-月日が傷を癒すはず- Part 15
鉄骨にこびりついたコンクリートの破片が、天井の裂け目からパラパラと、粉塵を伴って絶えず降り注いでいる。先程のハルサの一撃は分厚い都市の基盤を貫いたようで、さっきまで閉ざされていたはずの空間に、地上から冷えた空気がゆっくりと流れ込み始めていた。歪んだ金属が軋み、巨大な配管の奥から低い唸り声のような音が響いている。殺気が満ちていた空間で、ハルサは口を開き、自らの意思を伝えようとしている。
「わ、わた……し……」
「別に今無理して喋らなくていいぞ?」
ルフトジウムはハルサを抱き寄せたまま動かない。戦闘の高揚とアドレナリンが収まりつつあると同時に、レーザーが掠めた肩がズキズキと痛み始めていた。スーツに編み込まれていた耐衝撃繊維は焼け焦げ、溶けた繊維が傷口に貼りついている事だろう。ジクジクとした痛みが脈を打つ度に広がり、腕へと伝わっていく。しかし、今はそれどころではなかった。
「無事に生きていたようで何よりだぜ。
どこか怪我してないか?
大丈夫か?」
低く呼びかける。腕の中の小さな体がびくりと震える。その小さな反応がルフトジウムの胸を妙にざわつかせる。
「ハルサ?」
「…………」
ハルサは怯えていた。先程まで自分を殺そうとしていたとは思えない程弱々しく、胸が呼吸に合わせて細かく揺れている。戦闘中に彼女が滲ませていた獣のような殺意は失せ。まるで追い詰められた小動物が起こすような、本能的なわななき方をしていた。ルフトジウムはハルサから少し離れ、肩に手を置き顔を見る。乱れた銀灰色の髪が頬へ張り付き、汗と埃で汚れた肌の上に細かい影を落としている。しかし、ハルサは顔を上げようともせず、視線も合わせようとしない。
「……ッ」
言葉に詰まる。青白い光を反射する瞳は焦点が定まりきらず、まるで何かを確かめようとしては怯えたように揺れ、そのたびに長い睫毛が震える。三ヶ月も探し求めた相手が今、こうして腕の中にいる。それなのにそこに居るのは、以前の様に皮肉げに笑う狼ではなく、自分自身に怯え切った壊れかけた少女だった。
「手錠、かけますか?
一応合金で出来てる対獣人手錠なんで、重いんですけど」
カンダロが拳銃と手錠を片手にルフトジウムの近くに来る。ルフトジウムはカンダロに拳銃を仕舞うように言い、顎でハルサを見るように促した。カンダロは鼻から大きく息を吐き、手錠をカチカチと鳴らす。
「わた……しを……」
掠れた声で目を閉じるハルサの目尻から透明なものが滲む。それはゆっくりと膨らみ、睫毛の隙間を縫うようにして頬へと落ちていく。ハルサやルフトジウムといった高価な戦闘用獣人は痛みに強く出来ている。骨が折れても叫ばない個体もいる。そんな中、ハルサが今見せている震えと涙は肉体の苦痛などではなく、もっと深い場所から滲み出ているようだった。
「ハルサ……」
「私を…見んな……っス……」
ハルサは小さく呟く。声に力は無い。ルフトジウムは何も言えなかった。目の前の小さな狼だけが視界に残る。ハルサは、こんな顔をする奴だっただろうか。いつも会うときはかわいこぶっていて、憎たらしい所を見せなかった。そして大鎌の獣人だった時はどれだけ追い詰められても飢えた野犬の様に睨み返してきていたのだろう。それがどうだ。今は捨てられる寸前の子供のような眼をしているではないか。ルフトジウムはハルサの頭に手を置いて、くしゃくしゃと撫でてやる。まるでそれが気休めになるかのように。
「バカ野郎。
そんな顔すんじゃねぇよ」
そのルフトジウムの腕をハルサは掴み、自らの頬へと再び持っていく。ルフトジウム予想外の行動に少し固まりながらも、冷たい頬に伝う涙を親指では拭ってやった。彼女も彼女なりに苦しんでいる。
「あのな、お前がどんな存在になったのか俺は知らない。
例えお前が“兵器”だったとして、それは俺になんか関係あるのかよ?
