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死神少女が命の源  作者: 和泉 きよ


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23/25

23.生きることを選ぶ

 朝、目が覚めたとき。


 湊は、しばらく天井を見ていた。


 学校に行く日だった。


 それだけのことなのに、胸の奥には小さな石が置かれているような感じがした。


 昨日、先生に話した。


 怖い、と。


 困っている、と。


 助けてほしい、と。


 言葉にしたことで、何かが劇的に変わったわけではない。


 スマートフォンを見れば、嫌な記憶はまだそこにある。


 学校という場所も、昨日までと同じ建物だ。


 自分を傷つけた人たちが、今日から突然、別人になるわけでもない。


 だから。


 怖さは、ちゃんと残っていた。


 「……行きたくないな」


 布団の中で呟いた。


 それは、久しぶりに素直な言葉だった。


 以前なら、この「行きたくない」は、そのまま「全部終わってほしい」に繋がっていた。


 学校に行きたくない。


 人に会いたくない。


 明日が来てほしくない。


 その全部が、ひとつの大きな塊になっていた。


 でも今は、少し違った。


 学校に行きたくない。


 ただ、それだけだった。


 学校に行きたくないという気持ちと。


 生きていたくないという気持ちは。


 同じではない。


 そのことに気づいたとき、湊は自分の中に、

 以前にはなかった小さな空間ができていることに気づいた。


 「学校が嫌なら、学校について考えればいい」


 そんな当たり前のことを、今まで考えたことがなかった。


 学校が世界の全部だったからだ。


 教室で笑われれば、世界中から笑われたような気がした。


 誰かに無視されれば、自分という人間そのものが無視されたように感じた。


 けれど。


 学校は、学校だった。


 それ以上でも、それ以下でもない。


 窓の外には、学校とは関係のない家がある。


 コンビニがある。


 電車が走っている。


 知らない人が働いている。


 知らない誰かが、今日の昼ご飯を考えている。


 世界は、湊が学校で何を言われたかなんて知らない。


 そして。


 それでいいのだと思った。


 「湊」


 部屋の外から声がした。


 「起きてる?」


 「うん」


 母親だった。


 「朝ご飯、作っておいたから」


 「……ありがとう」


 それだけの会話だった。


 けれど、湊はその「ありがとう」が少しだけ嬉しかった。


 生きるというのは。


 案外こういうことなのかもしれない。


 大きな理由ではなく。


 朝ご飯が作ってあること。


 それを食べること。


 「ありがとう」と言うこと。


 そして、今日をどうするか考えること。


 布団から出る。


 制服に着替える。


 鏡を見る。


 そこには、昨日とほとんど変わらない自分がいた。


 少し眠そうで。


 少し不安そうで。


 それでも、立っている。


 「……行くか」


 誰かに命令されたわけではない。


 先生に「絶対来い」と言われたわけでもない。


 母親に頼まれたわけでもない。


 自分で決めた。


 学校へ行く。


 それだけだった。


 玄関を出ると、ミコがいた。


 門のところに立っている。


 相変わらず黒い服だった。


 朝の住宅街には、あまりにも場違いだった。


 「おはようございます」


 「……おはよう」


 「今日は学校ですか?」


 「見れば分かるだろ」


 「死神なので、人間の予定には詳しくありません」


 「それ、便利なのか不便なのか分からないな」


 ミコは少し考えた。


 「不便です」


 「即答なんだ」


 二人で歩き出した。


 しばらく、何も話さなかった。


 湊は学校までの道を歩きながら、自分の足元を見ていた。


 昨日までと同じ道だった。


 電柱も。


 信号も。


 コンビニも。


 何も変わっていない。


 なのに。


 自分だけが少し違っている気がした。


 以前は、学校へ近づくほど身体が重くなった。


 今も重い。


 怖い。


 けれど、その怖さを誰かに伝えた。


 それだけで、怖さの一部が自分だけのものではなくなった。


 それは、不思議な感覚だった。


 学校に着く。


 昇降口で、湊は一度立ち止まった。


 ここから先に進めば、教室がある。


 教室には、嫌な人間もいる。


 嫌な記憶もある。


 昨日までなら、ここで引き返していたかもしれない。


 ミコが隣に立った。


 「どうしますか?」


 湊は答えなかった。


 ミコも急かさなかった。


 「行け」とも言わない。


 「帰れ」とも言わない。


 ただ、待っている。


 その沈黙が、湊にはありがたかった。


 もし誰かに、


 「大丈夫だよ」


 と言われていたら。


 たぶん、少し困っていた。


 大丈夫ではないからだ。


 もし、


 「頑張れ」


 と言われていたら。


 それも苦しかったかもしれない。


 今の自分に必要なのは、励ましではなく。


 選ぶための時間だった。


 湊は、靴を履き替えた。


 「……行ってみる」


 「はい」


 「怖くなったら、先生に言う」


 「はい」


 「無理だったら、帰るかもしれない」


 「はい」


 そこで湊は、ミコを見る。


 「それでもいいかな」


 ミコは少しだけ首を傾げた。


 そして。


 「それは、湊が決めることだと思います」


 と言った。


 当たり前の言葉だった。


 でも。


 その当たり前の言葉が、今の湊には必要だった。


 ミコは続けた。


 「私が決めちゃいけないから」


 湊は黙った。


 その言葉が、胸の奥にゆっくり沈んでいった。


  あの夜。


 ミコは湊を死から遠ざけた。


 それは、湊の意思ではなかった。


 死神法という決まりと、ミコの間違いによって。


 だからずっと。


 自分は誰かに生かされているのだと思っていた。


 自分の人生なのに。


 自分では何も決めていないような気がしていた。


 けれど。


 今は違う。


 学校へ行く。


 先生に相談する。


 怖ければ帰る。


 明日も行く。


 行かない。


 誰かに助けを求める。


 何かを食べる。


 眠る。


 そういう小さなことを。


 一つずつ自分で決めていい。


 生きることを選ぶというのは。


 たぶん、人生全体に大きな丸をつけることではない。


 「私は生きます」


 と宣言することでもない。


 今日、学校へ行く。


 帰ったら何を食べるか考える。


 眠る。


 そして、明日の朝になったら。


 もう一度、どうするか考える。


 それだけなのかもしれない。


 湊は教室へ向かって歩き出した。


 ミコもついてくる。


 廊下の窓から、朝の光が差し込んでいた。


 その光は、特別綺麗ではなかった。


 ただの朝の光だった。


 だからこそ。


 湊は少しだけ好きだった。


 「ミコ」


 「はい」


 「今日って、死者を迎えに行く仕事あるの?」


 「あります」


 「そっか」


 「放課後に一件」


 「……じゃあ、帰りは一緒か」


 「はい」


 湊は小さく息を吐いた。


 死者を迎えに行く。


 生きている人間の学校へ行く。


 その二つが、同じ一日の中にある。


 昔なら、そのことを不思議だと思っただろう。


 今は。


 それでいい気がした。


 死ぬことも。


 生きることも。


 どちらか一方だけが特別なのではない。


 人は毎日、その間を歩いている。


 湊は教室の扉に手をかけた。


 怖い。


 まだ怖い。


 でも。


 怖いまま、開けてもいい。


 扉が開いた。


 朝の教室の音が、こちらへ流れてくる。


 湊は一歩、教室に入った。


 その一歩は。


 世界を変えるほど大きくはなかった。


 けれど。


 湊にとっては。


 昨日までとは違う一歩だった。


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