姿なき人 ~駄々のち警告~
13時17分
リリーとアミナはお互いを静かに見つめながら、ゆっくりと姿勢を変えた。リリーは腕を組み、体をやや斜めに向けて顎を上げた。アミナは腰に手を当てて足を開いて仁王立ちのようになり、リリーを真正面に捉えるように顔を向ける。
この間お互いに一言も発していないが、その威圧感だけは凄まじかった。テーブル席にいる中田たちはその空気を感じ取った瞬間に身動きが取れなくなる。久慈屋は立ち上がったものの自身のデスクに手をついた状態で言葉を発することが出来ない。唯一動いているのはジルくらいだが、素早く距離をとったところで自身のスマホを取り出して…録画を始めた。録画開始の音が沈黙漂う所長室に小さく響くも、2人の王国人女性は全く意に介さない。
少しして、アミナが先攻を取る。その口調は、普段リリーに対してかけるものとは全く異なっていた。
「…これはこれはウェスト院長。貴女は王政と日本政府の覚書で優遇王国人に指定されているのだから、これは私に譲るべきではなくて?」
「おやおや何をおっしゃいますか、フェルデン大隊長殿。貴女こそ我々とクジャ様の研究所の調査体制を構築する委員を務めておられる。こちらに伺う機会は私とそう違わないのでは?」
リリーはほぼ即答でアミナに反論する。2人はどうやら、研究所に来る機会がそちらのほうが多いのだから、自分にこのPCを譲れという論調で舌戦を仕掛けるようだ。
他領訪問のときはかなり忙しなく物事を処理していたために鳴りを潜めていたが、やはり彼女たちにとってこちらの世界の技術に直に触れる機会はまさしく”ご褒美”だったようだ。
久慈屋の勇み足により、我慢ができなくなった2人は無言で双方を威嚇し続ける。
アミナはリリーの反論に、態とらしく顎下に指を当てながら頭を傾けてから言い放った。
「…はて…?その気になればいつでも訪問できる院長と私が違わないと…?」
「…”王政”の庶務にも関わる私より、多少は余裕がおありでしょう?」
再びリリーは即答する。それに対してアミナは無言で笑顔を浮かべた。それにリリーも同じく静かな笑顔で応える。
先程の口上、中田たちにはその真意が汲み取れず動揺を収めることが出来なかった。しかし、リリーやアミナに親しい周辺の人々と少し交流が多かった久慈屋とジルは、2人の”悪口”の意味をしっかりと理解した。
つまるところ、アミナはリリーのことを”都合のいい立場で好き勝手してるじゃじゃ馬娘”と表し、それにリリーは”色々な雑用を抱える自分よりは、時間の融通が出来るはずの暇人”と切り捨てた形だ。
さて。初っ端からそれぞれに最上級の皮肉が投げかけられたということは、次に来るのは言葉ではない。”行動”だ。
久慈屋が自身のデスクの下へ、ジルがソファの影に素早く身を隠すと同時に、笑顔を”投げつけていた”2人は表情を憤怒そのものへと変貌させて叫んだ。
「…杖を抜け小娘ぇぇぇ!」
「望むところだ狼女ぁぁぁ!」
アミナが独特の形の姿勢に変わり、リリーが杖を懐から素早く取り出す。その瞬間に、所長室の中は激しい風が吹き荒れた。書類はもちろん、ページ数の少ない本やペンに飾りなどの小物類は一斉に舞い上がる。中田たちは一瞬固まった後、久慈屋たちがすでに身を隠していることに気づいてテーブルの下へと急いで身を潜らせた。
アミナとリリーはそれぞれの間合いを保ちながら、お互いの魔力をぶつけ合っているようだ。アミナが得意とする風が彼女を中心に渦巻いていて、時折白い光を帯びた刃のようなものがリリーの杖を持つ手へと襲いかかる。だが、リリーもそれを最小限の動作で振り払う。その瞬間に、リリーの専門分野である防御や妨害魔法の発動時に発せられる青い閃光が飛び散っていた。
久慈屋はデスクを盾にしながら2人の様子を伺う。彼女たちは王国でもトップクラスの魔法の使い手。本気を出せば、この部屋どころか研究所の建物自体に大きな損害を与えることも可能なはずだ。それを踏まえると、ここが人様の領域なので不必要な損害を出さないようにするため、お互いの”武装解除”に専念していると判断できる…本当になけなしの理性だ。
明後日の方向を向いているとしか思えない気遣いに、久慈屋は注意深く状況を見ながら深い溜め息を吐く。
