑った。
僕が赤縁の登録票を持ち直すと、ティアナの視線がそこへ落ちる。
「条件、増えた?」
「卒業前に聞いたものと同じだったよ。どこからも指名されない可能性があるって、改めて説明された」
口にした瞬間、ティアナの表情が僅かに揺れた。
「だから、もし――」
「まだ結果は出ていないでしょう」
僕の言葉を、ティアナが静かに止めた。
怒鳴ったわけではない。
けれど、続きを許さない強さがあった。
「監督条件も功績も、全部を見て決めるためのドラフトよ。登録する前から、自分で先に諦めないで」
「……うん」
ティアナは何かを続けようとして、ふと僕から目を逸らした。
卒業祝いの日にも、彼女はこんな顔をしていた気がする。
あの時は歓声に遮られて、何を言おうとしたのか聞き取れなかった。
「ティアナ?」
「な、何でもないわ」
普段より僅かに速い返事だった。
隣でメルトが何か言いたそうに口を開き、すぐに閉じる。そして僕に見えない角度で、ティアナへ小さく肩をすくめた。
「アルト」
今度は、背後から迷いのない声が届いた。
振り返ると、フィアが白い登録票を片手に立っていた。
以前なら、僕を呼ぶ前にほんの僅かな間があった。
今はもうない。
「フィア。登録は?」
「基本項目は終わったわ。あなたの個別確認が長かったから、待っていたの」
「僕を?」
「他に赤い登録票を持って個別室へ入った人はいないでしょう」
フィアはそれだけ言うと、僕の左腕へ目を向けた。
「腕は」
「変化なし。痛みも熱も、昨日と同じだよ」
「右脚」
「少し痺れてる。でも申告した」
「なら、歩幅を狭くして」
命令というより、観察した結果をそのまま告げる声だった。
フィアは僕の特殊候補票へ視線を移す。
「指名されないかもしれないって説明された」
「そう」
「条件を考えれば、仕方がないと思う」
「アルト」
名前を呼ばれ、僕は口を閉じた。
フィアの目が真っ直ぐに僕を捉える。
「選ぶ前から、選ぶ側の答えまであなたが決めないで」
ティアナと似ていて、少し違う言葉だった。
「七人が何を考えるかまで、あなたに分かるの?」
「分からない」
「なら、記録を読ませればいいわ。判断はその後よ」
フィアは言い切り、自分の登録票を裏返した。
第一希望の欄は空白だった。
「フィアは希望なし?」
「騎士団の名前では選ばない。魔法剣士として必要とされる場所へ行くわ。任務内容は書いた」
僕と同じ騎士団へ行くとも、別の騎士団へ行くとも言わない。
それでもフィアは、僕が記入を終えるまで離れるつもりがないらしい。
「通路を塞いでいるぞ」
聞き慣れた声と共に、銀槍を持たないレグルスが歩いてきた。
今日は候補者登録の日なので、武器は入口の成人警備員へ預けている。
それでも背筋の伸びた歩き方は、銀槍を持っている時と変わらない。
「レグルスはもう書いたの?」
僕が尋ねると、彼は白い登録票を見せた。
第一希望の欄には、迷いのない筆跡で炎獅子騎士団とある。
「正面から敵陣を破り、前線を動かす。僕が求めるものに最も近い」
「イグナシオ団長のところか」
七旗の間の壁には、各騎士団と団長の名前だけを記した公式掲示がある。
イグナシオ・ボルケーノ団長。
ゴウセル・テラフォード団長。
レイシア・ロウェル団長。
アーサー・ペンドラゴン団長。
シルフィ・レイカード団長。
ギルバート・レイツェル団長。
ガイ・ゴルテイト団長。
名前は並んでいるが、七人の姿はまだ見えない。
レグルスは僕の赤縁の登録票を一瞥した。
「随分と目立つ紙を渡されたな」
「特殊候補だからね。どこからも指名されない可能性がある」
「勝手に選外になる前提で話すな」
レグルスは眉を寄せた。
「競争相手が減れば、こちらが困る」
「炎獅子へ行くなら、僕とは別になるかもしれないよ」
「所属が違えば競争できないと、誰が決めた」
即答だった。
慰めではない。
学院を離れても、僕を競争相手の一人として数える。その事実を告げただけだ。
「まず登録しろ。話は指名結果が出てからだ」
「そうする」
僕たちは記入台へ移動した。
周囲では、他の同期たちもそれぞれの希望を書いている。
ユリウスは王都防衛に関わる任務を希望していた。正門防衛や認証確認の経験を、今度は正式な任務として学びたいらしい。
メルナは避難誘導と防災案内。
双子は隣り合って座りながらも、それぞれ別の用紙へ故郷に近い地方任務の希望を書き込んでいた。
