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自宅警備員=ニートではない  作者: 七城 七瀬
第一章 希望に溢れる三千世界
20/55

生者たちへの福音~It's the only neat way of life~

 夜の静寂を引き立たせるように空には無数の星が瞬いていた。光って瞬いて、そして消えてゆく小さな明かりは人間の一生にも似ている。この雄大な世界、銀河の彼方には人の目に映らずひっそりと消えてゆく明かりも数多くあるのだろう。だが、そんな切なさもまた一興なのかもしれない。

 そんな憂いにも似た心情で空模様を眺めている。

 今日は雲も少なく、優しい月明かりが俺たちを優しく照らす。焚き火もしているので周囲は結構見渡せる。


 月明かりの下で見渡す世界はただただ美しかった。人類という名の害悪が取り除かれた景色というものはいつまでもどこまでも魅入ってしまう。


 そんな退廃的かつ神秘的な世界の片隅で、俺と雨音は肩を並べて見張りをしている。俺らを襲うゾンビの姿はない。このまま朝まで何もないといいんだが……。祈りにも似た気持ちで瞳を閉じる。……あっ、寝ちゃいそう。


「理人と二人っきりなんて初めてだねぇ。結構長い間一緒にいるのにこういうことって今までなかったねぇ?」


 俺らの隣で要と珠理が寝ているから二人っきりと言うのは無理がある。


「黙ってるけど大丈夫なのぉ?」

「悪い、寝そうだ……」


 正直に言うと、今起きてるのが不思議なくらいだ。


「理人も寝たらぁ?」

「いや、いい。起きとく」


 ここで俺が寝たら雨音が一人になってしまう。それだけは避けなくてはいけない。こいつ一人にしたら……爆弾使う。目を覚ましたら一帯が焼け野原なっている恐れがある。それだけは阻止したい。


「じゃあお話しようよぉ」

「そうだな。それで、なんの話?」

「うーんとぉ……。あ、前から気になってたんだけど、理人ってなんでニートやってたのぉ? この際だし教えて欲しいなぁ」

「ええ!?」


 本気で言ってんの!? やだやだやだ!


「チェンジ! 話題チェンジ!」

「えぇー、じゃあ私も教えるからぁ」

「……笑わない?」

「笑わないよぉ」

「……わかったよ、教えるよ。特別だからな!」

「じゃあどうぞぉ」


 しかも俺から!? これ何ファースト? ニートファースト?


「お前も絶対に言えよ! 神に誓えよ! あと指切りしよう」

「何その小学生みたいなノリぃ?」


 雨音と指切りをして心の準備をする。

 雨音は絶対笑わない。それはわかってる。けれど話すかどうかというのはまた別の問題。


「はやくはやくぅ」


 急かすな!


「昔話を躊躇うなんて理人も子供だねぇ」


 煽るな!

 もう言うしかないな……。どうにでもなれ。

 意を決して口を開く。


「雨音、百崎学園って知ってるだろ?」

「知ってるよぉ、九十九市で一番の進学校だよねぇ。知名度って全国区だから知らない人の方が少ないと思うよぉ?」


 雨音の言う通り百崎学園とは九十九市で有名な進学校だ。それと同時に日本でもトップクラスの学校だ。当然生徒の学力は高く、百崎学園に通う人はエリート中のエリートと呼ばれ、将来も期待される。


「俺あそこ受験して落ちたんだ」

「えぇ!?」


 雨音が大きな声を出した。その声で隣で寝ている二人はむにゃむにゃ言っている。


「……小さな声で話そうか」

「そ、そうだねぇ」


 二人を起こさないように声のボリュームを下げながら話を続ける。


「理人って勉強できたんだぁ……」

「昔の話だよ。昔は頭よかったんだよ。今じゃただのゴミカスだけど」


 俺は中学までは神童だ、天才だと呼ばれたエリートくんだった。テストはいつも学年トップで百崎学園にも合格間違いなしと言われていた程だ。


 だが落ちた。


 天才だなんだと呼ばれて天狗になっていたわけじゃない。それどころか、毎日毎日机にかじりついて勉強三昧だった。俺の小学校、中学校の思い出はほぼ勉強で構築されている。我ながら暗い学生時代を送ってきたが、当時の俺はそれが全てだった。将来、何かになりたかったという志はなかった。ただ、勉強だけが俺の存在を証明できる唯一にして最強の武器だったんだ。だからより高みを目指そうと思った。努力というものは裏切らなかった。やっただけの結果が出て、そして誰もが俺を羨ましそうに見る。

