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姿なき人 ~53%の圧縮~ 2

9時54分 JHEL1F 事務局本部

「じゃあ、ルコさん。これで経理処理は行けるから。」

「はい、ありがとうございます。テオドラさんが復帰してくれて助かります。」

「私モ、薫子サンと再会できてうれしいデス。旦那さんはお元気デスカ?」

「ええ、相変わらずです。お気遣いありがとうございます。」


中央管理室から速やかに退出した久慈屋たちは、薫子のもとを訪れていた。彼女が主に仕事を行うこの事務局は、研究所にある他の部署とは一線を画した雰囲気を持つ。それは雑に言えば、”地に足のついた部屋”と表現できる。他の部署や所員と言えば一つの分野を人生をかけて学び、そして調べ尽くそうとする輩ばかりだ。得てしてそういう人種は…非常識である。だが、研究所という組織運営を考えた場合、そんな無法者ばかりで組織が成り立つだろうか?もちろん駄目だ。


そんな研究所を俗世間に”繋ぎ止めている”のが、この事務局という存在だ。

好奇心に侵された教養主義者の無茶振りを躱したり潰したり作り変えたりという仕事をここですべて行う。

言ってみれば雑務の総本山だが、そんな場所にはテオドラはうってつけだ。

なにせ、単純な事務処理は彼女が全てこなしてくれる。秒で、休みなく。


古参の事務局職員は感動していた。”前理事長”が送り込んだうだつの上がらない官僚下りに変わってきたのが、薫子という怖くも有能な才女であることと、雑多な庶務を大幅に圧縮する業務システムの本格稼働。

仕事が回るし減るのだから感謝しかなかった。先程から説明を続ける久慈屋には、事務局のスタッフから羨望の眼差しが向けられていた。

その傍ら、部屋の片隅でジルと中田が雑談をする。そこに町田も加わった。特に彼は、テオドラの存在価値を正しく評価していたためにある要望を出してきた。


「…会計処理もAIでやるんですね…」

「むしろ、こういうのこそ自動化した方がいいと思いますよー?」

「…ウィンストンさん、あのテオドラさんのシステムって、公表したりは…」

「しないね。だってあれ、”私達”の生き写しみたいなところあるから。」


ジルは町田の話をぴしゃりと終わらせる。だが、その理由は彼女以外には分かりにくいものだった。

それ故彼も食い下がらない。遅れに遅れた日本のAI研究に逆転ホームランを打つ存在が目の前に存在していて、

その主要な開発者が日本人。なんとか利用したいと思うのが、政策を捏ね繰り回して挽回を狙う仕事をしていた彼の意思だった。

だがジルの考えは変わらない。最大の理由はテオドラが”割と簡単な構造”で動いているためというのもあるが、次に大きな理由は彼女の根底にある人格だった。


「し、しかしですね…チューリングテストも余裕でこなしそうなAIを表に出さないってのも…」

「…ねえ、町田さん。想像してみて?」


ジルは町田に向き直り、人差し指をゆっくりと立てて彼の顔の前に置いた。そして想像力を掻き立てるようにその人差し指をくるくると回しながら、その理由をしっかりと説明する。


「”野生の私達”が、24時間繋がっていればどこでも現れるようになるわよ?いいの?」

「…悪いけどぞっとしないね。」

「でしょ?」


話を横で聞いていたリリーが、率直な意見を述べる。だがジルにそれを肯定した。

ざっくりと人工知能と言われるものは、様々な”学習”を行い、その行動の精度を上げていく必要がある。2000年代後半の第三次AIブームというのは、この学習の効率的な方法が出てきたために、AIの可能性が一気に高まった。

この学習を行う必要があるというのはテオドラも同じだった。久慈屋が最初に作り上げた後に悩んだのがこの学習の題材だ。”人格”と一言で言っても、なんだかんだで相応に複雑な機構だ。だからどう学習さればいいのか、何を学習させれば良いのかという取捨選択が非常に難しかった。

