-月日が傷を癒すはず- Part 24
ルフトジウムは思わず一歩を踏み出したものの、その瞬間に押し返すような熱波が全身を叩いた。顔をしかめながら腕で目元を庇う。熱い。近づけない。
「くっ……」
戦闘用獣人として鍛えられた肉体ですら本能が近づけば焼けると警鐘を鳴らしている。デバウアーを盾の代わりに前へと突き出し炎の隙間を覗き込もうとするが、火柱は視界を完全に覆い隠してしまっていた。焼け落ちた装甲版が甲高い音を立てて崩れ、内部の弾薬が誘爆を繰り返している。ハルサがいたであろう貨物区画に目をやり、ルフトジウムは歯を食いしばって熱風の中へ踏み込もうとする。直ぐに靴底のゴムが焦げる匂いが鼻を刺し、足元の土が溶けてガラスに変わっていく。とてもここにはいられない。山羊は直ぐに安全剣にまで下がると目を細めたまま強く拳を握るしかなかった。
「どうしようもねえってのか…」
目の前で愛しい人が燃えているというのに助けにいくことすら出来ない。その事実が何よりも腹立たしかった。炎を消す為に何か手を打とうと周囲を見渡すが、こんな地下の貧困村には消防設備の一つも見当たらない。頭から水を被ろうにも池の一つもないのだ。
そんな時だった。炎の揺らぎが変わった。燃え上がっていた火柱が風も無いのに一方向へと流れ始め、中心へと吸い寄せられていく。撒きあがっていた火の粉が逆流し、一つの場所へと収束していく光景は自然現象とは到底思えるものでは無かった。
ルフトジウムは息を飲む。赤く燃え盛っていた炎が内側から青白く染まり始める。何か別のものが炎そのものを書き換えているようだ。炎は収束を続け、やがて一つの巨大な繭のような姿を形作る。不死鳥が灰から蘇るという伝記をなぞる様な現象に息を飲む。生命の誕生にも似た神秘感が溢れていたが、そこに宿るのは祝福ではなく、圧倒的な底知れない力が内部で圧縮され続けているという事実だった。
「何が起こってんだ…?」
ルフトジウムは思わずデバウアーを構え、その先端を繭へと伸ばす。先端部が当たる直前、炎が静かに左右へと割れた。爆ぜる音すら聞こえなかった。揺らめく火の粉が夜空へ散らばり、一つの影がゆっくりと中から姿を現した。
銀灰色の長い髪の毛は炎の中にありながらも一切焦げる事なく揺れ、煤を纏った黒い衣服の隙間から白い肌が覗いている。肩甲骨あたりから広がっている両翼は静かに開き、一枚一枚の羽が青白い光を帯びていた。羽ばたきは無く、それでも翼に穿たれた無数の孔から零れる粒子が空気を押し流し、炎を左右へと押し分けていく。その後ろ姿、間違いない。
「ハルサ!」
ルフトジウムの声に反応した彼女が振り向く。その口元から赤い雫が一筋落ちた。そこでルフトジウムは初めてハルサが何かを咥えていることに気が付いた。ハルサが口に咥えている物を、ルフトジウムは一瞬大根や人参といった野菜の一種だと思っていた。しかし、その物体には特有の細い指先に、破れた戦闘服の袖がついていた。
「ッ……!」
それは肘から先だけになった兵士の腕だった。まだ温もりを失っていないのだろう。断面図から滴る血液は糸を引き、白い顎を伝って静かに服へと落ちていく。その雫すらも炎へ触れる事無く淡く光を受け止め、宝石の様に輝きを残していた。ハルサは何も返事をしない。小さく顎を動かすたびに翼がさらりと揺れる。その余りにも自然なしぐさは獣が獲物へ食らいつく姿と、人が食事をする姿とも似通っていた。ただ生きるために必要な行為をしているだけだという表情だった。ハルサは口を動かしていたが、その目がルフトジウムを捉えた瞬間、唇が震え、掠れた声が漏れ出した。咥えていた腕が地面にぼとりと落ちる。
「ルフトジウム……さん……?」
炎に包まれた世界の中で、その小さな一言だけが妙に鮮明に耳へと届いた。ルフトジウムは熱風を物ともせずに一歩を踏み出していた。皮膚が焼けるような熱さすら、今の彼女にとってはどうでもいいものだった。炎の中心に立つハルサから返事は返ってこない。ルフトジウムはもう一歩、近づきハルサの頬に触れようとした。
「こっちにこい!
