-月日が傷を癒すはず- Part 25
「ふふふ……。
何とか…だがな……」
拳を握りしめ、ルフトジウムは輸送ドローンの残骸の下敷きになった男に目をやった。カナシタは下半身を押しつぶされながらも、浅い呼吸を繰り返していた。黒いコートは血で濡れ、眼鏡は片方のレンズが割れ、額から流れ出た血は頬を伝って顎先から静かに滴っている。
「何がおかしいんだよ」
不気味に笑うカナシタに向かってデバウアーの銃口を向けたが、カナシタは目を背けるだけで逃げようともしない。もはや逃げる気力すら彼の体には残っていないのだろう。鉄板の下にある足はもはや原型をとどめず、瓦礫の隙間から赤黒い血が絶え間なく流れ続けている。
「いよいよ…完成したのだなって思った……からな……。
殺すなら、どうぞ…」
乾いた声だった。
「も、もう立てないですから……はは……」
ルフトジウムは大きく息を吸い、冷静になれ、と自分を戒める。目の前の死人からこれ以上ストレスを受けるのはごめんだ。
「随分とあっさりしてんじゃねぇか。
お前が全部仕組んだことだろ?
ハルサを兵器として完成させて、この街をこんな姿にしたのは全部お前だ」
「はは……それが…?
こんなに美しいもの……早々見れる……ではないぞ…?」
カナシタは上を見ながら口から血を飛ばす。
「美しいだァ…?」
ルフトジウムが見ている光景とカナシタが見ている光景は同じものだといえるのだろうか。確かにハルサが穿った巨大な穴から見える満点の星空は地上の街が停電しているからこそ美しく見えている。しかし、都市全体にとっては正に悲惨な事象が起こっていた。切り取られたコンクリートの縁は今もなお赤く焼け、溶けた鉄骨が雫となって垂れ落ちる度に地面に白い火花を散らしていた。ハルサの穿った穴は都市を支えていた荷重バランスそのものを砕いてしまったのだろう。都市そのものを支える構造体がやられたことにより、基盤が耐えられなくなっているのだろう。地表では高層居住棟がゆっくりと傾き、自重に耐えきれなくなった外壁が一枚、一枚と剥がれ落ちていく。浄水場を支えていた巨大な配管網があちらこちらで引きちぎれ、行き場を無くした濁流が滝の様に流れ落ちていた。足元へと広がっていく振動は一度止まったかと思えば再び大きくなり、靴底を通して骨の髄にまで響くようだった。直径約一キロ。ハルサがあの一瞬で開けた穴は都市の心臓へと穴を開け、その代償は余りにも大きいものだった。
「頭のネジが飛んじまってるんじゃねーか?
今この瞬間に地上では多分何百人って死んだんだぜ?」
ルフトジウムが声を少し大きく出すたびに、遠くで大きなコンクリートの塊が鉄骨から剥がれ落ちていく。轟音が空気を揺らし、粉塵がパラパラと舞い散っていく。カナシタは反論しなかった。ただ崩れた天井から見える夜空をぼんやりと眺め、疲れ切ったように息を吐いた。
「ははは……そうですか……」
「人間なのに、感情は獣人以下だな。
厄災だよ、お前は」
口汚くカナシタをここぞとばかりに罵る。
「そう……。
そうですか…。
先生は……先生は何も…教えてくれませんでしたね」
唐突だった。ルフトジウムは眉を顰め、勢いに呑まれて口を閉じる。死が近い人間は往々にして幻覚を見るものだ。カナシタももう直ぐに死ぬ。そのことが分かった今、もう何を言っても彼には響かない。その代わりにルフトジウムはポケットに入れていた録音装置を起動させ、彼の言葉を一言一句保存しておくことにした。血を吐きながらそれでも彼の口元は少しだけ緩んでいる。
「腹が立ちましたよ…。
私は、貴方の一番弟子だったはずですよね。
だから……助手にも…副所長にもなった……。
それでも…それでも先生は最後まで……一番大事な物だけは……見せて…くれなかった」
折れた梁が直ぐ近くに落ち、床が砕け、土が舞い上がる。熱が二人の間を吹き抜けるが、カナシタは目を閉じる事すらしない。
「だから私は探したんです。
先生が隠したものを。
私が“重工”に報告したのも、その先に答えがあると…ゴホッゴホッ…」
言葉が一度途切れ、激しい咳きが彼を襲う。長い沈黙のあと、彼は小さく笑う。
「……結局、何一つ私は分かっていなかった。
理解なんて――ゴホッゴホッ」
カナシタの声にはこれまでのような皮肉や獣人への嫌悪感は含まれていなかった。これまで研究者として歩んできた疲労だけが滲んでいた。カナシタは血を含んだ咳をしながら、力なく俯いていた顔をゆっくりと持ち上げた。割れたメガネの奥にある瞳は既に光を失い始めている。彼の視線はルフトジウムを見てなどいなかった。山羊の肩を越え、更にその向こう。夜空へと穿たれた穴の淵、その暗闇よりも深いどこかを見つめているようだった。
「………」
沢山罵声を浴びせたい気持ちは既に萎え、ルフトジウムはため息をついてカナシタの横に座る。
「あぁ……そうか。
ようやく“羽化”出来たんだな…」
カナシタはまるでそこに何かがあるかのように手を伸ばす。ルフトジウムはじっと彼の視線の先を追いかけたが、もうそこには誰もいない。そこには崩れてゆく都市だけがあった。火災が風にあおられ、燃え盛る住宅から住宅へと飛び火し、空は赤黒い煙が立ち上りつつあった。
「“羽化”だぁ?
