-月日が傷を癒すはず- Part 26
青白い粒子はその密度を静かに増していく。何か物体に当たった瞬間、その粒子は淡く発光し、まるで意思を持っているかのように彼の体へと集まっていく。
「綺麗だな…」
「綺麗……はははっ……。
そうか、そういう風に……思いますよね…」
思わずルフトジウムの口から零れた声は、自分でも驚くほど小さく、驚くほど素だった。目の前にいる男はつい先ほどまで殺してやる、とまで思った人物だ。ハルサを兵器へと変え、全ての事件の始まりを作り上げ、この街を地獄へと変貌させた張本人――。そんな男が今、まるで誰かに迎えられるように優しい光に包まれている。
「…………暖かい…?
まさか………」
掠れた声でそう呟き、カナシタは震える指先をゆっくりと持ち上げ、その一粒へ恐る恐る触れる。水色の光は逃げることも弾けることも無く、カナシタの指先にぴったりとくっつき寄り添う。カナシタは自分の手へ触れた淡い水色の光をじっと見つめていた。
「そういう……ことでしたか……。
そうか、これが……。
最後まで私を馬鹿に……。
あいつめ……最後の最後に……ゴホッゴホッ……」
カナシタの額の皺が薄くなる。先程まで彼の胸を焼いていた憎悪が薄れていっているようだった。
「怒ったり悟ったり、忙しい男だなお前は」
「…………貴女には理解できませんよ。
これは…この“重み”を背負ったものしか……」
彼の声からは先程強く宿った怒りや憎しみといった感情が消えていた。長い年月必死に歩き続け、ようやく何かに辿り着いたような安堵が滲んでいた。粒子は一つ、また一つとこの場に増えていき、やがて彼の身体を包み込み始める。彼のコートや掌、やがてその周囲だけが淡い水色に染まり始め、瓦礫の影あえ青白く照らし出す。ルフトジウムは無意識に一歩踏み出していた。
「…おい」
どうしてここまで事態をひっかき回した本人が絵本で見るような美しい最期を迎えようとしているのか。ルフトジウムはどうしても納得できず、少しでも邪魔をしたかった。彼からの返事は無い。カナシタはもうルフトジウムなんてとっくに見てない。割れたメガネの奥にある瞳は、ルフトジウムには見ることのできない何かを見て、察している。
「先生……」
小さく呟いた声は、またしても誰へも向けられたものではなかった。彼はゆっくりと掌を開き、そこに乗った小さな淡い水色の光りを見つめていた。彼が浮かべる表情は死にゆく人間の物でも、敗者の虚ろなものでもなかった。何十年も追い続けていた一人の学者が、最後の最後に答えに辿り着いたような静かな驚きだった。都市の外で何度も見て来たあの水色の粒子と同じような光にも関わらず、今回の光は彼の指先へ触れても傷口を新たに作り出すわけでもなく、肉を侵すわけでもなかった。カナシタはその僅かな違いを見て小さく肩を震わせ笑みを零した。
「粋な真似を……。
あいつめ……かわいいかわいい私の……妹……弟子……。
バカ垂れ………」
呟きと共にゆっくりと目を閉じる。その瞬間だった。カナシタを中心に広がっていた淡い光が一段と輝きを増し、周囲の空気そのものすら青白く染め上げていく。瓦礫も鉄骨も、地面さえも輪郭を失い、世界から色が抜け落ちていくような感覚にルフトジウムは思わずたじろぐ。
「何だ!?」
彼女は目を細める。嫌な予感が背筋を駆け上がった。現場で感じ取ることが出来る殺気にも似たものを感じ取った本能がこの光には近づいてはいけないと叫んでいた。ルフトジウムはデバウアーを握り直し、後ろへ下がろうとする。
「ルフトジウムさん!!!」
聞きなれた怒号と共に横からあれかが全力でぶつかってくる。反応するまもなく視界が大きく反転し、ルフトジウムの体は勢いよく瓦礫の上へと転がった。
「ぐっ…!」
肺の空気が一気に押し出される。何が起こったのかを理解するよりも早く、覆いかぶさるように倒れて来た男が荒く息を吐いた。
「何してるんですか!?
