第10話 迷宮の視線
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
《閃駆》を使った翌朝、僕の右脚は自分のものではないみたいに重かった。
「ゆっくりでいいからね」
「うん。ごめん、ティアナ」
「こういう時は、ごめんじゃなくてありがとうって言うの」
ティアナに肩を借りながら、学院の正門をくぐる。
少し歩くたび、右脚の奥に鈍い痛みが走った。
ただの筋肉痛とは違う。
魔力を一瞬に集中させたせいか、足先にはまだかすかな痺れも残っている。
「ありがとう、ティアナ」
「どういたしまして」
僕の腕を肩へ回したティアナが、満足そうに笑った。
身体が触れ合うほど近い距離に緊張してしまうけれど、今は一人で歩けそうにない。
登校してきた生徒たちが、僕たちを横目で見ていく。
「なあ、あいつだろ。昨日、F級魔獣と戦ったの」
「学院最下位が一太刀当てたって?」
「でも、結局はバルト先生に助けられたらしいぞ」
「少し速くなっただけだろ」
声を潜めているつもりなのだろうけれど、僕の耳にはしっかり届いていた。
一太刀当てた。
その事実だけが広まるなら、少しは嬉しかったかもしれない。
でも、僕の頭に浮かぶのは、その直後に動けなくなった自分の姿だった。
「気にしちゃ駄目だよ」
ティアナが僕の腕を引き寄せる。
「事実だから」
「一太刀当てたのも事実でしょ?」
「それは……そうだけど」
「なら、そこはちゃんと喜んでいいと思う」
ティアナと話しながら廊下へ入った時だった。
「おはよう、噂の剣士君」
横から明るい声をかけられた。
振り向くと、同じ十回生の女子生徒が笑っている。
ミナ・ベルク。
戦闘順位は中位より少し下だったと思う。特定の集団に所属している印象はないのに、いつも誰かと話している、不思議なくらい人懐っこい少女だ。
「噂の剣士って……僕?」
「ほかに誰がいるの?」
ミナは僕の右脚を見て、少しだけ眉を下げる。
「ずいぶん無茶したみたいだけど」
「魔獣は倒せなかったよ」
「知ってる。一太刀当てた直後に動けなくなったんでしょ?」
「うん」
「なら、一太刀でも、一太刀は一太刀でしょ」
ミナはあっさりと言った。
「昨日まで届かなかったなら、ちゃんと前進じゃん」
僕は返事に迷った。
大げさに褒められたわけじゃない。
慰めようとしているようにも見えなかった。
ただ、起きたことをそのまま認めてくれた。
「……ありがとう」
「どういたしまして。次は倒せるといいね」
「簡単に言うね、ミナ」
ティアナが笑う。
「簡単に言ったほうが、次も挑戦しやすいでしょ?」
ミナは僕の背中を軽く叩こうとして、ティアナに止められた。
「今は駄目。立ってるだけでも痛いんだから」
「ごめんごめん。じゃあ、回復したら改めて」
「改めて叩く必要はないよ」
僕が言うと、二人は顔を見合わせて笑った。
その声を聞いていると、廊下の噂が少しだけ遠くなる。
「ほら。ちゃんと見てる人もいるんだよ」
ティアナが小さな声で言った。
学院全体から認められたわけじゃない。
僕は今も戦闘順位最下位だ。
それでも、昨日までとは少しだけ何かが違っていた。
「アルト!」
廊下の向こうから、バルト先生の太い声が響いた。
反射的に背筋を伸ばそうとして、右脚に痛みが走る。
「いっ……」
「無理に立つな!」
先生は僕の前まで来ると、右脚を上から下まで確認した。
「まだ痺れているな?」
「少しだけです」
「少しだけで、まともに歩けないのか」
「今日は軽い素振りくらいなら――」
「駄目だ」
言い終わる前に却下された。
「今日は剣を振るな。医務室で魔力経路と右脚を診てもらえ」
「でも、《閃駆》を忘れないうちに――」
「技を覚えた翌日に脚を壊したら意味がない」
先生の声は厳しかった。
「一度できたことを、焦って二度目に繋げようとするな。身体へ覚えさせる前に、まず身体を守れ」
「……はい」
「検査結果を俺――」
先生は一度言葉を切った。
「私のところへ持ってこい。異常がなくても、今日は休め」
バルト先生はそれだけ言い残し、訓練場のほうへ歩いていった。
ティアナが僕の顔を覗き込む。
「今、こっそり訓練しようと思ったでしょ?」
「少しだけ」
「駄目だよ」
「はい……」
ティアナは医務室の前まで一緒に来てくれた。
「中にも入ろうか?」
「検査だけだから、一人で大丈夫だよ」
「本当に?」
「終わったらすぐ出てくる」
ティアナは少し迷ってから、僕の制服の袖を掴んだ。
「ここで待ってるからね」
「うん」
医務室の奥にある検査室には、円形の台座と一枚の金属盤が置かれていた。
