第3話 愛の形
王都から遠く離れた、深い森の最奥。
人の足では、まず辿り着くことのできない場所に、その古い塔は建っていた。
蔦に覆われた石造りの壁。窓という窓には、いくつもの魔法陣が刻まれ、外の世界から完全に隔絶されている。塔の内部――螺旋階段を下った先にある地下の間には、無数の書架と、奇妙な硝子器具、そして中央に据えられた、大きな水盤があった。
水盤の中では、淡く発光する液体が、ゆっくりと渦を巻いている。
「――順調そうね」
そう呟いたのは、水盤を覗き込む、一人の女だった。
長い黒髪を無造作に纏め、飾り気のない外套を羽織っている。だが、その佇まいには、どこか隠しきれない気品が漂っていた。歳の頃は、二十代半ばほどにも見える。だが、その瞳の奥に宿る光は、とても人間の二十数年で培われるものではなかった。
「順調、か。……随分と、他人事のように言うのね、モルガン」
水盤の反対側から答えたのは、マーリンだった。
今のマーリンは、いつも王城で見せる姿とは、また違う容貌をしていた。銀色の髪、線の細い、中性的な顔立ち。この場所では、性別を偽る必要すらない。ただ、己が最も落ち着く姿でいるだけだった。
「他人事も何も、これはあなたの計画でしょう。……私は、頼まれたから手を貸しているだけ」
モルガンと呼ばれた女――マーリンの姉であり、その存在そのものの原型となった者は、興味なさそうに水盤を見つめながら、そう答えた。
「あなたね、そういう物言いをするから、いつまで経っても人間に信用されないのよ」
「信用されようとも思っていないもの」
モルガンは、軽く肩をすくめた。
「それより、本当にいいの? あの娘の血を、勝手に使って」
その問いに、マーリンの表情が、僅かに曇った。
「……いいはずがない。だが、これしか方法がなかった」
「方法? 何のための方法よ」
「この国を、本当の意味で安定させるための方法だ」
マーリンは、水盤に映る、淡い光の渦を見つめながら続けた。
「アーサーという王は、確かに優れている。だが、まだ若く、脆い。……あの子一人に、あまりにも多くのものを背負わせすぎている。私は、それを見過ごせなかった」
「だから、勝手に子供を作った、と」
モルガンの言葉に、皮肉げな響きが混じる。
「子供、というのは正確ではない。……これは、アーサーの遺伝的な資質を受け継いだ、新たな命だ。血縁というより、可能性の器と言った方が正しい」
「屁理屈ね」
モルガンは、小さく笑った。
「まあ、いいわ。私も、こういう研究には興味がある。……人の身体から、新たな生命を生み出す。それは、私たちのような存在にとっては、決して珍しい試みじゃないもの」
水盤の中の光が、ゆっくりと、人の形を象り始めていた。
まだ輪郭は朧げで、性別すらも判然としない。それでも、確かにそこには、新たな「生」が芽吹こうとしていた。
「――名前は、決めているの?」
モルガンが、ふと尋ねた。
「モードレッド」
マーリンは、迷いなく答えた。
「昔、私が持っていた……いや、なんでもない。ただの、響きの良い名前というだけだ」
その一瞬の言い淀みを、モルガンは見逃さなかった。だが、それ以上、深くは追及しなかった。
「……随分と、思い入れがあるようね」
「そう見えるか」
「見えるわよ。あなたにしては、珍しく」
マーリンは、答えなかった。ただ、静かに水盤を見つめ続けていた。
その光の中に、まだ形をなさない、小さな命が、確かに息づき始めている。
「言っておくけど」
モルガンが、静かに続けた。
「この子がどんな存在になるにせよ、私は責任を持たないわよ。手を貸すのは、あくまでこの誕生の瞬間まで。その先、あなたが何をどうしたいのかは、あなた自身の問題」
「……わかっている」
「本当に、わかっているのかしらね」
モルガンは、そう言いながら、水盤の中で育っていく小さな光を、じっと見つめた。
その視線の奥に、どこか懐かしむような、それでいてひどく遠い、他人事のような色が浮かんでいたことに――この場にいる誰も、気づく者はいなかった。