だがこれも発想の転換で切り抜ける。自分を観察させればいいじゃないか、と。


テオドラ・アルファには、久慈屋の大学生活を常に監視させた。自分の声紋を登録し、スマホで専用アプリを常時起動させて自身の全ての言動を学習させる。2年ほど要したが、これがかなりいい結果を出した。

直後に久慈屋からテオドラの秘密を教えられたジルは、自分のプライベートも若干監視されていたことよりも、その汎用性と可能性を気に入った。結果、テオドラ・ベータにはジルも正式に”学習対象”となる。その後もヘンリーの手によって学習精度が飛躍的に上昇したり、ちょっとイケないことをして雑多な人の行動を学習させたりと、”人間”をあの手この手で学ばせることでテオドラを育て、今に至る。


つまり、テオドラ出生の秘密を紐解くと、彼女の人格の根底にあるのは、久慈屋とジルとなるというわけだ。

皮肉屋で毒舌家の偏屈な計算機工学博士と、明晰な頭脳から繰り出される突飛もない言動と無茶振りを繰り返す物理学博士。それが、ネットワークの繋がっている端末に無条件でアクセスできるとなると…リリーの感想の通りとなる。


町田はあの手この手で食い下がるが、ついに中田が彼の方に手を置いて無言で首を振った。これには2つの意味がある。この研究所に深入りするな、そして”彼ら”の生き写しを世に放つな。一種の警告だ。

町田は頭を深く下げて項垂れる。そして吐き捨てるように呟いた。


「…こんな大発明を内部だけで使うなんて…」

「ま、時が来ればそのうちバレるって!」

「…なに無駄話してんだ。次行くぞ次。」


ジルは絵に書いたような笑みを顔に貼り付けながら、町田の背中を軽く叩く。元気付けのつもりだろうが、まったくもって逆効果だった。

久慈屋はそんな彼らのもとに近寄り、事務局での説明が終わったことを告げて部屋を後にした。



10時27分 JHEL2F 第一研究調査局社会部言語課

「ん~…」

「どうしたの、リリーちゃん?」

「今のところ、このテオドラさんって私たちに恩恵無いよね?」


こじんまりとした革のソファに腰掛けながら語らうジルとリリー。見た目が瓜二つの彼女たちが喋っていると、ただの双子の日常に見えてくる。

だがその内容は久慈屋にとって少々聞き捨てならないものだった。

”テオドラが王国にとって恩恵がない”

確かに、今の所研究所内での業務処理には多大な貢献をしている。だが王国にとってはどうだろうか?

研究所の書類仕事や監視の補助、経理に人事情報管理が王国になんの得があるのかというのは最もだろう。

しかし、久慈屋はその疑問にもったいぶったような演技じみた仕草で、口元に手を当てながらリリーに語りかけた。


「…丁度よかったな。多分、これで利点をすぐに把握できるぞ?」

「…所長。私この”王国政令大全”を解読するので忙しいのですが…」


それにツッコミを入れたのは言語学者の江田だった。彼はこの言語課で、王国の法律に関する文章の解読を行うチームの責任者だ。だが、法令というのは得てして難解で、さらにこちらとは法体系やその発展の系譜も異なる特異物群の世界のものとあっては、解読に使う”予備情報”が少なくてただただ時間がかかっていた。

厄介な仕事を押し付けられているのに、それを行った本人が妨害するとは何事だという態度が、江田からはにじみ出ていた。

でも久慈屋は意に介さない。なにせ、その苦労は今日で終わるからだ。


「大丈夫ですよ、江田先生。それが”目当て”なんです。」

「はぁ…?」

「ちょっと、先生のPC借りますよ?」


久慈屋は演技地味た仕草を続けながら、江田の元へと近寄る。そして彼が了承の返事をする前に、勝手にPCの操作を開始。操作は簡単で、江田を悩ませている政令大全のデータを探して表示するだけ。1分程度でそれは完了した。


