第100話 卒業の日
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
アークデーモンを討伐してから三週間後、修復用の槌音が響く学院で、僕たちは卒業の日を迎えた。
学院中央南側は、今も立入禁止になっている。
破壊された第一結界面の代わりに仮設板が立ち、移設された結界支柱の周囲では、成人保守職員たちが砕けた床を一枚ずつ剥がしていた。
第一土壁と第二土壁があった場所には、新しい石材と土嚢が積まれている。第三土壁の残骸と連結根も、損傷記録を取った上で少しずつ撤去されていた。
学院は守られた。
けれど、元通りになったわけではない。
卒業式が行われる大講堂も同じだった。
安全確認は終えているが、南壁の半分は仮設板だ。高窓の外には修復用の足場が伸び、槌を振るう乾いた音が、時折床まで伝わってくる。
僕は式典用の上着の下で、左腕を確かめた。
治療布の奥には、肩の手前まで広がった黒い紋章が残っている。黒銀色の封魔具も、二重固定されたままだ。
右脚の痺れも消えてはいない。
三週間で歩けるようにはなった。
それでも、戦いの前と同じ身体ではなかった。
「アルト。最終単位表よ」
控室へ入ってきたティアナが、一枚の紙を差し出した。
成人事務職員の正規印が押された、卒業判定用の単位表だ。
僕は右手で受け取り、上から順に確かめた。
筆記。
基礎魔法理論。
戦術判断。
救護補助。
通常実技。
どの欄にも必要な単位が記されている。
最後の一行を除いて。
「卒業実地試験……未修得」
合計値は、卒業に必要な数へ一単位届いていなかった。
判定欄に書かれているのは、合格でも不合格でもない。
審議中。
「一単位、足りないんだ」
学院侵攻によって、卒業実地試験は途中で中断された。
その後に行った避難誘導も、結界防衛も、アークデーモンとの戦闘も、本来予定されていた試験ではない。
災厄を倒したからといって、自動的に授業単位へ置き換わるわけでもなかった。
計算間違いではない。
星冠教団の工作でもない。
規則上、本当に一単位足りていなかった。
「判定は審議中よ」
ティアナは落ち着いた声で言った。
「まだ結果は出ていないわ」
「でも、必要数には届いていない」
「事実はそうね。だからこそ、学院は審議するのでしょう。結果が出る前に、あなたが諦める理由にはならないわ」
言葉は静かだった。
けれど、単位表の端に添えた指先には僅かな震えがある。
「アルト」
フィアが僕の前へ立った。
呼び方に迷う間はなかった。
「顔を上げて。正式な結論は、まだ出ていないわ」
「もし、その結論が不合格だったら?」
「その時に受け止めればいい。今ではない」
短い言葉だった。
フィアは先生へ詰め寄ることも、規則を曲げろと言うこともない。
ただ僕が、自分で先に可能性を閉ざすことだけを許さなかった。
「規則上、一単位足りない。それは事実だ」
レグルスが単位表を確認して言った。
「だが、実地記録の審査も同じ規則の中にある。審議中である以上、君が先に敗北を宣言するのは早い」
「敗北って、卒業は勝負じゃないよ」
「僕にとっては勝負だ。君にとって違うとしても、最後まで結果を見るべきなのは変わらない」
僕を励ますために軽口を言ったわけではないらしい。
本気でそう考えている顔だった。
「学院長の机には、封をされた書類が一つ残されています」
セルフィナが大講堂の方へ目を向けた。
淡い銀緑色の髪の先が、控室へ流れ込む風に揺れる。
「卒業証書と同じ大きさです。ただし、誰のものかは確認できません」
未来を見たわけではない。
扉が開いた時、壇上を目視しただけだ。
「希望を持ってもいい、という意味?」
「確認できるのは、書類が残っているという事実だけです。ただ――」
セルフィナは一度言葉を切った。
「審議が終わっていないことも事実です」
僕は単位表へ視線を落とした。
そこには、入学した時から変わらない二つの記録もある。
魔力量・学年下位。
属性適性・なし。
この二行だけで、先を疑われることが多かった。
属性魔法を使えない。
保有魔力も少ない。
騎士を目指すには、明らかに足りない。
誰かに追い出されたわけではない。
それでも実技の列へ並ぶたび、期待されていないことは分かった。
学院侵攻の後には、別の意味で距離を取る者もいた。
肩近くまで広がった紋章。
周囲の人間も精霊も、学院結界さえ食べ物に見えた《暴食》。
