チーム・レッド ~魔族の伝手~
14時55分 東京都千代田区永田町 総理官邸5F 総理応接室
「で、我々にどうしろと?」
「…各国に伝手がおありですよね?」
「ええ、まあ。」
「であれば、ご助力いただければ…と。」
久慈屋は仏頂面で宇賀野たち日本政府の面々に問いただしていた。なにせ、国家間のやり取りの情報を知らされたかと思うと、すぐさま協力を要請されたためだ。学術的な調査研究や提言は十八番だが、国同士の腹の探り合いなど、世界的な組織でもある研究所と財団の一員であるために、その片鱗に多少関わってきた久慈屋たちではあるが門外漢であることに変わりがない。
しかも有ろう事か、天城官房長官からその伝手を利用させてもらいたいと言われた。あまりにも直接的だ。
確かに、中国やロシアという面倒くさい国々を相手にするのであれば、深い伝手は有用だ。
自分たちにはそれがあり、知見を提供することも可能ではある。ただし、一つだけ正確に理解しないといけないことがあった。それは、その伝手の”本当の持ち主”だ。
「…大まかに言えば、確かに伝手はあります。ですが、実際に伝手を持ってるのは私ではありません。」
「…ローゼンハイムさん、ですね。」
「そうです。」
「取次いただけますか?」
久慈屋は驚き、少しだけ目を見開いた。そしてすぐにその返答の意味を考えて理解した。
彼らはこの問題を利用して、”彼女”とパイプを繋ごうとしているのだ。
どこか柔和な雰囲気の漂う現政権だが、どうもやるときは徹底的にやるという特性がある。
それが今なのだろう。久慈屋にとっては、怖いもの知らずとしか写っていない。
しかし、ここまで直接的な物言いで要請を行うということは、それだけ強い意志を持っていることの現れでも有る。
久慈屋は最後に簡単な確認を行うことにした。
「…一つ、確認させてください。」
「どうぞ?」
「私達は”橋渡し”、実際の対応は政府が行う…でいいですね?」
「ええ、構いません…なぜそんな確認を?」
久慈屋の問いかけに、今度は宇賀野が答えた。それに、もっともらしい疑問をつけて。
表情や雰囲気にはもともとの柔らかさがまだ残っているが、眼光はとてつもなく力強い。大仕事をしようとする男の目と言える。
それだけの覚悟があるなら、”どう転がっても”なるようにするだろう。
そう考えた久慈屋は、念押しの一言を付け加えながら、自身のスマホを取り出した。
「…いえ。それならいいんです。が、忠告だけしておきます。」
「なんでしょうか?」
「”彼女”を利用しようとしてはいけません。全てを失いますよ。」
「…肝に銘じます。」
久慈屋が会話をしながらスマホを操作する。そしてすぐにある番号へと発信した。
その画面に表示される番号。頭に付いてるのは”+49”だ。
時間的には朝だろう。彼女ならとっくに起きている。
7時07分(JST-8) ドイツ連邦共和国 ボン
かつての西ドイツの首都であり、現在もドイツの主要政治都市であるボン。
人口30万のこじんまりとした都市の郊外に、その家はあった。
…家と言うにはいささか語弊があるかもしれない。どちらかといえば城に近い。というか、城だ。
もともとは近縁にある大きな古城が母屋だったが、流石に維持費がバカにならないと先々代が地元政府と掛け合って文化財として寄贈した。結果、かつての離れが、ここに居を構える一族の根城となっている。
その豪邸の一室。やや暗い色使いだが様々な修飾が施された調度品のあるダイニングルーム。
片隅では執事がサイフォンを使いコーヒーを用意していた。サイフォンのフラスコに入れられた水が沸騰し小気味良い音が微かに響いてくると、芳醇な香りが漂う上質なコーヒーが入れられたロートが差し込まれる。フラスコの中の熱湯が管を伝ってロートへ満たされてコーヒーと交わると、その香りは広大な部屋中に一気に広がった。
