-月日が傷を癒すはず- Part 8
くたくたになったルフトジウムが宿に戻った時は既に時計の針は深夜にも近い所を指していた。フラフラと浴室に向かった彼女は、少し苛立ったようにシャワーの栓を捻る。熱いお湯が勢いよく落ちてきて冷えた身体に熱を与えていく。
列車での移動や調査を追えた長い一日の疲労が、まるでお湯に溶けて身体から抜け落ちていくようだった。その心地よさに目を細める。“公社”の玄関から出た彼女は、一旦カンダロと別れ一匹で街中を歩き回っていた。あちらこちらを当ても無くほっつき歩いてみたのだが、案の定手がかりは無い。
「はぁ~……」
彼女の美しい銀色の髪がお湯を吸って重く垂れる。肩から背中へ、細い線をなぞるようにお湯が流れ落ちていく。細い腰、長い脚、訓練で引き締まった豪華さと強さが同居した身体を持つ“断頭台”も、手掛かりなしという現実に重く圧し掛かられていた。一日で何か成果が出るとは当然思っていなかった。とはいえ、全く期待していなかった訳ではない。
「現実を見ろよ、ルフトジウム。
もう、何もできないガキじゃねぇんだから…。
そう上手くいくわけないだろ…」
山羊の獣人特有の角が湯気の中で鈍く光る。濡れた髪が頬に張り付き、彼女の静かな表情を更に冷たく彩っていた。お湯を感じながら目を閉じた彼女の頭の中を今日一日の事が埋め尽くしていく。
「……明日こそ」
ルフトジウムは小さく呟き、頭と体を洗うとお湯を止めて体を拭いた。
湯気で白く曇った鏡を掌でぐしゃぐしゃにして彼女は寝室へと歩く。端末を充電器に繋ぎ、ため息と同時にルフトジウムはベッドに倒れ込むように横になった。普段はスーツに包まれている体が布団の中でようやく力を抜く。あっという間に瞼が重くなり、意識が睡眠の世界へと沈み込むまで時間はかからなかった。
※ ※ ※
夜の街中に気が付けば立っていた。
「…あぁん?」
訝しみながら周囲を見渡す。動物も人の気配もない。ルフトジウムの視界に広がる光景は凡そ街とは呼べないものだった。すっかり建物は崩れ、道路は裂け、瓦礫があちらこちらに散乱している。街灯は根元から折れ、電柱からは切れた電線が垂れ下がっていた。まるで企業間戦争での爆撃を受けたかのような荒れ方だ。
「…………」
ルフトジウムは一歩を踏み出す。都市の中央が丸ごと抉り取られている。その巨大なクレーターの縁に彼女は建っていた。遠くに赤い四角い建物が見える。半分以上崩れているが、ルフトジウムはその建物をどこかで見た事があるような気がした。
「“赤い豆腐”……?」
見覚えのある特徴的な建物に集中しようとしたのだが、クレーターの中央に人影があるのを見つけ、必然的に意識がそちらへと持っていかれる。ただただ真っ黒な影だったが、ルフトジウムの耳がピクリと動き、胸の奥がざわついた。彼女は姿を知っている。
「ハルサ!」
たまらず呼ぶ。影はゆっくりと振り返る。もう少しで顔が見える…そう期待した瞬間に姿がばらばらと崩れた。全身が黒く染まり、輪郭が揺れる。人の形をしている何かがルフトジウムを恨めしそうに見ている。
「なんだよこれ…!?」
ルフトジウムの体が硬直する。角の根元がぞくりと震える。ぶん殴ってやる為に拳を握りしめた彼女の目の前で、ハルサの姿を纏った何者かの口が大きく開いた。
「うっ……!?」
獣人の口などではない黒い大きな裂け目のような闇が広がる。咄嗟に逃げようとしたルフトジウムだったが、もう間に合わない。闇が視界を覆う。食われた――。頬に、首筋に感じる冷たい感触……。
※ ※ ※
「――ッ!」
ルフトジウムはがばりと跳ね起きた。荒い呼吸が喉から漏れる。慌てて周囲を見渡したルフトジウムは直ぐにここが宿の部屋だということを思い出した。分厚いカーテンの隙間からは昨日とは打って変わって眩しい朝の光が差し込んでいる。
「はぁ…夢かー…。
マジでクソみたいな夢だぜ……クソが……」
額に、背中に、汗が滲んでいた。銀色の髪がさらさらと崩れ落ちる。星のピアスがついた耳が微かに震えていた。胸に手を当て、やたらと早い鼓動と呼吸をゆっくりと整える。そうしてルフトジウムは大きく息を吐き、時計を見た。時刻は午前九時五十分――。
「は!?
