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【完結】兄が異世界に行った弟の話  作者: 八月森


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10話 それだけじゃないんだよ

「お帰り、晴人(はると)。あら、小春(こはる)ちゃんも一緒なの? この間はお弁当届けてくれてありがとうね。――え? これから晴人の勉強見てくれるの? それは助かるわぁ。後でお菓子と飲み物届けに行くからね。さ、上がって上がって」


   ――――


「……もう、入ってもいいぞ」


「あ、うん。お邪魔します」


 というわけで。

 あれよあれよという間に俺の部屋に小春を招いて勉強会を始めることになった。急だったので、慌てて中を片付ける羽目にはなったが……


「晴人くんの部屋に入るの、久しぶりだね。最後に入ったのは小学生の頃かな」


「そんなに前になるか」


 小春は懐かしむように部屋の中を見回す。記憶と変わった部分を探しているのかもしれない。といっても、昔と取り立てて変わったところはないと思うが。


 物が溢れた勉強机にシングルベッド。漫画や小説が並んだ本棚。本は床にも何冊か溢れている。


 モニター代わりの古いTVに、これまた旧式の据え置きゲーム機。この二つは兄貴からのお下がりだ。


 脱ぎ散らかしていた衣服はまとめて押し入れに放り込んだので、最低限人を呼べる見た目にはなった……はずだ。ちょっと自信ないが。


 それよりも……


 ここ数年は小春がうちに来たとしても、兄貴の部屋にしか出入りしていなかった。


 俺はといえば、学年の壁で距離が離れ、思春期を拗らせ素直に向き合えず、兄貴と一緒にいる小春を見たくないのもあって、自室に籠ったり外に出たりと時間をずらして過ごしていた。


 だからこれは快挙だ。数年ぶりに俺の部屋に小春がいる。しかも兄貴の邪魔がないというおまけ付き。……まぁ、やることは勉強なのだが。


 折り畳みの小さなテーブルとクッションを出し、小春に座るよう促す。俺もどこかソワソワしながら、彼女の対面に腰を下ろした。


「それじゃ、早速始めよっか。晴人くん、昔から国語は得意だったよね。じゃあ、それは後回しにして、苦手な科目を集中してやったほうがいいかな。一番苦手なのは?」


「……数学」


 さっき(つまづ)いてるといった一番の要因が、この数学だった。特にアルファベットが混じる文字式や方程式などには中学の頃から苦汁を飲まされてきた。数字だけでも苦手なのになんで文字までしゃしゃり出てくるんだよ、めんどくせぇ。


 そんなレベルの俺に、小春は辛抱強く丁寧に教えてくれた。俺がどこまで身についてるのか確認し、出題範囲と照らし合わせ、必要な公式を覚え込ませる。後はとにかく練習問題を解く。頭より身体に覚えさせる感じだ。


 その甲斐あってか、初めはさっぱり分からなかった問題群も、少しずつ、少しずつ解けるようになっていった。ようやくテスト範囲の輪郭が掴めてきた、ぐらいの感覚だが。


「……よし。なんとか解けたぜ、こは――」


 呼び掛けようとして、気づく。

 俺が問題を解いている間、小春は浮かない顔で部屋の入口に、その向こうを見るように視線を傾けていた。入口の先、この部屋の向かいにあるのは――兄貴の部屋だ。


「……なぁ、小春」


「え? う、うん。何かな」


 小春は名前を呼ばれてようやく、慌てたようにこちらを向く。その目を見ながら、俺はぽつりと問いかけた。


「……兄貴がいなくなって、寂しいか?」


 それに一瞬不意を突かれたような表情を見せてから、彼女は静かに答える。 


「……うん。寂しいよ。ずっと一緒にいたもんね、わたしたち」


(…………そう、だよな)


 ずっと傍にいた人間が突然消えたのだ。当たり前の反応だと頭では分かっている。

 けれど心は、引き出した本音に打ちのめされた。やっぱり、俺じゃ足りないのか――


「でも、それだけじゃないんだよ」


「……?」


 顔に疑問符を浮かべる俺に、小春は穏やかに言葉を紡ぐ。


「いなくなって初めて気づいたんだ。わたし、今までアキちゃんに頼り切りだったんだな、って。子供の頃からずっと、助けられてばかりだった」


「……」


「だから、それじゃいけないって思ったの。わたしは、わたしにできることをもっと探さなきゃ、って。今ね、生徒会の仕事を手伝ったりしてるんだよ」


 生徒会……じゃあ、会長の野郎と談笑してたのは――


「それに、悪いことだけじゃなくて、嬉しいこともあったから」


「嬉しい?」


「うん。だって……こうやってまた、晴人くんと普通に話せてる」


「……小春……」


 胸の奥が熱くなる。嬉しく感じているのは俺ばかりかと思い込んでいたが、小春も同じように感じてくれていたのか……


 視線が絡み合う。小春の瞳には俺の姿が、俺の目にも小春の微笑みしか映っていない。


 耳に届くのは外から響く雨音と、それをかき消しそうなほどに脈打つ心臓の鼓動だけ。


 テーブルに置かれた小春の手に、自分の手をそっと触れさせる。ピクリと反応するが、拒まれはしない。そのまま俺は、彼女の手を覆うように指を絡め――


 バン――!


「二人共ー! お菓子と飲み物持ってきたわよー! ……あら? どうかした?」


「なな、なんでもねぇよ!」


 慌てて手を離しそっぽを向く俺を、突然現れた母さんは怪訝な目で眺めていた。


「変な子ね。まぁいいわ。しばらく頑張ってたみたいだし、そろそろ休憩しなさい。ほら、そこ片付けて」


「あ、おばさん。わたしも手伝います」


「相変わらずいい子ねー小春ちゃん。早くお嫁に来ればいいのに」


「ふぇ!?」


 恥ずかしさからか、小春は瞬時に耳まで真っ赤になる。


「おい。まだ帰って来てねぇのに、さすがに無神経だろ」


 兄貴との仲をからかうにしても、本人が無事に帰ってきてからだろう。そう思っての発言だったのだが……二人は顔を見合わせ、困ったように笑みを浮かべる。


「我が息子ながら鈍いわねー。誰に似たのかしら」


「あん?」


「いいのよ。なんでもないわ」


 そう言うと母さんは、小春の肩を意味ありげにポンと叩き、さっさと部屋を出て行ってしまった。なんだってんだ。


「とりあえず、いったん休憩にしよ?」


「……そうだな」


 釈然としないものを抱えたまま、テーブルに置かれたジュースやチョコレート菓子に口をつける。舌の上に甘さが広がり、勉強で疲労した脳に糖分が染み渡っていった。

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