第5話 死んだ聖女は、まだ泣いていた
神殿の廊下は、花の匂いがした。
聖女アルマのための白い花。彼女の死を悼む人が、窓辺へ置いていったものだ。
その下で、私を見た神官が顔をしかめた。
「なぜ、殺した女がここへ」
カイが半歩、前へ出る。
私は彼の袖をつかんだ。
否定するだけでは、たぶん何も変わらない。
まだ彼らにとって、私が殺したことは事実なのだ。
地下への鍵が来るまで、奉仕役の女性が水を持ってきた。
若い人だった。私を見ると、碗を置く手が震えた。
「お名前は?」
「フローラです」
その名を聞いて、ベラが顔を上げた。
女の子は、顔を白くした。
「私、何も……」
「花留めの署名が、あなたの名でした」
「壊れたと、言われたんです。新しい物をくださるから、古いのは預かると」
彼女の指が、服の端を握った。
そこに、縫い目があった。
三つの小さな輪。ほどいて、また縫った跡。
私は、その並びを知っていた。
屋敷で働く人が、声を出せない場所で助けを求めるために、服の内側へつける印。
リナが、冬の奉仕用の衣服を縫うときに教えてくれた。
「フローラさん」
私は、自分の服へ同じ形を指でなぞった。
「言いにくいことが、ありますか」
彼女が、泣きそうな目をした。
ベラは補佐官へ目配せし、周囲の人を離した。
私は声を落とした。
「触れると、心の言葉が聞こえます。嫌なら、普通に話してください。話せるまで待ちます」
フローラは、私の手を取った。
〈地下三室。冷たい。私も、あそこへ入る。花をつけて、眠るように言われた。アルマ様が、起きなかった〉
言葉が、絡まっていた。
怖さばかり、伝わってくる。
私は彼女の肩へ、もう一方の手を置いた。
「分かりました。あなたの言葉で、審察官にも話せますか」
小さく、うなずく。
彼女は、時間をかけて同じことを説明した。
ベラは鍵を待たなかった。
保全令を示し、補佐官へ解錠を命じる。
神官が「療養の静けさを」と言いかけた。
「中の方の安全を確認します」
扉が開いた。
冷たい空気が、顔へ触れた。
寝台に、女性がいた。
頬は薄く、髪は胸へ広がっている。
絵姿で何度も見た顔。
オスカーが、私の隣で大切そうに呼んでいた人。
胸元には、銀の花留めがついていた。
花から伸びる細い銀線が、寝台の横の器へ繋がっている。
器には、淡い光が溜まっていた。
花弁の裏側は、聖印へ祝福を通すための接点だ。幼い私も、母の式服を手伝いながら何度も見た。
でも、外の器へ繋ぐものではなかった。
医師が寝台へ駆け寄る。
「生きています」
それだけを聞いて、壁へ手をついた。
殺していない、ではない。
殺された人が、いなかった。
なのに私は、あの台へ立たされていた。
「勝手に外せば、祝福が乱れます!」
監督役が叫んだ。
医師は花と器を見た。
ベラが問いかける。
「安全に接続を切れますか」
「留め針を、まず開いてください。身体から離して、それから線を」
順番を確かめて、私は花へ触れた。
物には、声がない。
冷たい銀だけが、指へ当たる。
私は針を開いた。医師が花を支えて外す。銀線が切り離される。
器の光が、薄くなった。
医師と助手が処置を始め、私たちは下がった。
少しして、アルマの指が動いた。
まぶたが、かすかに開く。
ベラが名を呼んだ。
私は、寝台の足元で息を止めた。
彼女が私を見た。
「……来ないで」
声は、細かった。
「また、私を……」
その目に、はっきりと恐怖があった。
私は、一歩も動けなかった。
生きている人が、私を犯人だと見ていた。