 その視線が心地よくて、人と繋がりを持たないぼっちの俺からしたらそれは、他者との無二の交流の道具だった。


 そんな勉強漬けの毎日を送り、迎えた受験当日。

 その日は体調が悪かったとか、遅刻したとかでもない。

 万全の体調で、自信満々で挑んだ。


 だが落ちた。


 その日のことは今でも鮮明に思い出せる。


 人間にとってどんなに嬉しいことも、楽しいことも、幸せなことも、悲しみには勝るものはないんだとこの時知った。辛い思い出の方が脳裏に焼き付いて離れない。


 無感情な涙がぽたりと一粒落ちた感覚を今でも覚えている。


 学校に張り出された合格者の番号をいつまでも眺め続け、ふと気付いた時、俺は地面にへたりこんでいたのを今でも覚えている。


 嬉々とした声がひどく耳障りで、自宅に帰っても頭から離れなくて、鳴り止まなくて、なぜかまた、涙がこぼれ落ちたのを今でも覚えている。


「一応滑り止めの高校には受かったんだけど行く気になれなくて……。それでも無理して高校行ってたんだけど……一週間で不登校になって一ヶ月で中退した……」

「……そう、なんだぁ」


 受験に落ちた。


 ただそれだけのこと。

 それだけのことが俺にはこれ以上ないという程の絶望だった。

 今まで積み上げたことへの否定。


 結果がでなければ全て無駄なんだ。努力は無駄にならないというのはただの誤魔化しだ。負け犬の遠吠えでしかない。周囲の嘲りから耳を塞ぐ体のいい戯言だ。大事なのは結果だけ。


 結果というのは全ての肯定と否定だ。

 結果がよければ努力も自身も賞賛され、称えられる。

 結果が悪ければどんな努力も無駄になり、何も残らない。


 それが齢十五の俺が悟った真理。


 不登校になったあとはネトゲだ、アニメだ、漫画だ、ラノベだと毎日を自堕落に過ごした。

 俺の無気力な瞳にはフィクションの世界がとてつもなく魅力的に映った。どんな絶望的な状況も最後はみんな笑ってハッピーエンドを迎える。そんな作品にひどく惹かれ、すぐにその世界にどっぷりとハマった。


「こんな輝かしい過去のこと話すつもりなかったんだけどな」


 俺の右手の中指には今もペンだこが残っている。

 今になっては、これだけが俺の努力の証拠だ。


「天才だって言われた俺だけど今じゃ平凡以下だ」


 俺に向けられた尊敬と羨望の眼差しは嘲笑と軽蔑の眼差しに変わった。


 長い人生の中で、俺みたいに躓く人は数え切れない程いるのだろう。それでもなんとか立ち上がって、しんどい思いをした人がいつか大きな成功を掴むのだろう。

 俺にはできなかった。

 俺は躓いたまま動けずにいる。

 今の世の中じゃ勉強なんて大した価値がないのに。学校なんて無いのと同じなのに。

 勉強という俺の唯一の武器は世間の荒波に揉まれ、あっさりと失ってしまった。失ったものを探すこともできず、代わりのものを一から作り上げることもできない。


 たった一度の失敗から立ち直れず、ネチネチと過去にこだわる。

 必要なものが不必要になり、不必要なものが必要になった世界で、扉の向こうが見えているのに進めない。

 みんなは苦しくて、辛くて、投げ出したくなるような思いをしながら必死に生きている。生き続ける。今も、昔も、これからも。


「俺が兵士になった理由は家族といたくなかったからなんだ。俺は世界を元通りにしたいなんて思ったこと一度もない。リーダーなのに情けないよな……」




 俺には無いんだ。生きる、生きているという感覚が。ただ呼吸をして、ただ心臓が動いているだけ。ゾンビと大して変わらないのかもしれない。なんとなく今日をやり過ごしている。だからいつまでも前に進めない。




