統合会議 ~兆候~
数話ほど設定等振り返りまとめが中心です。
6月10日 6時03分 埼玉県秩父市 JHEL3F 所長室
「…なにあれ?」
所長室に添えつけられた簡易洗面所から出てきた久慈屋は、連日の激務と寝不足により最悪の人相となった顔を片手で揉み解しながら、もう片方の手でブラインドの隙間を広げて窓の外を見る。そして視界に飛び込んできた光景に思わず呟いた。
その声に、ジルが反応して隣に近寄る。そして彼女も同じように片手でブラインドの隙間を広げて外を覗いた。ジルのもう片方の手は歯ブラシをせわしなく動かしている…なぜ人の仕事部屋で歯を磨いているのか?そんな疑問は、窓の外の光景からすると些細なことだろう。
ジルは歯ブラシを口から外すと、当然のように久慈屋の疑問に答えた。
「…え?マスコミでしょ?」
「いや…それはわかってんだよ。」
最悪な人相がさらに闇に沈む久慈屋。あれが情報遊びを生業とする報道各社であることは見ればわかる。久慈屋が知りたいのは、この早朝になぜこの騒ぎとなっているのかということだ。久慈屋は秘書の古湊を大声で呼びつけ、そしてあまり変わらない声量で続けて状況を問いただした。
「古湊!いる!?」
「はーい!」
「なんであんなにマスコミが正面ゲートに貼りついてんの!?」
古湊は至って日常という感じで、返事の後に静かに部屋に入ってきた。ただ服装はパリッとしたスーツだ。今日は政府のお偉方が大挙して押し寄せる日、だらしない恰好は似合わない。未だに着替えが完全に終わっていない研究所の代表2人とは大違いだ。
古湊が入室したのを久慈屋は見やると、彼女の方を向いた。
だが、彼女はすぐに話を始めない。その様子は、説明が要らないと沈黙で語っているようだった。ただ、何も話さないのは非礼と判断したのか、短く一言だけ久慈屋に言い放った。
「…説明いります?」
「…うちから?」
久慈屋も全てを察して、次の質問をする。報道陣が大挙しているということは、重要な会議が行われるというのが風のうわさのように流れてきたから。流れてきたのなら、誰かがうっかり風に流したからだ。
久慈屋の確認は、それがJHELではないことを念のため確認するものだ。責任者である彼のせいになるのだから。しかし古湊はそれを否定した。
そこで、久慈屋はすぐに嫌な顔をしながら悪態をついた。
「それはありません。」
「政府ね。これだから民主主義は嫌いなんだ。」
その顔のまま久慈屋は振り向き、自身の机まで歩く。そして机の上に置かれた熱いミルクティーを一気に飲み干した。
ぼちぼち情報統制が形骸化し始めている中で、情報漏洩が起こる頻度は日に日に増えていた。ただしJHELがリーク元ではないことは調査済みだ。今は政府側の”輩”を絞り込む作業に移っている。
紅茶派の彼はミルクティーをあおったことで少し落ち着きを取り戻した。そこで責任者として、まずは直近の問題であるあの有象無象共への対処を古湊に確認する。
「えーと…対応は?」
「広報が準備してます。」
「いや、人が来ると騒ぎになるでしょあれ。」
「…ああ、そっちですか。大佐が警備にあたりますよ。」
「そう。なら発砲していいって伝えといて。」
「心得ていると思いますよ。」
久慈屋は安心した。軟派な警備員ではなく、軍人上りが多数所属するエリーゼの本家が所有するPMCの警備が付いている。煩いチワワな報道陣は、おそらく吠え騒ぐことしかできないだろう。それに気分を少しだけ良くした久慈屋は、物騒なジョークを飛ばす。古湊はそれに一笑いもせず流した。が、その物騒さを咎めるどころか無表情で少し乗っかったあたり、彼女もマスコミに対して相当ヘイトを貯めているようだ。
古湊はその返答を最後に退室する。どうやら、客人がお呼びのようだ。久慈屋はその後ろ姿を見送ると、再びジルのそばに戻った。彼女は歯を磨きながらちらちらと窓の外を見続けていた。