僕が実際には喰わなかったことと、次も絶対に喰わないことは、同じではない。
恐れるのは当然だ。
だから、一単位足りないという規則も受け入れるつもりだった。
けれど、入学した頃と違うものもある。
先に諦めようとした僕を止める声が、今は四方から届いていた。
卒業式の開始を告げる物理鐘が鳴った。
「卒業生は大講堂へ入場してください」
成人事務職員の案内に従い、僕たちは控室を出た。
大講堂の左右には、十回生の家族と下級生たちが座っている。
前列には、セレネ先生とバルト先生、結界担当の先生、戦闘担当の先生たち。
その後ろには成人警備員、王都残留警備隊、成人保守職員、成人治療職員の代表が並んでいた。
来賓席には、七大魔法騎士全員と主要騎士団の代表がいる。
学院が襲われた夜、彼らは帰還できなかった。
今日は、各地の危機を鎮圧し、地方防衛隊へ引き継いだ上で、数週間をかけて王都へ戻ってきている。
王国連絡官が壇上へ上がった。
「卒業式に先立ち、王国四地域で発生した一連の危機について、正式な調査結果を報告します」
大講堂が静まる。
「北部、西部、南部、東部で発生した脅威は、いずれも実在するものでした。七大魔法騎士及び主要騎士団が現地を離れていれば、住民、領地、防衛拠点へ甚大な被害が生じていたと確認されています」
各地の危機は幻でも、誤報でもなかった。
七大魔法騎士たちは、学院を見捨てたのではない。
別の場所で、守らなければ失われる命を守っていた。
「同時に、各地で押収された物理指令票、術式部材、発生時刻表から、星冠教団が複数の脅威を意図的に同時発生させたことも判明しました。王国主力を分散させ、学院地下に保管された心臓遺物を奪う時間を作るための陽動だったと判断されます」
偽の危機で騎士を騙したのではない。
本物の危機を幾つも起こすことで、王国に選択を強いたのだ。
学院侵攻部隊は壊滅した。
ローデン評議官は生存したまま王国管理の拘束施設へ移送され、正式な尋問と裁判を待っている。
封印簿原本も二重封印管理下に置かれていた。
だが、星冠教団の指導者も本拠地も、組織の全体像も分かっていない。
終わった戦いと、残った脅威。
王国連絡官の報告には、その両方が記されていた。
報告が終わると、学院長が壇上へ立った。
「我々は、王国各地を守り抜いた騎士たちへ敬意を表する。同時に、この学院で役割を果たした全ての者へ敬意を表する」
学院長の視線が、卒業生だけでなく大講堂全体を巡る。
「学院を守ったのは、一人の英雄ではない。結界を維持した者、盾を並べた者、負傷者を運んだ者、退路を補強した者、記録を届けた者、術式を断った者、心臓を示した者、外殻を開いた者――その全員が役割を途切れさせなかった結果だ」
僕は左腕の封魔具へ目を落とした。
最後に心臓遺物へ剣を届かせたのは僕だ。
けれど、その六歩へ至る道は、僕一人では一歩も作れなかった。
それが学院と王国の正式な記録にも残された。
続いて、セレネ先生が審査書を開いた。
「王国及び学院による合同審査結果を報告します。アルトは《暴食》の第一覚醒と、左腕の紋章拡大により、卒業後も継続監視の対象となります」
大講堂の空気が僅かに強張る。
「黒銀色の封魔具及び二重固定は維持。定期的な身体検査、魔力検査、行動報告を義務とします。第一覚醒の無断使用は禁止。当面、単独任務への従事も認めません」
卒業したからといって、危険が消えるわけではない。
「第一覚醒は、仲間による分離、切断、印、攻撃路の維持があって成立したものです。完全制御とは認定しません。ベルゼバスを安全な存在とも判断しません」
セレネ先生は、危険を小さく見せなかった。
その上で、書面から顔を上げた。
「一方、災厄級の再生魔力を流し込まれた状況で、アルトは異変を隠さず報告しました。人間、魂、精霊、学院結界を対象から外し、心臓遺物より外へ放出された再生魔力だけを、自らの意思で選択しています」
大講堂から向けられる視線には、まだ恐れも混じっている。
それでいい。
恐れるべき力を、恐れなくなる必要はない。
「以上により、処刑、廃棄、永久拘束の対象とはせず、監督下で騎士を目指す資格を持つ候補生として認めます」
息を吐く音が、あちこちで重なった。
僕も、止めていた呼吸を静かに吐いた。
ただし、これで騎士になったわけではない。
卒業後には王国騎士団合同ドラフトがある。