「情けないとは思わないよぉ。挫折なんて誰だってするよぉ。挫折を乗り越えるのは簡単じゃないし誰もができることじゃない。立ち直れずに生涯を終える人もいる。理人がなんとなく生きた今日は必ず明日につながるんだよぉ。生きてるといいことあるなんて確信をもって言えないけど、生きてなくちゃ何も生まれないよぉ。まだ見ぬ明日は輝いてるよぉ、きっとね」


 雨音はそう言ってにっこりと笑った。いつもの柔らかい口調ではっきりと。


 楽天的な考えだ。俺にはそんな発想できなかった。できないから、こんなにも雨音の言葉が胸に響くのだろうか。


「今の世の中ってすごいよねぇ。どんな失敗も死ぬことに比べれば無傷と一緒だもん」

「……俺には、何が何でも生きてやるっていう強い信念が無いんだ。それは、人間としての死じゃないか?」


 使命感はある。でもそれは俺の意思ではない。これしかできないから、これしかすることがないからやっているだけだ。そんな思いを信念とは言わない。ただの義務。




「そうかなぁ? 生きてる理由がある人の方が珍しいと思うよぉ。みんななんとなくで生きて、いつ死ぬかなんて考えてない。とりあえず今日を適当に生きて、明日も明後日もずっとそうして生きていこうって人ばっかりだよぉ。人間ってそんなもんだよぉ。明確な理由なんて無い、ただのこじつけ。理人はもっと気楽に生きていいと思うよぉ」


 一呼吸置いて、「答えを見つけなくてもいい、気にしなくてもいいんだよ」と雨音は続けた。


 その言葉を聞いた時、俺は雷にでも打たれたような気分だった。

 人は、ただひたむきに生きているだけで誰かを救うということがあるらしい。


 自由気ままに自堕落に過ごしてたつもりが知らず知らずのうちに自分をもっと苦しませるような生き方してたのだろうか。


「そうやって生きていたら、絶対にやり遂げようって強い志みたいなのができるんじゃないかなぁ。それがこじつけた生きる理由になると私は思う」


 俺と同じ歳で、俺より多くのことを考えている雨音にひどく憧れてしまった。


「ごちゃごちゃ考えなくていいんだよぉ。私もこうやって自分に言い聞かせたんだ」


 そっか、さっきのは雨音自身にも当てはまる事なんだ……。


「強いな、雨音は」

「そんなことないよぉ」


 仮初の強さでも、空元気でも、俺から見たら雨音は十分強く見えた。そんな強さが羨ましくて、自分が小さく思えてしまった。


 ふとしたことがきっかけで自分の考えなんてすぐに変わるものだ。


 例えばそれは家族の言葉だったり、友達の言葉だったり、尊敬する人の言葉だったり、学校の先生の言葉だったり。例えばそれは……。


「頑張ったねぇ。今までずっと一人で頑張ってたんだねぇ。今まで頑張ったんだから少しくらい休んでもいいよぉ」


 そう言って優しく頭を撫でられた。まるで姉が弟を励ますような、そんな温かく心地いい声で言い聞かす。


「あの……恥ずかしいんだけど……」

「まぁまぁ」


 雨音は俺の意思を無視し、しばらくの間頭を撫で続けた。


 気楽に、か。

 なんとも言い難い曖昧でいい加減なアドバイスだ。それなのに、不覚にも心を打たれてしまった。そんな風に生きてみたいと思わされてしまった。

 俺は思わず俯き、目を閉じた。

 油断したら泣いてしまいそうな程嬉しかったんだ。俺は誰かに言って欲しかったんだ。責め立てるわけでもなく、見捨てるわけでもなく、あっけらかんと向き合って欲しかっただけなんだ。今みたいに、身一つで俺と向き合って欲しかった。ただ、それだけなんだ。

後ろ向きな考えが消えたわけじゃない。けれど、少しだけ、ほんの少しだが前に進めた、そんな気がした。


 だから、しっかり覚えておこう。今日のこのことを。

 何があっても忘れないように、記憶に焼き付けておこう。

 悲しい思い出を上書きするように。塗り替えるように。

 時が止まったように感じてしまうこの街で、こんなにも優しい時間があることを。

 今はただ、覚えておこう。


「雨音、俺いいことあったよ」

「もう?」

「ああ。ニートになってよかったかもな。ニートじゃなかったらゾンビに殺られていたかもしれないし、みんなにも会えなかっただろうし。何よりこんな風に雨音に励まされることがなかった。後悔はしてるけど、人生損したとは思えない。思えないようになった」


