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第4話 目覚める厄災

 ――巡回記録 兼 私的な手記(後日、遺品の中より発見)

 ⸻

 ○月十二日

 えー、今日から日誌をつけることにする。上官には「巡回記録は簡潔に、事実のみを」って口を酸っぱくして言われてるけど、正直、堅苦しいのは性に合わない。だからこれは、半分は俺個人のメモみたいなもんだと思ってくれ。もし誰かがこれを読むことがあったら――まあ、その時は勘弁してくれよな。

 俺の名前はオーウェン。西方国境警備隊、第七小隊所属の伍長だ。今回、俺たち十二人は、ダーナの森の定期巡回を任された。何、たいした任務じゃない。ここ最近、森の奥から妙な報告がちらほら上がってきてるらしくて、その確認だとさ。

 正直、面倒くさい。この森、広いんだよ。奥まで行って戻ってくるだけで、三日はかかる。

 まあ、愚痴っててもしょうがない。今日のところは、特に変わったことはなし。いつも通りの森だ。鳥は鳴いてるし、木々は青々としてる。何が「妙な報告」なんだか、さっぱりわからん。

 明日も、いつも通り進む予定。

 ⸻

 ○月十三日

 今日は、少し様子がおかしい。

 朝から、鳥の声が聞こえない。昨日まではあれだけうるさかったのに、今日は森全体が、妙に静かなんだ。

 隊のみんなも、なんとなく気づいてるみたいで、口数が少ない。特にベックなんか、いつもは軽口ばっかり叩いてるくせに、今日は妙に大人しかった。

 昼過ぎ、川辺で休憩を取った時、変な光景を見た。

 魚が、何匹も浮いてたんだ。死んでる魚が。

 川の水自体は、特に汚れてるようには見えない。それなのに、あんなに魚が死んでるなんて、おかしいだろ。

 隊長に報告したら、「まあ、たまにはそういうこともある」って軽く流されたけど……なんか、胸騒ぎがする。

 今日はここまで。早めに寝る。

 ⸻

 ○月十四日

 森の奥に進むにつれて、様子がどんどんおかしくなっていく。

 木々の葉が、あちこちで枯れ始めている。まだ夏だってのに、まるで秋が来たみたいに、葉が茶色く変色して、ぱらぱらと落ちてくる。

 動物の姿も、ほとんど見かけなくなった。

 昨日までは、まだ遠くに鹿の姿を見かけたりもしたのに、今日は本当に、何も見ない。まるで、この森から、生き物という生き物が、根こそぎいなくなっちまったみたいだ。

 夕方、班のひとつが偵察に出たきり、まだ戻ってこない。

 隊長は「道に迷ってるだけだろう」って言ってるけど、正直、俺はそう思えない。

 なんか、この森自体が、おかしいんだ。うまく言えないけど、空気が、重い。息をするだけで、少しずつ、力を吸い取られてるみたいな感じがする。

 気のせいだと思いたい。思いたいんだけどな。

 ⸻

 ○月十五日

 偵察に出た班は、結局戻ってこなかった。

 隊長も、さすがに顔色を変えて、本隊への伝令を出すことを決めた。俺ともう一人が、伝令役を任されることになった。

 正直、ほっとした。この森から、一刻も早く出たかった。

 だけど――

 隊長たちと別れる直前、森の奥から、聞いたこともない声が聞こえた。

 獣の唸り声とも、人の悲鳴とも違う、何か、もっとおぞましいものの声だった。

 隊長は「お前らは先に行け、俺たちは様子を見てくる」って、俺たちを先に行かせようとした。

 まさか、あれが――

 ⸻

(以降、判読不能。文字が乱れ、途中で途切れている)


 その手記が、王都に届けられたのは、彼らが森へ入ってから、およそ半月が過ぎた頃だった。

 伝令として先行したはずの二人のうち、一人だけが、なんとか国境の砦まで辿り着き、そこで力尽きるように息を引き取った。彼の懐から見つかったのが、この手記だった。

 もう一人の行方は、最後までわからなかった。


「――西方国境警備隊、第七小隊が、消息を絶った、と」

 報告を受けた私は、思わず、その言葉を繰り返していた。

「はい。……先行して戻った伝令の一人が、辛うじて砦まで辿り着きましたが、その者もすでに事切れております。手記によれば、ダーナの森の奥で、何らかの異常事態に遭遇した模様です」

