15話 起きろっつってんだろ
「はぁ……! はぁ……! はぁ……!」
走る。走る。走る。
息が切れるのも構わず廊下を突き抜け、階段を駆け上がり、その先の屋上への扉を乱暴に開く。
バン!
扉が開くと、まず夕陽の赤が網膜を塗りつぶしてくる。しばし視界が光に包まれ、やがてそれが止むと、見えてきたのは……
意識を失った様子で屋上の地面に寝かされている、ふわふわとした茶髪のショートボブの少女。それは間違いなく探し求めていた――
「小春!」
しかし、屋上にいたのは彼女だけではなかった。もう一人、男子の制服を着た生徒が、小春の上に覆いかぶさるような姿勢で地面に両手をついていて――
ブチっ
「――てめぇ! 小春に何してやがる!」
それが何者なのかを認識する前に、怒りが背を後押しし、足を前に進ませる。が……
「おっと! 行かせねぇぜ」
背後から聞こえたその声と共に身体を羽交い絞めにされ、持ち上げられ、動きを封じられる。足は地面を空振り、宙を蹴った。
(な……クソ! 他にも誰かいやがったのか……!?)
どうやら扉の陰にでも隠れていたらしい。
それが誰なのかを確認すべく振り向くのと、背後のそいつが声を出すのは同時だった。
「しばらくぶりだなぁ、一ノ瀬の弟」
「てめぇ……堀田の野郎か!」
確かに階下の不良共の中には姿が見えなかったが……じゃあ、小春に手を出そうとしてるクソ野郎はいったい……
そこでそのクソ野郎が、騒ぎに気づいて立ち上がりながらこちらを振り向く。精悍な顔つきに眼鏡をかけたそいつのツラに、俺は見覚えがあった。
「……生徒会長……!?」
そう。そこにいたのは、生徒や教師から信頼され、優秀で完璧な生徒会長と謳われる男、須堂龍我だった。
「やあ、一ノ瀬晴人くんじゃないか。あの男がいない今、邪魔をしに来るなら君だろうとは思っていたが……予想よりずいぶん早いな」
その男は、この状況でも平然とした態度を崩さなかった。いっそ爽やかとさえ言える声色で、純粋な疑問の声を投げ掛けてくる。
「どうやってここを突き止めたのかな。いや、場所だけじゃない。足止めするように言っておいたはずだが、それも突破してきたということか。どうやら君を見くびっていたようだね」
「……どういうことだ。なんなんだ、この状況は!」
不良共の仕業だと思っていたところに予想しない人物が現れたのだ。俺は混乱していた。
「君は察しが良いのか悪いのか分からないね。どうも何も、見たままさ。僕が古城くんを攫って、彼らにはここに来る者を妨害するように言っておいたんだよ」
「てめぇらなんでつるんでやがる! 会長と不良グループだろ!」
「何。ただの利害の一致さ。僕は手駒が欲しかった。彼らは金銭が欲しかった。シンプルな関係だろう?」
「へへへ、そういうこった。その生徒会長さまは俺らのパトロンってやつさ。ああ、そういえばこの間てめぇに絡んだのも、理由の半分は須堂の命令だったな」
は? って、校舎裏に呼び出されて返り討ちにした時の話か……?