 今は生きていたい。


 どうしようもないくらい、声にならないくらいに生きていたいって思う。

 まだ見ぬ明日ってやつを見てみたい。どんな風になるかは俺次第。俺が描いて、俺が物語を進めていく。俺の明日はまだ誰も知らない。知らないから今は希望を持てる。絶望に変わらないように、想像の斜め上を行くように、俺は明日を描く。


「俺の話はこれでおしまい。次は雨音だ」


 強引だが話をやめ、雨音にバトンを渡す。


「私はねぇ、中学一年の時から不登校だったんだよぉ」


 早いな。俺とは違う意味でエリートだな。


「いじめられてたんだぁ」

「いじめ? お前が?」

「そうだよぉ、この話し方がうざいってよく言われたんだぁ」


 雨音特有のほんわり、のほほんとした話し方。俺は別にうざいとか思ったことはない。それどころか先程この話し方に救われた。きっと俺だけじゃなくて要も珠理もうざいなんて思っていない。


「この話し方ねぇ、雪音っていう三つ上のお姉ちゃんの真似してるんだぁ」


 そういえば今日寝言でお姉ちゃんって言ってたな。話し方も普通だった。キャラ作りしてるのかと思ってた。


「ホントはちゃんとした話し方できるんだよぉ。大して変わらないと思うけど、今だけ変えてみようかぁ?」

「あ、ああ。変えてみてくれ」


 なんとなく気になったのでお願いすることにした。


「わかった、この話し方久しぶりだな」


 おお、なんか違和感ある。雨音じゃないみたいだ。話し方一つで随分と印象が変わるものだ。


「それで、どうして雨音はいじめられてたんだ?」


 こういうのって訊きにくいな……。


「私が小学生の頃事故で亡くなっちゃたの」

「…………」


 何も言葉が出てこなかった。頭が真っ白になるというのはこういうことなのだろう。気の利いた言葉は出てこず、それどころか相槌を打つことすらままならない。


「お姉ちゃんは勉強もスポーツも完璧で誰からも好かれる人だったんだよ。それに対して私ははっきり言って出がらしみたいな存在です」


 はっきり言いすぎだよ……。もうちょい自己評価上げても怒られないよ?


「可愛くて、明るくて自慢のお姉ちゃんだった。本当にみんなから好かれてて……だからお姉ちゃんが亡くなった後、みんな辛そうだった。私も辛かった。お父さんとお母さんは塞ぎ込んで日に日に痩せていった……。そんな二人が見てられなくて、お姉ちゃんの真似をするようになった。でもダメだった……。私はお姉ちゃんの代わりにはなれなかった。それどころか二人はもっと塞ぎ込むようになった。私が家庭を壊したの……。それなのに小さい頃の私はそれがわからなかった。学校でもお姉ちゃんの真似をしてみんなを傷つけた……。それでもやめることができなくて、いつからかうざい、キモいって言われるようになって、いじめられるようになった」


 雨音は平気な顔をして過去を語る。

 俺は相変わらず何も言えずにただ黙っていることしかできなかった。


「ある日言われたの、『雪音じゃなくて雨音が死ねばよかったんだ』って」


「……っ」


 この言葉は、この言葉だけは、雨音の悲痛な叫びのように聞こえた。


 残酷で非情な言葉だ。彼女に告げられたその言葉がどれだけ傷つけることになったのか、俺には想像すらできない。


 悲しくて、悲しくて、悲しくて、俺の方が泣いてしまいそうだった。ぎゅっと拳を握り、唇を噛み、潤む瞳を閉じる。


「理人には気楽に生きろなんて言っておいて自分はできてないんだよ」


 そう言ってあははと乾いた笑い方をする。

 

 片や俺はと言うと、辛くて、辛すぎて、息もできないくらいだ。

 雨音は俺の背中を押してくれた。それなら俺も押し返さなければならない。

 でなければ、俺がここにいる意味がない。


「その言葉が頭から離れなくて……また誰かに言われるんじゃないかって思うと嫌になっちゃって、閉じこもった。この左腕の傷ね、その時つけたの。もう、本当に死んじゃいたいって思って……でも死ねなかった……。何度も何度もやったけど、痛くて、怖くて、辛くて、悲しくて、死ねなかったの……。死ぬ度胸もないのにこんなことして馬鹿みたいだよね……」