 宰相の言葉に、私は、地図に描かれた西方の大森林――ダーナの森を、じっと見つめた。

「規模は」

「詳細は不明です。ですが、周辺の村々からも、家畜の相次ぐ死や、作物の異常な枯死といった報告が、この一月ほどで増えているとのことです」

 その報告に、私は、僅かな胸騒ぎを覚えた。

 だが、その時の私には、まだ、この報告の本当の意味――それが、後に「魔物」と呼ばれることになる存在の、最初の兆候であったことを、知る由もなかった。

「わかった。……調査隊を編成しよう」

 私がそう告げると、宰相は、静かに頭を下げた。


 その夜、私は、執務室にケイを呼び出していた。

 ガリア帝国との戦から、すでに一年近くが経とうとしていた。あの戦での功績もあり、ケイは今や、正式に近衛の一員として名を連ねる立場になっている。

「ダーナの森の調査、か」

 事情を説明すると、ケイは、腕を組みながら頷いた。

「ああ。……お前に、その指揮を任せたいと思っている」

「俺に、か」

 ケイは、少し驚いたように目を見開いた。

「はっきり言って、まだ詳細のわからない案件だ。おそらくは、盗賊か、あるいは何か大型の獣の仕業だろうという見立てもある。……だが、念のため、しっかりとした指揮官が必要だと考えた」

「なるほどな」

「無理にとは言わない。……お前ならば、任せられると思っている」

 私の言葉に、ケイは、少し照れくさそうに頬を掻いた。

「――上等じゃねえか。任せとけ。俺だって、いつまでも陛下の後ろに隠れてるつもりはねえよ」

 その頼もしい返事に、私は、小さく安堵した。

 正直に言えば、このダーナの森の一件を、それほど深刻には捉えていなかった。伝令の様子は確かに気にかかるものだったが、原因が魔物などという、おとぎ話じみた存在であるとは、この時点では、想像すらしていなかった。

