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【完結】おこもり奇譚  作者: 小浪来さゆこ(森原ヘキイ)


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とある狐守の愉快な日常①


 古民家カフェ狐し庵の本日の営業も、無事に終了した。片付けが落ち着いて一段落したところを見計らったかのように、レインの通知音が鳴り響く。


「お。そろそろ着くってよ、在里」

「! ユキ、おむかえにいってくる!」


 送られてきた文面を簡略化して読み上げてやれば、今日も手伝いのためカフェに出ていたユキが跳ねるような勢いで食いついてくる。そのまま制服姿で店を飛び出していくユキの背中に向けて、かろうじて「転ぶなよ」という一言だけを投げかけた。


「ちょっとはしゃぎすぎじゃないですかね、あいつ」

「無理もないッス! ようやく、お母さんと一緒にいられるようになったんスから! それにしてもスーくんってば、やっと普通にソーくんと連絡が取れるような間柄になったんスね! もうすっかりお友達ってカンジでオレっちは嬉しいッス!」にししししと、掃除の手を一度止めたノルさんが、こちらを元気に振り返る。

「何目線で感激してるんですか。そもそも、ノルさんがマッハで距離を詰めすぎなんですよ。ソーくんって。ソーくんって。まだあれから一週間も経ってないのに、ちょっと生き急ぎすぎなんじゃ?」

「出会ったその日にアドレスを交換するのは基本中の基本ッス! オレっちから見れば、オレっちたちより寿命の短いスーくんが、なんでそんなにモタモタしてるのかが疑問なんスけど! どうせいつか友達になるなら、すぐになっちゃったほうが時間的にお得じゃないッスか!」

 そんなノルさんの魂の持論を、俺は大きく首を振って打ち返した。「タイミングってもんがあるんですよ。人間は繊細な生き物なんです」


 手よりも遙かに口が動いているような気もするが、ノルさんと一緒ならいつものことだ。会話の応酬をしながら閉店後のルーティンをこなしていると、やがて遠慮がちな音を立てて扉が開いた。


「こんばんは、お邪魔します」

「あ! いらっしゃいッス、ソーくん! 今日も部活お疲れ様ッス!」


 学校指定の白い半袖シャツの上に、部活用の大きなバッグを斜めに掛けた在里が、店の入り口にひょっこりと姿を現した。片手は小さな娘の手としっかり繋がれていて、その延長にあるユキの顔はといえば、溶けたマシュマロのようにふにゃふにゃだ。見ているこっちまで、頬の筋肉が緩んでしまう。

 何も事情を知らない人の目には、仲の良すぎる高校生の兄と小学生の妹としか映らないだろう。中身が実は母子などとは夢にも思わないだろうし、正直に言えば未だに俺も混乱する。


「すみません。お言葉に甘えて、ご相伴にあずかります」

「そんなに固くなることないッス! 今回はそもそも、ちょっとしたソーくんの歓迎パーティーみたいなもんなんスから! 堂々とご馳走されてほしいッス! ね、ゲンさん!」


 奥まった厨房の中から「その通りです」と、今まさにご馳走づくりに精を出しているゲンさんの声だけが飛んでくる。


「ありがとうございます。あ、そうだ……ゲンさん」


 ユキを連れたまま、正確にはユキにくっつかれたまま、在里がカウンターへと移動する。そのまま肘を立てて、ひょいっと身を乗り出した。


「先輩の件では、どうもありがとう。甘党だったらしくて、すごく喜んでくれた。こんなにおいしいプリンを食べたのは初めてだって感激してたから、近々お店にも来るんじゃないかな」

「それはよかった。いつでも大歓迎ですと、お伝えくだせぇ。姐さんの先輩ならサービスさせていただきやす」

「うん、よろしくね。あ、何か手伝おうか?」早速、腕まくりをする在里を、横からすかさずカットインしたユキが止める。「ユキがおてつだいするからだいじょうぶだよ! おかあさんは、すわってまってて!」

