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死神少女が命の源  作者: 和泉 きよ


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22/25

22.「助けて」と言う

 朝。


 目覚ましが鳴った。


 湊は目を開けた。


 しばらく、布団の中にいた。


 学校。


 その言葉が頭に浮かぶ。


 胸の奥が重くなる。


 昨日と同じ。


 一昨日とも、たぶん同じ。


 嫌だ。


 行きたくない。


 そう思った。


 でも。


 昨日までとは、少しだけ違った。


 「嫌だ」


 と思ったあとに。


 もう一つの言葉が浮かんだ。


 ――じゃあ、どうしよう。


 今までは、それがなかった。


 嫌だ。


 だから耐える。


 それでも無理なら、全部投げ出す。


 そんなふうにしか考えられなかった。


 でも今は。


 休むこともできる。


 先生に相談することもできる。


 家族に話すこともできる。


 学校以外の人に話すことだってできる。


 一人で抱えなくてもいい。


 そう知っている。


 知っているだけで。


 世界は少し違って見えた。


 湊は布団から出た。


   ◇


 玄関を出ると、ミコがいた。


 「おはようございます」


 「おはよう」


 「今日は、少し顔が怖いです」


 「そんなこと言う?」


 「昨日より眉間にしわがあります」


 「観察しすぎだろ」


 「死神なので」


 「それ、何でも説明できると思ってるだろ」


 「便利ですから」


 湊は苦笑した。


 歩き始める。


 しばらく無言だった。


 「ミコ」


 「はい」


 「今日」


 「はい」


 「先生に話してみようと思う」


 ミコは何も言わなかった。


 ただ、頷いた。


 「……怖いけど」


 「はい」


 「何を言えばいいか分からないけど」


 「はい」


 「それでも、話してみる」


 「はい」


 「……『助けて』って言ってもいいかな」


 ミコは少しだけ笑った。


 「はい」


 その返事は。


 昨日までより、ずっと軽く聞こえた。


   ◇


 教室に入る。


 何人かがこちらを見る。


 湊は視線を逸らした。


 以前なら、それだけで一日が始まる前から疲れていた。


 今日は疲れる。


 やっぱり、怖い。


 けれど。


 それを「怖い」と認識できる自分がいた。


 怖い。


 だから助けを求める。


 それだけだ。


 「おはよう」


 後ろから声がした。


 湊は振り返った。


 昨日、課題を見せろと言ってきた男子だった。


 「……おはよう」


 男子はそれ以上は何も言わず、自分の席へ戻っていった。


 それだけ。


 ほんの数秒の出来事。


 湊は思った。


 人間関係というものは。


 一つの出来事だけで、全部が決まるわけではないのかもしれない。


 昨日嫌なことをされた。


 今日も嫌なことが起きるかもしれない。


 でも。


 今日、何も起きないこともある。


 人間は、昨日の続きをそのまま生きているわけではない。


 毎日少しずつ変わっていく。


 自分も。


 相手も。


 周りの空気も。


 それは怖いことでもある。


 でも。


 ほんの少しだけ。


 救いでもあった。


   ◇


 放課後。


 教室に残った。


 先生が来るまで、机の前で待つ。


 心臓が速い。


 手のひらが汗ばんでいる。


 「何から話そう」


 考える。


 昨日のこと。


 スマートフォンの書き込み。


 学校でのこと。


 怖かったこと。


 眠れなかったこと。


 全部話すべきなのか。


 それとも、一つだけでいいのか。


 分からない。


 でも。


 全部完璧に話す必要はない。


 それも、ミコから教わった。


 助けを求めることは。


 報告書を書くことではない。


 綺麗に説明する必要もない。


 「困っています」


 その一言でもいい。


 先生が教室に入ってきた。


 「待たせたな」


 「いえ」


 先生が席に座る。


 「どうした?」


 湊は口を開いた。


 「先生」


 「うん」


 言葉が出ない。


 喉が詰まる。


 何度も練習したのに。


 頭の中では言えたのに。


 実際に目の前に人がいると。


 怖い。


 「……あの」


 「うん」


 「僕」


 一度、息を吸う。


 「ちょっと困っています」


 先生の表情が変わった。


 真剣になる。


 「そうか」


 「はい」


「何があった?」


 湊は机を見た。


 「……人に、からかわれたり」


 言葉が止まる。


 「ネットに、僕のことを書かれたりして」


 「そうか」


 「それで……」


 声が震える。


 「学校に来るのが、ちょっと怖いです」


 言った。


 言ってしまった。


 言った瞬間。


 胸の奥にあったものが、少しだけ軽くなった。


 先生はすぐに答えなかった。


 それがありがたかった。


 簡単に「大丈夫」と言われたら。


 たぶん、苦しかった。


 代わりに。


 先生は静かに言った。


 「話してくれてありがとう」


 湊は顔を上げた。


 「……はい」


 「怖かっただろ」


 その言葉を聞いた瞬間。


 胸の奥が熱くなった。


 湊は俯いた。


 泣きそうになった。


 でも。


 泣くことが恥ずかしいとは思わなかった。


 「……はい」


 それだけ言った。


 先生は続けた。


 「これからどうするか、一緒に考えよう」


 一緒に。


 その言葉が。