誰がどの騎士団へ指名されるのか。
僕が指名を受けられるのか。
まだ何も決まっていない。
今は、卒業できるかどうかさえ審議中だった。
卒業証書の授与が始まる。
ティアナが呼ばれた。
彼女は壇上へ進み、学院長から卒業証書を受け取る。
次にフィア。
レグルス。
ユリウス。
メルナ。
双子。
ミナ。
卒業生の名前が、一人ずつ呼ばれていく。
一人ずつ、証書を手に席へ戻る。
僕の名は呼ばれなかった。
最後の卒業候補生が壇上から下りた。
成人事務職員が名簿を閉じる。
大講堂に、不自然な空白が生まれた。
ティアナが席から腰を浮かせる。
フィアの指が、卒業証書の端へ強く食い込んだ。
レグルスは微動だにせず、壇上の学院長を見据えている。
僕は膝の上に右手を置いた。
仕方がない。
一単位足りなかった。
みんなの卒業を、同じ場所で見届けられただけでも――。
「まだ、授与は終わっていない」
学院長の声が、その考えを断ち切った。
机の上には、封をされた書類が一つ残っている。
セルフィナが見つけていたものだ。
学院長は封を解き、最後の卒業証書を取り出した。
「卒業候補生、アルト」
心臓が強く鳴った。
「アルトの取得単位は、卒業必要数へ一単位届いていない。不足しているのは、学院侵攻によって中断された卒業実地試験の単位である」
学院長は、事実を隠さなかった。
「アークデーモンへ最後の一撃を与えた。それだけで学業の単位を与えることはできない。戦功と修学は同じものではない」
大講堂の全員が、学院長の言葉を待っている。
「だが、学院には非常時における実地行動を、先生たち及び成人記録官の検証によって評価する規定がある」
セレネ先生の前には、学院侵攻中の物理記録が積まれていた。
打音具を鳴らした時刻。
受け渡された伝令札。
結界導線の変更記録。
成人警備隊長の命令。
《暴食》の対象を限定した測定結果。
あの夜に重ねた一歩が、全て紙の上へ残されている。
「アルトは自らの異変を隠さず報告した。七大魔法騎士や英雄の代わりになろうとせず、成人指揮下で自分にできる役割を選んだ」
学院長の声が大講堂へ広がる。
「仲間の判断と支援を受け入れ、人間、魂、精霊、学院結界を《暴食》の対象から外した。心臓遺物そのものを喰わず、第一階位魔法を必要な一点へ届かせた。そして、アークデーモン討伐を自分一人の功績とはしなかった」
僕の喉が熱くなった。
評価されたのは、災厄を超える力ではない。
足りないものを認め、みんなが作った道を進んだことだった。
「学院長として、以上の行動を卒業実地試験一単位に相当すると判断する」
学院長は証書を机へ置き、大講堂を見渡した。
「この一単位の授与に、異を唱える者はいるか?」
音が消えた。
遠くから響いていた修復用の槌音さえ、止まったように感じた。
入学した頃なら。
魔力量が少ないというだけで、首を傾げる者がいたかもしれない。
属性適性がないというだけで、騎士を目指せるのかと疑う者がいたかもしれない。
学院侵攻の直後なら。
僕の左腕を見て、卒業させてよいのかと恐れる者がいてもおかしくなかった。
僕自身でさえ、その恐れを間違いだとは言えない。
それでも。
誰の手も挙がらなかった。
学院長は静かに続けた。
「では、アルトの卒業を認める者は起立せよ」
椅子が床を擦る音がした。
最初に立ったのは、レグルスだった。
迷いはなかった。
僕を励ますような笑顔もない。
ただ、認めるという意思を姿勢で示していた。
次にティアナが立つ。
フィアが立つ。
ユリウス、メルナ、双子、ミナが続く。
十回生が立った。
下級生たちが立った。
セレネ先生とバルト先生、結界担当の先生、戦闘担当の先生たちが立った。
成人警備員。
王都残留警備隊。
成人保守職員。
成人治療職員。
学院を守るため、それぞれの場所で役割を果たした大人たちも立ち上がる。
セルフィナも立った。
第三者監視役として命じられたからではない。
翡翠色の瞳で僕を見て、自分の意思で立った。
来賓席では、七大魔法騎士と主要騎士団の代表が立ち上がる。
座ったままの者は、一人もいなかった。
恐れが消えたわけではない。
危険がなくなったわけでもない。
それでも、僕が危険を誰へ向けなかったのかを、みんなは見ていてくれた。
入学した日に並んだ二つの記録は、今も変わらない。
魔力量・学年下位。
属性適性・なし。
変わったのは、その二行の先まで見てくれる人の数だった。