…こいつ、口の中の歯磨き粉はどうした?そう思った久慈屋の視界にふとごみ箱が入る。
とりあえず見ないでおこう。理由は考えたくない。
ジルは久慈屋が隣に来たことに気付くと、また歯ブラシを口から外して吐き捨てるように言った。久慈屋も同じような口調でそれに答えた。
「…全く。朝から嫌なもの見せられちゃったねぇー…」
「…序の口だよ。今日は。」
7時39分 JHEL正面ゲート前
「本日、このJHELにて政府対策本部や関係省庁を含めた特異物群に対する統合会議が開催されます。この会議は政府の対応方針に大きく影響すると見られ、特異物群の今後を占うとされる重要な…」
「事故を起こした組織に重大な調査研究を全面委託する政府に対して強い反発の声がありますが、宇賀野政権は一貫してこの方針を変えません。参院選を前にして支持率も下落傾向となり、再び問題が発生すれば任命責任の追求は避けられず…」
「ある与党幹部はこの問題が宇賀野政権の命運を握ると話しており、一種の賭けではないかとの声も…」
「あっ、中田防災担当副大臣です!副大臣は特異物群の政府対策本部の実質的な責任者であり…」
時間帯は丁度朝のワイドショー放送が行われている。各社がしのぎを削る激戦区だ。よって、子飼いのレポータもその実況に熱が入る。ただ、話すことは似たり寄ったりであまり意味はないから聞く価値は存在しない。
そして、カメラマンも仕事を熱心にこなす。故に、少しいけないことをしでかそうとする輩も出てくる。中田副大臣の車を撮り続けようとした男は、研究所に入る寸前で屈強な白人男性にその進路を塞がれた。彼は同時に、流ちょうな日本語で怒鳴り散らした。
「おい!ここからは私有地だ!入るんじゃない!」
「なっ、なんだ!こっちは仕事してるんだ!邪魔するんじゃない!」
「そうか、奇遇だな。俺らも仕事してるんだ。」
彼の戯言に、アハーン大佐は小馬鹿にしたように笑って語り掛けた。
プライドだけは一人前なカメラマンは、それに自尊心を大いに気づ付けられたようだ。勝てるはずもないのに大佐に食って掛かる。正真正銘のチワワだった。
「…問題起こした組織がそんな高圧的な態度でいいんですか!?」
「あんたが私有地に無断侵入しようとしていることと関係あるか?」
「せ、誠意がないでしょう!誠意が!」
「はっ、バカバカしい。とにかく入るな、”坊や”。」
気づけば、警備の数は3人に増えていた。右には太腿と腕がほとんど同じ太さの黒人男性、もう片方には日本人としては最大に近いだろうほど筋肉質な小柄の男性だ。大佐を含めた3人は、キャンキャンと吠えるカメラマンのクレーマーお決まり文句をニヤニヤと笑いながら聞き流す。その表情は、まるでコメディ映画でわざとらしく笑う登場人物のようだった。
8時13分 JHEL1F 大講堂
「久慈屋さん…あの警備の態度はちょっと…」
「…うちの警備は仕事しただけですよ。不法侵入は立派な犯罪でしょう?」
「それもそうですが…生中継で晒されるとなると…」
「支持率が下がる?これだから民主主義は…」
久慈屋は中田副大臣と挨拶を交わす。そこで早速先ほどの大佐たちとマスコミチワワのやり取りに苦言を呈された。なにせ、あれはワイドショーで不遜な対応として繰り返し流されているからだ。もちろん、自分たちが私有地に無断侵入しようとしたことは無視して。いつもの常套手段だ。
だが、この手法で命を奪われかねない中田は気が気じゃない。しかし久慈屋は意に介さない。夜型人間の早朝仕事、マスコミ嫌い、政治嫌いの三拍子が揃い態度は最悪だ。そこに、彼を咎める優しくも突き刺さる冷たい声が掛けられる。
その主を一瞬で理解した久慈屋は、すぐに姿勢を正した。
「久慈屋さん。ちょっと態度悪いですよ?」
「っ!…すいません。」
薫子は何時もの微笑みを携えながら久慈屋を見やる。だが恐怖心を無駄にあおるそれは、久慈屋の眠気を覚ますにはちょうど良かった。