「と、お嬢も仰ってやすので。どうぞ、ごゆるりとお待ちくだせぇ」


 ユキに続いてノルさんまでもが厨房のお手伝いへと消えていく中、俺はトチノキの大きなテーブルの、よりにもよって一番端っこの下座に腰掛けた在里の背後に近寄る。もちろん、今回の主賓の退屈を紛らわすためだ。つまり、おもてなしだ。断じてサボりではない。



「先輩って、あの先輩か? 大会に出る出ないで揉めたっていう、例の」

「バイトお疲れ様、筒井。そうそう、その先輩。揉めるというか……あの件は、俺が悪かったんだ」

「というと?」顎で話の先を促す俺に頷いて、在里は続ける。

「アイさんの風で一度めちゃくちゃ高く跳んじゃったことが引っかかって、大会どころか練習に出るのも不安になってさ。そんな俺を見かねた先輩が、お前はやる気がないのか! そんな状態で大会に出ても意味がないぞ! って叱咤激励してくれたんだけど――つい俺が、大会には出ませんって言っちゃったもんだから」

「そのまま勢い余って揉み合いに発展したってことか」


 俺はてっきり、大会に出る在里へのやっかみから安易に暴力に走った最低な先輩だと思っていたが、真相を聞いた今では、印象が百八十度ほど変わってしまった。いまどき珍しい、実に後輩思いの暑苦しい先輩じゃないか。


「それで、お前を守ろうとしたアイさんが咄嗟に風を起こして、それにびびった先輩が――」

「あ、いや。それはアイさんじゃなくて、ゲンさん」

「は?」


 思いがけない方向に会話が流れ始めて、思考が一瞬フリーズする。確かにゲンさんは在里を見守るために傍にいたはずなので、その現場を目撃していても不思議じゃないが、このタイミングで彼の名前が出てくるということは――あ。


「幻覚か」と、ゲンさんの得意能力のひとつを挙げると、すぐに在里から大きな同意が返ってきた。

「多分、よっぽど怖いものを見たんだろうね。それに驚いて、転んで、怪我をしちゃったんだ。かすり傷だったのが不幸中の幸いだったけど、そのことでゲンさんが責任を感じていて。それで、先輩にって、俺に手作りのスイーツを持たせてくれたんだ」

「……なるほど」


 確かに、在里の先輩が発した「バケモノ」という一言が何を指していたのか、俺の中でもはっきりと答えが出ていなかった。実体化する術がなく、風しか扱えないアイさんとはイコールで結び付かないと、わかっていたはずなのに。


「その……疑って悪かったな、アイさん。俺は、てっきり――」


 言い淀む俺を見て、目を細めながら嬉しそうに微笑んだ在里が、無言のままバッグを探る。やがて、色鮮やかで繊細な細工が施された、細くて小さい筒を取り出した。


「今は眠ってるから出てこられないけど、アイさんもわかってると思うよ」


 元々は野狐であり、現在は気狐であるキツネに、在里はアイという名前をつけた。アイさんは、在里の母親の形見だという壊れた万華鏡を気に入ったようで、大抵の時間をその中で過ごしているらしい。キューちゃんも、顕現したての頃は水筒の中で寝ていることが多かったから、おそらく気狐とはそういうものなんだろう。


「アイさんとは、うまくやってるのか――って、まあ、お前だもんな。聞くまでもないか」

「お陰様で。最初から、誰かに危害を加えるような子じゃなかったしね。俺の言うことは、ちゃんと理解してくれるし、ほかほかで、もふもふで、つやつやで、やさしい、いい子だよ」

「うちのオコジョに聞かせてやりてぇな」俺の心底からの嘆きを、キューちゃんだっていい子だろ、と在里が一蹴する。そのありがたい言葉も残念ながら俺の胸には響かないが、バイト中は別室に放置している水筒を思い浮かべる切っ掛けにはなった。そろそろ、あいつも起きてくる時間帯か。

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