かつて、モルガン自身も、人間との間に子をもうけたことがある。
だが、それがいつのことだったか、その子が今どこで、どんな人生を歩んでいるのか――あまりにも長く生きすぎた彼女には、もはや、はっきりと思い出すことすらできなくなっていた。
「――さあ、続けましょう」
モルガンは、そう言うと、再び水盤に向き直った。
塔の奥深くで、静かに、しかし確実に、新たな命が育まれ始めていた。
その存在が、やがてどれほど大きな悲劇を招くことになるのか――創造主である二人でさえ、この時はまだ、知る由もなかった。
ガリア帝国の侵攻を退けてから、季節はふたつほど巡っていた。
あの激しい戦の記憶は、今もはっきりと私の中に残っている。だが、日々の政務に追われるうちに、少しずつ、日常というものが戻りつつあった。
「――陛下、本日の議題は以上でございます」
宰相の声に、私は玉座から、小さく息を吐いた。
この数ヶ月で、ずいぶんと国政にも慣れてきたつもりだった。もちろん、まだまだ未熟な部分は多い。それでも、以前のように、諸侯たちの顔色を窺うだけで精一杯だった頃と比べれば、随分と前に進めている実感があった。
「希望の若王」
いつしか、民の間では、そう呼ばれるようになっていた。
たった二百の兵で、数千万の大軍を退けた王。その噂は、瞬く間に国中に広まっていた。もちろん、実際には、ガヴェインやランスロット、そして名もなき多くの兵たちの力があってこそのものだ。それでも、その象徴として、私の名が語られることに、未だに落ち着かない気持ちを抱くことがある。
「陛下、少しよろしいでしょうか」
評定が終わった後、宰相が、改まった様子で声をかけてきた。
「なんだ」
「……単刀直入に申し上げます。陛下の御年を考えますと、そろそろ、御后についても、真剣にお考えいただく時期かと」
その言葉に、私は思わず、内心で身構えた。
「……御后、か」
「はい。王家の血を絶やさぬためにも、また、諸侯たちの結束をより強固なものとするためにも、御后の存在は不可欠でございます」
宰相の言い分は、王としては、至極真っ当なものだった。
だが――私には、誰にも打ち明けられない事情がある。
王家の血を絶やさぬため、というその一言が、私の胸に、鋭く突き刺さった。
「……検討しよう」
私は、それだけを答えるのが精一杯だった。
その夜、私は一人、執務室で、宰相の言葉を反芻していた。
御后。
考えるまでもなく、それは私にとって、途方もなく困難な問題だった。
女性である私が、女性を娶ることなどできるはずがない。かといって、この秘密を抱えたまま、誰かと本当の意味で夫婦になることも、想像すらつかなかった。
(……どうすればいい)
答えの出ない問いを、幾度となく繰り返していたその時。
「――お困りのようですね、陛下」
不意にかけられた声に、私は顔を上げた。
窓辺に、いつの間にか、マーリンが佇んでいた。
「マーリン様……いつの間に」
「少々、耳が早いものでして。……御后選びの件、聞こえてしまいました」
私は、思わず苦い顔をした。
「……お聞きの通りです。私には、誰かを娶るなど、到底できることではありません」
「そうでしょうね。あなたの事情を思えば」
マーリンは、静かにそう言うと、私の傍らに歩み寄った。
「ですが、陛下。……必ずしも、『夫婦としての愛情』を前提とした婚姻である必要はないと思いますよ」
「どういう意味でしょうか」
「あなたの秘密を守り、それでいて、あなたを一人の人間として理解し、支えてくれる相手。……そういう存在がいれば、それだけで十分ではないでしょうか」
マーリンの言葉に、私は思わず目を見開いた。
「そんな都合の良い相手が、そう簡単に見つかるとは思えません」
「あら、案外、近くにいるものですよ」
マーリンは、そう言うと、悪戯っぽく微笑んだ。
「近々、貴族の令嬢たちを招いた夜会が開かれる予定でしょう。……そこに、一人、興味深い人物がおります。グィネヴィアという、南部の小さな領地の娘です」
「グィネヴィア……」