死にますよ!?」
「カンダロ!?」
聞き間違えるはずも、彼の姿を見間違えるはずも無かった。彼は全身血まみれだった。全身は煤と泥に濡れ、服は破れ、右肩からは血がゆっくりと滲んでいる。それでも彼は歯を食いしばり、ルフトジウムの体を抱えるように更に数メートル転がった。
刹那、音も無く、爆発音も、衝撃波も無くただ一本の巨大な光の柱が天から静かに降り、カナシタがいた場所を完全に包み込む。その光は澄み切っていて、美しいという言葉では到底足りなかった。しかし美しさとは裏腹に、柱へ触れたコンクリートや鉄骨、輸送ドローンの残骸は一切の抵抗を許される事無く触れた先から塵となって消え失せていく。燃えることも砕けることも無く、ただ最初からそこに存在を許されていなかったかのように世界が削り取られていく。
「あまり光を見ない方が――!!!」
「るせぇ!!
わーってるよ!!!」
一人と一匹がそんなやり取りをしている最中に、光は収まり、そこには深く穿たれた巨大な穴だけが残されていた。そしてカナシタの姿はもうどこにも無かった。
「何て威力だよ…」
「危ない所でしたよ、本当に」
少し呆然としていたルフトジウムだったが、ハッとしたように意識を取り戻しカンダロに迷うことなく飛びつた。
「この野郎ッ!!」
「ぐえ!?!?
何するんですか!?」
勢いよく戦闘用獣人の力で抱きしめられたカンダロは目を剥き、全身を震わせる。
「生きてるなら生きてるって言いやがれ!!!!」
「いや、どうやって言うんですか!?
苦しいです!!
締め過ぎです!!!
折れる!!
折れますから離してください!!!!」
痛みに顔を歪めながら情けない声を上げるカンダロを見て、ルフトジウムはようやく息を吐いた。胸の奥で張り詰めていた何かが少しだけ溶解したような気がした。
「ははは、悪い悪い。
つい興奮しちまったぜ」
「はぁ、はぁ。
せっかく生きて来たのにここで死ぬところでしたよ」
ルフトジウムはカンダロを離し、肩をバシバシと叩く。ちゃんと触れる。足もある。カンダロは生きている。ルフトジウムはデバウアーを地面に差し、今になって込み上げてきた全身の痛みに顔を歪めた。
「全身がいてぇー…。
クソがぁー……」
「カナシタさん、なんかまるで天国に行ったみたいでしたね。
最後は幸福そうな顔をしてました」
「ああ。
ムカつく野郎だ。
まあ、あいつが落ちたのは間違いなく天国じゃなくて地獄だろうけどな。
そう思わねえとやってられねぇよ」
「ですね。
ん?
あれ何でしょう?」
カンダロは穴の縁を指さした。その指の先には小さな銀色の何かが朝露のような光を返していた。
「見てくる。
そこに居ろ」
「いえ。
僕も行きます」
「なんでだよ」
「だって危ないじゃないですか」
「チッ、好きにしろ」
ルフトジウムは眉を顰め、デバウアーを杖のようにしながら慎重に近づいていく。カンダロも肩を押さえながら慎重に後を付いてくる。光の柱が消えたばかりの場所へ近づくことには本能的な恐怖があったものの、そこに転がっている物は妙に気になった。しゃがみ込み、指先で拾い上げる。それは熱でわずかに歪み、片方のレンズが無くなった眼鏡だった。
「あいつのか」
何とも神経質そうな男がいつもかけていた眼鏡だ。カンダロは眼鏡を見るなり目を細めて手を差し出す。
「貸してもらっても?」
無言で渡すと、彼はフレームを裏返し内側を親指でなぞる。そして苦々しい顔で鼻を鳴らした。
「クソオヤジが、就任祝いに贈った眼鏡ですよ」
カンダロは苦笑しながらフレームの内側をルフトジウムへと向ける。そこには細かい文字で擦り切れながらも確実に刻まれていた。
【TよりYへ 祝福を込めて】
-月日が傷を癒すはず- Part 26 End
更新遅れて申し訳ありません。
何卒これからもよろしくお願いします。