 王として、あらゆる案件に自ら赴くわけにはいかない。ケイならば、十分に信頼して任せられる――そう、判断していた。

 その判断が、どれほど大きな悔いを、後に私へもたらすことになるのか。

 この夜の私は、まだ、何も知らなかった。


「――儂も、行かせてくれ」

 翌朝、出立の準備をするケイのもとに、意外な人物が現れた。

 エクター卿だった。

 すでに現役からは退き、今は主に、若い騎士たちの指南役を務めている老騎士。かつて、私を拾い、育て、名を与えてくれた、育ての父とも言うべき人だ。

「エクター卿……しかし、もう現役を退かれているのでは」

「引退したとはいえ、この身体は、まだまだ鈍っちゃおらん。それに――」

 エクター卿は、ケイの肩に、軽く手を置いた。

「こいつが指揮を任されると聞いてな。まだまだ危なっかしいところがある。年寄りの世話焼きだと思って、付き合ってくれ」

 その言葉に、ケイは、少し困ったように笑った。

「勘弁してくれよ、爺さん。俺だって、もう子供じゃねえんだぞ」

「わかっとる。だが、これは、儂の我儘だ。……頼む」

 その真剣な様子に、ケイも、それ以上は断れなかったようだった。

 こうして、エクター卿もまた、調査隊に加わることとなった。

 私にその報告が届いたのは、すでに一行が出立した後のことだった。

「――そうか。エクター卿も、共に」

 その報告を聞いた時、私の胸には、僅かな安堵があった。

 エクター卿がいるならば、より安心だ――そう、単純に、そう思っていた。

 まさか、それが、二重の悲劇への序章になるとは、想像もしていなかった。


 出立の朝、私は、城門まで見送りに出向いた。

「――頼んだぞ、ケイ。エクター卿も、どうかご無事で」

「おう、任せとけ。……なんてったって、俺は陛下の――いや、お前の、幼馴染だからな」

 ケイは、いつもの調子で、軽く笑ってみせた。

「すぐに片付けて、戻ってくるさ。盗賊か何かだろうし、な」

「……ああ、頼む」

 エクター卿は、ただ静かに、私に向かって頷いた。その皺だらけの顔に、いつもと変わらぬ、穏やかな微笑みが浮かんでいた。

 その笑顔が――私が、生きているエクター卿を見た、最後の姿になった。

 行軍していく一行の背中を見送りながら、私は、なぜか、ほんの一瞬、言いようのない胸騒ぎを覚えた。

 だが、それを、深く考えることはしなかった。

 考えている暇もないほど、その日も、その次の日も、山積みの政務が、私を待ち構えていたからだ。


 それから、十日が過ぎた。

 調査隊からの報告は、一度届いたきり、途絶えていた。

 その一度きりの報告も、「森の奥に進んでいる。異常な枯死は確認したが、原因は不明」という、簡潔なものに過ぎなかった。

「……連絡が、ないな」

 執務室で、私は、無意識にそう呟いていた。

「陛下、まだ十日です。森の奥は通信も難しい地形と聞きます。もう少し様子を見ては」

 宰相の言葉に、私は、頷きながらも、拭いきれない不安を抱えていた。

 そして、その不安は、十五日目の朝、最悪の形で現実のものとなった。

「――陛下! 火急のご報告が!」

 血相を変えて駆け込んできたのは、別動で派遣していた斥候の一人だった。

「ダーナの森にて、調査隊の……調査隊の、痕跡を発見しました」

「――痕跡?」

 嫌な予感が、背筋を駆け抜けた。

「はい……ですが、その、あまりにも……」

 斥候の言葉は、そこで詰まった。まるで、この先を言葉にすることを、拒むかのように。

「はっきりと言え」

 私は、努めて冷静な声で促した。だが、内心では、すでに、ある種の確信めいたものが、静かに広がり始めていた。

「――全員、死亡が確認されました。ですが……その、遺体の状態が……」

 斥候の声が、震えていた。

「まともに、原形を留めている者が、ほとんどおりません。溶けたように崩れている者や……何かに、食い荒らされたような跡がある者も」

 その報告に、執務室の空気が、凍りついた。


 私は、その日のうちに、自ら現地へと向かうことを決めた。

 到着した現場は――言葉にするのも憚られるほどの、凄惨な光景だった。

 崩れた陣幕。折れ曲がった武具。そして、あちこちに散らばる、もはや人の形を保っていない、無数の亡骸。

 誰が誰なのか、判別することすら、ほとんど不可能だった。

 装備の一部や、身につけていた紋章、そして――遺品として身近に持っていたわずかな品々。それらを頼りに、ようやく、誰であったかを推測できる状態だった。

 私は、震える足で、ひとつひとつの亡骸を、確認していった。

 そして――見つけてしまった。

 見覚えのある、古い剣の鞘。エクター卿が、長年愛用していたものだった。

 その傍らに横たわる亡骸は、既に、原形をほとんど留めていなかった。それでも、その剣の鞘があるという事実だけで、私には、それが誰であるか、はっきりとわかってしまった。

