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姿なき人 ~再起動~

6月17日 8時01分 埼玉県秩父市 JHEL地階 

「…ヘンリー?いい?」

「ええ。大丈夫です。」

「よし、じゃあ最終テスト走らせるよ。」


キーボードを打つ音が、非常に短い間隔で鳴り続ける。その発生源は久慈屋と彼の部下であるヘンリー・スターキーからだ。2人は30時間ほど、この蛍光灯とサーバーのモニター類以外の明かりが存在しない地下でずっと作業していた。

久慈屋があるコマンドを打つ。それは、ここでの最終作業が開始されてから、辛うじて100回に届かない程度実行されたテスト用スクリプトだった。

スクリプトの処理が進むと、久慈屋とヘンリーが見守るモニターに”文字”だけの羅列が表示されていく。


「…記憶DBのチェック…問題なし。」

「感覚処理ライブラリ…意識序列演算…大丈夫。」

「次は感情リンク行きます…5層テスト開始。」


処理の画面は一見地味だ。ほとんどが黒い画面に浮き上がる白文字で構成されている。ただ、それだけでもかなりの速度で表示が変わっていくため、光の点滅は激しかった。さらに、ところどころで緑色で表示される文字が要所での実行結果を示す。緑はもちろん異常なしであることを表している。

この手の作業で使われるのは、文字入力で全ての操作を行うコマンドラインインターフェイスだ。よくある映画のハッキングだなんだの場面でいやに豪華なグラフィックのソフトを使っている描写があるが、現実からいうとああいうのは”無駄”だ。あんな複雑な描写をするリソースがあるのなら、メインの処理に少しでも使いたいと久慈屋たちのような”人種”は考える。あと、余計なものを入れるとバグやエラーの元にもなる。


一方で、入力と出力に使うのが文字だけであれば、大量の処理を行うには実はずっと効率がいい。試しにPCで適当なファイル1万個を作って操作してみればわかるだろう。コマンドラインであれば、1行の適切な指示を出す文章を入力するだけで終わる。

そして、その文字だけで記述した”スクリプト”があれば、雑多な作業を全て自動化するのも容易だ。今現在久慈屋たちがしているように、最初のスクリプトを実行するコマンドさえ走らせれば、画面を見ながらたまにほかのモニターなりクライアントなりで見たいログを呼び出すしたりするだけで、色々な”操作”を完了できる。


しばらくして、画面に今までに見なかった赤文字が表示される。その意味はエラーの発生だ。久慈屋たちは疲れから椅子に全てを預けていただらしない体勢から、すぐにモニターに対して前のめりになり呟いた。


「…おっと?」

「あれ?止まりました?」

「うん。ログ見る。」


久慈屋が再び激しく、そして素早くキーボードを打ち込む。瞬く間にモニターの表示は変わり、また一見すると同じように見える文字の羅列が表示された。


「ん~?”怯えと忘れ”で躓いた?」

「みたいですね…あー、これですね。このライブラリが無いみたいです。」

「これは…長期記憶と短期記憶のリンク処理か…え?あるでしょ?」

「ありますね…ちょっとコード見てみますか。」


久慈屋の呟きと同時にヘンリーもキーボードを打つ。彼らの必要最小限な会話からは想像できないほどの操作が先ほどから行われている。それは、2人がプログラマとして、エンジニアとして、そして科学者としてトップクラスであるからこそできる芸当だ。

ヘンリーが呼び出したのは”テキストエディタ”だ。つまり、テキストを書くためのツールだが、もちろんこれもコマンドライン上のものである。文章の入力以外、つまり保存や入力位置の移動といった操作には、キーボードの入力するキーの組み合わせで操作を行うショートカットキーを使う。そしてその組み合わせは、”使うテキストエディタ”によって異なる。

ヘンリーが地味な画面のテキストエディタを操作して問題があると言われたコードのファイルを調べていく。エラーに問題の詳細も表示されるように設定していたので、その部分はすぐに見つかった。ヘンリーは大き目な眼鏡を持ち上げながら、しまったという表情を作りつつ、唸る様に言った。