その中で、書類と新聞に交互に目を通しながらコーヒーを待つ一人の女性。白みの強い金髪のストレートヘアーに、彫刻のように整った目鼻立ち。背筋はまっすぐに伸びて姿勢がよく、妖麗とも取れるようなスタイルを際立たせている。目には知性が宿り、どこか冷たささえ感じさせる雰囲気を持ったその人こそ、次世代研究財団の総理事長で久慈屋やジルたちの”大ボス”。エリーゼ・ローゼンハイムだ。
きれいに新聞を隅に並べ置くと、壁時計を一瞥して時間を確認する。几帳面な彼女は、物の置き方にも、時間の配分にも細心の注意を払いながら行動をしていた。そんな彼女の楽しみが、今用意されているコーヒーである。
朝にこのコーヒーを飲むことで、一日を綺麗に開始する。一種の儀式のようなものだ。
が、そんな優雅な時間に、無粋な振動音が鳴り響いた。エリーゼのBlackBerryからだ。
普通の人であれば、眉の一つでも上げて嫌な顔をする。朝7時に鳴る携帯なんてろくなもんじゃない。
だが彼女は表情一つ変えずに携帯を手に取り、その着信を確認した。
ただし、ろくでもない連絡であることはしっかりと認識している。故に、思わず言葉に出てしまった。
「…いい連絡じゃなさそうね。」
”+81”から始まる番号。よく見慣れた、親友で部下で同僚でもある、彼からの電話だ。
15時15分 東京都千代田区永田町 総理官邸5F 総理応接室
「と、いうわけです。」
「””…事情はよくわかりました。””」
異例だった。その部屋に響くのは、主に事情の説明を行う天城官房長官と、久慈屋のスマホから発せられる、小さくも大きくもないがなぜか聞きやすいエリーゼの声だけだった。この場にいる人間の表情は様々で、例えば座間外務大臣は事の成り行きを憂いてどこか不安顔であり、他の副総理や中田副大臣といったあたりも似たような表情だ。一方、危機管理監や芦屋防衛大臣はそれに加えてどこの馬の骨かもわからない人間を、こんなにも簡単に高度に政治的な判断が要求される事柄に巻き込んでいいのかという不満も見え隠れしていた。この点、現第一党である宇賀野たちの新保守政党と、連立を組む第二党の防衛大臣などが属する旧保守政党の性格を物語っているのかもしれない。
一方で、久慈屋たちは努めて無表情だ。彼らは、今日本政府がやり取りを行おうとしている女性の能力を正しく理解している。その見識から見出された判断は、政府にもエリーゼにも肩入れしない。双方が要求するものを最低限提供する黒子のような立場だった。
天城の説明が粗方完了したところで、部屋には沈黙が訪れる。
久慈屋のスマホからはかすかにではあるがペンを走らせる音が漏れ聞こえていた。
久慈屋たちはある瞬間を待っていた。この状況を整理するための彼女のメモ書きが終わると、”フェーズ移行”の合図なのだ。良くも悪くも緊張感が倍々に増していくのが、彼女との話し合いの名物だ。
程なくして、ペンを置く音がはっきりと聞こえてきた。第二ラウンドの開始だ。
「”それで、日本政府としてのご要望は?”」
「…とりあえず、時間を稼ぎたいのです。今はまだ進んだ協力関係を構築する時期ではないと考えます。」
エリーゼの問いかけに対する天城の返答に、再び沈黙が漂う。顔を合わせていればどういう意図を持った静寂なのかは判別がつくが、電話越しだとそれも難しい。
こういう時は、次の反応でそれを推し量るしかない。
「”…いくつかご質問、よろしいでしょうか?”」
「どうぞ。」
エリーゼの返しに、天城は短く答える。宇賀野もそれに小さく頷いた。
一見すると、要望に際しての必要条件の擦り合わせと考える。だが、久慈屋たちの印象は全く違った。今の彼女が放とうとしているのは、”質問”ではない。