俺は“兵器”になる前のお前を好きになったんだ。
お前の本質がハルサである限り、それ以上でも以下でもない。
だからそんな事は些細な――……」
まだ言葉を続けようとしたルフトジウムだったが、ハルサの背中から今生えているものを見て軽々しく否定する気になれなかった。言葉が詰まる。だから代わりにルフトジウムはハルサの頭をもう一度、今度は乱暴に撫でた。
「なあ、帰るぞ。
いつまでここにいるつもりだ?」
ハルサは小さく首を振る。
「何嫌がってんだ。
帰るんだよ。
お前にも帰りを待っている奴はいる……そうだろがよ?」
ハルサは首を少し激しく横に振る。目を合わせないまま、彼女は自分の腕を抑えるように抱きしめている。
「あぁ?
我儘ちゃんじゃねーか」
ハルサはルフトジウムの腕の中から抜け出し、その場に座り込むと自らの背中を見る。
「私は……ツカサ姉様…達を殺し……てしまうっス…。
制御でき…な……っスから……」
ルフトジウムは眉を寄せる。
「はぁ~……お前なぁ……」
腰に手を当てて、ため息をつく。
「もうこんな所、いいだろ別に。
ずっといたって、何も状況は変わらないんだぞ。
飯だってここには無いんだぞ?
引きこもって、これからどうするんだよ?」
ルフトジウムはハルサの顔を見る。ハルサは小さく首を振り、目をぎゅっと瞑る。
「帰ったら…きっと殺され……っス…」
「……」
ルフトジウムは今までそこが抜けていたことに気が付いて、返事が出来なかった。彼女が今回ハルサを捕まえに来たのはテロの容疑がかかっているためだ。しかし、裏を読むのであれば“大野田重工”はハルサが“天使級”として完成したことを既に知っている。もしここでハルサを連れて帰れば、それは“大野田重工”にハルサを差し出すことに他ならない。もう二度と彼女は日の目を見ることはできないだろう。姉や、相棒と会うこともできないだろう。彼女の目的である復讐も果たせずに終わる。捕まったら最後、全身を拘束され、そのまま研究材料としてバラされる可能性が高い。ルフトジウムはカンダロの方を見て考えつつ、言葉を紡いだ。
「……なあ、ハルサ。
お前、本当にここに居たいのか?」
死んだほうがましだと思うほどひどい目に合うぐらいならば、彼女は見つからなかったということにして今ここで終わらせてあげた方がよいのではないだろうか。このまま放っておけば、彼女は衰弱して死ぬ。そう、わざわざルフトジウムが手を下すまでも無いのだ。
「…………」
ハルサは何も答えず、ただ涙を拭う。ルフトジウムはカンダロの方を見て、首をすくめて見せた。カンダロは何も言わずにじっとハルサの様子を見続けている。一匹はここに来て本当にハルサを連れて帰ってもよい物なのか分からず、ただ目的を失っていた。
「……ルフトジウムさん。
僕は彼女を連れて戻るべきだと思っています。
それが僕達の任務ですから」
「………ああ。
俺も本当はそう思ってるんだぜ。
けど、もし連れて帰ったら――」
「はい。
研究対象として生きたままバラバラにされるでしょう」
「…………」
ハルサが鼻をすする。カンダロはチラリとハルサの背中を見てまた口を開く。
「けれど、それでいいんです。
貴方はこれからも“AGS”の備品として、大企業の加護の元で生きていけますよ。
そして、貴女を惑わせ続けていた“大鎌の獣人”に出会う前の貴女に戻ることが出来る。
そうでしょう?」
「………ああ」
ルフトジウムは唇を尖らせる。ハルサに焼かれた方の痛みが脈打つ。ルフトジウムはデバウアーを拾い、奥歯を噛みしめる。ルフトジウムは迷う。どうすればいい。どうすれば――。その時だった。上から何か重い音がこだまする。警笛のような深い唸り声に釣られてルフトジウムとカンダロ、そしてハルサは咄嗟に上を見上げた。裂けた天井の向こうで何か巨大な影が動いた。
「逃げろ!」
ルフトジウムが叫ぶよりも早く、天井が崩れた。
-月日が傷を癒すはず- Part 15 End