俺と一緒に帰ろうぜ!」
「………」
突如両肩から広がる翼が広がったかと思うと空気が震え、目に見えない謎の力がルフトジウムの身体へと真正面から叩きつけられていた。巨人に殴り飛ばされたような衝撃が全身を貫き、彼女の身体が宙を舞う。柔らかい泥沼へと倒れたルフトジウムはそれでも立ち上がり、もう一度ハルサの近くへとにじり寄る。やっと見つけた。それだけでよかったが、ハルサは自分を近づけようとしない。
「一体お前に何があったんだよ……。
教えてくれよ、なあ…」
ルフトジウムは拒絶された悲しみよりも、近づかせまいとしているハルサの思いを理解した。ハルサはほんの十秒程じっと、何もせずにじっとルフトジウムを見つめ続けていた。まるで瞳にその顔を焼き付けているかのように。その瞳は今までの虚ろな物ではなかった。今まで何度見ても分からなかった意思が、そこに確かに宿っていた。
彼女の頬を、体を幻想的に翼の青白い光や炎の赤色が照らし出す。そんな彼女の頬に何かが伝ったように見えた。それは涙だったのかもしれないし、熱で歪んだ景色がそう見せただけだったのかもしれない。ルフトジウムには確かめようがなかった。何故ならハルサは何かに気が付いたように上を見たからだ。一瞬の時間ののち、直ぐにハルサの背中に新たな光が灯り、頭の上に水色に発光する幾何学模様の輪が浮かんだ。六本の推進機は翼の内側へと折りたたまれていたようだ。有機物と無機物が混ざり合った複雑な形状をしており、その一本一本がハルサの体よりも長い。宇宙へと昇るロケットのブースターにも見えるし、そういう生き物にも見える。何とも不可思議な形状をしたそれらは機械的な音を一つも立てることなく、足元へ向かって噴射口から青白い光を満たしていった。
「おい、どこに行くつもりだよ!?
まだ俺の話は終わってねえんだぞ!」
六つの噴射口が同時に輝く。刹那、圧縮された光が一斉に解放された。轟音が遅れて轟き、爆発にも似た衝撃が周囲の炎を吹き飛ばし、瓦礫や灰を巻き上げる。地面が崩れ、倒壊した建物から瓦礫が剥がれ落ち悲鳴を上げる中、ハルサの体は水色の光となって一直線に空へと駆け上がっていった。
「待て!!!」
ルフトジウムの叫びは届かない。青白い尾を曳いた流れ星は一瞬で浄水場の天蓋へと到達すると、分厚いコンクリートや都市を支える分厚い鉄骨を紙の様に貫いた。巨大な破砕音と共に天井へと大穴が穿たれ、崩れ落ちた瓦礫の向こうに夜空が覗く。光は一直線に夜空へと駆けあがり、小さく、小さくなっていく。
「クソ……!
また俺を置いていくのかよ……!!」
その直後だった。夜空の彼方で赤い光が一つ灯る。続いて二つ、三つ…赤い流れ星は迷うことなく進路を変え、水色の流れ星の軌跡を追うように加速を始める。その飛び方はお互いの距離を保ちながら鋭く旋回し、時折軌道を変えながらハルサを追い詰めようとしているようだった。
「ハルサ……」
奥歯を噛みしめ、拳を握りしめながら夜空を見上げるルフトジウムの足元からふいに苦しげな呻き声が聞こえてきた。
「ぐ……ぁ……」
反射的に視線を落とす。輸送ドローンの分厚い装甲版の残骸の下から血塗れになった一人の男がこちらを見上げていた。ルフトジウムは無言のままデバウアーの切っ先をその男へと向け、引き金に指を置きながら話しかけてやる。
「カナシタ、残念な事に生きてやがったんだな」
-月日が傷を癒すはず- Part 24 End
二週間もお待たせしてしまい、申し訳ありません。
無事に更新です。
よろしくお願いします。