「聡明で、思慮深く、そして何より、人の秘密を軽々しく口にするような人物ではありません。……一度、お会いになってみては」
その提案の裏に、何か思惑があるようにも感じられた。だが、この状況で、他に手立てがあるわけでもない。
「……わかりました。会うだけ、会ってみます」
私の答えに、マーリンは満足そうに頷くと、静かにその場を後にした。
数日後に開かれた夜会で、私は、初めてグィネヴィアと言葉を交わした。
物腰の柔らかい、穏やかな女性だった。着飾った他の令嬢たちとは違い、派手さはないものの、その瞳には、確かな知性の光が宿っていた。
「――お初にお目にかかります、陛下。グィネヴィアと申します」
丁寧に礼をする彼女に、私は、努めて自然な調子で応じた。
「アーサーだ。……堅苦しい挨拶は抜きにしよう。少し、話をしないか」
夜会の喧騒から離れ、庭園の片隅で、私たちは静かに言葉を交わした。
政治の話、国の行く末についての話――彼女は、驚くほど的確に、物事の本質を捉えていた。表面的な言葉に踊らされることなく、常に、冷静に物事を見極めようとする姿勢が、話すたびに伝わってきた。
「陛下は、随分とお疲れのようですね」
不意に、そう言われた。
「……そう見えるか」
「はい。……王として振る舞うことに、常に気を張っていらっしゃるように見えます」
その言葉に、私は思わず、言葉に詰まった。
見抜かれている、とまでは思わない。だが、彼女の観察眼の鋭さに、内心、少なからず動揺していた。
「……そうかもしれない。王という立場は、思っていた以上に、重いものだ」
「差し支えなければ、少しくらい、その重さを、誰かに分けていただいても構わないのですよ」
グィネヴィアは、静かにそう言うと、柔らかく微笑んだ。
その微笑みに、私は、不思議な安心感を覚えた。
それから幾度か、私たちは言葉を交わす機会を重ねた。
会うたびに、グィネヴィアの人柄への信頼は、確かなものになっていった。飾らず、驕らず、そして何より、私を「王」としてだけでなく、一人の人間として見てくれている――そんな実感があった。
婚約の話が、正式に持ち上がったのは、それから一月ほど後のことだった。
私は、その申し出を受ける前に、どうしても伝えなければならないことがあった。
「グィネヴィア。……婚約を受ける前に、聞いてほしいことがある」
私室に彼女を招き、私は、これまでにないほど緊張した面持ちで切り出した。
「……改まって、どうされたのですか」
「もし、私という人間の、本当の姿を知ったなら――お前は、この婚約を断るかもしれない。それでも、聞いてほしい」
グィネヴィアは、静かに、私の言葉を待った。
私は、深く息を吸い込むと、震える声で告げた。
「――私は、女だ」
しばしの沈黙が、部屋を満たした。
グィネヴィアは、驚いた様子を見せたものの、すぐに何かを取り乱すことはなかった。ただ、じっと、私の目を見つめ返していた。
「……そう、でしたか」
「……信じられないか」
「いいえ。……むしろ、色々なことに、納得がいきました」
グィネヴィアは、静かに続けた。
「陛下が、いつも人と距離を置いていらっしゃること。侍従の世話を頑なに拒まれること。……全てに、理由があったのですね」
「……気づいて、いたのか」
「はっきりと確信していたわけではありません。ですが、何か大きな事情を抱えていらっしゃることは、感じておりました」
グィネヴィアは、そう言うと、ゆっくりと、私の手を取った。
「陛下。……いいえ、アーサー様。私は、この秘密を、誰にも漏らすつもりはありません。……そして、この婚約、謹んでお受けいたします」
「……本当に、いいのか。愛情を持てぬ相手との婚姻になるかもしれないというのに」
「愛情の形は、ひとつではないと思っています」
グィネヴィアは、穏やかに微笑んだ。
「あなたが、王として、そして一人の人間として、これほどの重荷を背負っていらっしゃることを知った今――私は、その重荷を、少しでも分かち合いたいと思います。それもまた、ひとつの愛情の形ではないでしょうか」
その言葉に、私は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