「――エクター、卿……」

 声が、震えた。

 そして、その少し離れた場所で。

 ケイの持ち物だと、すぐにわかる、見慣れた籠手が落ちていた。

 その籠手をつけていたであろう腕は――もはや、どこにも見当たらなかった。


 私は、その場に、崩れ落ちた。

「――う、あ……」

 声にならない声が、喉の奥から漏れる。

 視界が、涙で滲んでいく。

 エクター卿が。

 ケイが。

 私を育て、私を支え、私と共に、剣を振り続けてくれた二人が――もう、この世のどこにも、いない。

「陛下……」

 背後から、ランスロットの、抑えた声が聞こえた。

 だが、私は、答えることができなかった。

 なぜ、自分が行かなかったのか。

 なぜ、任せてしまったのか。

 もし、あの時、私自身がこの調査に赴いていたら――エクスカリバーを持つ私であれば、あるいは、こんな結末にはならなかったのではないか。

 その後悔が、際限なく、私の中で膨れ上がっていく。

「私、が……行けば……」

 絞り出すように、そう呟いた瞬間、鋭い痛みが、胸を貫いた。

 これは、ただの後悔ではない。

 自分の判断が、二人の命を、そしてこの調査隊の全員の命を、奪ってしまったのだという、逃れようのない事実だった。


 その日から、私は、しばらくの間、まともに人前に姿を見せることができなかった。

 政務にも、まともに手がつかない。夜も、ろくに眠れない。目を閉じるたびに、あの惨状が、瞼の裏に蘇ってくる。

「陛下、少しでも、何か召し上がってください」

 そう言って、私室を訪れてくれたのは、グィネヴィアだった。

「……食欲が、ない」

「わかっています。それでも、少しだけでも」

 グィネヴィアは、静かに、私の傍らに腰を下ろした。

「アーサー様。……あなたが、ご自分を責めていらっしゃることは、痛いほどわかります」

「……当然、責められるべきだ。私が、行かなかったから」

「本当に、そうでしょうか」

 グィネヴィアの声は、穏やかだが、しっかりとした芯を持っていた。

「あの時のあなたは、確かな理由をもって、判断されたはずです。……何もかもを、あなた一人で背負う必要はないのです。それに」

 彼女は、私の手を、そっと握った。

「もしあなたが自らを責め続けることで、これから守れるはずの命まで見過ごしてしまったら――それこそ、エクター様やケイ様が、一番望まなかったことではないでしょうか」

 その言葉に、私は、返す言葉を持たなかった。

 正しいと、頭ではわかっている。それでも、心が、どうしてもその正しさを受け入れられずにいた。


「――いつまで、そうしているつもりだ」

 数日後、私室を訪れたランスロットは、いつになく厳しい声で、そう切り出した。

「……ランスロット」

「お前の気持ちはわかる。……エクター卿は、俺にとっても、恩人のような人だった。ケイのことも、俺は昔から知っている。悲しいのは、俺も同じだ」

 ランスロットは、静かに、私の前に膝をついた。

「だが、いつまでも、ここで塞ぎ込んでいても、二人は帰ってこない。……それに、あの森の異常が、まだ何も解決していないことも、忘れちゃいないだろう」

 その言葉に、私は、ようやく顔を上げた。

「――ランスロット、私は」

「お前は、王だ。悲しみを抱えたままでいい。だが、その悲しみに、飲み込まれちまうな」

 ランスロットの瞳には、これまで見たことのないほどの、真剣な光が宿っていた。

「今度は、俺も一緒に行く。……お前一人に、二度と、同じ後悔をさせやしない」

 その言葉に、凍りついていた何かが、少しずつ、溶かされていくのを感じた。

「――ランスロット、頼む……。一緒に、来てくれ」

「当たり前だろう」

 ランスロットは、そう言って、初めて、僅かに微笑んだ。


 それから、私は、ようやく、次の一歩を踏み出す決意を固めた。

 いつまでも、悲しみに沈んでいるわけにはいかない。エクター卿とケイの死を、ただの悲劇として終わらせるわけにはいかない。彼らが命を落とした、あの森の異常の正体を、この目で確かめなければならない。

 そして、今度こそ――誰かに任せるのではなく、私自身が、その先頭に立つ。

「――今回は、私自身が赴く。ランスロット、そして、精鋭の騎士を数名。最小限の人数で、迅速に動く」

 軍議の場で、私がそう告げると、周囲からは、当然のように反対の声が上がった。

「陛下、あまりにも危険です! 前回、あれだけの犠牲が出た相手に、自ら赴かれるなど」

「――だからこそ、私が行く」

 私は、はっきりと言い切った。

「ケイたちを死なせてしまった原因が、あの森にある以上、それを見過ごすことは、王として許されない。……それに、今度は、エクスカリバーを持つ私が、直接この目で確かめる」

