-月日が傷を癒すはず- Part 14
狼から漏れ出す熱い吐息に反し、吸い込みは浅い。ハルサは本当に獣の様に、後の事を考えずただ目の前にいる獲物を打ち倒すことだけに全力を注ぎこんでいるようだった。いつもよりも尖った攻勢への姿勢、息継ぎや体のバランス、そしてスタミナを考えずに次の動作をしている為、痩せた身体が悲鳴を上げているのが手に取るようにわかる。
スタミナが不足している彼女がアメミットを振り抜いた終端に、僅かではあるが空白が生じ、踏み込みの重心が前へと流れる瞬間がある。特筆するほど速さが落ちている訳ではない。ただ綻びが露わになるのだ。ルフトジウムは今まで何度も彼女と戦い、この綻びを突く事で連続して勝利を掴んできた。
「その“癖”……。
抜けねえなぁ…!」
いつもよりも重いアメミットの刃を正面で受ける気はない。刃の軌道ではなく、ハルサの腰の向き、足の置き方――。その僅かな傾きから彼女の次の進路を読み取り、行動する。彼女が振り上げに入る直前、右足は内側へ少し偏る。そしてその踏み込みが生み出す円弧の外へと逃げる為に、ルフトジウムは左足を軸にして壁面への張り出しへと跳躍した。ぬるりと苔が潰れ、足が少し滑る。少し高い所から見下ろしたルフトジウムは左手のデバウアーを構え、銃弾をバラまくために引き金を引く。デバウアーの銃口から非殺傷用のゴム弾が次々と放たれ、ハルサへ向かって降り注いだ。
「なんじゃ、そりゃ!?」
しかし、その銃弾はハルサに当たる直前になって何かよく分らない“透明な壁”のようなものによって消滅する。ルフトジウムは小細工が通じなくなったことに驚きつつも、次の一手を既に考えていた。遠距離攻撃が通らないようなバリアがあるのならば、もっと彼女に近付くしかない。
「…唯一の可愛げまでも無くちまいやがって」
ルフトジウムは強く床を蹴って跳躍し、距離を一気に狭めた。ハルサは、ミサイルの様に飛んでくるルフトジウムの体を目掛けてアメミットを振り下ろす。ルフトジウムはばっと身を屈めると、その反動を利用して身体を斜めに浮かせ、振り下ろされたアメミットの軌道を背後へと流してハルサの懐へと潜り込んだ。余りにも近すぎるが、それでいい。大鎌の射程圏内で絶えず振らせ続ければ、正直今のハルサにはいずれ押し切られてしまう。ならば鎌の弱点ともいえる内側で支点を奪うしかない。
ルフトジウムは右手のデバウアーを構えて次の刃を逸らす準備をしながら、左手のデバウアーでアメミットの柄を叩くように動いた。ハルサが距離を取ろうとして後ろへ下がる。遅い。スタミナ切れが顕著に現れ始めたのだ。そんな状態で無理に腕だけでアメミットを振り続けている。だから重心が“浮いた”。これは綻びだ。
「いい加減、大人しくしやがれ!」
ハルサに生じたその“浮き”に合わせて、ルフトジウムは賭けに出る。デバウアーの刃の側面をアメミットの柄に引っ掛けたのだ。そのまま巻き込むようにして、ハルサが握っている角度に対して全く逆方向へと回転を加え、手首ごと外へと逃がすようにして力を通す。ハルサの指が緩む。緩みに対して、デバウアーを手放した左手を添え、一気に回転数を増幅させる。その結果、アメミットは回転しながら遠く、ハルサの手元から離れた。
「しゃ!!」
アメミットは回転しながら弾き飛ばされ、内壁を溶かしつつ、大きな金属音を響かせて床に転がる。刃に当たった苔が燃え、水分が蒸発する。本当は転がったアメミットの位置を念のため把握したかったのだが、そんなことをしている場合ではない。ルフトジウムは一歩前に出て、相手の吐息が顔にかかる程距離を詰め、小さな狼を取り押さえにかかる。肩口を押し込み、上体を押し下げるようにして重心を崩し、その流れに合わせて体重をかける。足払いはしない。彼女の体幹をバラすのだ。意図を読んだハルサが抵抗する前に、ルフトジウムは自分の体重も乗せ、ハルサをその場に押し倒した。
「うっゥ……!」
犬歯をむいて抵抗するハルサを馬鹿力で抑え込み、ルフトジウムはカンダロを呼ぶ。
「おい、カンダロ!
