表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】おこもり奇譚  作者: 小浪来さゆこ(森原ヘキイ)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/37

もう、我慢しなくていいぞ⑦


「俺は、あなたのことが聞きたい。あなた自身の気持ちが知りたい」


 在里のためではなく。ユキのためでもなく。

 シキさんが本当はどうしたいのかと、在里は聞く。


「俺は決めたよ。この子と一緒に、狐守になる。この人生でも、あなたたち優しいキツネと関わって生きていきたい」


 気狐になった野狐を優しく撫でながら、在里は宣言する。決意を込めた視線が、まっすぐにシキさんを射貫く。


 これで本当によかったのか、俺にはわからない。むしろ在里が狐守になることを必死で阻止しようとしたシキさんの気持ちのほうが、今となっては理解できる。

 狐守として生きるということは、普通の人間よりも無駄に傷つくということだ。余計に苦しむということだ。いつか、後悔だってするに違いない。けれど、それでも大事なひとたちの傍にいたいという在里の思いも、俺にはよくわかってしまう。


 なにが間違ってるとか、なにが正しいとか。きっと幸せだろうとか、幸せじゃないかもしれないとか、そんな括りは、いっそどうでもよくて。

 たとえどんなことがあっても、ここでなら自分らしく笑える。ただ、そう思える場所にいたいだけなんだろう。


「おれは……」


 固く閉じていた唇を、ほんの少しだけ開けて絞り出した声。在里の視線から逃げるように、シキさんは赤い目を伏せる。


「――お前を、殺した」


 全身が、ぐっと強張る。油断していたところに、頭から冷や水をぶっかけられた。

 本当に、そのままの意味なのだろうか。シキさんの自責の念による歪曲であることを、願わずにはいられない。いや、それ以前に。前世の在里の最期という、薄氷でできた繊細な細工物のような記憶に、第三者の俺が触れてしまってもいいのか。

 哀しい別れだったのだろうということは、ユキやシキさんを見ていればわかる。正直に言えば、聞くのが少し怖い。それでも、耳を塞ぐことはできなかった。俺の腕は既に、俺よりも小さい生き物で塞がっている。


「ううん、ちゃんと生きてたよ。ずっと、あなたたちが覚えていてくれたから。……でも」


 罪の意識を抱えて動けないでいるシキさんへ、そんなことは取るに足らないことだとでも言いたげに在里は笑う。けれどやはり最後には、語尾と表情が曇った。


「そのせいで、あなたにそんな顔をさせ続けてしまっていたのだとしたら……俺はやっぱり、あんな風に死ぬべきじゃなかったね」


 ごめんね、と。在里の口元が、そんな謝罪を形作ったように見えた。シキさんと、そしてユキには声が届いたのだろう。白いキツネの震えが、腕を通して僅かに伝わってくる。俺は何も気づかない振りをしながら、ユキを軽く抱え直すように揺さぶってやった。



「だからこそ、信じてほしい。もう二度と、あんな別れ方はしない。いつか終わりがきても、あなたやユキがずっと笑っていられるように、俺らしく生き抜く。……その為の、この身体だと思うから」


 キツネに触れていないほうの手が、在里自身の胸元をそっと押さえる。女性ではなく、男性に。動けない足ではなく、高く跳べる足に。それが、笑顔のまま終わりを迎えるために必要な変化だと、在里が確信する何かが過去にあったのだろう。

 俺にはわからないが、シキさんには理解できたらしい。痛みを堪えるように、眉根が寄せられている。そんな天狐に向かって、だから、と在里は微笑んだ。


「もう一度、俺と一緒に生きてほしい」


 薫風を従えて開く、花の(かんばせ)。目の前で咲いた鮮やかなそれが、シキさんの時間を止める。この小さな太陽は、きっと千年の氷山すら溶かすに違いない。幸せな結末を確信して、思わずユキを支える腕に力が込もった。