「”まず、中露と協力する気は全く無いというわけではないですね?”」
「ええ、時期が来れば率先して行います。」
最初の確認は、この時間稼ぎがどういう性質のものか。恒久的になるのかを問いただすものだ。非常に軽いジャブと言える。天城の返答もはっきりとして簡潔だ。
エリーゼもここでこじれるようなことはないと確信していたのか、すぐに次の質問へと移った。
「”次に、現在の中国との関係は?改善はされているという認識ですが…”」
「はい。2年前に比べれば遥かに良好です。」
「”なるほど…”」
お次は懸念事項の確認だ。中国とは少し前に”不運な時機”が重なった結果、中々にこじれた事態が発生した。現政権は発足後半年もたたずにその対応を行うことになったのだが、そこで”撃つところは撃つ、話すところは話す”という緩急織り交ぜた完璧な対応をした結果、右も左も老若男女も高評価を下された。こじれた事態も急速に終結し、元通りとは行かないまでも、通常の外交手段がことごとく取りにくくなるような状況にまで改善させたのだ。
エリーゼたちが対応するうえで一番厄介なのは二国間の火種だ。外様である彼女ら不用意にが首を突っ込めば、藪蛇状態でいらぬ損害を被る可能性がある。国際論争というのは、基本的に当事者同士で解決するのが原則なのはそういう理由がある。
なので、リスクヘッジとしてこの質問は必要なのだ…”行動を起こす”うえでは、特に。
その他も細かい質問が飛び交う。エリーゼの際どい質問に、天城はほぼ即答を重ねていった。総理の女房役といわれる官房長官であり、歴代の中でも飛び切り優秀と言われている彼女。今までのやり取りから、やはりその評価は正しいようだ。
しかし、久慈屋たちは内心穏やかじゃない。エリーゼの質問は、巧妙に仕組まれている。彼女と付き合いの長い久慈屋たちは、それに気づいていた。そして、相応の技量を持ったはずんお政治家たちがそれに気づいていないところには、一種の不気味ささえ感じていた。
各々の思いをよそに、質問はほぼ終わりに差し掛かったようだ。
「”最後に、中露が合作することは、好ましいですか?”」
「…中露”のみ”で歩調を合わせることに関しては、正直…」
「”…不躾なご質問に対応していただきありがとうございます。”」
エリーゼのお礼の後、またしばらくの静けさが漂う。普通であれば、この後返答をもとに検討をしますとか、具体的な方策の協議を行いましょうという流れになるだろう。
しかしそうじゃない。すでに、行動計画は策定済みなのだ。質問に使われた10分にも満たない時間の中で。久慈屋たちだけは、何を言われてもいいように内心身構えていた。そして、久慈屋のスマホから、再びエリーゼの声が聞こえてきた。
「”そうですね…では、まず中露それぞれに渡す情報を選定します。”」
「…情報を渡す?」
「”ええ。餌を撒かなければ、相手は引きません。”」
エリーゼからの最初の提案がなされた。外交とは国益という尊大な利益をかけた取引だ。だから、取り分が無ければなにも動かない。彼女の提案はその原則に即したものだった。
久慈屋とジルはその言葉にすぐに動く。自身のラップトップをリュックなりカバンなりから取り出して、すぐに情報の洗い出しに入った。なにせ、彼らの情報は久慈屋たちが一番持っているのだから、リストアップは彼らの仕事だ。
突然無言でラップトップをカタカタとたたき始めた久慈屋たちに、何人かの大臣は怪訝な表情を浮かべていた。
一方で、エリーゼの話は続く。次は情報の出し方だ。
「”そして、ロシアには私達が、中国には日本政府が情報を出します。”」
「…その交換条件に、共同部会の発足を遅らせるというわけですか。」
