第3話 口にできないことを、手で聞く
眠れなかった。
目を閉じると、雨と斧が戻ってきた。
リナは椅子でうとうとしている。扉の外にはカイがいる。
私は、窓へ額を寄せた。
小説なら、このあたりで次の場面へ移る。
主人公と王子が、聖女の死を悼む場面へ。
悪役令嬢の恐怖は、書かれていなかった。
その余白に、今の私がいる。
扉を叩いた。
「カイ様。少し、話せますか」
返事はすぐだった。
「聞く」
私はリナを起こし、そばにいてもらった。
秘密の説明を、また誰かに一人で握られるのは嫌だった。
「素肌に触れた相手の、心の言葉が聞こえるんです」
二人が黙った。
「処刑台で、初めて。今、強く考えていることだけだと思います。何でも分かるわけではありません」
「いつも、お腹が空いたと思っていたのが?」
リナが真顔で尋ねた。
「あなたには、まだ触れて確かめていない」
「よかったです」
何がよかったのか分からないけれど、少し笑えた。
カイは、自分の手を見た。
「さっき、怖がらせたと思ったのも、聞こえたか」
「はい」
「……そうか」
彼は、もっと聞かれたくないことを思い出した顔をした。
私は頬を熱くし、そこには触れなかった。
「嫌なら、もうしません」
「必要なことを聞けるなら、使ってくれ」
「必要じゃないことも、聞こえてしまうかもしれません」
少しの間があった。
「そのときは、あとで困る」
私は、やっと、彼も冗談を言う人なのだと知った。
彼は袖を上げた。
左手首に、細い黒い輪が嵌まっていた。
「封印記録を扱う者がつける、守秘の輪だ」
私は触らずに見た。
「口述と筆記が対象になる。許可のない相手へ、記録の内容を話したり書いたりすると、輪が締まる」
「思っていることは?」
「縛らない。考えること自体を禁じれば、記録の仕事ができない」
輪には神殿の印と、裁判所の印が並んでいた。
「壊せないんですか」
「自力で壊せば腕を傷める。外部の新証拠があり、審察官が正規の押収を行えば、司法封を解除できる」
「それまで、私が聞いてもいいですか」
「俺が考える。お前は、事実と俺の推測を分けてくれ」
自信満々の真相ではなかった。
だから、うなずけた。
私は、彼の手を取った。
〈事件の翌日、アルマの移送記録を見た。呼吸あり。体温あり。左手の祝福反応あり。なのに、提出された死亡記録は、その前夜になっていた〉
心の中でも、声は慎重だった。
〈本人を見たわけじゃない。移送先の番号だけなら覚えている。神殿療養区、地下三室〉
リナが書き取る。
私には処刑台以来の疲れが溜まっていた。声に集中すると、頭の奥が重い。
いったん、手を離した。
「アルマ様が、生きているかもしれない」
カイはうなずいた。
それは記録の内容を口にする行為ではなく、私の言葉への返事だった。
「どうして、最初から誰かに言わなかったんですか」
また触れて尋ねる。
〈申立ては出した。神殿へ戻された。署名済み死亡記録が正しいとされた。俺の見た封印記録は開示されなかった〉
彼は机へ、受付の控えを置いた。
番号と却下の日付。内容は輪のため書かれていない。
心の言葉を証明する、万能な証拠ではない。
でも、この人が何もせず待っていたわけではないことは分かった。
リナが顔を上げた。
「審察局の窓口の人が言っていました。神殿と同じ根拠の申立ては戻されるけれど、新しい不一致があれば、局が独立して調べられると」
私は、証拠箱を思い出した。
違う人の署名。
「今なら、ある」
椅子から立ち上がった。
カイも立つ。
「もう、一人で証拠を預けません。審察官に、ここへ来てもらいたい」
「手配する」
返事のあと、まだ触れていた指から、別の声が聞こえた。
〈君は、俺が守るだけの人じゃない〉
その言葉が、救われるだけだった私の背中を、初めて押した。