 その言葉に、反対していた者たちも、次第に口をつぐんでいった。

「メンバーは、私と、ランスロット。そして」

 私は、しばし考えた後、続けた。

「あと数名、腕の立つ近衛を選抜する。大部隊を組めば、動きが鈍る。少数精鋭で、迅速に調査し、必要とあらば、即座に撤退する。……それでいい」

 その方針に、誰もが、静かに頷いた。

「グィネヴィア」

 私は、最後に、婚約者である彼女の名を呼んだ。

「留守を、頼めるか」

「――もちろんです。どうか、ご無事で」

 グィネヴィアは、静かに、しかし確かな眼差しで、そう答えた。


 出立の前夜、私は、一人、エクター卿とケイの遺品を並べた小さな祭壇の前で、静かに手を合わせていた。

「……必ず、あの森の異常を突き止める。そして、二度と、こんな悲劇を繰り返させない」

 誓いの言葉を、静かに口にする。

 エクター卿から受け継いだ、信念。

 ケイと共に過ごした、あの平凡だった日々の記憶。

 そのどちらも、決して無駄にはしない。

 翌朝、私は、ランスロットと、選び抜かれた数名の精鋭騎士たちと共に、再び、ダーナの森へと向かう馬上の人となった。

 あの森の奥に、いったい何が待ち受けているのか。

 そして、それが、私たちの想像を遥かに超える、この世のものならざる脅威であることを――この時の私は、まだ、はっきりとは知らなかった。

 それでも、確かなことがひとつだけあった。

 もう二度と、誰かに任せて、自分だけが安全な場所に留まるようなことはしない。

 その決意だけを胸に、私は、馬を進めた。


「――なに? アーサー王が、もう発たれただと?」

 王城の兵舎、その一角で、ガヴェインは、伝令にやってきた若い兵士に向かって、思わず声を荒らげた。

「は、はい……。ランスロット卿と、精鋭の近衛数名を伴い、今朝早くに、ダーナの森へ向けて出立されたと」

「なぜ、俺のところに、もっと早く報せが来なかった」

「そ、それが……陛下ご自身が、急ぎの出立ゆえ、必要最小限の人数でと、直々にお命じになったとのことで……」

 伝令の兵士は、ガヴェインの剣幕に、たじろぎながら答えた。

 ガヴェインは、大きく舌打ちをした。

 エクター卿とケイたちの一件は、すでに耳に入っている。あの惨状のことも、聞いてはいた。だが、まさか、アーサー自身が、最小限の供回りだけで、再びあの森へと向かうとは思っていなかった。

「――どれだけの数の魔物が潜んでいるかもわからん森に、陛下自ら、たったそれだけの人数で……」

 ガヴェインは、大股で自室へと向かいながら、苛立たしげに呟いた。

「馬鹿な真似を……いや、あの御方らしいと言えば、らしいがな」

 背負った巨大なガラティーンの重みを確かめるように、肩を軽く回す。

「――待っていろ。すぐに追いつく」

 そう呟くと、ガヴェインは、最低限の装備だけを手早く整え、単騎、ダーナの森へと続く街道を、駆け出していった。


 その一部始終を、物陰から見つめている人影があった。

 モードレッドだった。

 騎士団に加わってから、まだ日は浅い。それでも、その剣の才は、既に多くの教官たちを驚かせるほどのものだった。

 だが、モードレッドの心は、決して晴れやかなものではなかった。

 ――娘として、認めることができない。

 あの日、アーサーから告げられた言葉が、今も、胸の奥に、重く突き刺さったままだった。

 それでも。

(……ここで、何か力になれたら)

 モードレッドの脳裏に、小さな希望が芽生えた。

 エクター卿とケイという、アーサーにとって大切な人々が、あの森で命を落としたことは、既に騎士団の中でも噂になっていた。今度は、アーサー自身が、その森へと向かったという。

 もし、自分がそこで、何か役に立てたなら。

 自分の力を、はっきりと示すことができたなら。

 ――もしかしたら、母上も、私のことを、少しは見てくれるかもしれない。

 その一縷の望みに、モードレッドは、迷うことなく動き出した。

 騎士団の備品庫から、必要最低限の武具を密かに調達し、身なりを整える。誰にも気づかれぬよう、ガヴェインが街道を駆けていった方角へ、その後を追い始めた。


 半日ほど後――日が傾き始めた頃。

 街道を外れ、森へと続く山道に差し掛かったところで、ガヴェインは、ふと足を止めた。

「……ついてきているのは、わかっているぞ」

 低い声で、そう告げる。

 しばしの沈黙の後、木々の陰から、一人の人影が、おずおずと姿を現した。

 モードレッドだった。

「……いつから、気づいていたのですか」

「随分前からだ。お前ほどの腕がありながら、気配を隠す術はまだまだ未熟なようだな」

 ガヴェインは、呆れたように息を吐いた。

「――モードレッドと言ったか。あなたは騎士見習いでしょう、早く戻りなさい」

「……嫌です」

 モードレッドは、まっすぐにガヴェインを見据えた。

「私も、行きます。少しでも、力になりたいのです」

「気持ちはわかる。だが、あの森で何が起きたか、聞いているだろう。歴戦の騎士でさえ、あっさりと命を落とすような相手だ。見習いが行って、何ができる」

「それでも」

 モードレッドの声には、これまでに見せたことのない、強い意志が滲んでいた。

「私は、行きます」

 その頑なな態度に、ガヴェインは、深く息を吐いた。

「……悪いが、そういうわけにはいかん。悪いようにはせん、大人しく城へ戻れ。ここから一人で戻る道すがらも、危険がないとは言い切れんが、少なくとも、この先に進むよりはましだ」

