姿なき人 ~自重が善と知るは後~
12時44分 JHEL3F 所長室
「…どうしました?箸が進んでないようですが?」
「いえ、その…なんか”予想外”すぎて…」
「…僕、上になんて報告すればいいんでしょうか…?」
「あっ、濁してもらえると助かります。」
「「それですよ!?」」
久慈屋たちは研究所回りを終えて、所長室にて昼食となった。数日前に本格的に再開した研究所の食堂では、1日に数種類のメニューが選べる。この組み合わせをローテすることで、多忙な研究所の業務で食事という小さくも最大の娯楽を与えてくれる。久慈屋たちが研究所を立ち上げる時に重視した福利厚生の一部として、肝いりで整備した部門だ。
食堂まで行くこともできないのであれば、その日のメニューか軽食程度ならランチボックスとして出してくれる。よって、所長室のガラステーブルで食することもなにも問題ない。
しかし、久慈屋たち渾身の食堂だけあって、味もボリュームも申し分ないはずだが、中田や町田は今一つ食欲が無いようだ。原因を理解しつつも念押しで”情報の管理”をお願いした久慈屋に、2人は思わず怨嗟の混じった声を上げていた。
それに久慈屋は手振りを交えて宥めつつ、利点を強調してさらなる理解を求めた。
「まあ、これでうちの体制は完璧になりました。今後はより進んだ対応や協力を行えますよ。」
「それは願ったり叶ったりなんですがね…」
「…いささか、”彼女”は…」
中田と町田は天井のスピーカーを見る。実は先ほどから緑のランプが数秒程度の長い間隔で点滅を繰り返している。この時のテオドラは、能力の20%以下の業務しか請け負っていない。その間彼女は、適当に情報を見たり調べたり、面識のある所員と雑談したり鼻歌を歌ったりして”暇を潰す”。この無駄な行動を行わせることで、逆に人工知能としての精度が上がる。実際、所長室のスピーカーからは、小さく彼女の鼻歌が聞こえていた。
上を見続ける2人に倣い、久慈屋もちらりとスピーカーを見やる。ただ、すぐに顔を戻して中田たちにより詳細に、彼らの心情を汲みつつも対応をお願いした。
「…私も隠し通せるとは思っていません。状況が変わりましたから。ただ、時間をください。テオドラは我々の根幹の一つなんです。」
「…わかりました。ですが、総理と長官には報告します。」
「ええ、それは想定内なので問題ないです。総理たちなら理解してくれると思いますし…」
「…え?僕は?」
久慈屋と中田は頷いていた。双方ともに、”絶対に知らせておくべき人”の存在は理解していたからだ。だが、今回ババを引かされる格好になった町田は素っ頓狂な表情で間抜けな声を上げる。中田がそんな彼の肩を優しく叩く。それで理解した彼は、今までで一番大きな溜息を吐きながら項垂れた。
一方で、緩くも真面目な話をしている久慈屋たちの横で騒ぐ者もいた。
特に今、喉にモノを詰めらせたのか飲み物を必死にねだるアミナなんかは良い例だろう。彼女は今、先の滞在で心を奪われたハンバーガーを食している。現在4つ目だ。
食堂のメニューにはないものだが、事前に注文を出していたので念願の一品にありつけたのだ。研究所の食堂スタッフの腕は良く、都内で食べれば1500円くらいはする豪華で正真正銘のハンバーガーは、アミナの胃袋を鷲掴みにしたようだ。
ただ、未だに飲み物を探している。それに久慈屋は牛乳を注いで手渡し、同時にあきれ顔でもっともな忠告をした。
「…お前、もっとゆっくり食べろよ…」
「だって久しぶりなんだもんハンバーガー!!」
「叫ぶほどかよ…」
「というか牛乳もおいしすぎない!?」
「あー、よかったな。おかわりもあるぞ。」
「…美味しい…」
「でしょ?アジフライ定食は鉄板だよ。」
牛乳を一気に飲み干したアミナは、久慈屋にそのハンバーガー熱を叫ぶ。彼の呆れ顔はさらに増した。その傍らでは、ジルとリリーがアジフライを頬張りながら海産物の美味しさを熱く語る。この2人、見た目も同じなら食の好みも似ていたようだ。
しかし、ここで久慈屋は頭を切り替え、自身の昼食を一気に食べ進める。というのも、テオドラの復帰は久慈屋としても悲願。彼女がいることで溜まりに溜まった久慈屋の仕事も一挙に処理できるからだ。昼食くらいはゆっくり取りたいところだが、ここで”仕込み”をしておかないと後が詰まってしまう。
