59話.二度ある事は
「ごめんなさい樹希さん、こんな事させちゃって…」
「いやいや、良いんだよ。俺もちょうど忘れ物があったんだ。気をつけて帰ってね」
日が落ちかけた頃、樹希は須々木とともに社務所の戸締りをしていた。
締め作業を終え、一度帰路についてから忘れ物に気付いたのだが、戻ると須々木が社務所の前でウロウロしていた。同じく忘れ物をしたという彼女と共に、社務所で各々の目的を果たしていたのだった。
手を振りながら見送っている須々木を尻目に、樹希は再び帰路についた。
家への道すがら、小酒館の灯りが点っているのに気が付いた。覗いてみると、宵華がつまらなそうにグラスを傾けていた。
「今日もお疲れさま、宵華」
「ん?んー、お疲れ様。樹希の方も大変だったらしいわね?藍暁から聞いたわ」
樹希の声に宵華が顔を上げ、挨拶を返した。も、という音に若干の引っ掛かりを覚えたが、とりあえず自分の事を共有する。
「まあな。無許可撮影によく分からない取材…調べようとしてる事もでたらめだし、迷惑客っていうのかな。対策考えないといけないよ」
自分で言っていてげんなりとしてしまう。今後の事を考えるだけで、樹希はひどい頭痛に襲われるような感覚がしてこめかみを押さえた。
「私も当面は人前に顔を出さない方が良さそうよね。変な噂も流れてるみたいなの」
堕ちた神だの、化け物だの…その変な噂にはこれら樹希が聞いたものも含まれるのだろう。このあたり、藍暁はどの程度話しているのだろうか?
「近所じゃもう日常だけど、街とか遠方の人には天狐は物珍しさの塊だろうしな」
ここ継寂乃杜でこそ浸透はしているものの、それにしても非常に狭いコミュニティに限られている。正しい情報が広まらないのも無理はない。
彼女の存在を広めるにも隠し通すにも、どちらにせよ面倒この上ない。1人では解決できない問題に今日何度目かも分からぬため息を吐き、樹希はテーブルの空いたグラスに酒を注ぎ込んだ。
「ところで、水汲んできてくれない?」
ちびちびと酒を舐めていると、宵華がおもむろに頼んできた。
「ん?いいけど。今日はあんまり飲まないんだな?」
酒瓶の中身はそれほど減っていない。樹希の記憶を辿っても、宵華の酒盛りにしてはだいぶ量が少なかった。
「ほれ、水」
台所で汲んだ水道水を宵華に渡す。
「ありがと」受け取った水を宵華はひと口すすり、すぐに顔をしかめた。「うえぇ、マズ…」
「ただの水道水だぞ?いつもの水道のだ。一体なんなんだよ?」
全くわけが分からず、樹希も水へ口をつける。しかし特に強い違和感は感じない。どうにも宵華にしか分からない違いのようだが。
「今日、手水場で口をゆすいだ時、ものすごく不味かったの。変だと思って水の出る場所回ったんだけど、どれもこれもヒドい味」
宵華の話を聞いて、ようやくこの館の水も警戒していたのだと合点がいった。
「もしかして、進みが悪いのも?」
「酔い醒ましにだって、こんなの飲めないもの。これじゃ余韻が台無し」
口直しだと言って、宵華は住まいから持ってきたのだろうミネラルウォーターのペットボトルに手を伸ばした。そして一気に飲み干した。普段は店売りのミネラルウォーターなど買わないのに、彼女には今の境内に流れる水がよほど不味いのだろう。
「ここのを飲んで確信したわ。水を引いてる所で何かトラブルがあると思う」
確信に満ちた表情で宵華は話す。
正直なところ、半信半疑といった風の樹希だが、宵華の味覚には絶対の信頼を置いている。彼女がここまで言うのであれば、事実として何かがあるのだろう。昼間の事も含め、今日一日で樹希の周りに様々な事が起きすぎている気がした。
「近いうちに業者へ依頼するか…」
目頭を押さえながら呟く樹希を、宵華が制止した。
「まだそれには及ばないわよ。藍暁に頼めばある程度は分かるし、近い場所なら私も調べられるもの」
そう言って宵華は手に持った水を一息に飲み干し、不味いと再び顔をしかめるのだった。




