第2話 「十年前の約束」
「十年前の約束、覚えてる?」
月城結奈の言葉に、悠斗は思わず固まった。
店内に流れていた穏やかな音楽が、妙に遠く聞こえる。
「……十年前?」
「うん」
結奈は静かに頷いた。
「覚えてない?」
「いや……」
悠斗は困ったように頭をかく。
「ごめん。本当に思い出せない」
「そっか」
結奈は悲しそうな顔をするかと思った。
だが、意外にも小さく笑った。
「だと思った」
「怒らないのか?」
「怒らないよ」
「なんで?」
「だって、あの頃の悠斗くんはまだ小さかったもん」
カウンターの向こうでは、美雪が聞き耳を立てていた。
「気になる……」
「聞こえてるぞ」
「聞いてません!」
「絶対聞いてるだろ」
「店員としてお客様の会話を確認してるだけです!」
「ただの盗み聞きだろ」
「違いますー!」
美雪は頬を膨らませた。
結奈が思わず吹き出す。
「ふふっ」
「笑ったな」
「だって面白いから」
美雪はカウンターから出てきた。
「私も座っていい?」
「仕事は?」
「今お客さん少ないし!」
「店長に怒られるぞ」
「お父さん今仕込み中だから大丈夫!」
「絶対ダメなやつだろ」
「細かいことは気にしない!」
結局、美雪も同じテーブルに座ることになった。
三人で向かい合う。
不思議な空間だった。
つい一時間前まで、悠斗にとって結奈は知らない人だったのだから。
「それで」
美雪が身を乗り出す。
「十年前の約束って何なの?」
「私と悠斗くんが初めて会った日の話」
「おお!」
「リアクション大きいな」
「だって気になるじゃん!」
結奈は少し遠くを見るような目をした。
「私ね、小さい頃は今よりずっと泣き虫だったの」
「意外だな」
「本当?」
「今は落ち着いてるし」
「頑張って隠してるだけ」
「隠せてるのかそれ」
「多分」
結奈は少し笑った。
そして話を続ける。
「当時住んでた町の公園で、一人で遊んでたの」
「うん」
「でも滑り台で転んじゃって」
「痛そう」
「膝から血が出て大泣きした」
「子供らしいな」
「そこで悠斗くんが来たの」
悠斗は首を傾げる。
まったく思い出せない。
だが不思議と話を聞いていると、どこか懐かしい気持ちになる。
「悠斗くん、ティッシュ持ってきてくれたんだよ」
「俺が?」
「うん」
「そんな優しかったっけ」
「失礼だなぁ」
「いや今も優しいと思うよ?」
「そうか?」
「うん」
美雪がじーっと悠斗を見る。
「何だよ」
「悠斗くんって結構優しいよね」
「急にどうした」
「なんとなく」
「気持ち悪いからやめろ」
「ひどい!」
三人は笑った。
さっきまでの緊張感が少しずつ消えていく。
「それからね」
結奈は続ける。
「何日か一緒に遊ぶようになったの」
「へぇ」
「鬼ごっこしたり」
「うん」
「ブランコ競争したり」
「なんだそれ」
「どっちが高くこげるか勝負」
「危ないな」
「私負けた」
「だろうな」
「でも楽しかった」
結奈はそう言って微笑んだ。
その笑顔はどこか懐かしさを含んでいる。
まるで大切な宝物を思い出しているようだった。
「そして引っ越す前の日」
結奈は少しだけ声を落とした。
「私、泣いてたの」
「引っ越しだから?」
「うん」
「友達と離れたくなくて」
「そっか」
「その時に悠斗くんが言ったの」
結奈は真っ直ぐ悠斗を見る。
「また会おう」
「……」
「絶対また会えるから」
悠斗は何も言えなかった。
覚えていない。
それなのに。
なぜか胸が締め付けられる。
「だから私は待ってた」
結奈は優しく笑う。
「ずっと」
「……十年間?」
「うん」
「マジで?」
「マジで」
美雪が目を丸くした。
「すごい……」
「だよな」
「私なら無理かも」
「正直、俺も驚いてる」
「でも」
結奈は少し照れたように視線を逸らした。
「会えたから良かった」
「そうか」
「うん」
その時。
店の奥から声が響いた。
「美雪ー!」
「あっ」
店長だった。
「仕事しろー!」
「はーい!」
美雪は慌てて立ち上がる。
「ごめん!戻る!」
「怒られてるじゃねぇか」
「気のせい!」
「絶対違う」
美雪がカウンターへ戻った後。
テーブルには悠斗と結奈だけが残った。
少しだけ静かな空気。
「悠斗くん」
「ん?」
「覚えてなくてもいいよ」
「え?」
「私は会えただけで嬉しいから」
「……」
「でも」
結奈は少しだけいたずらっぽく笑った。
「これから思い出してくれたらもっと嬉しい」
その笑顔に、悠斗は少しだけドキッとした。
理由は分からない。
けれど――
月城結奈という少女が、自分にとって特別な存在になり始めていることだけは確かだった。
店を出る頃には、空は夕焼けに染まっていた。
「じゃあまた明日」
「ああ」
「学校でね」
結奈は手を振りながら帰っていく。
その姿を見送りながら、悠斗はふと思った。
十年前の約束。
本当に忘れているだけなのだろうか。
それとも――
まだ思い出せていないだけなのだろうか。
一方その頃。
カフェの窓から二人を見ていた美雪は、小さく頬を膨らませていた。
「なんだろうなぁ……」
胸の奥が少しだけモヤモヤする。
理由はまだ分からない。
だけど――
それは恋の始まりによく似た感情だった。