魔力測定盤。
身体を流れる魔力の量や経路を調べるための魔導具で、学院生なら年に一度は検査を受ける。
「こちらへ手を置いてください」
医務係の指示に従い、手袋を外す。
左腕の紋章は、制服の袖に隠れている。
見えていない。
そう自分へ言い聞かせながら、両手を測定盤へ置いた。
「力を抜いてください。魔力を使おうとしなくて結構です」
「はい」
測定盤から青白い光が伸びた。
指先から手首へ。
腕を通り、肩、胸、脚へと、僕の魔力経路をなぞっていく。
右脚へ光が集まると、測定盤の上に注意を示す黄色い文字が浮かんだ。
「やはり、右脚の経路を酷使していますね」
「治りますか?」
「数日休めば問題ありません。ただし、同じ使い方を繰り返せば経路そのものを傷つけます」
その時だった。
左手から伸びていた青白い光が、突然消えた。
「え……?」
光は途切れたのではない。
制服に隠れた左腕の一部へ、吸い込まれていた。
台座にはめ込まれた小さな測定用魔石が、一瞬だけ黒く染まる。
心臓が跳ねた。
気づかれた。
頭の中に、その言葉だけが浮かぶ。
「今のは……」
医務係が測定盤へ顔を近づける。
僕は左手を引きそうになるのを、必死にこらえた。
ここで不自然に動けば、余計に怪しまれる。
白い衝立の向こうから、微かな金属音が聞こえた。
「失礼。古い測定器の不調です」
医務係は測定盤の側面を軽く叩いた。
「魔力切れと右脚の酷使以外、異常はありません」
「本当に……何もないんですか?」
「はい。三日ほど激しい運動を控えてください」
検査は、それで終わった。
手袋をはめ直しても、指先の震えが止まらなかった。
検査室を出ると、ティアナが椅子から立ち上がった。
「アルト?」
「待たせてごめん」
「それはいいけど……顔、真っ青だよ」
「少し疲れただけだよ」
横を通り過ぎようとした僕の左手首を、ティアナが掴んだ。
黒い紋章の近く。
思わず腕を引きそうになる。
ティアナは、その反応を見逃さなかった。
「何かあった?」
「……何もないよ」
また、嘘をついた。
ティアナを利用しない。
置いていかない。
そう約束したのに、僕は一番大事なことを話せないままでいる。
ティアナはしばらく僕を見つめていた。
けれど、手を離そうとはしなかった。
「話せる時に聞くって約束したから、今日は聞かない」
「ティアナ……」
「でも、一人で怖がるのは禁止だからね」
彼女は僕の手首から制服の袖へ指を移し、そっと掴み直した。
「次の授業、一緒に行こう」
「うん」
僕は何も話せなかった。
それでも、ティアナが隣を歩いてくれるだけで、呼吸が少し楽になった。
◇
放課後。
学院の地下へ続く階段を、一つの足音が下っていった。
その手には、「故障」として取り外された測定用魔石がある。
石は本来の透明な色を失い、中心だけが黒く濁っていた。
足音は、一般生徒の立ち入りを禁じられた扉の前で止まる。
封印を解除し、その奥にある迷宮観測室へ入った。
壁一面に並ぶ水晶板には、学院迷宮の各層で観測された魔力変動が記録されている。
潜入者は、一枚の水晶板を起動した。
映し出されたのは、迷宮崩落が起きた日の記録。
封印深部で周囲の魔力が一斉に消失し、黒い空白だけを残した波形だった。
そこへ、医務室から持ち出した魔石を重ねる。
黒い光が脈打つ。
二つの波形は、寸分違わず重なった。
「……見つけた」
潜入者は、衣服の下から小さな紋章を取り出した。
星と冠を組み合わせた印。
星冠教団。
大災害を世界の終わりではなく、穢れを消し去る救済と信じる違法宗教。その信仰は王国から禁じられているが、信徒は学院の内部にまで入り込んでいた。
紋章から、暗い光が浮かび上がる。
『報告を』
光の奥から、正体を隠すように歪められた声が響いた。
「対象を特定しました」
潜入者は黒く染まった魔石を握る。
「アルト・ロウェル。十五歳。属性適性なし」
『確証は』
「迷宮深部の反応と一致しています」
短い沈黙。
『魔神因子か』
「間違いありません」
潜入者は、水晶板に映る黒い波形を見つめた。
「――器が目を覚ました」
『今は捕らえるな』
歪んだ声が命じる。
『監視を続けろ』
「承知しました」
『器が自ら飢えるまで、学院の中で育てろ』
通信の光が消えた。
暗くなった観測室で、水晶板に小さな黒い光だけが残る。
その夜から、アルトが迷宮を見ているのではなく、迷宮の側がアルトを見始めた。
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