「なんのためにそんなことを……」
「君がどの程度の男か確かめたかった。まぁ、ケンカの腕は想定以上だったが、それ以外は噂通り凡庸だ。あの男――一ノ瀬章人ならばもしかしたら、僕と彼らの関係に勘付いたかもしれないがね」
「……さっきからずいぶん兄貴を気にするじゃねぇか。つまりてめぇはこの堀田と同じで、目障りな兄貴が姿を消してようやく羽目を外した小物ってことかよ。クソダセぇな」
その瞬間――
「……なんだと?」
それまで泰然としていた須堂の雰囲気が、ガラリと変わる。
「なんだその言い方は……? それではまるで僕があの男を恐れているようじゃないか……?」
「ハっ。事実だろうが。兄貴が怖かったから、いなくなった途端にこんなことしでかしてんだろ――」
「黙れっ!」
品行方正と称されているはずの生徒会長は、整った相貌を突然醜く歪め、人が変わったように怒声を上げる。
「恐れてなどいるものか! 僕があの男に劣る点など一つもない!」
そして、怒りを抑えきれないと言わんばかりに荒い息を吐く。
「だというのに生徒共は、誰よりも優秀である僕ではなく、あの男を生徒会長に選んだ……! しかもあいつは、あろうことかそれを……僕が望んでやまなかったその会長の座を、簡単に譲り渡すと言ってきた……! まるで、貧しい者にパンを恵むように……自分にとってなんの価値もないというように……。……その時の僕の屈辱が! 怒りが! 君に分かるか!?」
去年の会長選での話だろう。噂には聞いている。得票率二位だった生徒に兄貴が会長職を譲った話は、一般的には美談として語られていた。
しかし、当の譲られた生徒――須堂からしてみれば……
そうして怒りを吐き出す様を目にして、俺は急速に目の前の男を理解する。つまりこいつは……
(ある意味俺と同じ、兄貴の被害者ってことか……)
だが同情する気にはなれない。当たり前だ。なぜなら――
「……要はてめぇ、その件で兄貴を恨んで、腹いせでこんなことしてやがるのか。……そんなくだらねぇことに小春を巻き込んでんじゃねぇよ……!」
「……ふむ。それについては、誤解があるな」
さっきまでの憤怒はどこへやら、須堂は急に冷静になり、こちらの言葉をやんわりと否定する。情緒どうなってんだ。
「僕があの男を憎悪しているのは君の言う通りだ。だがそれに古城くんを巻き込んだわけではない。僕は彼女に、本心から好意を抱いている」
「……あん?」
急に何言ってんだこいつ。
「この美貌にスタイル。慎ましやかな人柄。全てが素晴らしい。まさに理想の女性だ。僕に相応しいのは彼女をおいて他にいない。だが……」
ここでまた、須堂の様子が変わる。理解できないというように眉根を寄せる。
「だがおかしいんだ。僕の告白を、彼女はなぜか拒んでしまった。頼りにしていた一ノ瀬章人は姿を消して久しいというのに、まだ彼女の中にはあの男が居座っているのか? それとも、君が新たな拠り所なのか?」
「……おかしいのはてめぇだろ。もうフラれてんなら、大人しく引き下がれよ」
しかし須堂は、こちらの声が聞こえていないかのように独白を続ける。
「だが僕は諦めない! 彼女の心に巣食う君たち兄弟の幻影を打ち消すには、それ以上の衝撃的な繋がりを彼女と築けばいいと結論付けた! だから今回の計画を考えた。彼女の答えがどちらであろうと関係ない。僕は今日、ここで彼女と結ばれる!」
その言葉の意味を理解するのに、数瞬の時を要した。
「……ここで、って……まさか、『ここ』でする気か!?」
この屋上で!? 屋外で!? 俺たちが見てる前で!?
「僕は初めて契りを交わす時は、その地で最も高い場所ですると決めていたのだよ! ここなら生徒もそうそう入ってこない! 打って付けだ!」
「ざけんなこのクソ童貞変態野郎が! てめぇなんぞに小春を汚させてたまるかよ!」
俺はそれまで以上に拘束を逃れようともがくが、体格も腕力も勝る上級生の腕を引き剥がすことができない。
「あの男の弟、一ノ瀬晴人くん! どうか特等席で見届けてくれたまえ! 堀田くん! 彼をしっかり押さえつけておいてくれよ!」
そう言うと須堂の野郎は制服のズボンを下ろして跪き、再び小春に覆いかぶさろうとする。
「へへへ、了解。……諦めな。お前にゃ何もできねぇよ」
「クソざけんな! こんな、こんなことで……小春! おい、起きろ、小春!」
せめて、小春が起きて自力で逃げてくれれば……
「無駄だよ。あと一時間は起きない計算だ。何度呼び掛けようと――」
「うるせぇ、黙ってろ! ……小春! 起きろっつってんだろ、小春! こは――……ハル姉ぇっ!!」
ピクリと、彼女の身体が反応する。
「……ん……」
そして、まぶたが薄っすらと開いてゆく――




