チーム・レッド ~魔族の躍動 1~
16時33分 東京都千代田区霞ヶ関 外務省応接室
「…陳特使。再びご足労頂き申し訳ない。」
「いえいえ。”彼ら”の情報を頂けるというのであれば…」
再びの外務省。対応するのは外務省のワーキンググループ責任者である局長に、最初に対応をした前田と萩原。相手は陳特使一人だ。秘密裏に連絡を入れ、目立たないように再訪をお願いした。具体的な方法には言及していない。国の外交機関から”情報出すから、一人でこっそり来い”というのはそれなりの事態であることは、同業者にとっては不文律だからだ。様々な目を欺く方法は幾多もある。
応接室に入る陳特使の表情は、先の訪問時とは少し異なる。先ほどは優しさを見せる役割を持っていたために、張り付けたような微笑みを携えていた。今の彼は、状況をうかがうためにネガティブな雰囲気は出していないが、その眼光は鋭い。非常に合理的に様々な判断を迅速に下す。感情を配したようなその思考は、優秀な中国人の特徴だ。
話を始めたのは前田。彼は陳特使のような優秀な中国人の対応に慣れている。
最低限の体裁を整えた数枚の書類を彼は机の上に差し出した。
「では早速…これがその情報になります。」
「拝見いたします。」
陳特使は書類を手に取り目を通す。官僚たちはそれを見守るだけだ。
久慈屋たちの選定した情報は、政府や官僚の集合知によって、情報自体の性質をもとにそれぞれの国の事情を反映しつつ、その情報を最初に目にする人間の素性さえもある程度考慮してとりまとめた。
「…これは、非常に面白い内容ですね。」
「ええ。彼らの魔法技術、特に医療分野に応用が可能な情報です。」
「どのような環境でも一瞬で無菌状態、細胞や寄生虫、さらには細菌にウィルスにまである程度の干渉が可能…これは…」
「神の手、ですかね。」
「ええ。正に。」
この情報を選んだ理由は二つ。中国は以前から先端技術開発に多大な投資を行っている。医療技術もその一つである。
医療技術というのは、生物を相手にするだけあり狙った結果が出ない分野である。例えば、新しい菌類を発見するのは運の要素が大きいと言われるし、それを利用した新薬なんてさらに困難だ。その過酷さは、その分野の人間であればよく知るところだ。
もしそれらの要素を、意志をもって明確に操れるとしたら?その価値は計り知れない。
留学してまで医学を修めた経歴を持つ陳特使ならその価値の高さは尚更理解できるだろう。
陳特使は少しだけ笑顔を作った後、すぐに硬い表情へと変えて続けた。
「それで…条件はどのような内容でしょうか?」
「極々些細なものです。情報は日中二国間のみで共有したいのです。」
「…二国間のみ…ですか。」
「はい。そのための事務レベル協議も、近日中に設置しましょう。」
局長と前田の条件の真意を考える陳特使。口に手をやりながら、視線を落として思考を巡らせる。わざわざ言及された二国間という条件に、日本政府の真意が多分に含まれていた。国益に外交関係、それらを含めたあらゆる要素を勘案した。
条件というのは利益だ。利益はできうる限り確保したい。二兎追うものは一兎も追えずとは言うが、外交では必ずしも原則とは限らない。そこで、陳特使は少しだけ日本側の真意を確かめることにした。彼は机の上に手を組んで置き、強い視線を向けながら静かに口を開いた。
「…我々は今ロシアとの環境構築を考えているのですが…」
「ええ、重々承知しています。ですが、条件の変更はございません。」
外務省側は引かなかった。押せば折れる印象のある日本が強く出るというのは滅多にない。中国内でも知日派とされる陳特使は、条件が不動のものであることを理解した。
小さく溜息をついた彼は、少しだけ涼しげな表情になって肯定の意を返した。
「…そうですか。よく分かりました。」
「はい。ご検討のほど宜しくお願いいたします。」
両者ともに席を立ち握手を交わす。反応を待つ必要はあるが、とりあえず時間は稼げそうだと、官僚たちは考えていた。
9時01分(JST-8) ドイツ連邦共和国 ベルリン 某ホテル
「…グスタフ。君か。」
「ええ、お久しぶりです。」
「…今もローゼンハイムの小間使いか?」
「意外と楽しいですよ。」