「”ええ。ついでに、ロシアはひとまず欧州側に引き込みますよ。”」
欧州と日本、それぞれが条件を付けて情報を渡す。これも外交の基本だろう。お土産をただで渡すわけにはいかない。そこで、日本政府の要望に即した条件を付ければ問題ない。
ただ、エリーゼはさらりと怖いことを言った。ロシアを引き込むとはどういうことなのか?これに疑問を呈したのは外務大臣だ。気を使いながらも、その実効性を疑っていた。
「すいません、貴女は確かに太いパイプをロシアにお持ちのようだが…それが可能なのですか?」
「”ええ。私はこの一連の事象対応の欧州代表ですから。”」
「…えっ?」
「えっ?」
「”…ああ、情報は…あと30分ほどしたらリークが始まるので。”」
エリーゼの突然の言葉に、政府側の人間はおろか、久慈屋でさえも驚きの声をあげた。この情報はかなり影響が大きい。なにせ、欧州は欧州でこの対応を地域のくくりで行うことを決定したことを意味している。さらにその代表がエリーゼとなると、久慈屋たちにも大きな影響が及ぶ。これにはあの薫子でさえも少し表情が硬くなりながら、すぐに自身のスマホで情報収集を始めた。
エリーゼはこちらの動揺など意に介さず、話をさらに続けた。
「”故に、私はこの件に関して欧州議会及び各国からそれなりの権限を与えられました。ロシアを引き込むのは不可能ではありません。”」
「それは…心強いですね…」
「”あと、今回のお話を踏まえ、欧州と日本の情報共有体制構築も発表します。”」
「えっ!?」
久慈屋はそろそろ政府側の人間が可哀そうになってきた。エリーゼは、今まで話にも出ていないようなことを、すでに決定事項として表に出すと言ってきたのだ。悲壮感さえも漂う彼らの心情は想像に容易い。あの天城や宇賀野でさえも、少し動揺が見えている。これには外務大臣が思わず異を唱えた。
だがエリーゼは引かなかった。
「そ、それは、まだ関係省庁との調整も…!」
「”このような事態では調整など事後でも構わないでしょう?それとも、引きますか?”」
「…ぜ、善処します…」
「”はい、宜しくお願いいたします。”」
外務大臣は見た目からするに50代半ばだろう。そんな彼が、30代に入ったばかりの小娘に、覚悟が甘いと叱咤されたのだ。久慈屋は情報の選定を進めつつ、彼らの精神を案じた。しかし助けは出さない。熱いとわかっている石に手を出す勇気も余裕もないからだ。
何人かの大臣は、傍らに控える官僚に耳打ちで指示を伝える。おそらく、彼女の策と行動に”備える”ためだろう。現に、官僚たちの表情は焦燥感が見え隠れし、逃げ出すように応接室を後にしていった。
その様相が伝わったのかわからないが、エリーゼは締めの言葉を告げた。
「”では、行動に移しますが…よろしいですね?”」
「…分かりました。」
「”はい。お互いに誠意努力しましょう。宜しくお願いします。”」
天城がやや力なく了承を伝えると、エリーゼが定型文のような返答を行い、すぐに通話を終了した。スマホから流れる通話を終えたことを示す電子音が、まるでこの場にいる人間のこれからを案じるかのように思えた。
宇賀野は小さく溜息をついて、久慈屋たちの方を向いた。情報選定に勤しんでいたはずの彼もまた、宇賀野のほうを向いていた。それを見た宇賀野は思わず声をかけた。
「…久慈屋さん。」
「…忠告はしましたよ?」
「注意不足でしたね。」
久慈屋は気を使いつつも、自身の忠告を聞かなかった総理大臣に対して窘めるように言葉を告げた。非礼かもしれないが、事実なのだから仕方がない。
宇賀野もそれを理解して、自分の落ち度を実感するくらいしかできなかった。
すでに事態は大きく動き始めた。
由緒正しき欧州の名家、ローゼンハイム家当代の長女の手によって。