「――」

「これは、命令だ。騎士団の見習いが、上官の指示に逆らうことは許されん」

 その厳しい口調に、モードレッドは、唇を噛んだ。

 だが、それでも、その足は、引き返そうとはしなかった。


「――聞いているのか」

 ガヴェインが、苛立たしげに、もう一歩踏み出そうとした、その時だった。

 背後の茂みが、不自然に揺れた。

「――!」

 ガヴェインが反応するよりも、僅かに早く。

 モードレッドの身体が、まるで最初からそうすると決まっていたかのように、滑らかに動いた。

 茂みの奥から飛び出してきたのは、全身が漆黒の靄のようなもので構成された、犬にも似た異形――低位の魔物だった。牙を剥き出しにして、真っ直ぐにモードレッドへと襲いかかる。

 だが。

 一閃。

 モードレッドの剣が、月明かりを受けて、鋭く煌めいた。

 その一撃は、あまりにも正確で、あまりにも無駄がなかった。

 漆黒の魔物は、断末魔の声を上げる間もなく、まるで霧が晴れるように、その身を崩壊させ、闇の中へと消えていった。

 一瞬の出来事だった。

 ガヴェインは、剣の柄に手をかけたまま、呆然と、その光景を見つめていた。

「……見習いが、何ができる、だったか」

 モードレッドは、剣を鞘に収めながら、静かに、ガヴェインを見つめ返した。

 その瞳には、僅かな挑戦的な光が浮かんでいた。


 しばしの沈黙の後、ガヴェインは、大きく息を吐いた。

「……見事なもんだ。正直、驚いたぞ」

「……では」

「わかった、わかった。……ここまで来て、一人で帰らせる方が、かえって危険だろうしな」

 ガヴェインは、頭を掻きながら、渋々といった様子で頷いた。

「ただし、条件がある。俺の指示には、絶対に従うこと。無茶な真似は、決して許さん。それが守れないなら、たとえ道の途中であろうと、力ずくでも連れ帰る。いいな」

「――はい! ありがとうございます!」

 モードレッドの表情に、初めて、年相応の明るさが浮かんだ。

 その様子に、ガヴェインは、僅かに目を細めた。

「……その剣筋、只者じゃないな。誰に習った」

「独学です。……ただ、身体が、自然と動くことが、よくあります」

「ふん。まあいい。……お前のその力、今日はしっかりと役立ててもらうぞ」

 そう言うと、ガヴェインは、再び森へと続く道を、力強く歩き出した。

 モードレッドは、その背を追いながら、密かに、胸の内で誓いを立てていた。

 ――今度こそ、何か大きなことを成し遂げる。

 そして、母上に、認めてもらう。

 その一心で、モードレッドは、暗く重い気配を纏うダーナの森の奥へと、足を踏み入れていった。


 一方その頃、私――アーサーたちは、既にダーナの森の深部に、足を踏み入れていた。

 森は、聞いていた以上に、異様な様相を呈していた。

 生い茂っていたはずの木々は、あちこちで枯れ果て、幹はどす黒く変色している。地面には、朽ち果てた動物の骸が、点々と散らばっていた。

 空気そのものが、重い。

 まるで、この森全体から、あらゆる「生」が、根こそぎ吸い取られてしまったかのような、そんな感覚があった。

「……酷いものだな」

 隣を進むランスロットが、低く呟いた。

「ああ。……これほどとは」

 私は、周囲を警戒しながら、慎重に馬を進めた。

 エクター卿とケイたちが、ここで何を目にしたのか――今、その一端を、目の当たりにしている気がした。

「陛下、前方に、何かの気配が」

 先行していた近衛の一人が、鋭く声を上げた。

 私は、即座にエクスカリバーの柄に手をかけた。