確保!確保だ!」
「は、はい!」
固唾を飲んで戦闘を見守っていたカンダロが鞄から戦闘用獣人の手錠をもって駆け寄ってくる。これでようやく終わり。後は手錠を付けたハルサを引っ張って“大野田重工本社都市”へと帰るだけだ。ようやく雨が止んだような、そんな気持ちになっていたルフトジウムだったが、その気持ちを邪魔するようにハルサの体で何か変化が起こった。背中がわずかに持ち上がる。筋肉の収縮ではない。まるでハルサの小さな体の中で何か別の強大な生き物が蠢いているような――。ルフトジウムはさっと、自分の血の気が引くのが分かった。布を裂く音がわずかに鳴る。ハルサの肩甲骨辺りから現れたのは小さな、しかし明らかに異質な形状を持った物だった。
「カンダロ、ダメだこっちに来るな!!
逃げろ!!」
「へ!?
は、はぁい!?」
“物体”はとても生き物には見えなかった。まるで天使の羽のような幻想的で神話的な物が現れてくれた方がルフトジウムとしてはよっぽど解しやすかったに違いない。しかし、目の前に出てきた物体は無機物に性質としては近そうに見える不可思議な物だった。穴の開いた金属の小さな板のようなものが二、三枚翼の骨組みの様な部分に接続されている。鋼鉄に見える表面にはオレンジ色のラインが入っており、一部分が水色に発光している。全く同じような仕組みを持つものがハルサの背中から左右に展開していく。
「え、これ大丈夫なんですか!?
今、もう撃ちます!?」
「馬鹿野郎!
撃つなよ絶対に!!」
安全どうかなんてわからない。もしかしたら今、カンダロに撃ってもらった方がよかったかもしれない。翼に開いた小さな穴に鮮烈な美しい水色の光が収縮していく。表面から滲みだした発光が広がっていく。
「ハルサ!
お前、何をするつもりなんだよ!
目を覚ませ!」
ハルサの虚ろな目はルフトジウムの顔を見つめ続けているだけだった。理解が追い付かない中、ルフトジウムが出した結論は更に近づけば角度が制限されるという事だった。ルフトジウムはハルサに覆いかぶさるように体を寄せる。次の瞬間、稲妻の様に光が荒れ狂った。翼に穿たれた穴から何かに押し出されるように放たれたそれは、ルフトジウムを貫く軌道を取る。光は咄嗟に体を寄せたルフトジウムのスーツの肩を焦がし、掠めていった。
「ッ――!」
熱い。余りの熱さに息が漏れる。かろうじて一発目は躱した。しかし二発目は厳しいだろう。光は内壁の空気を熱く膨張させ、酸素を急激に消費する。光は内壁を細かく切り裂き、既に老朽化が進んでいた設備を破壊していく。この閉鎖された空間に居続ける事がもはや脅威だ。ルフトジウムは慌てて体を起こす。既にハルサは二発目を撃つ準備に入っていた。光は別の穴に既に収縮し、放たれる直前に見える。ルフトジウムは必死にハルサに声を叩きつける。
「ハルサ!」
強く、彼女に自分の名前を思い出せるように呼びかける。声だけじゃだめだと考えたルフトジウムは、両手を伸ばすとハルサの冷たい頬に触れた。
「ハルサ!!」
光の収縮は止まらない。
「ルフトジウムさん!
もう撃ちます!!
離れてください!!」
カンダロの悲鳴にも近い声が響く。
「撃つな!!
ハルサ!!!
このバカ野郎!!
起きろ!!」
ルフトジウムの声と手のぬくもりが届いたのかどうかは分からない。だが、ハルサの視線がわずかに揺れた。視線に同調するように翼の向きが動いたことによって照準が外れる。一拍置いて放たれた光は誰も傷つけずに、天井へと逸れていった。レーザーの直撃を受けたタンク上部の構造物が裂け、崩落が始まる。細かい破片が先に降り、続いていくつかの塊が落ちてくる。粉塵が一気に広がり、視界が白く濁る中でもルフトジウムはハルサの頬に触れ続けていた。
「う…あ……」
「よう」
ルフトジウムは腕を回し、そのままハルサの体を引き寄せるとその小さな体を胸の中へ受け止めた。骨ばった感触が腕に伝わり、軽い彼女の体に思わず息を飲んだが、力は緩めない。抵抗しようとしていたハルサの体から力が抜け、動きが止まる。
「………ルフ…ジ……さ……?」
「はっ、ようやっと少しは思い出したかよ?」
ルフトジウムは腕に力を込め、さらに強く逃げ場を与えないように抱きしめる。ハルサの揺れていた視線が留まり、ルフトジウムを捉える。まだ完全ではない様子だったが、彼女は焦点を取り戻し始めていた。
-月日が傷を癒すはず- Part 14 End