「……おれは、お前が笑えているのなら、それでいい。どこにいようと、誰といようと」


 似たような言葉を、つい最近聞いたことがある。ユキが、まだ前世の記憶を思い出す前の在里と再会したとき。在里の母親の墓の前で、在里と共に生きることを――諦めたとき。

 俺とシンクロしたかのように、在里の表情が憂いの色に染まる。シキさんは、どうしても拒絶するつもりなのか。これだけの決意を聞いても、シキさんは別離を選んでしまうのか。


「だが――」


 光が、差した。

 二人を照らし出す月は、十分すぎるほど明るくて。

 これ以上の光源など、どこにもないはずなのに。


「どうせ笑うのなら、おれの隣で笑ってくれ」


 雨のあとだから、虹が輝く。黒雲を伴った嵐が過ぎ去れば、必ず青空が現れる。

 ああ、そうだった。そんな当たり前のことを、俺は忘れてしまっていた。――このひとの、笑顔を見るまで。


 目元が緩み、口元が上がる。身体的には、たったそれだけの動きなのに。

 シキさんが笑っているという、その事実だけで、信じられないほど胸が震える。


 きっと在里も同じだろう。ようやく出会えた太陽の光に照らされて、喜び踊る向日葵のように微笑んでいる。

 シキさんが笑うから、在里も笑う。在里が笑うから、シキさんも笑う。

 合わせ鏡のような、幸せの連鎖。かつては当たり前にあったに違いない夫婦の姿が、そこにあった。



 だから。



「さあ、お嬢」


 ゲンさんが、優しい声で口火を切る。


「ごーごーッス!」

「きゅ! きゅ!」


 騒々しいコンビが、やかましく急き立てる。


「ほら、行け」


 俺はといえば、思いっきり反動をつけて、白いキツネを放り投げた。

 流れのままに空中で綺麗に一回転したユキが、人の姿をとりながら地面にふわりと着地する。勢いで一歩二歩と進んだあとで、戸惑ったようにこちらを振り返ってきた。


 そうだよな。どうしていいか、わからないよな。

 諦めることに余りにも慣れすぎていたから、願いが叶うなんて考えもしてなかったよな。


 でも。


「もう、我慢しなくていいぞ」


 ユキの丸い目が、大きく大きく見開かれる。

 その視線が、俺からゲンさんへ。ノルさんへ。律儀にキューちゃんにまで移動してから、最後にまた俺の元へ。そうして、ゆっくりと背後を振り返った。


 互いの距離をぐっと詰めて、いつでも簡単に触れ合える位置に立つ夫婦が、じっとユキを見つめている。そのどちらもが、笑顔のままだ。零れんばかりの、溢れんばかりの笑みをたたえて、娘の動向を見守っている。

 ユキの頭がシキさんに向けて小さく傾き、父親が大きく頷きを返す――それが、合図になった。


 いち、に、さん。自分の足が動くことを確認するような覚束なさで、ユキが歩き出す。

 次第に、一歩と一歩の距離が長くなり、一歩と一歩の時間が短くなっていく。


 はしる。

 はしる。


 強くはためく着物の裾が邪魔をして、何度も何度も足をもつれさせている。

 だからといって四本足になる必要はないことを、ユキもわかっていた。


 はしる。

 はしる。


 十五年前も、きっとこうして必死に走ったんだろう。

 あのときは、出会えなかった。けれど、今度こそ辿り着く。


 急ぐな急ぐな。ゆっくりでいい。

 もう、どこにも行ったりしない。



「ユキっ!」



 ――抱き締めてくれる腕が、ちゃんと待っているから。



 ユキが、泣く。泣いている。ようやく、やっと、泣いてくれた。

 たったいま生まれたばかりの、世界一幸せな赤ん坊のように。


 膝をついて両手を広げた母親の胸の中に、娘という最後のピースが飛び込む。

 再び完成した家族のパズルを、俺とキツネと月だけが、静かに見守っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