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第6話 嫌いだった人を、助けに来た

 カイが、私の前へ腕を出した。

 私は、その腕を押し返さなかった。

 アルマが怯えている。

 無実だからといって、今の彼女へ近づいていいわけではない。

「私は外で待ちます」

 廊下へ出た。

 扉が閉まると、脚の力が抜けた。

 カイが腕を貸す。

 手袋をしているから、声は聞こえない。

 聞こえなくて、よかった。

 この人が、もしかしたら私を疑ったのだとしても、今は知りたくなかった。


 しばらくして、ベラが出てきた。

「殺害の事実はありません。元の死刑判断は、執行の根拠を失いました」

 私は顔を上げた。

「ただ、アルマ様への襲撃について、確認が必要です」

「私に似た人を、見たんですね」

「ええ。あなたの声で、あなたの顔だったと」

 何かの呪いで、彼女が嘘をついている。

 そんな便利な説明を、私は求めたくなった。

 けれどカイから聞こえた言葉も、本人が知っている範囲でしかなかった。

 心が読めても、誤りまで消えるわけではない。

「もう一度、話を聞けますか。彼女が、許してくれるなら」


 寝台のそばには、医師とベラがいた。

 私は離れた椅子へ座った。

「アルマ様。あなたに触れません。近づきもしません」

 彼女は毛布を握った。

「私、見たんです。聖具の戸棚を開けている、あなたを」

「どちらの手で?」

「左手で、鍵を」

 私は自分の左手を上げた。

 親指の付け根から手首へ、白い傷がある。

 十五歳の夏、割れた窓を片づけて残った傷。

「その人にも、これがありましたか」

 アルマが、目を細めた。

「……なかった」

 沈黙が落ちた。

「手袋をしていた可能性は?」

 ベラが尋ねる。

「素手でした。鍵を落としたのを、拾って……爪が、赤く塗ってあった」

 私は爪を見せた。

 色はない。でも色など、あとで落とせる。

 それだけで決めつけるつもりはなかった。


「顔のことなら」

 扉の外で、フローラが言った。

 許可を得て、入ってくる。

「衣装庫に、写し面があります。儀礼劇で聖人の顔を写す道具です。監督役が、事件前に持ち出していました」

 ベラが、その道具と貸出簿の差押えを指示した。

 同時に、事件夜の私の所在も確かめるという。

 手紙にあった、私の筆跡。

 神殿の使用人の、私が来たという証言。

 一つずつ見直す必要があった。

 疑いが、思い込みの逆向きになるだけでは、また誰かが傷つく。


 アルマが、私を見た。

「あなたは、私を嫌っていたでしょう」

 喉が、痛くなった。

「……はい」

 カイが、ほんの少し私へ向いた。

 私は続けた。

「殿下が、私にはしない顔で、あなたへ笑いかけるのが嫌でした。あなた自身が、何を思っていたかは、考えませんでした」

 アルマの目が、赤くなった。

「私も、あなたが怖かった。私へ笑ってくれたのは、殿下だけだったから」

 同じ男のまわりで、互いを見ずに、互いを怖がっていた。

「でも」

 彼女は、毛布を少し緩めた。

「あなたが、ここへ来てくれたんですね」

「一人では、何もできませんでした」

「それでも、来てくれた」

 私は、うなずいた。


 彼女が、手を伸ばしかけた。

 私は、先に説明した。

「触れると、心の言葉が聞こえてしまいます」

 その手が止まる。

 そして、少し考えてから、再び伸びてきた。

「では、今の私は、何を思っているでしょう」

 指先が触れる。

〈怖い。でも、ありがとうと、言いたい〉

 私は、泣きそうになった。

「二つ、同時にあってもいいんだと思います」

 彼女が、首をかしげる。

「怖くても、ありがとうって、思っていていい」

「……はい」

 アルマは、私の指を少しだけ握った。


 夕方、私の屋敷から取り寄せられた出入り簿と、馬車屋の控えが届いた。

 事件の夜、私は領地の分家にいた。二つの記録と、複数の人の話が一致した。

 神殿の証人は、顔だけを見て私だと決めたことを認めた。

 ベラは、私の拘束を解いた。

 今度は、本当に。


 門を出るとき、カイが上着を差し出した。

 私は手袋の上から、その手を取った。

「今は、聞かなくてもいいです」

 彼は、何も言わずに、私の歩幅へ合わせた。

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