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死神少女が命の源  作者: 和泉 きよ


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15/25

15.笑った日

 その日は、特別な日ではなかった。


 記念日でもない。


 誕生日でもない。


 何か良いことがあったわけでもない。


 むしろ。


 朝から雨だった。


 湊は窓の外を見て、ため息をついた。


「雨か……」


「嫌ですか?」


 ベッドの横に立っているミコが聞いた。


「嫌」


「なぜですか?」


「濡れるから」


「傘を使えばいいのでは?」


「そういう問題じゃない」


「では、どういう問題ですか?」


「……雨だから嫌なんだよ」


 ミコは納得していない顔をした。


 死神というものは。


 人間の「何となく」を理解するのが苦手らしい。


「今日は休みますか?」


「学校あるから」


「雨でも?」


「雨でも」


「人間は大変ですね」


「お前も人間だったら分かるよ」


「私は死神です」


「それ便利だな」


 湊は制服に着替えた。


 玄関を出る。


 傘を開く。


 雨音が少しだけ大きくなった。


 学校までの道は、いつもより暗かった。


 水たまり。


 濡れた道路。


 車が通るたびに上がる水しぶき。


 靴の中に少しずつ雨が染みてくる。


「最悪」


 湊が呟く。


「何がですか?」


「靴」


「替えればいいのでは?」


「学校に替えの靴なんて持っていかない」


「では、買いますか?」


「どこで?」


「コンビニ」


「売ってないだろ」


「分かりません」


「お前、何でも分からないな」


「死神なので」


「それ関係ある?」


 ミコは真剣に考えた。


「……ありません」


 湊は吹き出した。


 一瞬だった。


 本当に一瞬。


 自分でも驚くくらい自然に。


「何がおかしいんですか?」


「いや……」


 笑いながら答える。


「お前、自分で言ってから否定するんだなと思って」


「間違っていたら訂正します」


「真面目かよ」


「真面目です」


「知ってる」


 湊は歩き続けた。


 笑った。


 それだけだった。


 でも。


 その「それだけ」が。


 妙に心に残った。


   ◇


 学校では。


 相変わらず嫌なことがあった。


 誰かが何かを言った。


 聞きたくない言葉だった。


 胸が少し痛くなる。


 以前なら。


 その一言を何度も頭の中で繰り返していた。


 帰ってからも。


 布団の中でも。


 次の日になっても。


 何度も思い出して。


 自分が悪いのではないか。


 自分に価値がないのではないか。


 そんなところまで考えていた。


 今日は。


 違った。


 傷ついた。


 普通に傷ついた。


 でも。


 「嫌だった」


 で止めることができた。


 それ以上の意味をつけなかった。


   ◇


 放課後。


 ミコが校門で待っていた。


「今日はどうでしたか?」


「嫌だった」


「昨日もですね」


「うん」


「一昨日も?」


「うん」


「では、なぜ来るんですか?」


 湊は少し考えた。


「……分からない」


 ミコは頷いた。


「では、今日も分からないですね」


「そうだな」


 帰り道。


 コンビニに寄った。


「メロンパン買う?」


「はい」


「昨日も食べたけど」


「昨日食べたから今日も食べます」


「理屈になってない」


「では、湊は?」


「俺も食べる」


「同じですね」


「……そうだな」


 二人分のメロンパンを買った。


 店を出る。


 近くのベンチに座る。


「いただきます」


 ミコが言った。


「いただきます」


 湊も言う。


 一口。


 甘い。


 いつもと同じ味。


 なのに。


 今日は少し違った。


「なあ」


「はい」


「メロンパンってさ」


「はい」


「何でこんなにうまいんだろうな」


 ミコは真顔で答えた。


「砂糖が入っているからです」


「……そういうところだよ」


「どういうところですか?」


「いや」


 湊は笑った。