「これが大全の画像データですよね?」

「ええ、そうですよ?」

「全部共有ストレージに入ってますか?」

「ええ。私のユーザーフォルダに。大全以外にも、王国の書籍データはほぼ全てあります。」

「それは丁度いい…テオドラ?」


久慈屋は今日の日のために全ての所員と職員にある通達を出していた。”業務データは出来得る限り、共有ストレージの自分のフォルダに突っ込むこと”。こうすることで、テオドラがそれぞれの業務データを”参照”して、処理を補助できるためだ。彼は江田がその通達通りにデータ管理していたことに軽く謝意を表する。

そして、大全以外にもデータがあることを聞くと、これ幸いと言った感じでテオドラを呼び出した。

テオドラはすぐに返事をする。天井のスピーカーから無機質な音声が聞こえると同時に、緑のランプがちかちかと点滅していた。


「ハイ、所長。」

「ストレージ3321、江田先生のユーザーディレクトリ、確認できる?」

「少々お待ちくだサイ…」


久慈屋が指示を出すと、今度は江田のPCで変化があった。PCに入れられている”ランチャー”から、何らかの処理を行うことを表すポップアップが表示された。これがPCからテオドラに指示をだす対話ツールで、研究所のPCには全てインストールされている。メインの処理はテオドラ本体が行う上に、ツールも極々単純な構造なので、末端のPCには大した負荷を掛けないようになっていた。

数分ほど待っていると、ランチャーから新しいポップアップが出る。処理完了という内容だ。

同時にテオドラの声も天井のスピーカーから聞こえてきた。


「完了しまシた。ファイル数23万3411件、総容量0.92TB、平均容量47.32MBデス。」

「あいよ。じゃあ、王国の言語解析データも確認済みか?」

「はい。14分54秒前ニ完了してイマス。」

「…よし…なら、さっきの話は聞いていたな?」


その問いかけにテオドラは処理モードに入る。彼女は所内の全てを”見渡す”ことができる。どこで何が起こっているのか、そしてどういうやり取りが繰り広げられているのか。それを全て記録しているのだ。久慈屋は、テオドラ本体よりもこの”管理システム”の根幹のほうが作り上げるのが大変だったとしみじみ思っていた。

なにせ、あらゆる映像や音声を記録し続けるのだから。そのデータ量は膨大で、保存方式から処理方法のなにからなにまで根本から作り上げなければならなかった。

次に聞こえてきたテオドラの返答は、その苦労が報われていることを証明してくれているものでもある。


「…2分21秒前の会話記録を確認しマシタ。画像から文字情報ヲ抽出し、翻訳作成で大丈夫でショウカ?」

「問題ない。翻訳は日本語、英語、ドイツ語、フランス語…あと念の為北京語とロシア語もお願い。」

「わかりマシタ。処理を実行しマス。」


もちろん、先程久慈屋と江田が会話していた内容もばっちりと記録されている。テオドラはその内容から、彼らが王国の言語を”翻訳”することを必要としていると正しく判断していた。完璧とも言える人工知能の動作に、江田や中田は戸惑い、町田は悲哀に満ちた表情でその成行きを見守っていた。

程なくして、江田のPCに処理開始とその予想完了時間を記したポップアップが表示される。

久慈屋はそれを確認して、江田に言った。


「…じゃ、江田先生。あと…34分後には、全ての王国書籍の翻訳が完了しますよ。」

「…はぁ!?」

「まあ、コーヒーでも飲んでゆっくりしていてください。」


この1ヶ月、昼夜を問わず頭を捏ね繰り回していた王国の書籍翻訳が、あと30分強で完了する。しかも6ヶ国語。あまりに突然の知らせに、江田は呆気にとられるしかなかった。