少々行儀悪くとも、おかずと白米を同時にかっこんで咀嚼。そして口内のものを押し流すように冷たいお茶を一気にあおる。こうして彼の短い昼食は終わりを告げた。するとすぐさま周りに聞こえるか聞こえないかの声でごちそうさま、合わせて中座することを一言詫びつつ素早く久慈屋は自席へと移動。そして椅子に座りきらないうちからPCのキーボードを素早く、激しく打ち叩きはじめた。
業務で使う簡単なスクリプト作成、時間を割く価値もないマスコミからの問い合わせメールへの”定型文”返送、果ては稟議や考課の裁定審査まで…久慈屋のみが使用できる特別なテオドラとの対話ツールを用いて一気呵成に仕事を片付けた。
ある程度の処理を”キューに入れた”ところで、久慈屋の目にふとリリーたちが移った。もう食事も終わり、のんびりとジル特性の紅茶を啜っている。傍らで報告の段取りを暗い表情で話し続ける中田たちとは対照的だ。
そして久慈屋は思いつく。ここであれをやってしまおうと。
「本当はもっと先にする予定だったが…」
人の輪から離れた久慈屋の独り言は誰にも聞こえない。そしてそれをさらに書き消すように再びキーボードの打鍵音が鳴り響き始める。
久慈屋の使う特別な対話ツールは、テオドラ自身の編集もある程度できる。開発者だからこその機能だが、それ故彼のツールだけは構文が少々複雑だ。
なので、ある程度の”知識”が無いとどういう処理を行おうとしているのかは判別できない。
なので、今彼がテオドラに指示している内容をわかりやすく記すと…こうなる。
”テオドラへ このファイルを処理してくれ”
>”わかりました…その後の処理も行いますか?”
”いいや、それは自分でする”
>”わかりました。少々お待ち下さい…”
対話ツール(テオドラ)は、久慈屋のPC上であらゆる処理を行い始めた。いろいろなウィンドウが開くが、そのほとんどは白字に黒のコマンドラインツールだ。ただこちらは一応”グラフィカル”な見た目の上で動いているので、透過などの効果が加えられていて多少見栄えは良い。
久慈屋は”基となるもの”はちゃんと用意していた。あとはある程度の指示を出せば、テオドラが全てを自動で処理してくれる。今の久慈屋は、要所ごとにテオドラが処理の方法を選択肢とともに聞いてくるのを答えるだけだ。
何回目かの選択肢を選んだところで、”適当なメディア”を用意するように言われる。
久慈屋はそれを確認すると、自身のデスクの引き出しを開けて、いくつかのUSBメモリを取り出す。その中からさらに大丈夫そうなものを選んで、自身のPCへと差し込んだ。
テオドラはUSBメモリが認識した時点で処理を再開した。使っていいものと悪いもの。その判断も彼女なら瞬時にできる。
程なくして、全ての処理が完了したことを示す表示が出ると、久慈屋はすぐにUSBメモリを引き抜いて机の上に置いた。そして椅子を回転させて後ろの棚に体を向けて、1台のラップトップPCを引っ張り出す。同時に棚の下にある大き目の引き出しから、乱雑に収納されていたそのラップトップPC用ACアダプタを引き抜いた。
それらを手に持った久慈屋は、再び体をデスクへと向ける。キーボードを少し後ろに押しのけてスペースを作り、ラップトップPCを素早く設置。設置を終えると傍らに置いていたUSBメモリをPCに接続、そして電源を入れた。
ここからは少しだけ久慈屋が操作を行う。と言っても、”インストール”に必要な簡単なものだ。5分もしないうちに全て終わり、”最後の処理”が開始された。プログレスバーは順調に進行していることを示している。それに久慈屋は再び独り言を呟く。
「お。問題なさげか?…でも念の為動作確認を…いや、どうやって確認を取れば?…」
「なにさっきから独り言言ってるの?」
聞かれていないだろうと思っていた独り言を聞かれてたことに少し驚き、久慈屋は素早く顔を上げる。そこにはアジフライを堪能したリリーが興味深そうな表情で立っていた。
なにか”楽しそうなこと”をしている。彼女は目ざとくその雰囲気を察知していた。