視界が滲む。
泣くつもりなんてなかった。
けれど、右手で目元を拭うより先に、涙が一筋落ちた。
「満場一致と認める」
学院長が告げた。
「卒業実地試験一単位を加算。卒業判定を認定へ変更する。アルト、前へ」
右脚へ力を入れる。
痺れは残っていた。
最初の一歩が僅かに遅れる。
それでも僕は、大講堂の中央を歩いた。
左右から拍手が響く。
同情ではない。
災厄を倒した英雄へ向けたものでもない。
僕が選んだことへ送られる拍手だった。
壇上へ上がると、学院長が卒業証書を差し出した。
「力が足りたから卒業するのではない」
学院長は、僕にだけ聞こえる声で言った。
「足りない自分を知り、それでも果たせる役割を選び続けた。ゆえに、お前は卒業する」
僕は右手で卒業証書を受け取った。
左腕では支えられない。
それでも、紙一枚とは思えないほど重かった。
「ありがとうございます」
声が震えた。
「でも、この一単位は、僕一人のものではありません」
「分かっている。だからこそ、学院は認めた」
壇上から振り返る。
全員が、まだ立っていた。
僕は深く頭を下げた。
式が終わると、卒業事務の最終確認が行われた。
「四名の戦団名ですが、空欄のまま提出しますか?」
成人事務職員が、僕、ティアナ、フィア、レグルスを順に見た。
提出用紙の戦団名欄は、最初から最後まで白い。
「誰か一人の名を付けるものではないと思うわ」
ティアナが言った。
「アークデーモン討伐を名乗るのも違う」
フィアも用紙を見ながら続ける。
「僕たちだけで成し遂げたことではないもの」
レグルスは暫く空欄を見つめていた。
「今、無理に決める必要はない。名がなくとも、何をしたかは記録に残る」
「僕も、それでいいと思う」
四人の意見が一致し、成人事務職員は空白のまま用紙を受け取った。
名前がないから、関係が終わるわけではない。
まだ何者になるのか、決まっていないだけだ。
合同ドラフトも、これから先のこと。
ユリウスは王都防衛部門。
メルナは避難誘導と防災案内部門。
双子はそれぞれの希望用紙へ、故郷を守れる地方防衛隊と書いている。
ミナは救護部門を希望していた。
それは配属決定ではない。
誰もまだ、どの騎士団へ進むのか決まっていなかった。
「卒業しても競争は終わらない」
レグルスが僕へ向き直った。
「どちらが先に正式な騎士になるか。次はそこで決めよう」
「僕は監視条件もあるよ」
「条件を除いて競うつもりはない」
レグルスは少しも揺らがなかった。
「今の君と競う。それだけだ」
言うべきことを言い終えると、レグルスは希望用紙を成人事務職員へ提出しに向かった。
その背中を見送っていると、すぐ近くから声が届く。
「アルト」
フィアだった。
「何?」
「……アルト」
同じ名を、もう一度呼ばれる。
「何か確認することがある?」
フィアは僕を見たまま、ほんの少しだけ間を置いた。
「呼んでおきたかっただけ」
「今までにも呼んでいたよね」
「今は、迷わず呼べるから」
声は小さかった。
それでも、周囲の音に消えない強さがあった。
「ドラフトで配属が分かれても、無事は知らせて」
フィアは続けた。
「私も知らせる。だから、あなたも戻ったことを報告して」
一方的に待つのではなく、自分も帰還を伝える。
その言葉が、不思議なくらい胸へ残った。
「分かった。約束する」
フィアは僅かに頷いた。
それ以上は言わず、卒業証書を持って離れていく。
入れ替わるように、セルフィナが僕の前へ立った。
「卒業試験における第三者監視役としての任務は、これで終了します」
「じゃあ、もう僕を見届ける義務もないんだ」
「はい。命令上の義務はありません」
セルフィナはそこで黙った。
仮設板の隙間から入る風が、淡い銀緑色の髪を揺らす。
「ですが、まだあなたを理解できません。だから、卒業後も見届けます」
「それも監視?」
セルフィナはゆっくり首を横へ振った。
「いいえ。これは命令ではなく、私の意思です」
任務だからでも、固定四人へ加わるからでもない。
セルフィナ自身が選んだ言葉だった。
「全面的に信用されたわけではないんだよね」
「もちろんです」
返事は早かった。
けれど、その声は以前より少し柔らかい。
「信用していない相手を、自分の意思で見届けるの?」
「だからこそ、理解したいのかもしれません」
セルフィナは自分の言葉を確かめるように答えた。
