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死神少女が命の源  作者: 和泉 きよ


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13/25

13.僕に似た死者

 その死者は、笑っていた。


 最初に見たとき。


 湊は、少し嫌な気持ちになった。


 死者なのに。


 どうして笑えるのだろうと思った。


 駅前のベンチに、その男は座っていた。


 年齢は、湊とそれほど変わらない。


 高校生くらいに見える。


 制服を着ている。


 鞄を膝の上に置いている。


 スマートフォンを眺めながら、ときどき笑っている。


 普通の高校生だった。


 ただ一つ。


 もう、生きていない。


「……あの人です」


 ミコが小さく言った。


「分かってる」


 湊は答えた。


 なぜか、目を逸らしたくなった。


 死者を見ることには、もう慣れている。


 老人も見た。


 教師も見た。


 家族を待っている女性も見た。


 みんな、それぞれに未練を抱えていた。


 けれど。


 この死者だけは。


 自分に近すぎた。


「どうして笑ってるんだろう」


「分かりません」


「死んでるのに」


「死んでいるからといって、ずっと悲しいわけではありません」


 ミコはそう言った。


 湊は何も言わなかった。


 男がスマートフォンを見ている。


「明日、部活休むわ」


 誰もいないのに、そう呟いた。


 そして笑った。


「明日になったら、怒られるかな」


 湊の胸が、少しだけ痛んだ。


 明日。


 その言葉。


 死者が口にしている。


 ミコは以前、


 「死んだ人は明日の話をしない」


 と言った。


 けれど。


 この男はしている。


「ミコ」


「はい」


「死んだ人も、明日の話をするじゃん」


「……そうですね」


「前と言ってること違わない?」


「違いますね」


「死神なのに?」


「死神でも間違えます」


 湊は苦笑した。


 ミコは男に近づいた。


「こんにちは」


 男は顔を上げた。


「お、誰?」


「死神です」


「……え?」


「死神です」


「冗談?」


「本当です」


 男は湊を見た。


「そっちも?」


「……いや」


「何それ」


 男は笑った。


 その笑い方が。


 妙に普通だった。


 湊は、少しだけ警戒した。


「名前は?」


「佐伯湊」


「俺は――」


 男は名前を名乗った。


 湊は覚えた。


 名前というものは。


 生きている人間にとっては、当たり前のものだ。


 呼ばれる。


 返事をする。


 書類に書く。


 出席を取られる。


 誰かに呼ばれて振り向く。


 それだけのものだった。


 でも。


 死んだ人間の名前を聞くと。


 その名前が急に重く感じられる。


「死んだんだよな」


 湊が聞いた。


「うん」


「怖くなかった?」


 男は少し考えた。


「怖かったよ」


「……そうなんだ」


「でも、ずっと怖かったわけじゃない」


「どういうこと?」


「死ぬ直前まで怖かった。でも、そのあと何か考える暇がなくなったというか」


 男は空を見た。


「気づいたら、ここにいた」


 湊は黙っていた。


 それ以上は聞かなかった。


 死ぬことについて詳しく聞く必要はないと思った。


 大事なのは、そこではない気がした。


「じゃあ」


 男が湊を見る。


「お前は、死にたかったの?」


 湊の身体が固まった。


 ミコも何も言わない。


「……なんで?」


「なんとなく」


 男は笑っていた。


「そういう顔してるから」


 湊は、自分の顔を触った。


「どんな顔だよ」


「疲れてる顔」


 その言葉が。


 妙に胸に刺さった。


 湊は笑えなかった。


「……前は」


 しばらくしてから言った。


「死にたいと思ってた」


「今は?」


「分からない」


「そっか」


 男は、それ以上聞かなかった。


 責めなかった。


 驚きもしなかった。


 説教もしなかった。


 ただ、


 「そっか」


 と言った。


 その一言が。


 湊には不思議だった。


 大人ならきっと。


 「そんなこと考えちゃだめだ」


 と言う。


 誰かは。


 「人生はこれからだ」


 と言う。


 誰かは。


 「もっと頑張れ」


 と言う。


 誰かは。


 「生きていればいいことがある」


 と言う。


 けれど。


 この男は何も言わない。


 ただ。


 「そっか」


 と言った。


「……お前はさ」


 湊が聞いた。


「何?」


「生きてたとき、楽しかった?」


「楽しかったよ」


「じゃあ、なんで死んだの?」


 言ったあと。


 湊は後悔した。


 聞いてはいけないことだったかもしれない。


 男は少し黙った。


「楽しかったからって、ずっと楽しいわけじゃないだろ」


「……うん」


「学校が嫌な日もある」


「うん」


「家に帰りたくない日もある」


「うん」


「友達と話したくない日もある」


「うん」


「何もしたくない日もある」


「……うん」


「でも、それと死ぬことは、同じじゃない」


 湊は顔を上げた。


 男は笑っていなかった。


「俺、昔は全部一緒だと思ってた」