 木々の奥から、次々と姿を現したのは――全身が、深い闇そのもので構成されたような、異形の群れだった。

 人型に近いもの、獣に似たもの、その形は様々だったが、共通しているのは、どれも、この世のものとは思えぬ、おぞましい気配を纏っているということだった。

「……あれが」

「魔物だ。……報告にあった通りだな」

 ランスロットが、剣を抜きながら、低く告げた。

「油断するな。どんな相手かわからん」

 その言葉と同時に、異形の群れが、一斉に襲いかかってきた。

「くっ――!」

 近衛の一人が、迫りくる魔物に斬りかかる。だが、その一撃は、まるで手応えのないまま、相手の身体をすり抜けるように空を切った。

「なっ――!?」

「実体がないのか……いや、違う」

 ランスロットが、素早く分析した。

「斬れないわけじゃない。ただ、通常の刃では、致命傷にならないんだ。……この闇そのものが、傷を癒やすように再生していく」

 その言葉通り、浅く切りつけられた魔物の身体は、みるみるうちに、傷口を塞いでいった。

「――ならば」

 私は、エクスカリバーを構え、前へと進み出た。

 聖泉より授かりし、この剣ならば。

 刃を煌めかせながら、私は、目前に迫る魔物の一体へと、鋭く斬りかかった。


 エクスカリバーの刃が、闇の身体を切り裂いた瞬間。

 これまでとは、まるで違う光景が広がった。

 金色の光が、刃を通して、魔物の身体全体へと奔る。

「――ギャアアアアアッ!!」

 これまで一度も発することのなかった、耳を劈くような絶叫が、森中に響き渡った。

 光に触れた部分から、魔物の身体が、まるで陽光に炙られた霜のように、急速に消滅していく。

 一撃で、絶命した。

「……やはり、この剣は、奴らにとって特別な力を持っているようだな」

 私は、消え去った魔物の跡を見つめながら、静かに呟いた。

「陛下、援護を!」

 ランスロットの声に、私は、すぐさま次の魔物へと向き直った。

 エクスカリバーの一閃が、煌めくたびに、闇の群れが、次々と浄化されるように消滅していく。

 それでも、魔物の数は、決して少なくなかった。私一人の力だけでは、この場を制しきれない。

「陛下、危ない!」

 ランスロットが、背後から迫っていた魔物を、間一髪で斬り伏せる。だが、その刃では、致命傷を与えるには至らず、魔物はすぐに体勢を立て直した。

「くっ……このままでは」

 じりじりと、包囲が狭まっていく。近衛の騎士たちも、次々と手傷を負い始めていた。

(――このままでは、また同じことになる)

 エクター卿とケイたちを襲った、あの悲劇。

 その予感が、私の中で、急速に膨れ上がっていった。


 その、まさに絶体絶命という瞬間だった。

「――待たせたな!」

 轟くような声と共に、森の奥から、まばゆい光の斬撃が、群がる魔物たちを一気に薙ぎ払った。

「ガヴェイン……!」

 駆けつけたのは、ガヴェインだった。

 昼間ほどではないにせよ、蓄えた力を用いて放たれたガラティーンの光は、闇でできた魔物たちにとって、致命的な一撃となった。次々と、魔物の群れが、悲鳴を上げながら消滅していく。

「陛下、ご無事ですか!」

「ああ、助かった……!」

 安堵する私の視界に、ガヴェインの背後から現れた、もう一つの人影が映った。

「――モードレッド?」

 思わず、その名を口にしていた。

 なぜ、彼女がここに。

 驚く私の前で、モードレッドは、迷いのない動きで、剣を振るっていた。彼女の一撃一撃は、決して大きな力を伴うものではなかったが、驚くほど正確に、魔物の急所を捉えていく。