「あー、すいません。ライブラリの指定にミスがありました。」

「どれどれ…あー、”ケース・センシティブ”か。俺もよくやるよ。」

「凡ミスです…申し訳ないです。」

「気にすんな。バグなんて8割凡ミスだ。」


久慈屋は口角を上げながら、ヘンリーの肩を強く叩いてその心労を労わる。今日は30時間の完徹で、その前の数日は平均睡眠時間2時間以下なのだからミスが起こるのも無理はない。


再びキーボードを叩きながらモニターを凝視する作業に入った2人の後ろで、中田たちが静かに作業を見つめていた。彼は横で同じように呆けた顔でモニターを見つめるジルに思わず尋ねた。


「…ウィンストンさん?」

「はい?…あ、ジルでいいですよ?」

「そういうわけには…ともかく、久慈屋さんたちのお話、理解できますか?」


中田は少し居心地の悪さを感じていた。今日の打ち合わせのために早朝に来訪するやいなや、突然いいものを見せますと久慈屋たちに研究所中を引きずり回されてここに来た。しかし、何をしているのかという説明も後回しにされ、かれこれ数十分待ちぼうけを食らっている。専門外であるがゆえにうかつに口出しもできず、なんとかして状況を把握しようとしたのが先ほどのジルへの質問だ。

ただ、彼女の返答内容から状況が見えることはなかった。これは、考えすぎて質問の文言を誤った中田のミスだろう。


「ん~…半分くらいは。私も簡単なコードは書けるし、数学的な処理は手伝いますから…」

「そ、そうですか…」

「でも、こんな大規模システムのコードやライブラリを全て頭に入れられるのは、そこの2人だけでしょうねー」


この業務を行っているのはほとんど久慈屋とヘンリーの2人だけだ。かなり無理がある体制だが、色々な事情により致し方ないことだった。なにせ、2人は”生みの親”なのだから。

中田が質問の間違いをすぐに理解して、改めて正しい問いかけを行おうと頭をひねっていると、突然手を叩く大きな音が部屋に響いた。そして、久慈屋の雄たけびに近い大声が続いて聞こえてきた。


「よし!通ったな!」

「はい!テストオールクリア!問題なしです!」

「じゃあ、いよいよだぞ!」


喜びに溢れた久慈屋とヘンリーが小躍りするように、今までの作業をしていた普通のPCモニターのあるデスクから、大きなモニターのあるメインと思われるデスクのところへ素早く移動する。


メインのデスクの椅子に座った久慈屋は、ケーキを食べる5歳児のようにキーボードの前で手を震わせてから入力を始めた。今度入力したものはかなり短く、すぐにEnterキーが押されたようだ。

すぐさま、大きなモニターの横に整列するように並べられたモニターには、先ほどと同じように文字の羅列がものすごい勢いで表示される。だが、数秒程度でそれは終わった。

変わりに、大きなモニターに1行だけ短い表示が出力される。

それには何かを実行する許可を求める旨と、了承するのであればキーボードの”y"を押すように書かれていた。

その表示を見た久慈屋は、演技がかった大げさな仕草とセリフとともに、キーボードの”y"を強く押した。


「…さあ、”起床時間”だ!」


今度は大きなモニターにも文字の羅列が表示され、サブのモニター類にはこれまでとは比べ物にならない速度で処理の遂行を示す情報が表示されていく。やや薄暗い部屋は、この激しい表示の移り変わりによりその明るさを増していた。


部屋の片隅で様子を伺っていたリリーは、作業が佳境に入ったことを空気で感じ取りジルの傍へと寄っていた。アミナとリリーも、寝不足でナチュラルハイになった久慈屋の誘いにのってこの部屋へと入っていた。が、今まで見たことのない圧迫感のある部屋の様子に、少し警戒して息をひそめていた。