秘密を打ち明けることへの恐怖が、少しずつ、確かな安堵へと変わっていく。
「……ありがとう、グィネヴィア」
「これからも、どうぞよろしくお願いいたします、アーサー様」
こうして、私とグィネヴィアの婚約は、正式に整えられることとなった。
これで、私の秘密を知る者は、マーリンと、そしてグィネヴィアの、二人だけになった。
その頃――王都から遠く離れた、あの森の塔では。
水盤の中で育まれていた小さな光は、すでに、はっきりとした人の形を取り始めていた。
「――随分と、育ちが早いこと」
モルガンが、感心したように呟いた。
水盤の中には、目を閉じたまま、静かに眠る少女の姿があった。まだ幼さの残る顔立ちだが、その輪郭には、既にはっきりとした特徴が刻まれている。
「アーサーに、よく似ているわね」
「……ああ」
答えるマーリンの声には、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。
この数ヶ月、マーリンは、この塔に籠もりきりで、絶えず魔力を注ぎ続けていた。急速に成長させるためには、それに見合うだけの、途方もない代償が必要だった。
「大丈夫なの? 顔色、随分と悪いわよ」
「……問題ない。あと少しで、完成する」
マーリンは、そう言いながらも、明らかに以前とは違う、生気の薄い表情をしていた。
「あなたね、無茶をしすぎよ。……たかが一つの命を生み出すのに、そこまで自分を犠牲にする必要がどこにあるの」
「たかが一つ、ではない」
マーリンは、水盤の中の少女を見つめながら、静かに答えた。
「これは、アーサーの未来にとって、大きな意味を持つ存在になる。……そのために、この程度の代償、安いものだ」
「……その考え方、いつか、あなた自身を滅ぼすわよ」
モルガンの忠告に、マーリンは、答えなかった。
ただ、水盤の中で、少しずつ確かな輪郭を持ち始めていく、新たな命を、じっと見つめ続けていた。
そして、ある夜。
塔の中に、これまでにない、強い光が満ちた。
水盤の中の少女が、ゆっくりと、その瞳を開いたのだ。
「……ああ」
呆けたような声を漏らしたのは、マーリンだった。
その顔は、蒼白を通り越して、ほとんど血の気を失っていた。長きにわたる魔力の消耗が、ついに限界を迎えようとしていた。
「マーリン!」
モルガンが、慌てて駆け寄る。
だが、マーリンは、崩れ落ちそうになる身体を、なんとか支えながら、水盤へと近づいていった。
「……よく、生まれてきたな」
水盤の中から、ゆっくりと身を起こす少女に、マーリンは、震える声で語りかけた。
少女は、まだ言葉を持たないかのように、ただ、きょとんとした表情で、周囲を見渡していた。
「――お前の名は、モードレッドだ」
その名を告げた瞬間、マーリンの身体が、大きく傾いだ。
「マーリン!」
モルガンが、慌ててその身体を支える。
「……すまない、モルガン。……後は、頼めるか」
「馬鹿ね、こんなになるまで……」
モルガンは、呆れたように、それでいてどこか案じるような声で、そう呟いた。
マーリンは、それきり、意識を失うように、深い眠りへと落ちていった。
塔の中は、しばらくの間、静寂に包まれていた。
モルガンは、意識を失ったマーリンを寝台へと運んだ後、水盤の傍らで、ぼんやりと座り込む少女――モードレッドの前に膝をついた。
「……あなた、名前は、モードレッドというのよ」
モルガンの言葉に、少女は、小さく首を傾げた。まだ言葉の理解すら、覚束ない様子だった。
だが、その成長は、驚くほどの速さで進んでいった。
数日のうちに、片言の言葉を話し始め、一月も経つ頃には、大人と変わらぬ受け答えができるようになっていた。急速に成熟していく肉体と精神――それは、ホムンクルスという存在の、特異な性質のひとつだった。
「……ねえ、モルガン」
ある日、モードレッドが、ふと尋ねた。
「私は、どうして生まれてきたの?」
その問いに、モルガンは、少しだけ考え込んだ。