「まだ、断定はできませんが」
「じゃあ、僕も急いで答えを求めないことにする」
「それが適切です」
僅かな微笑みを残し、セルフィナも卒業祝いの準備へ向かった。
僕が卒業証書へ目を落とすと、少し離れた場所から話し声が聞こえた。
ティアナとメルトだ。
「行かないの?」
「どこへ?」
「アルトのところ」
ティアナの肩が僅かに跳ねた。
「卒業証書なら、もう見せてもらったわ」
「そういう話じゃないよ。卒業して、ドラフトで離れて、それから後悔しても遅いでしょう」
「後悔なんて――」
「土壁を三列作る指示は出せたのに、一言は言えないの?」
ティアナが言葉を失う。
学院中央で、恐怖を抱えたまま全員の退路を作ったティアナでも、今伝えようとしている言葉は別らしい。
メルトはティアナの感情を代わりに話そうとはしなかった。
ただ、背中へ軽く手を添える。
「今日ぐらい、自分で言いなよ」
押されたティアナが二歩進み、僕と目が合った。
逃げるかと思った。
けれど、ティアナは卒業証書を抱え直し、僕の前まで歩いてきた。
「アルト。少し、時間をもらえる?」
「もちろん」
大講堂の端、仮設板に近い柱際まで移動する。
卒業祝いの準備をする音が、少しだけ遠くなった。
ティアナは卒業証書の端を指でなぞっている。
「希望部門のこと?」
「違うわ」
「戦団名?」
「それも違う」
ティアナが息を吸った。
学院中央で指示を出していた時より、呼吸が乱れている。
それでも、翡翠とは異なる彼女自身の瞳で、真っ直ぐ僕を見た。
「今言わなければ、きっと後悔するから」
「うん」
「アルト、私、あなたのこと――」
どん、と大講堂中央で大きな音が鳴った。
双子が左右から綱を引き、卒業祝いの大布を一気に広げた音だった。
続いて、木製鳴子と手持ち鐘が一斉に響く。
「卒業おめでとう!」
紙飾りが宙を舞い、ミナと下級生たちが飲み物と料理を運び込んでくる。
メルナが物理飾りの固定具を調整し、ユリウスが料理台の間隔を確認している。
「通路を塞がないでください。仮設壁側へ寄りすぎないように」
騒ぎの中でも、ユリウスの指示は的確だった。
成人警備員が危険区域へ続く扉を閉め、成人保守職員が大布の支柱を支える。
「アルト、祝いの席が始まる」
レグルスが中央から呼んだ。
直後、双子と下級生たちが僕の周囲へ押し寄せる。
「待って。ティアナがまだ――」
声は鐘と拍手に飲み込まれた。
「負傷が残っている者を走らせるな!」
バルト先生の声が響く。
成人治療職員が僕の右脚を気にしながら人の流れを緩めたが、祝いの輪そのものは止まらない。
僕とティアナの間に、大布と卒業生たちが入った。
フィアとセルフィナも音に驚いて振り返っている。
二人とも、ティアナの言葉までは聞こえていないようだった。
少し離れた場所で、メルトが額へ手を当てている。
ティアナは卒業証書で口元を隠した。
「……どうして、この瞬間なのよ」
僕には、その呟きも届かなかった。
人の隙間から振り返る。
「ティアナ、さっき何て言ったの?」
けれど、再び鐘が鳴った。
ティアナは一度目を閉じ、深く呼吸する。
今度は僕ではなく、自分自身へ言い聞かせるように、小さく告げた。
「次は、絶対に最後まで言うから」
その声も、卒業を祝う歓声の中へ溶けていった。
僕は何を言われかけたのか分からないまま、祝いの輪の中央へ迎えられた。
左腕には封魔具がある。
監視も続く。
正式な騎士でもなければ、合同ドラフトで指名される保証もない。
フィアがどこへ進むのか。
セルフィナがどんな立場で見届けるのか。
ティアナが何を言いかけたのか。
まだ分からないことばかりだ。
それでも、右手には卒業証書があった。
一単位足りなかった僕へ、学院のみんなが認めてくれた一枚。
修復用の槌音と、卒業祝いの鐘が重なって響く。
傷の残る大講堂で、僕はその音を聞きながら、卒業証書を強く握った。
魔力量は学年下位、属性適性はなし、戦団名も空白――それでも僕は、満場一致でこの学院を卒業した。
「面白かった!」
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面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
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