リリーはジルに耳打ちするように質問した。


「…”起床”?どういうこと?」

「どういうことも、そういうことよ。起きる時間なの。」

「…いや、だからどう…わかった、言葉を変える。”誰が”起きるの?」


ジルはリリーの質問に作ったような笑顔で答え、久慈屋たちの元へと視線を戻す。彼女はここで説明するよりは、見た方が早いということを態度で示していた。

そのうち久慈屋たちの作業はいよいよ終わりを迎えようとしていた。

ヘンリーがサブモニターの表示を見ながら、全てが順調に推移していることを確認していた。


「…記憶DBリンク、意識序列処理、感情リンク、サブ意識リンク…正常!…感覚処理ライブラリ読み込み完了!」

「どう!?」


久慈屋の問いかけに、ヘンリーは手振りで少し待つように示してから、モニターの表示を確認する。そして勢いよく久慈屋へ返答した。


「…来ました!所内放送システムへのアクセスを求めています!」

「了承して!」


久慈屋の指示と同時に、ヘンリーがキーボードを叩く。すると、今まで文字が表示されるだけだったメインのモニターがふっと暗くなる。そして、”白い丸”が描写され、浮かび上がった。表示されているのはコマンドラインインターフェイスのため、その丸はもちろん文字で描写されている。いわゆる”アスキーアート”だ。

ヘンリーは、自身の作業をしているモニターの表示を確認して久慈屋へ告げた。


「…システムアクセス完了です。”彼女”は我々の声を聴き、話すことができます。」

「よし!」


腰に手を当てて、満足そうに頷く久慈屋。彼はふとジルに視線をやる。彼女はそれに気づいてサムズアップをしていた。彼女もまた、”彼女”の復帰を待ち望んでいた。なにせ、3割くらいはジルの助力により”彼女”が生まれたのだから。

久慈屋はすぅっと息を吸い込むと、彼には珍しく腹から出す大きな声で一言”挨拶”をした。


「…おはよう、”テオドラ”!」


少しの間をおいて、大きなモニターに映し出された白い丸が遅い間隔で点滅する。そして、それが2,3回続いた後、部屋の天井につけられたスピーカーから”返答”があった。


「…おはようございマス、久慈屋所長。」


久慈屋はガッツポーズを決めて、ヘンリーは手を挙げて大いに喜んだ。ジルも満足そうに拍手をしている。中田たちもとりあえず拍手しているが、突然聞こえてきた”機械音声”に戸惑いを隠せなかった。


理解できていない面子の誰かが質問の声を上げようとしたとき、先に”機械音声”の方が割って入った。彼女はこの短時間で、自分の置かれた状況を分析し終えたようだ。


「…所長、私ハ長期間休止状態だったようでス。外部情報処理を実施して状況把握を開始してもよろシイでしょうカ?」

「ああ、許可する!ただ通常業務も溜まっているから、バックグラウンドタスクで実行するように!」

「…わかりましタ。では、ご用命あるまで処理を実行して待機しマス。」


久慈屋の喜色満面な返答に、機械音声の彼女は淡々とした口調で答える。ヘンリーはその様子に燃え尽きたように天井を見上げていた。

久慈屋も溜息交じりに頭を下に向ける。この2人、現在は達成感で平常を装っているが、しばらくすればこの”復旧作業”の疲労が押し寄せるだろう。

そんな彼の元へ、落ち着かない様子でアミナが近づき、動揺を抑えつつ問いただした。


「…ね、ねえ?今の声どこから…?」

「ん?天井のスピーカーだぞ?」

「あ、この丸いやつ…いや、そうじゃなくて!そのすぴーかーやらを使って話したのは誰なの!?」

「ああ、それか…」


久慈屋は達成感により彼女の恐怖心に気付いていないようだ。そんな彼は、部屋のある方面へと歩みを進める。そこには曇りガラスのようにくすんだ出窓が取り付けられていた。これは瞬間調光ガラスで、スイッチ一つで透明と不透明を切り替えられる。久慈屋はそのガラスのスイッチを操作して言った。


「これだよ。」


透明状態になったガラスの向こうには、数百台のメインフレームが所狭しと並ぶ。

中田は以前この光景を目にしていたが、そのころとは様子がまるで違った。

前もこの空間には所狭しとコンピューター群があったが、一部は内部が開かれてがらんどうの状態だったりして、実際に稼働しているのは半分程度だった。

それが今や、大人の背丈ほどもある全てのラックケースから轟音が鳴り響き、ネットワークケーブルのアクセスランプはこれまで以上に輝きの密度を増していた。


久慈屋は語る。これがJHELの心臓部とも言える高度人工知能業務支援システム。

”テオドラ”だ、と。


ここから次章なつもりです。


誤字報告ありがとうございます。

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