「……あなたはね、ある人の願いから生まれた存在なの。……その人は、ある王様のことを、とても大切に思っていて。その王様が、いつまでも一人で全てを背負わなくてもいいように、あなたを生み出したのよ」
「王様……」
「そう。……あなたには、その王様と同じ血が流れている」
その言葉に、モードレッドの瞳が、僅かに輝いた。
「じゃあ、私にも、その人のことを、大切に思う権利があるってこと?」
その、あまりにもまっすぐな問いに、モルガンは、一瞬、言葉を失った。
「……さあ、それは、あなた自身が決めることね」
モルガンは、そう答えるのが、精一杯だった。
かつて自分にも、こんなふうに、誰かを求めた記憶があったのだろうか。あまりにも長く生きすぎた自分には、もはや、それすらも定かではなかった。
モードレッドが誕生してから、九ヶ月ほどが経った頃。
長い眠りから、ようやくマーリンが目を覚ました。
「――お目覚めですか」
モルガンの声に、マーリンは、ゆっくりと身を起こした。
「……どれくらい、眠っていた」
「九ヶ月よ。……あの子、もうすっかり、十五歳くらいの少女になっているわ」
その言葉に、マーリンは、驚いたように目を見開いた。
「そんなに、時間が経っていたのか」
「あなたが、それだけの代償を払ったということよ」
モルガンは、静かにそう告げた。
「――さて、これからどうするつもり? あの子を、いつまでもこの塔に閉じ込めておくわけにもいかないでしょう」
マーリンは、しばらく考え込んだ後、静かに答えた。
「……騎士団に入れる。彼女には、確かな才能がある。それに――アーサーの傍で、生きていく道を、用意してやりたい」
「アーサーに、真実を話すつもり?」
「……いや」
マーリンは、首を振った。
「今はまだ、話すべきではない。……モードレッドが、どのような存在として生きていくのか。それを、まず見届けたい」
その判断が、後にどれほど大きな悲劇の種となるのか――この時のマーリンには、まだ、はっきりとは見えていなかった。
「――陛下、新たに騎士団への入団を希望する者がおります」
宰相からその報告を受けたのは、私とグィネヴィアの婚約が正式に発表されて、しばらく経った頃のことだった。
「マーリン様の紹介状を携えた、身寄りのない少女とのことです。……歳は十五ほどながら、既に相当な剣の才を持つと」
「マーリン様の紹介、か」
私は、少し意外に思いながらも、頷いた。
「わかった。会ってみよう」
謁見の間に現れたのは、まだあどけなさの残る、一人の少女だった。
その姿を目にした瞬間、私は、思わず息を呑んだ。
――どこか、自分自身の面影に似ている。
黒がかった髪の色、目元の形、そして何より、纏う雰囲気そのものが、鏡に映る自分の姿と、奇妙なほどに重なって見えた。
「……そなたの名は」
私が問うと、少女は、静かに顔を上げた。
その瞳に浮かぶ光に、私は、何か得体の知れない、強い感情の予感を覚えた。
「モードレッドと申します」
謁見の場が終わった後、私は、彼女――モードレッドを、私室へと呼び出した。
なぜか、そうせずにはいられなかった。彼女の存在が、これまで出会ったどんな人物とも違う、不思議な引力を持っているように感じられたからだ。
「――マーリン様の紹介と聞いたが、彼女とは、どのような関係だ」
私の問いに、モードレッドは、しばらく黙り込んだ。
そして、意を決したように、口を開いた。
「……私は、マーリン様と、モルガン様によって、生み出された存在です」
「生み出された、とは」
「陛下の……いいえ」
モードレッドは、まっすぐに私を見つめた。
その瞳の奥に、縋るような、それでいて確かな強さを秘めた光が宿っていた。
「あなたの、遺伝的な資質を元にして、造られた命です」
その言葉に、私は、全身が凍りつくような感覚を覚えた。
「――なんだと」
「詳しいことは、私にもわかりません。……ですが、私の中には、確かに、あなたと同じ血が流れているのだと、そう聞かされました」
モードレッドは、震える声で、続けた。
「だから――」
一瞬の沈黙の後。