 不思議なくらい心に残った。


   ◇


 学校を出る。


 校門のところにミコがいた。


 「終わった」


 湊が言った。


 「はい」


 「先生に話した」


 「はい」


 「『助けて』って言えた」


 「はい」


 ミコは嬉しそうだった。


 「よかったです」


 「……でも」


 湊は少し考えた。


 「何かが全部解決したわけじゃない」


 「はい」


 「明日も学校に行くのは怖い」


 「はい」


 「書き込みだって消えたわけじゃない」


 「はい」


 「嫌なことを言ってくる人も、たぶん明日になったらいる」


 「はい」


 「なのに」


 湊は胸に手を当てた。


 「ちょっとだけ、楽になった」


 ミコは頷いた。


 「それは大切なことです」


 湊は空を見上げた。


 夕方だった。


 雲の隙間から、薄い光が差している。


 「助けてって言うだけで、こんなに違うんだ」


 「はい」


 「もっと早く言えばよかったのかな」


 ミコは首を横に振った。


 「そういうことではないと思います」


 「え?」


 「言えるときに言えた」


 ミコは言った。


 「それでいいのではないでしょうか」


 湊は黙った。


 過去を振り返ると。


 どうしてもっと早く相談しなかったのだろうと思う。


 どうして我慢したのだろう。


 どうして一人で耐えたのだろう。


 けれど。


 そのときの自分には。


 そのときの自分なりの理由があった。


 怖かった。


 迷惑をかけたくなかった。


 弱いと思われたくなかった。


 どうしたらいいか分からなかった。


 だから。


 過去の自分を責めることも。


 今の自分を苦しめることになる。


 湊は思った。


 人間は。


 未来の自分から見れば。


 いつだって不器用なのかもしれない。


 だから。


 今できることをする。


 それでいい。


   ◇


 帰宅すると。


 母親が台所にいた。


 「おかえり」


 「ただいま」


 「今日、遅かったね」


 「うん」


 湊は靴を脱いだ。


 少し迷う。


 先生に話したこと。


 学校でのこと。


 母親に話そうか。


 喉まで言葉が来る。


 でも。


 今は、もう十分だった。


 「……あとで話したいことある」


 「うん。いいよ」


 それだけでよかった。


 今すぐ全部話さなくてもいい。


 話したいと思えた。


 それだけで。


 昨日までとは違う。


 自分の部屋に戻る。


 机の上に、昨日の紙がある。


 『困ったら、助けを求める』


 その下には。


 『まだ、うまくできなくてもいい』


 と書いてある。


 湊はその紙を見て。


 ペンを取った。


 その下に、新しく一行を書いた。


 『今日、少しできた』


 そして。


 その横に、小さく丸をつけた。


   ◇


 夜。


 ミコと二人で、コンビニのプリンを食べた。


 「今日のプリンは、おいしいです」


 「味、分からないんじゃなかった?」


 「雰囲気です」


 「またそれか」


 湊は笑った。


 スプーンですくう。


 甘い。


 いつもと同じ。


 でも。


 今日は、少しだけ特別だった。


 生きる理由が見つかったわけではない。


 学校が好きになったわけでもない。


 人生が突然、明るくなったわけでもない。


 ただ。


 困ったと言えた。


 怖いと言えた。


 助けてほしいと言えた。


 そして。


 誰かが「一緒に考えよう」と言ってくれた。


 それだけだった。


 けれど。


 人間が生きていくために必要なのは。


 もしかすると。


 「絶対に一人で大丈夫だ」と思える強さではなく。


 「一人では無理かもしれない」と認められる強さなのかもしれない。


 湊はプリンを食べ終えた。


 「ミコ」


 「はい」


 「僕、まだ弱いよね」


 ミコは少し考えた。


 「はい」


 「即答なんだ」


 「でも」


 ミコは続けた。


 「弱いことと、駄目なことは違います」


 湊は黙った。


 その言葉を。


 ゆっくり胸の中へ入れる。


 弱い。


 怖い。


 迷う。


 誰かに頼る。


 泣く。


 立ち止まる。


 逃げる。


 それでも。


 生きていていい。


 その考えは。


 以前の湊には、理解できなかった。


 今も。


 完全に信じられるわけではない。


 でも。


 少しずつ。


 自分のものになっている。


 「……明日も学校か」


 「はい」


 「嫌だな」


 「はい」


 「でも」


 湊は笑った。


 「今日よりは、ちょっとだけ大丈夫かもしれない」


 ミコは頷いた。


 「それで十分です」


 窓の外を見る。


 夜は静かだった。


 明日が来る。


 きっと、楽しいことばかりではない。


 また傷つくかもしれない。


 また怖くなるかもしれない。


 そのときは。


 また言えばいい。


 助けて。


 怖い。


 困っている。


 一緒に考えてほしい。


 人間は、一人で生きるようにはできていない。


 誰かに支えてもらいながら。


 誰かを支えながら。


 時には迷惑をかけながら。


 それでも、明日へ進んでいく。


 湊は布団に入った。


 目を閉じる。


 そして。


 今日初めて。


 明日が来ることを、少しだけ楽しみにしていた。


 何か特別なことが起きるからではない。


 ただ。


 明日も、自分で選べることが少しだけ残っている。


 それだけで。


 十分だった。


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