それに久慈屋は意味ありげな笑みを浮かべながら無言で応える。リリーは困惑しながらも笑顔で返した…これが絵にかいたような苦笑いというのだろう。
少し気まずい空気が流れるかと思われたが、タイミングよく”最後の処理”が終わった。
久慈屋は人差し指を無言で上げて少し待つように示す。ただ、片方の手ではPCの操作をやめていない。最後の2,3個の入力を終えた後、ラップトップPCは再起動を開始した。
そこで久慈屋はラップトップの画面をリリーに差し向ける。そして、短く彼女に言った。
「…これ、見てみろ。」
「え?これクジャ君たちがいつも使ってる薄いカラクリでしょ?私たちが見て…も…」
最初にラップトップPCの画面に表示されていたのは、PCにありがちな最初の起動画面だ。大体の人は”起動してるらしい”くらいしかわからない。それに、ラップトップではPCメーカーのロゴが表示されることが多い。
このラップトップPCの画面もその例に漏れず、最初はリリーにとって全く判別のつかない表示だった。だが、それが一変したのはOSの起動が開始されてからだ。
OSの基幹部分の処理こそ英語だが、端々に”見慣れた文字”が表示されてることに気付く…この”見慣れた”というのは、リリーたちにとっての話だから尚更目に付いただろう。
そして、OSの起動がほぼ完了し、ログイン画面が表示されたところでリリーは言葉を失った。
彼女の様子を心配したアミナが、口の端についたケチャップを拭いながら久慈屋たちの元へと近寄る。
「リリー?どうしたのー?」
「あ、アミナ!?これ見て!?」
「…だからぁ、なに…よ…」
リリーは鬼気迫る表情でアミナにラップトップPCの画面を指さした。それに最初は満腹感に満たされたアミナはのんびりとした反応を示す。だが、PCの画面の表示を認識すると、リリーと同じように黙りこんだ。
そしてしばしの静寂の後に、きれいなユニゾンで2人は言った。
「「…王国統一語…!?」」
ラップトップPCに入れられたオープンソースのOS。その表示言語は、リリーたち王国人が使用するそれだった。PCはおろか電子機器なんてものが存在しない彼女たちの世界。調査で久慈屋たちや日本政府の面々が日々使い続けるそのカラクリを、知的好奇心の権化たるリリーたちは、日々羨ましそうな目でそれを見ていた。それに根負けしてたまに使わせてもらうことはあっても言語設定に王国語などあるはずもなく、傍らに誰かが帯同してないと使えない。これにはさすがにリリーたちと言えども引け目を感じて最近は強く言わなくなっていた。
だが、王国語が表示できるのなら話は別。今リリーたちの頭には、PCでできることややってみたいことが湯水のごとく湧き出していた。
騒ぎの気配を感じていつの間にかそばに来ていたジルは、PCの画面をのぞき込み、続いて固まったリリーたちを見て、久慈屋に溜息交じりで問いかけた。
「えー、クジャそれもうやっちゃったのー?」
「まあ…勢いで。」
久慈屋は似合わない笑顔でジルに応える。彼女も致し方ないという感じで肩をすくめた。久慈屋自身、テオドラの復活に相当舞い上がっていたようだ。それは長い付き合いのジルはひしひしと感じていた。ただ、その方が”面白そうだから”宥めなかった。
ただ久慈屋もジルの考えは大体読める。その感情に気付いた彼は、少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
そこに、理解と処理が追いついたリリーが声をかける。それに続く言葉はアミナも同時だった。それがいけなかったのだろう。
「ねぇ、クジャ君!」
「ん?なに?」
「「これって私のよね?」」
それまでの楽しそうな空気が一瞬にして張り詰める。発生源はもちろんそこの王国人女性2名。久慈屋は返答に困り、2人の様子を目で追うことしかできない。その視界の端に、騒ぎの予感が的中したことに満面の笑みを抱えるジルの表情が入る。
そこで久慈屋はこの後の展開を予想できた。そして本当に自分が舞い上がっていたことを自覚させられた。しかし、騒動はまだ避けられる。その説明をしようとしたが、一歩遅かった。
「「…は?」」
リリーとアミナは、短くも感情が多分に含まれた言葉を発する。
2人はそれぞれを見合う。もちろん、目は笑っていない。