「俺は雨音が生きててよかったって思う。俺は雨音に会えて嬉しいよ。雨音は雪音さんの代用品じゃないだろ。お前が死んだら……俺は泣くぞ。要も珠理も絶対泣く。だから死ぬなよ。俺らを泣かせるな」


 ようやく出せた言葉は稚拙でありふれた言葉ばかりだ。それでも伝えなければならない。不格好でも下手くそでもいいから自分の想いを。


「もう泣いてるじゃん。なんで理人が泣いてるの?」


 気付けば頬に冷たい感覚があった。


「辛かったんだよ、悪いか」

「理人……」


 いつの時代でも死ぬほうが楽で生きる方が辛い。これだけは変わらない。生きるということは苦痛でしかない。死にたいと心から思う時は必ず生きていて、生きたいと切に願う時は自分でもわかるくらいに死が近づいている。


 望むことは叶わず、祈りは届かず消えてしまう。


 あまりにも酷な話だ。

 形は違うけれど、みんな悲しい過去がある。同じ穴の狢だからこんなにも胸が締め付けられるような痛みがある。


 こんな気持ちになるのなら、こんな思いをするのなら、俺は今、確実に生きている。今も間違いなく人間として生きているんだ。


 だからこそ俺は……。

 人間として……。


「俺は雨音の味方だからな。何があっても雨音を受け入れる。だから、一人で抱え込まないでくれよ。俺もそうするから。黒歴史語った仲間なんだからありのままいられるだろ? 昨日のことだけど俺さ、本当はすごく怖かったんだ。みんながうちに来てくれた時、思わず抱きつきたくなるほど嬉しかったんだ。俺はみんなが大好きだ。みんなみたいな友達にはもう出会えそうにない。というかいないだろうな、こんなふうに自分をさらけ出せる友達なんて。一人でも欠けたらダメなんだ。頼むから、もう二度と死にたいなんて言わないでくれ」




 今、声高らかに生命の叫びを上げる。


 痛いくらいに生きていると、雨音に伝えるために。


 生きて欲しいと、雨音に届くように。






「雨音が生きててよかったって思える世界を、俺が作ってやるから」






 そうだ、これだ。これにしよう。いや、きっとこれ以上の目標はない。俺の背中を押してくれた女の子にしてあげられる最大限のことはこれ以外思い浮かばない。

 自然と眼前の闇が消え去り、光が差し込んできた。そんな晴れやかな気分だ。


「俺は雨音のために生きるよ。だから雨音も、俺のために生きてくれないか?」


 この想いだけは絶対になくさない。

 望みでも祈りでもない。これはただの目標。それなら、消えることはないだろう。


「……ばか」


 小さな声で呟き、そっぽを向いた。


「なんでだよ!」

「……嬉しいけど、嬉しいけどそういうこと言っちゃだめだよ」


 雨音は服の袖で瞳を拭いながら言った。

 辛い過去を話していた時は泣いていなかったのに今は大粒の涙を流して泣いていた。


「……理人」

「ん?」

「さっきのこと、期待していい?」

「ああ」

「理人のために生きていい?」


 弱々しく潤む瞳で俺をじっと見つめている。上目遣いで見つめられると思わず目をそらしてしまいそうになる。それでも、恥ずかしくても目はそらさない。どんなことから逃げようとも、雨音からは逃げない。


