61話.水道異変②
継寂乃杜の境内裏には、山が連なっている。上流へ遡っていくと湧水が流れ出ており、神社の用水はここから水道を引く事でまかなっている。
宵華はその水を貯める貯水槽、さらには水源へと水道を辿っていた。
「ここも異常なし」
中腹ほどまで来ただろうか。少し乱れた髪を手ぐしで整えながら、宵華は呟いた。
水道水の件はもちろんの事、ここ最近何となく気持ちが落ち着かない。全く根拠はないのだが、どうにも胸騒ぎがしていて自ら調査に出張ることにしたのだった。
「もう少し登ってみようかしら」
神社では自分がいなくとも、泰然宮司、なんなら樹希も祈祷や供養の対応はできる。
樹希は知らないだろうが、少なくとも今の宵華が祈祷をするのは単なる義理と気まぐれである。神職の連中や参拝者というのは、言わば自分に豊かな生活を提供してくれるスポンサーのようなもので、世俗にあまり興味のない宵華としても無下に扱うのは忍びない。
灰色の時期を差し引いてもそういう風に考えられるとは、我ながら丸くなったものだと宵華は苦笑した。
水道に沿って黙々と歩き続けていくと、やがて視界は開け、水源となる湖が見えてきた。道中は頭上を覆う木々のおかげでそれほどでもなかったが、太陽が照りつける場所はそれなりに暑い。
汗を拭って湖のほとりへと歩を進める宵華の鼻を、不意に嫌な臭いが刺激した。
「う…」
腐敗臭を思わせる異臭に顔をしかめながら視線を走らせる。ふと、一部分やけに堆く積まれている何かを見つけた。近づいてみると、それが悪臭の原因だと分かる。
「これは…動物の死骸?」
それは小動物の死骸の山だった。広く高く、おびただしい数の死骸が放置されており、一部分が湖に浸かっている。
周辺から水は赤黒く濁り、水道水から感じたあの不快な臭いと味が口と鼻を満たした。間違いなく異常事態だ。えずきそうな不快感を我慢しながら、宵華は確信した。
いつから集められているのかは分からないが、数日程度で集まる量ではない。腐り切っている個体も多く、長い時間をかけている事がうかがえる。
「原因は分かったけど…なんでこんなモノが上流に?」
宵華は鼻を手で覆いながら呟いた。野生動物がこのように獲物を集めて放置するという事は考えにくい。明らかに人の手が加えられた光景だ。
「お姉ちゃん」
宵華が考えを巡らせる後ろから声がした。振り返る事なく宵華は返事をする。
「藍暁。首尾はどう?」
「貯水槽はどこも異常なかったよ…うええ、何それ」
宵華の視線の先を見た藍暁は露骨に眉間にシワを寄せた。日差しが強いせいで臭いもどんどん強まっていくものだから、気が滅入ってしまう。
「こんなの今どき里でも食べないよ」
山積みの死骸の一部をつまみながら、藍暁が零した。ネズミだろうか、とにかく小動物が多い。
「あら?狩りで生計を立ててるんじゃなかったの?」
「こんなちっちゃいのじゃ割に合わないよ、おやつにもならない」
藍暁は肩をすくめた。確かにそれもそうで、宵華も小動物は好んで獲ったりはしない。今ではお供え物や樹希の手料理があるので、そもそも狩り自体をしなくなってきているが。
「それに改革派がねー。外の技術も取り入れるって言って色々持ち込んだの。お陰で里は大荒れ。生活水準が上がったのはありがたいんだけどね」
「ふうん?天狐は一枚岩だと思ってたのに」
「そんな事ないって。お姉ちゃんが追い出されてから凄かったんだから!」
宵華の追放後すぐとは眉唾ものだが、藍暁が言うのなら間違いないのだろう。それならば自分の恋路も邪魔してほしくなかったと、宵華は思わず苦笑がもらしてしまった。
「っていうか里の事はいいけどお姉ちゃん。これどうするの?」
脱線した話を戻すように、藍暁が死骸の山に視線を向けた。元々原因の調査と解決のためにここまで来たのだし、そうでなくとも神社の水源である以上は放置する事もできない。
「放っておくわけにはいかないわね、とはいえ人の手で処理するには手間だし…」
宵華はあごに手を添えて考え、昨日樹希と泰然が話していた事をふと思い出した。
「そういえば、樹希が神社のセキュリティ?を強化するって言ってたわね」
不審な者の出入りがないか見張れるように、という事だったか。榊原の一件もあるので、神社の守り神としてはありがたい措置である。
宵華がこぼした言葉に藍暁は大きな目をさらに丸くした。
「へー。ガンコ神主にそっくりだとばかり思ってたけど、やるじゃん」
「なあにそれ?」
藍暁も案外見る目がない。思わず笑ってしまった宵華を見て、藍暁はふくれた。
「そんなに睨まないの。とにかく、境内でも色々と騒ぎが起きてるようだから。何か手伝ってもらえないかしらね」
この腐肉の山の撤去もだが、再犯を防がねば。何か映像に残るものを拝借したいというのが宵華の考えだ。
「いいんじゃない?監視カメラでも付けるってんなら1台くらい失敬しちゃおうよ」
藍暁の提案に宵華はハッとした。なるほど、監視カメラというものがあるのか。カメラといえば、写真や映像を記録できる機能がスマホにも入っていた事を思い出す。あれが使えるのなら便利だが、失敬するのはいただけない。
「私たちがそんな事をしてどうするのよ。ちゃんと話すわ」
「奉納品で生活してるのに、お姉ちゃんてば律儀よね」
「大事なことよ」
奉納されているからこそ生きてこられたと言ってもいい。守り神としてのプライドもあるが、宵華は自分に受けた恩を仇で返す返したくはなかった。
藍暁は肩を竦めはしたが、否定はしないでくれた。
「ま、いいけど。しばらくは見張っとくからさ、早いとこ話つけてきてね」
そう言い残し、湖を見渡せる所まで歩いていった藍暁を見送って、宵華も神社まで歩き始めた。