ミナの用紙には、救護、負傷者搬送、物資管理と並んでいる。
剣を振るう者だけが、騎士団を動かすわけではない。
学院中央で、それを誰もが知った。
僕は第一希望を空白にした。
監督条件を受け入れられる騎士団でなければ、希望を書いても意味がない。
希望任務には、成人監督下での魔物対応、救助、物理支援と記入する。
その下に、過去の活動戦団名を書く欄があった。
空白。
卒業記録から転記された欄にも、何も書かれていない。
「最終確認です」
成人事務職員が僕たち四人の登録票を並べた。
「アルトさん、ティアナさん、フィアさん、レグルスさん。卒業実地試験時の共同活動記録がありますが、戦団名は未登録となっています。このまま空白で提出しますか?」
僕たちは互いの顔を見る。
「今から決める?」
ティアナが尋ねた。
レグルスは腕を組んだ。
「登録会場で慌てて付けるものでもないだろう」
「空白で支障はあるの?」
フィアが成人事務職員へ確認する。
「ありません。個人記録と共同戦闘記録は、戦団名の有無にかかわらず保存されています」
「なら、空白でいいわ」
フィアが答えた。
僕も頷く。
名前がなくても、一緒に戦った事実は消えない。
これから別々の騎士団を希望したとしても、あの四人で立った場所までなくなるわけではない。
「空白のままでお願いします」
成人事務職員は余計な意見を挟まず、四枚の該当欄へ確認済みの印を付けた。
その時、受付の方で僅かなざわめきが起きた。
淡い銀緑色の髪。
毛先だけに薄い水色を宿した少女が、二種類の封書を持って入ってくる。
「セルフィナ?」
彼女は僕たちを見つけると、翡翠色の瞳をこちらへ向けた。
「登録手続きが長引きました。エルフ側と王国側、双方の承認が必要でしたので」
セルフィナが差し出したのは、通常の白い登録票ではなかった。
赤縁でもない。
外部協力候補と記された、薄緑色の書類だった。
卒業試験中の第三者監視任務は、卒業式をもって終了している。
通常の卒業生と同じ資格ではない彼女が、合同ドラフトへ立つための特別な登録票だ。
「セルフィナも登録するの?」
「はい」
「監視任務は終わったんだよね」
「終わりました。ですから、これは任務ではありません」
セルフィナは静かに答えた。
希望騎士団の欄は空白だった。
「私は、まだあなたを理解していません。見届けると決めました。そのためには、同じ選抜の場に立つ必要があります」
卒業式の日に聞いた言葉が、今度は書類という形になっていた。
「でも、僕たちの戦団名には――」
「加わりません」
セルフィナは迷わず言う。
「私は固定四人の五人目ではありません。外部協力候補として、自分の立場で審査を受けます」
「そっか」
「不満ですか?」
「ううん。セルフィナが自分で決めたなら、それでいいと思う」
セルフィナは僅かに目を細めた。
笑ったのかどうか、はっきりとは分からない。
けれど、卒業試験中に監視役として立っていた時よりも、その表情は少しだけ柔らかく見えた。
やがて、僕たちの登録票が一枚ずつ受理されていく。
白い登録票。
外部協力候補の薄緑色の登録票。
そして、僕の赤縁の登録票。
成人事務職員は全ての添付書類を確認した後、僕の資料だけを赤い封筒へ収めた。
封筒の表には、黒い文字で記されている。
――特殊候補・功績記録および監督条件同時開示。
封筒が閉じられ、物理封印が押される。
「特殊候補一名、正式に登録を受理します」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に張りついていたものが少しだけ軽くなった。
指名されたわけではない。
騎士になれたわけでもない。
けれど僕は、七人から選ばれるかもしれない場所へ立った。
成人事務職員が、僕の赤い封筒を団長審査室へ運んでいく。
閉じた扉の向こうには、七騎士団の審査席があるらしい。
僕たちはまだ入れない。
僕だけは特殊候補用の受領証を受け取る必要があり、扉近くの待機線で少し待つことになった。
やがて、分厚い扉の向こうから低い男の笑い声が聞こえた。
続いて、静かな女性の声。
言葉までは聞き取れない。
ただ、一つの資料を挟んで譲らずにいることだけは、扉越しにも伝わってきた。
閉じた審査室の向こうで、僕の赤い候補票を巡る二つの声が、早くもぶつかった。
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