「陛下、こいつは俺が連れてきた。無理に追い返すのも危険だと判断してな。……見ての通り、腕は確かだ」

 ガヴェインが、戦いながら、そう説明した。

 私は、複雑な感情を抱えながらも、今は目の前の戦いに集中するしかなかった。

「――皆、私の周りに集まれ! ここは、一気に押し返す!」

 その号令と共に、私たちは、態勢を立て直していった。


 ガヴェインとモードレッドの加勢もあり、目前の魔物の群れは、なんとか退けることができた。

「……はぁ、はぁ……」

 肩で息をしながら、私は、辺りを見渡した。

 森の奥、闇に沈んだその先には、まだ、無数の気配が潜んでいるのが感じられた。

「これで、終わりじゃなさそうだな」

 ランスロットが、剣についた汚れを拭いながら、険しい表情で呟いた。

「ああ……この程度の数では、済まないだろう」

 私は、森の最奥――ひときわ深い闇が凝縮しているように見える一角を、じっと見つめた。

 そこから、これまで感じたことのないほど、禍々しい気配が、絶えず滲み出ている。

「陛下、あちらです」

 私の視線を追ったガヴェインが、低く告げた。

「あの奥に、何かがいる。……この魔物どもを統べる、何かが」

 その言葉に、私の背筋に、冷たいものが走った。

「――近づいてみるべきか」

「いや」

 ランスロットが、私を制するように言った。

「今の戦力で、あの気配の正体もわからないまま突っ込むのは、あまりにも無謀だ。……今回は、一度引くべきだと思う」

 その判断に、私も、渋々ながら頷くしかなかった。

 エクター卿とケイたちの死を、これ以上、無駄にするわけにはいかない。だからこそ、今は、確実な準備を整えた上で、この脅威に立ち向かう必要がある。

「――撤退する。だが、これで終わりにはしない」

 私は、森の奥に渦巻く、あの禍々しい気配を、もう一度、しっかりと目に焼き付けた。


 森を出た私たちは、近くの村で、束の間の休息を取ることにした。

 焚き火を囲みながら、私は、傍らに座るモードレッドへと、ようやく視線を向けた。

「……なぜ、ここに」

「……力に、なりたかったのです」

 モードレッドは、俯きがちに答えた。

「あなたにとって、大切な人たちが、あの森で命を落としたと聞きました。……だから、少しでも、役に立てればと」

 その言葉に、私は、複雑な想いを抱いた。

 彼女の行動が、無謀であったことは事実だ。だが、その根底にある想いを、頭ごなしに否定することも、今の私にはできなかった。

「――お前のおかげで、助かった。……礼を言う」

 私は、静かに、そう告げた。

 その言葉に、モードレッドの瞳が、僅かに揺れた。

「……感謝、していただけるのですか。私に」

「ああ。今日のお前の働きは、紛れもなく、この国のためになった」

 私は、そう言いながらも、あの日、私室で告げた言葉――娘として認めることはできない、というあの言葉を、撤回することはできずにいた。

 騎士としての功績と、家族としての関係。そのふたつは、私の中で、どうしても、簡単に結びつけられるものではなかった。

 それでも――今日という日が、彼女にとって、小さくとも、確かな一歩になったのなら。

 それだけは、素直に、良かったと思えた。


「――で、あの森の奥にいた『何か』についてだが」

 焚き火を挟んで、ガヴェインが、話を本題へと戻した。

「間違いなく、只者じゃない気配だった。……もしかすると」

「魔王、か」

 私が、その言葉を口にすると、ガヴェインは、静かに頷いた。

「おとぎ話でしか聞いたことのない存在だが……この状況を見れば、可能性は十分にあるだろうな」

「魔物を率いる、魔物の王……」

 ランスロットが、低く呟いた。

「もし、それが本当なら、今回の一件は、ただの厄災じゃない。この国――いや、世界そのものへの、本格的な脅威になるかもしれない」

 その言葉に、その場にいた全員が、重い沈黙に包まれた。

 私は、静かに、エクスカリバーの柄に手を添えた。

 エクター卿とケイたちの死。

 そして、今、目の前に迫りつつある、この世のものならざる脅威。

 そのどちらにも、しっかりと向き合わなければならない。

「――王都に戻り次第、正式に、大規模な討伐隊を編成する。今度こそ、万全の態勢で、あの森の奥に潜む脅威に立ち向かう」

 私の言葉に、ランスロットが、ガヴェインが、そしてモードレッドが、それぞれに、静かな決意を宿した瞳で頷いた。


 星明かりの下、私は、しばらくの間、一人、夜空を見上げていた。

 エクター卿とケイを失った悲しみは、まだ、癒えてはいない。おそらく、これから先も、ずっと消えることはないだろう。

 それでも――今日という日、確かに、前へと進む一歩を踏み出すことができた。

 そして、思いがけず、モードレッドという存在の、これまで見えていなかった一面にも、触れることができた。

 彼女を、娘として受け入れることは、今の私には、まだできない。

 だが、彼女もまた、この国のために戦う、一人の騎士であることは、紛れもない事実だった。

 その事実だけは、これからも、しっかりと見据えていきたいと、そう思った。

 森の奥に潜む、魔王と思しき存在。

 その脅威は、これから、この国――そして私自身に、さらに大きな試練をもたらすことになるだろう。

 それでも。

 エクター卿から受け継いだ信念を胸に、私は、静かに、次なる戦いへの決意を固めていった。

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