威圧が十分と判断した薫子は、傍らの中田に顔を向ける。久慈屋の傍にいた結果、威圧に巻き込まれる形で委縮していた彼も、すぐに気を取り直して挨拶を始めた。
「これは理事長。今日は宜しくお願いいたします。」
「はい、こちらこそ。実り有る会議になることを望みます。」
中田の張り付けたような営業スマイル、薫子の真意を隠す鉄の微笑み。なんて恐ろしい挨拶だろうと、傍らの久慈屋は感情を顔に出さないようにしていた。
これだけ諧謔に溢れた場面もそうそうないだろう、と。
そんな久慈屋をよそに、二人は世間話を始めた。
「…しかし、壮大ですね。さすが世界でも最大の財力を誇る民間組織だ。」
「最先端の研究を行いますから、発表する場所というのは存外に重要なんですよ。」
確かに講堂はかなり気合を入れて作った。各種入力を備え、最大16分割が可能な大型スクリーンを前面に3枚、壇上の責任者席の椅子は高級オフィスチェアメーカー製で、馬蹄形に広がる参加者席は白を基調として清潔感にあふれている。さらにすべての席にコンセントにPCの入出力端子、マイク、果ては翻訳用のイヤホンまで備えている。日本全体でみても、これだけ豪華な会場はそうそうないだろう。
よって、中田の誉め言葉も事実かもしれない。ただ彼は政治家だ。
この手の誉め言葉は、真の言葉の前菜のような美辞麗句でしかない。
久慈屋が無表情で場の背景に努めて溶け込みながら二人の様子をうかがうと、案の定会話が次の段階へと進んだ。
「ああ、理事長。改めて財団の各協力感謝いたします。我々も非常に助かっております。」
「それはなによりです。私も久しぶりに楽しい時間を過ごせましたよ。」
2人の表情がさらに取ってつけたような笑いに変わる。これだけ作り物な場面、自分は背景になれるだけ幸せだと久慈屋は考え続けた。
なにせ、2人が話していることは政治的取引のことだ。薫子が何をして、中田たちの現与党が何を成しえたのかは知らない。だが、雰囲気からして相当にいい結果をもたらしたのだろう。
そして、二人の会話は最終段階になる。突然中田が真面目な表情になったのだ。これに薫子は微笑みを変えない。だが、空気だけはガラリと変わる。やっと本題に入ったようだ。
「それでですね…”上”から協力をお願いしたいことがまたありまして…」
「あら。ではあちらで伺いましょう。」
すぐに薫子が気を利かせて、壇上奥にある小部屋へと消えていく。あそこは発表や会合で結論や騒動が起きた時に、当事者間で話をするなどの目的で作った部屋だった。だから、彼女たちが話そうとしている内容にはうってつけだろう。
2人が離れたことで、久慈屋はやっと背景になる仕事から解放された。そして、本当にタイミングよくジルもそこへ合流する。
「…うへぇー…ルコさんすっかり政治家じゃん…」
「というよりフィクサーだな。俺らの知らない世界だ。」
「たしかに!」
ジルの口調からすると、様子を伺っていたらしい。本当に運も要領も良いなと久慈屋は苦笑いする。それにつられてジルも少し笑う。しばらくして、お互いに微妙な表情になり、ジルが溜息交じりに呟いた。
「…しかし…実り有る会議を望む…ね。」
「…ね。」
久慈屋はさらに微妙な表情になる。その発言は結構最初の方だ。こいつ、どこから様子伺い続けていたんだろうと。だが、彼女の疑問に対する同意の方が今は大きかった。なにせあのマスコミ扇動だけではない。今日までに細事も含めてあらゆる不可解なことが起こりまくっていたのだから。
2人は少しの間沈黙し、久慈屋は自分にしか聞こえない程度の声でつぶやいた。
「荒れる予感しかしない…」
壇上から会場を見やる久慈屋たち。部屋にはJHELの研究者や省庁の官僚、政府対策本部メンバーが続々と入室し始めていた。
19/8/24:展開のため少し加筆




