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死神少女が命の源  作者: 和泉 きよ


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04.死んだ人より、生きている人のほうが難しい

 プリンを食べ終わったあと、湊は容器をしばらく眺めていた。


 透明な容器の底に、ほんの少しだけカラメルが残っている。


 スプーンでそれを集める。


 食べる。


 また集める。


 食べる。


 それだけのことを、妙に丁寧にやっていた。


「そんなにおいしかったですか?」


 ベッドの上からミコが聞いた。


「普通」


「では、なぜそんなにゆっくり食べるんですか?」


「うるさい」


「すみません」


 ミコは素直に謝った。


 謝られると、怒る理由がなくなる。


 それが少し困る。


 湊は容器をゴミ箱に入れた。


「明日も食べる?」


「プリンですか?」


「うん」


「では、明日も生きるんですね」


 湊の手が止まった。


「……そういう言い方するなよ」


「どうして?」


「なんか、重い」


「プリンなのに?」


「そういう意味じゃない」


 ミコは首を傾げた。


 死神には、言葉の重さを測る能力がないのかもしれない。


 湊は窓の外を見た。


 夜だった。


 昨日と同じ夜。


 世界は何も変わっていない。


 学校もなくなっていない。


 いじめも終わっていない。


 明日になれば、また学校へ行かなければならない。


 それなのに。


 昨日とは少しだけ違っていた。


 昨日の自分なら、明日のことなんて考えたくなかった。


 今は、


 プリンを食べるかもしれない。


 そんなくだらない予定が、頭の片隅にある。


 人生というものは、案外くだらないものでできているのかもしれない。


「今日はもう仕事ないの?」


「あります」


「え?」


「夜の仕事です」


 ミコは立ち上がった。


「今からです」


「……今から?」


「はい」


「死神って夜勤もあるのかよ」


「死者は時間を選びませんから」


 妙に現実的な返事だった。


 湊は制服に着替えた。


 学校には行っていないのに、死神の仕事には行く。


 自分でもおかしいと思う。


「今日はどういう人?」


「まだ分かりません」


「分からないの?」


「死ぬ直前まで確定しない場合もあります」


「じゃあ、突然呼ばれるんだ」


「はい」


「大変だな」


「そうでもありません」


 ミコは少し笑った。


「死神は慣れていますから」


 その言葉に、湊は少し引っかかった。


「慣れるの?」


「何に?」


「人が死ぬことに」


「はい」


 ミコはあっさり答えた。


「毎日見ていますから」


 その言葉を聞いたとき、湊は少し嫌な気持ちになった。


 人間が一人死ぬ。


 その出来事に、慣れる。


 それは、どこか残酷なことのように思えた。


「……かわいそうじゃないの?」


「誰が?」


「死ぬ人」


 ミコは黙った。


「かわいそう?」


「うん」


「分かりません」


「なんで?」


「死ぬことがかわいそうなのか、私にはまだ分からないから」


 湊はミコを見る。


「死神なのに?」


「はい」


「またそれか」


 ミコは笑わなかった。


「私たちは、死んだ人を運ぶだけです」


 初めて聞く声だった。


 少しだけ寂しそうだった。


「その人が幸せだったのか、不幸だったのか。生きている間に何を思っていたのか。

 誰を愛していたのか。何を後悔しているのか。そういうことは、私たちには分かりません」


 ミコは窓の外を見た。


「だから、死んだ人を見ても、その人の人生までは分からないんです」


 湊は何も言えなかった。


 自分は今まで、人間を簡単に決めつけていた。


 教師は敵。


 クラスメイトも敵。


 家族も分かってくれない。


 学校は嫌い。


 世界は嫌い。


 全部嫌い。


 でも、本当にそうなのだろうか。


 自分が見ていたのは、その人間の一部分だけではないのか。


 そんな考えが、ほんの一瞬だけ頭をよぎった。


 そして湊は、その考えをすぐに追い払った。


 そんなことを考える必要はない。


 自分が傷つけられた事実は変わらない。


 誰かに事情があったとしても、自分が苦しかったことまで消えるわけではない。


 だから、


 許す必要はない。


 分かる必要もない。


 ただ、自分の心を守ればいい。


「湊」


「何?」


「来ました」


「何が?」


「仕事です」


 ミコが窓の外を指差した。


 遠くで救急車の音がしていた。


 湊の胸が、少しだけ重くなる。


 昨日の老人とは違う。


 今度は、まだ若い。


 病院の白い廊下。


 ベッドの上に、一人の男がいた。


 三十代くらいに見える。


 目を閉じている。


 その横には、一人の女の人が座っていた。


 男の妻らしい。


 彼女は男の手を握っていた。


「起きて」


 何度も言っている。


「ねえ」


 返事はない。


「明日、娘の誕生日だから」


 湊は息を止めた。


 女は泣いていた。


 けれど、泣きながら笑おうとしていた。


「ケーキ、予約したんだよ」


 その言葉が、湊の胸に刺さった。


 明日。


 その言葉。


 昨日までなら、何とも思わなかった。


 けれど今は違った。


 死んだ老人は、明日の話をしなかった。


 この男の妻は、明日の話をしている。


 生きている人は、明日を作ろうとする。


 死にゆく人は、明日を失っていく。


 その境目が、湊には急に恐ろしく感じられた。


「ミコ」


「はい」


「この人、死ぬの?」


「……はい」


 即答だった。


「助けられない?」


「できません」


「死神なのに?」


「死神だからです」


 湊は拳を握った。


「じゃあ、何のためにいるんだよ」


 ミコは答えなかった。


 湊自身も、なぜそんなことを言ったのか分からなかった。


 自分は人が死ぬことなんて、どうでもいいと思っていたはずだった。


 世界なんて嫌いだった。


 誰が死のうと関係ない。


 そう思っていたはずだった。


 なのに。


 目の前の女の人が、


「明日、誕生日だから」


と泣いているのを見ていると、胸が苦しくなった。


 自分の死と、他人の死は違う。


 そんなことを考えている自分が嫌だった。


 人間は勝手だ。


 自分が死ぬことはどうでもいいと思っていたくせに、他人が死ぬことには胸を痛める。


 それは矛盾だった。


 でも。


 その矛盾を抱えていること自体が、


 まだ自分が人間である証拠なのかもしれない。


 男の妻が、男の手を強く握った。


「お願いだから、明日までいて」


 湊は目を逸らした。


 ミコが隣に立っている。


 いつもなら何か言うはずなのに、今日は何も言わなかった。


「ミコ」


「はい」


「死ぬって、本人だけのことじゃないんだな」


 ミコは少し考えてから、


「はい」


と答えた。


「たぶん、生きることも」


 湊はその言葉を聞いた。


 生きることも。


 誰か一人だけのものではない。


 そのことを考えると、胸の奥が少しだけ重くなった。


 でも。


 その重さを、嫌だとは思わなかった。


   ◇


 仕事を終えて家に帰る途中、湊はコンビニの前で立ち止まった。


「またプリンですか?」


 ミコが聞いた。


「うん」


「昨日も食べましたよ」


「知ってる」


「飽きませんか?」


「まだ飽きてない」


 湊はプリンを二つ手に取った。


 ミコが驚いた。


「二個?」


「一個は俺」


「もう一個は?」


 湊は少し考えた。


「……明日の俺」


 ミコは何も言わなかった。


 ただ、少しだけ笑った。


 湊も笑った。


 明日が来ることを、ほんの少しだけ待ってみようと思った。


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