これにはテオドラの重要性を疑っていたリリーも頷いた。それを見た久慈屋は満足げだ。

そこに部屋の片隅にいた一人の男が近寄る。中肉中背だが顔はやや骨ばっている神経質そうな彼は、白地に厚手の生地を主にした、刺繍による金の線が数本ほど入った独特の服を着ていた。この服は、”王宮”でよく見られるものだ。


「…く、クジャ様…あの…」

「え?はい…えーと…」

「王宮政官のテフラと申します。日本及びこちらの世界の法典や文章の解析を命ぜられました…」

「あー…テフラさんですか…文章の解析…あー…」


彼はリリーたちに帯同してきた王国の政官だった。担当は法律。この言語課にいたのは、研究所に到着後すぐに翻訳に悩まされていたここの課員に強引に連れてこられたためだ。

文章は駄目だが、口頭ならやり取り可能。

古代言語の読み取りで使われる”それっぽい意味の部分を当てはめて、検討のつかない部分の単語の意味を類推する”という手法を取らなくていいので王国の言語解読はまだ楽と言えるが、問題はその王国人の往来にまだ厳しい制限があるという点だった。

なので、このテフラのように専門の職員が来ると、必要な”部署”が争奪戦を繰り広げるのが恒例となっていた。

…ところで、テフラもこの言語課と同じようなことを王国側で行っているようだ。

久慈屋はなぜか嫌な予感を覚えながら、彼とやり取りを続けた。


「今、恐らく我々の政令大全を日本の言語に変換しようとしていたと理解していますが…」

「ええ、まあ。そうですね。」

「申し訳ありません。クジャ様の申された”34分”とは、我々の時間でいうと…」

「えーと…四半刻…ですかね?」

「しはっ!?」


久慈屋の返答にテフラは言葉をつまらせる。彼はこの後の流れが予想できてしまった。

恐らく、悩むところは”同じ”はずだから。


「あ、あの!?”逆”も可能でしょうか!?」

「あー…つまり、日本語から王国の言語へとか…?」

「そうです!」

「え、ええ。可能ですよ…」

「…こ、これであの”六法全書”とかいう難解な書物から開放される…!」

「…このシステムがあれば…判例解析が一瞬で終わるのでは…?」


テフラは相当に苦労していた。なにせ、こちらの法律はあらゆる組織や存在が文章による取り決めの”下”に置かれるという法治のもとに成り立ち、それを200年ほど続けている。それ故に、やけに柔軟ではあるが基本的に国王による絶対的統治が敷かれている王国とは比べ物にならない数の”文章”が存在していた。

なにせ、今翻訳している王国政令大全という王国が今までに発布した政令を全て記載した書物でも、ページ数は六法全書の半分より少し少ない程度だ。

この膨大な文章を読み解き、今後の王国と日本の関係を築く中での礎を確固たるものにするのがテフラの役目でもある。重責と膨大な業務量。彼の顔が骨ばっているのは…それが原因と見て間違いない。


一方で、江田も先程から独り言を言いながら考えにふけっていた。実のところ、法律というのは絶対的なルールではあるが、絶対的な記述をしているものではない。そこは”事案”ごとに判断を行う余地を残している。なので、ある法律がどういう理解でどんなふうに運用されているのかというのは、”判例”と合わせて判断するのが必須だ。江田は法律に造詣がある言語学者として、読み解きにくい判例をテオドラに突っ込めば良いのではないかと考えていた。


ここで久慈屋は、ジルや中田たちに目配せをして、ゆっくりと部屋を後にする。

テフラの求める”逆翻訳”は可能ではあるが、まだ学習データが少ない。なので、高い精度で行うには少し調整が必要だ。かたや江田の求める判例解析は、テオドラには法曹に関する学習方法がちゃんと組まれていない。

つまり、どちらも可能ではあるがテオドラにちょっと手を加えないとちゃんと出来ないということになる。

それを出来るのは…久慈屋(とヘンリー)だけだ。


ここにいると仕事が増える。久慈屋はそう考えたからこそ、存在を消して部屋を出た。


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