ベルリン中心地にある老舗ホテル。大きくもなく派手でもないが、この落ち着いた雰囲気が良いという常連も多いと言われている。そんなホテルの一室で、二人の男性が向き合わせで会話を続けていた。一人は。鷲鼻が特徴で、加齢により刻まれた皺が程よい威圧感を与える顔で長身で大柄な老齢のドイツ人であるグスタフ・ルンゲ。もう一人は、灰色の瞳をもつ白髪交じりの奇麗な金髪、中肉中背で一見すると50代くらいに見えるロシア人のスチェパン・アルスキーだ。
グスタフは40年前にローゼンハイム家のファミリーカンパニーに入ってから、内部での所属や肩書を変えながらも、同家の3世代に付いていてる。人聞きが悪いが、スチェパンの言う通り小間使いかもしれないが、元々の能力も相まって相当な手練れだ。
一方でスチェパンは、駐独ロシア大使館の外交官である。ローゼンハイム家とは帝政期からロシアとの関係が深く、常にそのパイプを手入れして保っている。スチェパンとグスタフは、そのパイプの現管理担当者といったところだ。
挨拶もほどほどに2人は本題へと入る。グスタフは無言で傍らに置いた年季の入った革鞄から書類を取り出す。それを見たスチェパンは、書類を指さしてグスタフに質問した。
「で、情報がそれか?」
「はい。”彼ら”の魔法技術に関して…主に、攻撃に使われる類のものに関する戦力評価です。日本からの提供ですよ。」
グスタフが内容を簡単に説明して、味わい深い焦げ茶色のコーヒーテーブルの上に書類を置く。スチェパンは少しだけ間をおいてからその書類を手に取り、すぐに目を通し始めた。
「…実に、興味深いな。」
目を走らせながらスチェパンは思わず呟く。魔法が存在することは把握していたが、火でも水でも風に土となんでも扱えることが事実というのには驚かざるをえなかった。
この情報で何よりも特筆すべきなのは、その魔法を対人戦闘に使用した場合、どれだけの力があるのかを、軍事的観点からまとめたものであるという点だ。この報告のもとになっているのは、日本が最初に”彼ら”と遭遇した際に発生した偶発的戦闘事案と、青森で発生した騒動が主になっている。
ちなみに、東方領の件は入っていない。あれの全てを公表するのはまだ早い。
スチェパンは書類を読み終えると、テーブルの上にそれを静かに置いて目元に手をやって少し揉み解した。そしてすぐにグスタフに身を乗り出して条件を聞いた。
「そして、条件は?」
「欧州の超次元事象対策機構への参加をお願いしたい。」
「…それだけ?」
「はい。」
スチェパンは思わず抜けた声を出してしまった。しかし、グスタフの表情に曇りはなく、それが事実であるということを黙して語っていた。
もちろん、スチェパンはそれを信じていなかった。
「…嘘だろ?」
「いえいえ。まあ、機構参加に関する条項には、”欧州、または欧州地域近縁国家のみ”という一文が入れられる予定ではありますが…貴国は条件に当てはまるでしょう?」
「…なるほどね。」
グスタフは口角をあげながらスチェパンの質問に返答する。しかし、条件を伝えることにより、自分たちの意図を明らかにした。スチェパンはそれを正しく理解し、思案顔をして黙った。
グスタフの言った機構というのは、おそらくはNATOのような、あるいは調査研究対応を目的とするならCERNのような組織を作ろうとする動きが欧州にあることを示す。
将来を示し、仲間に入れようという態度を出すことで引き込む。
そのほかの要素はあえて言わない。優秀なら、なにを言わんとしているのか今までの情報で判断できるからだ。そもそも、この話をするための情報元は日本である。
数分して、スチェパンは方針を決めたようだ。手を膝の上に置いて、グスタフに神妙な口調で告げた。
「では、私は上と検討することにするよ。」
「ええ、是非とも。ああ、なるべく早くしたほうがいいですよ。」
「…嫌な忠告だな。」
スチェパンは速やかに自身の荷物をまとめる。そしてわき目も降らずに退室していった。多少の雑談くらいすればいいのにとグスタフが溜息をついた。
程なくして彼の携帯が振動する。画面を見ると、現在の上司である”彼女”からだった。
グスタフはすぐに答える。
「…エリーゼ嬢か。情報は渡した。」
簡潔に、先ほどまでのやり取りを伝えるグスタフ。彼女もこれからの要点だけを伝えてきた。
しかし、彼女の話から理解できたその動きはかなり性急であり、さすがのグスタフも少し驚いた。
「…何?もう?…わかった、対応準備は進めておく。」
通話を終えたグスタフは、強く短いため息をつく。そしてすぐに準備を始めた。
報道各社への通達と、関係各所への対応のために。