お前、何言ってんだよ」
ルフトジウムは都市からカナシタへと視線を戻す。彼は笑っていた。今まで一度も見せた事が無い、想像する事すらできないほど穏やかな笑みだった。
「そうでしたか……」
カナシタの独り言は続く。ルフトジウムは再び口を閉じ、退屈そうにデバウアーを触る。
「先生…。
結局、さ、最後まで……私の方が賢く…なったつもりで………いました……」
カナシタが口に出した“先生”という人物。ルフトジウムには誰の事を言っているのか分からなかった。
「その“先生”ってのは誰の事だよ?」
瓦礫が崩れ、地面が震える。遠くでガスに引火したのかおこった爆風の音が二人を包み込む。ルフトジウムは立ち上がり、周囲の様子を伺う。もうこの場所もそう長くは持たないだろう。
「はは……“先生は”……貴方は何も教えてくれなかった……。
だから……私は……ゴホッゴホッ…」
彼は静かに息を吸う。ルフトジウムの問いは完璧に無視されたらしい。
「重工に…獣人に……研究所に……ハルサに……。
全てそこに答えが……あると……」
カナシタは喉を鳴らして、自嘲するように肩を震わせる。
「けど……違うんですね……」
ただ疲れた、というように大きなため息をつきカナシタは目を閉じる。
「私は…先生の掌の上ですら……無かったんですね……」
閉じた瞼の奥で彼が何を見ているのかは知らない。彼には何か別の物が見えている事だけが明らかだった。もう死ぬだろう。ルフトジウムはその場を後にするため踵を返し、歩きはじめる。
「…………ぁ―……」
声がどんどん小さくなっていく。ルフトジウムはもう振り返らず、カンダロを瓦礫の下から見つけ出すことだけを考えていた。そんな時だった。
「そうか…。
あいつめ、つまりそういう事だったんだな……」
先程死にかけていたはずのカナシタのはっきりとした声が背後から聞こえた。振り返った山羊からはカナシタが瓦礫から手を伸ばし、何かを掴み取ろうとしているのが見えた。
「私も、貴方も。みんなあいつの歯車だったということか」
錯乱したとしか思えないカナシタの言葉に重みは無い。しかし、彼の表情はいつもの憎しみを振りまく物となっていた。
「こんな所にまで迎えに来やがって…。
あの野郎……この私をコケに……ゴホッゴホッ…。
先生……私は…貴方を裏切るつもりなんて……なかったんです……。
あぁあ……。
誰かに…裏切らされて……」
カナシタの周囲へ、小さな青白い光が一粒、また一粒と舞い降り始める。
「んだこれ…?
雪か?」
手を伸ばして触りかけたルフトジウムは、頭の中にシュバイアルルを思い浮かべ慌てて手を引いた。蛍のようにも見えるその光は音も無くカナシタの周囲へ静かに集まり、彼の肩へ、焼けた鉄板へ、崩れたコンクリートの上へと静かに降り積もっていく。崩壊を続ける都市の轟音が世界を支配しているというのに、ここだけは不思議なほど静かだった。まるで天から誰かがカナシタを迎えに来たかのようだった。
-月日が傷を癒すはず- Part 25 End