「全部?」


「嫌なことがある。苦しい。逃げたい。消えたい。そういうのが全部、一つのものだと思ってた」


 湊は何も言わなかった。


「でも違ったんだと思う」


 男はベンチから立ち上がった。


「生きるのが嫌な日と、生きることそのものを終わらせたいってことは、同じじゃない」


 その言葉が。


 湊の中に残った。


 静かに。


 深く。


 まるで、水の中に落ちた小さな石のように。


 すぐには何も起こらない。


 けれど。


 底には確かに沈んでいく。


「俺は」


 男が言った。


「学校が嫌だった」


「……うん」


「でも、学校が嫌だからって、人生全部が嫌だったわけじゃなかった」


 湊は目を伏せた。


 自分も。


 同じだったのかもしれない。


 学校が嫌だった。


 人間関係が嫌だった。


 毎日が嫌だった。


 明日が嫌だった。


 その全部を、


 「人生」


 という一つの言葉にまとめてしまっていた。


 だから。


 人生そのものを嫌いになった。


 でも。


 学校と人生は違う。


 今日と一生も違う。


 今つらいことと。


 この先ずっと続くことも。


 同じではない。


「湊」


 ミコが呼んだ。


「はい」


「どうしました?」


「……何でもない」


 何でもない。


 そう言ったけれど。


 本当は違った。


 何かが変わった。


 ほんの少し。


 自分の中の言葉の意味が変わった。


 男が空を見上げた。


「俺、明日の話をしてたんだな」


「……うん」


「死んだのに」


「そうだね」


「変なの」


 男は笑った。


「でも、人間ってそういうもんなんじゃない?」


 湊は答えなかった。


 死者なのに。


 明日の話をする。


 生きているのに。


 明日を怖がる。


 人間は矛盾している。


 たぶん。


 それでいいのだ。


 人間は、一つの気持ちだけで生きているわけではない。


 生きたいと思いながら、


 逃げたいと思う。


 楽しいと思いながら、


 つらいと思う。


 誰かに会いたいと思いながら、


 一人になりたいと思う。


 明日を楽しみにしながら、


 明日なんて来なければいいと思う。


 そのどちらも、自分なのだ。


 片方だけを本物にする必要はない。


「じゃあ」


 男が言った。


「俺、そろそろ行くわ」


「どこへ?」


「さあ」


 男は笑った。


「死神にも分からないんだろ?」


 ミコが少し困った顔をした。


「分かりません」


「じゃあ、行ってみる」


 男は歩き出した。


 数歩進んでから。


「あ」


 振り返った。


「湊」


「何?」


「明日、何食べる?」


「……え?」


「明日、何食べるか決めてないだろ」


 湊は少し考えた。


「……メロンパン」


 男は笑った。


「じゃあ、明日食べろよ」


 それだけ言って。


 男は歩いていった。


 やがて。


 夜の街の中へ溶けるように。


 姿が見えなくなった。


 湊はしばらく立っていた。


「ミコ」


「はい」


「死ぬって」


「はい」


「死にたいと思うことと、同じじゃないんだな」


 ミコは答えなかった。


 少しだけ考えて。


「……はい」


 とだけ言った。


 湊は空を見上げた。


 昨日まで。


 「死にたい」という言葉は、自分の中で一つの大きな塊だった。


 苦しさも。


 怒りも。


 疲れも。


 孤独も。


 逃げたい気持ちも。


 全部そこに入っていた。


 けれど。


 今は少し違う。


 学校が嫌だ。


 人間関係が嫌だ。


 疲れた。


 逃げたい。


 今日はもう何もしたくない。


 そういう一つ一つの感情は。


 それぞれ別のものなのだ。


 別々だから。


 別の方法で向き合える。


 全部を一つにして、


 「だから終わり」


 と決めなくてもいい。


 湊はポケットの中を探った。


 昨日買ったメロンパンの袋が出てきた。


 もちろん、中身はもうない。


 ただの空袋だった。


「……腹減った」


 ミコが言った。


「死神なのに?」


「死神でも、お腹は空きません」


「じゃあ何で?」


「食べたい気がします」


 湊は笑った。


「じゃあ、何か食べるか」


「はい」


 二人は歩き出した。


 死者は、もういない。


 街には、生きている人だけが残っている。


 誰かが笑っている。


 誰かが電話をしている。


 誰かが急いでいる。


 誰かが家に帰っている。


 誰かが明日の予定を考えている。


 湊も。


 明日の予定を考えていた。


 メロンパンを買う。


 学校へ行く。


 嫌なことがあったら、逃げてもいい。


 つらかったら、誰かに話してもいい。


 それでも嫌なら、別の場所へ行ってもいい。


 人生は一つしかない。


 だからこそ。


 一つの学校や。


 一つの人間関係や。


 一つの今日だけで。


 全部を決めなくてもいい。


 そんな当たり前のことを。


 湊はようやく知り始めていた。


 そして。


 その当たり前を知るために。


 自分は一度、死の近くまで行ったのだ。


 そのことだけは。


 まだ少し。


 怖かった。


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