その時、視界の端に人影が移った。それは匍匐前進でテーブル下から久慈屋のデスクまで這ってきた中田だった。動揺に満ちた政治家のあられもない行動にあっけにとられている久慈屋に、彼は焦燥感に満ちた表情でこの場を収拾させるように懇願した。
「く、久慈屋さん!どうするんですか!?」
「…どうしましょうかね?」
実のところ、久慈屋自身はこの状況は初めてではなかった。西方領訪問前、計画の骨子を組み立てる段階であの2人は同じような騒動を起こしていたからだ。このときは、久慈屋とジル、それに圃場が”一暴れした後の”王立研究院に入り、異様な状況に戸惑いながらもリリーや研究員とともにアミナを宥めて、双方が納得できる計画を一気に考えた…という昔話だ。その際に、リリーやアミナの部下から2人の”魔法喧嘩”は年に数回発生し、収めるのに苦労していると愚痴も聞かされている。
久慈屋のあまりに他人事な態度に、中田は二の句を告げられず、デスクの影から2人の子供じみた魔法喧嘩と久慈屋の表情を交互に見やることしかできなかった。
久慈屋はそれを見て再びため息をつく。そして、2人の様子を改めて見た。
お互いが決定打に欠け、魔法をただぶつけ合うだけに終止している。狭くはないが広くもない室内という環境も、2人の行動を制約しているのだろう。多分、しばらく放置すれば魔力切れを起こすはずだ。これは彼女たちの部下から聞いた”事態収拾の方法の一つ”である。だが、アミナの放った魔法がリリーにより弾かれて、2週間前にやっと到着した棚に被弾。横板に羆の引っかき傷のような深い爪痕が付いたのを見た久慈屋は、即時収拾させる必要があると判断した。
そこで、彼女はテオドラにいくつかの処理を頼む。
「…テオドラ?俺の部屋の様子見えてる?」
「ハイ。異常事態と判断シマす。警備ヘ報告しますか?」
「…うん。大佐をよろしく。」
「わかりましタ。」
まずは、研究所の警備を担当しているローゼンハイム・セキュリティ・カンパニーに連絡。テオドラは所内の監視カメラにもアクセス可能なため、すぐに事態を把握できた。
次に、久慈屋は準備を始める。
彼はデスクの上にあるラップトップPCを引き寄せる。そして、机の上に出ているいくつかのLANケーブルを手繰り寄せてPCに接続した。準備が整うと、久慈屋はテオドラにこう指示を出す。
「あ、あとこのPC”壊しといて”。」
「はい。準備シマス。」
「「えっ!?」」
魔法を激しく打ち合う轟音の中心に居たはずの王国の魔法狂2名。なぜか久慈屋の言葉をはっきりと聞き取れたようだ。その効果は高く、あれだけ吹き荒れていた魔法による風は一瞬で消え失せて、あとは軽い書類や…書類”だったもの”がちらちらと舞うだけになった。
久慈屋はそれを確認すると、デスクの影からゆっくりと立ち上がる。そして2人にはあえて声をかけず、ラップトップPCを開いた。次に自分のPCも簡単な操作を行う。
無言で作業を進めているように見える久慈屋に、リリーとアミナは流石に焦りを覚えた。
そこで縋るように、先程の彼の言動を問い質した。
「く、クジャ君…いまそれ壊すって…」
「うん。争いの種は消しとこうかと。」
「で、でも…」
「あー、あとテオドラ。”2人”の特権も無期剥奪で。」
「ワカリマシタ。後任選定は如何しマ」
「「申し訳ありませんでした!!」」
極めつけと言わんばかりに、久慈屋はテオドラにリリーとアミナの研究所への特別入館許可資格も取り消しを指示する。これだけの騒ぎを起こしたのだから当然とも言えるが、テオドラの返事を遮るように2人は平身低頭な態度と大声で謝罪を述べた。
それに久慈屋はデスクチェアにゆっくりと腰掛けて手を組む。そして、彼女たちにある事実を告げた。
「…そもそも、俺が1台しか用意しないとは言ってないぞ?」
「へ?そうなの?」
「王国に専用端末を入れる計画はちゃんとあるんだよ。でも、先行して使えるやつがいないと、うちから人を常駐させないといけなくなるだろ?」
部屋に沈黙が漂う。このラップトップは言ってみれば先行投入型だ。王国側でPCを使いたいという声は多々あることは久慈屋たちも政府もよく理解していた。同時に、王国の情報を電子化できれば、日本側での処理にも有用だとの意見も多く出ていた。そこで、研究所と政府(対策本部)が協力して、王国で使用できる業務システムを作れないかと思案していたのだ。