やっべぇ!!」
ルフトジウムは、慌ててベッドから出て準備を開始する。カンダロと約束した集合時間を既に二十分も超えていた。
※ ※ ※
二日目。
ルフトジウムが走って外へ出ると、朝の空気はすっかり鳴りを潜めていた。第七居住都市の街路には相変わらず人の流れは無く、出勤中であろうスーツを着た男がチラホラと歩いているだけだ。宿の玄関――待ち合わせ場所には既にカンダロが腕を組んで立っていた。
「襲いですよ!!」
「悪ぃ悪ぃ!
遅れちまった~!」
「遅刻するなんて珍しいじゃないですか」
カンダロは端末をポケットに入れ、口に咥えていた空のオレンジジュースのパッケージをゴミ箱へ投げ捨てる。
「なんか嫌な夢を見て……起きれなくてよ」
「え、ルフトジウムさん悪夢なんて見るんですね。
“AGSの断頭台”が悪夢にうなされるなんて…痛い!」
「うるせぇよ。
俺だって生きてるんだから悪夢ぐらい見るわ!」
「いててて…。
結構今回は強めの蹴りじゃないですか…。
まあ、でも、時差もありますから、仕方ないですよ。
むしろしっかり眠れたようで何よりです」
一人と一匹は並んで歩き出す。万が一の事態に備え、ケースに入れたデバウアーを背中に背負い、ルフトジウムはポケットに手を入れると朝食バイキングからかっさらってきた一切れのパンを口に入れた。
「今日は街を見るんだよな?」
「そうです。
ハルサさんの姿がどこで目撃されたのかを確かめる必要がありますから。
昨日はどうでした?」
ルフトジウムは表情を曇らせた。
「ダメダメだ。
何も成果は無かったよ」
「そうですか……」
「けど、本命は今日からだ。
あちこちで聞き込みもしていこうぜ」
「前向きに全てを考えましょう。
いよいよ刑事ものっぽくなってきましたね~!」
一人と一匹はまず居住区をはじめとして商業区、工業区を歩き回る。小さな市場や、雑貨店の並ぶ大通り。古い食堂や屋台…。やる気のない売り子の声が響く歓楽街…。ルフトジウム達は店主や客に軽く声をかけ、さりげなく話を聞いていく。だが、彼らから返ってくるのはどれも似たような言葉だった。
「最近?別に変ったことはないなぁ。
電波…?
いや、別に」
「今日も平和だよ。
企業間戦争なんて別に僕達の生活には関係ないし。
お兄さんたちどこから来たの?
へー、そんな遠くから来たんだ。
そんなお兄さんたちにおすすめのお土産なんだけど――」
「“公社”?
ああ、至って真面目な奴らだよ。
ちゃんと仕事してくれてるしな。
あん?
不祥事なんかも聞いたことはないなぁ。
流石は本社直属といった所だな~」
誰もかれも嘘をついているような様子は無い。気が付けば日は傾き、すっかり赤く染まった太陽は薄汚れた大地にその姿を隠そうとしていた。二人はすっかり疲れ果て、無言のまま通り沿いにあるカフェに入る。店内に客の姿は一人も無く、カンダロとルフトジウムは一杯ずつお茶を注文して椅子に背を預けた。
「……疲れたな」
「はい…。
こんなに丸一日歩いて何の情報もありませんでしたね…」
「………」
店員が豆菓子と共に持ってきたお茶を啜り、ルフトジウムは天井を見上げた。大きなシーリングファンがゆっくりと回り、空気をかき混ぜている。ルフトジウムはぼんやりとそのファンが回る様子を眺め、大きなため息をついた。
「都市は至って普通に見えます。
どこかで異常が起こっている形跡もありません。
“公社”からリアルタイムでもらうデータでもそれは証明されています」
「実際普通だろうしな。
考えたくねえんだが、ハルサが別の都市へ移動してしまった可能性は?」
「一応、都市のログは全て追いかけています。
こから移動はしてないはずです」
「だよなぁ~…」
豆菓子の封を開け、カンダロは全部一気に口に入れかみ砕く。
「案外悪くないですね、この菓子も」
「は~あ。
明日もこの調子で聞き込みを続けるしかないなぁ~…」
「足が痛いですよもう
まさかこんなに歩くなんて」
「だなー。
もっと歩きやすい靴買おうかなぁ。
最悪だよ、本当に」
-月日が傷を癒すはず- Part 8 End