「なんでもない」


 ミコは首を傾げた。


 そして。


 メロンパンを一口食べる。


「……」


「どう?」


「分かりません」


「だよな」


「でも」


「うん」


「今日は少し楽しいです」


 湊は黙った。


「何が?」


「分かりません」


「またそれか」


「でも」


 ミコはメロンパンを見た。


「こうして食べているのが」


 湊は笑った。


「それ、楽しいっていうより、ただメロンパン食ってるだけだろ」


「では、湊はなぜ笑っているんですか?」


 その質問に。


 湊は答えられなかった。


 なぜ笑っているのだろう。


 ミコが変なことを言うから。


 メロンパンが美味しいから。


 学校が終わったから。


 雨が上がったから。


 全部かもしれない。


 でも。


 どれも決定的な理由ではない。


 人が笑う理由なんて。


 案外、そんなものなのかもしれない。


 小さなことが重なって。


 いつの間にか笑っている。


 それだけ。


「……分からない」


 湊は答えた。


 ミコが笑った。


「私と同じですね」


「そうだな」


 その瞬間。


 湊は、声を出して笑った。


 久しぶりだった。


 誰かに面白いことを言われたからでも。


 漫画を読んだからでも。


 テレビを見たからでもない。


 ただ。


 隣にいる死神の少女がおかしくて。


 自分もおかしくて。


 それが妙に楽しくて。


 笑った。


 笑いながら。


 湊は思った。


 ああ。


 自分は今。


 生きている。


 そのことを。


 頭で考えたわけではない。


 証明しようとしたわけでもない。


 ただ。


 笑っている自分を感じていた。


 胸が動く。


 息が苦しくなる。


 目に少し涙が浮かぶ。


 そんなくだらない身体の反応が。


 妙に愛おしかった。


「どうしたんですか?」


 ミコが聞く。


「何でもない」


「泣いています」


「笑いすぎただけ」


「そうですか」


「うん」


 ミコはそれ以上聞かなかった。


 二人で黙ってメロンパンを食べる。


 空は少しずつ暗くなっていく。


 街灯が一つずつ点く。


 家へ帰る人が増えてくる。


 誰も。


 湊が笑ったことなんて知らない。


 今日、学校で傷ついたことも。


 昨日、死者と話したことも。


 死神と一緒にメロンパンを食べていることも。


 誰も知らない。


 それでも。


 湊には分かっていた。


 自分の中に。


 確かに今日という日が残った。


 人生というものは。


 もしかすると。


 こういうものなのかもしれない。


 大きな出来事だけが人生を作るのではない。


 朝の雨。


 濡れた靴。


 嫌な授業。


 誰かの一言。


 帰り道。


 コンビニ。


 メロンパン。


 そして。


 意味もなく笑った時間。


 そういうものが。


 何百日も。


 何千日も積み重なって。


 あとから振り返ったとき。


 それが「自分の人生だった」と呼ばれる。


 生きる意味を見つけたわけではない。


 人生が急に素晴らしくなったわけでもない。


 明日が怖くなくなったわけでもない。


 それでも。


 今日、笑った。


 それだけは確かだった。


「ミコ」


「はい」


「明日もメロンパン食べる?」


「はい」


「即答だな」


「楽しみなので」


 湊は笑った。


「そっか」


 立ち上がる。


 空を見上げる。


 雨はもう止んでいた。


 雲の隙間から。


 ほんの少しだけ。


 夕焼けが見えた。


 綺麗だと思った。


 でも。


 そのことを誰かに説明しようとは思わなかった。


 ただ。


 綺麗だと思った。


 それで十分だった。


 その日。


 湊は初めて。


 「生きていてよかった」とは思わなかった。


 そんな大げさなことは。


 まだ言えなかった。


 ただ。


 「今日、ちょっと楽しかった」


 と思った。


 それだけだった。


 けれど。


 その「それだけ」が。


 明日へ続いていくには。


 十分すぎるほどだった。


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