「そうしてくれ、そうしてくれないと困る」


 頬を撫でる風が心地いい。先程まで寒いと感じていたのに今は妙に暖かい。


「……私は死なないよ。私ね、今すっごく楽しいんだ。おかしいよね? 世界はゾンビだらけでこんなにも歪なのにすごく不謹慎なこと思ってる」

「雨音だけじゃないよ。俺も楽しい。みんなといるのが楽しくて仕方ない」

「私といるの……楽しい?」

「楽しいよ、すごくすごく楽しい。人生で今が一番楽しい」

「そっか、よかった……」


 雨音は安心したように息を吐いた。


「私ね、みんなは何があっても守るって決めてるんだ。みんながいるから今までなんとか生きてこれたから」


 今まで見たことがないような表情と真剣な眼差しでそう言った。


「俺もだよ。みんなとは長い付き合いになりそうだ」

「そうだね」


 そう言って二人でクスクスと笑った。

 寝ている二人を起こさないように小さな声で笑った。

 雨音の笑顔があまりにも可愛くて、つい見蕩れてしまった。

 さっきまでトラウマを語ってた二人だなんて思えないくらいに、悲しみを吹き飛ばすように笑い合った。


「私たちこんなに笑うこと話したたんだっけ?」

「わからない。わからないけどすごく楽しいことだけはわかる」


 そしてまた笑い、時間が過ぎていった。


「そろそろ交代しようかぁ?」


 雨音はいつもののほほんとした話し方に戻っていた。


「あれ? 話し方戻すのか?」


「うん、今はねぇ。今はまだ気持ちの整理ができてないから。いつか雨音として生きていこうって思えるようになったらまた変えるよぉ」


 そう言った雨音は明るい笑顔を見せた。月明かりに照らされた雨音の横顔はいつもより綺麗だった。


「要、珠理起きてぇ」


 肩を揺さぶり二人を起こす雨音。

 ようやく寝られる……。


「もう……ぐすっ……交代か……」

「……ぐすっ……眠いわね……」


 あれ? 泣いてる?

 もしかしてずっと聞いてた?


「泣いてるのぉ?」


 雨音も気付いたようだ。そりゃそうだよな。鼻すすってるし。


「ぐすっ……いいか! これだけは言っとくぞ、俺もお前らに会えて嬉しいと思ってる!」

「ぐすっ……雨音、心配しなくていいわよ、みんなは私が命掛けて守ってあげるから」


 お前ら……。


「どこから聞いてたのぉ?」


「「『理人と二人っきりなんて初めてだねぇ』って辺りから」」


 最初っから起きてんじゃねーか。変われよ馬鹿ども! こっちは眠たいの我慢して見張りしてたんだぞ! しかもちゃっかり聞いてんじゃねーよ! 恥ずかしっ! めっちゃ恥ずかしいよ! 黒歴史話しちゃった!


「あわわぁ、なんか恥ずかしいよぉ」


 雨音の顔が赤くなているのがはっきりわかる。両手で頬を押さえ、あわあわ言っている。

 恐らく俺の顔も赤いはずだ。


「ち、違うんだよぉ、理人が変なこと言うから、その……なんていうか、我慢してた気持ちがわーってなっただけなのぉ」


 こいつ全部の責任を俺に擦り付けやがった!


「まぁまぁいいじゃない、誰だって嬉しくなっちゃうわよ。それにしても理人って以外と言う時は言うのね、やるじゃない。『雨音が生きてて良かったって思える世界を、俺が作ってやるから』とか言えるやついないわよ。惚れちゃうとこだったわよ」


 ちょっ、やめてやめて! 恥ずかしい!


「二人共辛かったんだなぁ……。俺、お前らのこと悲しませること絶対しないって誓う!」


 イケメンが台無しになるくらいの号泣だった。顔中からいろんな汁がこぼれている。ちょっと汚い。


「理人と雨音がいなくなったら私、絶対泣いちゃう!」


 もう泣いてるじゃねーか。鼻水垂れてるぞ。きちゃないなぁ……。


「ずっ友だからな!」


 やかましいわ。


 見張りを交代し、俺と雨音は体を寄せ合って眠る。寝袋越しだかなんだか雨音の温もりが伝わってくるような気にがする。


「理人、さっきはありがとう。すごく嬉しかったよ」


 俺の耳元で囁く声は穏やかだった。そしてこの言葉は雨音からの言葉だった。


「一つ訊いてもいい? なんで過去のこと話してくれたの? ただの気まぐれ?」

「雨音のことを少しでも理解したかったんだよ」


 共有した想いを持つ女の子のことを知りたかったんだ。そして、俺のことも知って欲しかったんだ。


「……そっか。私もだよ」


 雨音はそう言って目を閉じた。


 昔の俺、心配しなくてもいいよ。今の俺はちゃんと自分の意思で生きている。今ここから見える景色は悪くないものだ。


 意識が途切れるまで要と珠理の鼻をすする音が聞こえていた。


 俺、お前らのこと大好きだわ。


次話は3月12日に更新します。

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