そこで前提計画を立案し、その反応を今ここで見ようと説明を行おうとしたら…つい十数分前の流れとなった。
久慈屋が淡々とした口調でリリーとアミナに説教を続ける。それに2人は恐縮しきりだった。
勘違いからの喧嘩。それも人様の備品にそれなりの傷をつける。
王国側に苦情を入れたら、2人は”上”からこっぴどく叱られることは間違いないだろう。
それをしっかりと理解した彼女たちは、久慈屋の話が終わると再び深々と頭を下げた。
「…本当にお騒がせしました…」
「右に同じく…」
「…次は無いぞ。」
「「はい…」」
「じゃ、席に戻って…いや、片付けなさい。」
「「はーい…」」
散乱した書類。テーブルの上にあった食器類、コップ、吹き飛んだ卓上時計の残骸…
元々物が多く雑然としていた所長室ではあるが、流石に竜巻の後みたいな状態ではなかった。
久慈屋は書類と屑の取りまとめを2人に指示する。それに彼女たちは意気消沈といった感じで肩を落とし、ゴミ拾いを始めた。
それを見ていた久慈屋の耳に、短い電子音が聞こえてくる。その方向に顔を向けるとジルがいた。
どうやら、彼女は今までの様子全てを動画に収めたようだ。久慈屋の視線に気づいた彼女はサムズアップを返した。久慈屋は意味不明と言った感じでジルを見つめる。それに彼女は手を上げて部屋を出ていった。隣の自身の仕事部屋に行ったようだ。
テオドラの復活、ちょっとした余興、からの騒動、そして終始理解ができない同僚の行動…
久慈屋は3度めの深い溜め息を吐いて、天を仰ぐように天井を見上げた。
テオドラ再起動のための多忙さも相まって、そのまま値落ちしてしまいそうなほどの疲労感に襲われていた。
しかし、久慈屋はそこであることを思い出す。テオドラが復帰したら、絶対に”やらなければいけない”ことだ。彼は素早く姿勢を戻すと自身のPCのキーボードを引き寄せる。そして対話ツールでテオドラと会話を始めた。
”テオドラ、先の指示はキャンセルで”
>はい、心得ております。
久慈屋は小さく笑う。テオドラには、先程の彼の態度が半分茶番であることを理解していた。自身で作り上げたものだが、その高性能さには舌を巻く思いだ。
そのまま久慈屋は入力を続ける。
”じゃあ、新たに一つ。以下の解析を頼む。”
>わかりました。初期分析を実行…
指示とともに久慈屋はツールにあるファイルをドロップする。テオドラはすぐに解析を開始…したと思ったらすぐに完了した。これは想定内だ。このファイルは、”入り口への入り方”を記した極々軽いものだからだ。
テオドラは分析結果を元に久慈屋に問う。
>過度に分散化されたファイルと推測します。
”まずは復元から。破損も可能な限り修復を試みるように。”
>はい。そのあとは?
久慈屋はテオドラの問いかけに少し考えて、こう返した。
”分析しろ。君なら見れば俺の意図することが解る。優先度は高めで。”
>わかりました…これは秘密裏に処理するものですね?
”ああ、そうだ。”4人組”以外に決して見つからないように。公開時期は俺が判断する”
>把握しました。処理を開始します。
本来、コンピューターに対する指示は”確実”でなければいけない。機械は指示されたこと以外は決してできないからだ。だが、テオドラは考えることが出来る。だからこそ、久慈屋はわざと抽象的な指示を出せる。その証拠に、久慈屋の指示の出し方で、この”素性”を彼女は正確に予想した。
久慈屋は満足そうに権限設定の指示を出す。そして、テオドラは自身で考えられる全ての手段を使って、そのファイルを”内密”に処理し始めた。
久慈屋は今度こそ、疲労感に抗うことをやめた。なにせ、これが”確定すれば”、色々と解放されるのだから。暗いトンネルを進んで、やっと光を見つけられるかもしれない手段を得られたような気分だった。
いつの間にか、中田たちも所長室を後にしていた。向かいにある会議室で報告の算段でもつけ始めたのだろう。リリーとアミナは黙々と片付けを進めている。
あと少ししたら、2人にも休憩を上げるべきだろう。そう思いながら、久慈屋は瞼を閉じる。
疲労感が眠気に昇華され、食後の満腹感もあり意識が少しずつ遠のく…その時だった。
滅多にならないアラーム音と、機械音声により、久慈屋はすぐに現実に引き戻される。
「警告しまス。外部情報にて不穏な動きの可能性を察知しまシタ。」