彼女の唇から、これまで幾度となく、心の中で繰り返してきたであろう言葉が、静かに紡がれた。
「母上」
その一言に、私の思考は、完全に停止した。
「……なんだと、今、なんと」
「母上、と申し上げました」
モードレッドは、はっきりと、もう一度その言葉を口にした。
「私は、あなたの娘です。……そう、思っています」
その言葉が、私の中の何かを、激しく揺さぶった。
女であることを、これまで誰にも――いや、マーリンとグィネヴィア以外の誰にも、決して悟られてはならない秘密。それを、今、目の前の少女は、まるで当然のことのように、言い当てている。
「……声を、抑えよ」
私は、掠れた声で、まず、それだけを告げた。
「その言葉は、決して、私と二人きりの場以外では、口にしてはならない」
「……なぜですか」
モードレッドの声に、僅かな失望の色が滲んだ。
「私は、あなたに認めてほしいだけです。それなのに、なぜ、隠さなければならないのですか」
「――それが、王として、そして一人の人間として、私が背負っている事情だからだ」
私は、必死に、震えを抑えながら答えた。
「私が女であることは、決して公にできない秘密だ。……お前の存在自体が、その秘密と、分かちがたく結びついている。だからこそ、慎重に扱わなければならない」
「――それは、私を認めない理由には、なりません」
モードレッドは、まっすぐに、私を見据えたまま言った。
「私は、母上に、娘として認めてほしいだけです。他には、何も望んでいません」
その、あまりにも純粋な訴えに、私は、言葉に詰まった。
――どう、答えればいい。
彼女が、自分の遺伝的な資質から生み出された存在であることは、理解できる。だが、それを以て「娘」と呼べるかと問われれば――正直、答えは出せなかった。
母親になった覚えなど、一度もない。
そもそも、自分が女であることすら、必死に隠し続けてきた人生だった。母として誰かを迎え入れる準備など、心のどこにもできていなかった。
「……すまない」
私は、絞り出すように、そう告げるのが、精一杯だった。
「今の私には、お前を、娘として認めることが――できない」
その言葉を聞いた瞬間、モードレッドの表情から、一切の感情が消え失せた。
「……そう、ですか」
彼女は、静かに、それだけを返した。
「わかりました。……失礼いたします」
一礼すると、モードレッドは、静かに部屋を後にした。
その背中を見送りながら、私は、言いようのない罪悪感と、そして――理由のわからない、深い不安に、押し潰されそうになっていた。
その夜、私は、一人、寝室で天井を見上げていた。
モードレッド。
彼女の存在は、私にとって、あまりにも唐突で、そして、あまりにも重い意味を持っていた。
自分の遺伝的な資質から生まれた命。マーリンとモルガンが、いったいどのような意図で、彼女を生み出したのか――その全貌は、まだ何も見えていない。
だが、ひとつだけ、確かなことがあった。
あの少女の瞳に宿っていた、あの光。
縋るような、それでいて、決して折れることのない強さを秘めたあの光を、私は、簡単には忘れられそうになかった。
(……私は、正しかったのだろうか)
娘として認めることを拒んだ、あの答えが。
わからない。だが、少なくとも今の自分には、他にどう答えることもできなかった。
そのことに、深い後悔にも似た感情を抱きながら――私は、その夜、なかなか寝つくことができなかった。
そして、この日を境に、静かに、しかし確実に、私を取り巻く物語は、少しずつ歪み始めていくことになる。
聖泉に選ばれた「希望の若王」として歩み始めたあの日から、まだそれほど時間は経っていない。
それなのに――守るべきものと、向き合わなければならない事情は、いつの間にか、これほどまでに複雑に絡み合ってしまっていた。
グィネヴィアという、支えてくれる存在を得た喜び。
そして、モードレッドという、向き合いきれない存在から目を逸らしてしまった罪悪感。
そのふたつを抱えたまま、私は、王としての日々を、これからも歩み続けていかなければならなかった。




