チーム・レッド ~不気味な協力要請~
6月4日 7時17分 東京都大田区羽田空港 国際線旅客ターミナル2F
「きゃっ!?」
「ああ、申し訳ない!」
成田と並ぶ東京の空の玄関口羽田空港。到着ロビーである国際線旅客ターミナルの2Fは、朝も早くから人が溢れていた。バックパッカーに海外出張から帰国したビジネスマン、そしてそれらを待つ人々。
世界的な大都市圏にある空港にしてはまだ大人しいが、それでも人の波は右に左と激しく動いていた。
出発ロビーである3Fや、主に駐車場や各交通機関の行き来に利用する1Fへと続くエスカレーターやエレベータのあるホールから見て右の奥まったところにトイレが有る。
男子トイレと女子トイレ、そこから同時に出てきた男女が思わずぶつかってしまった、というのがたった今起こったことだ。
男性が咄嗟に詫びの言葉を口にする。それに女性も社交辞令的な当たり障りのない返答を返した。
「いえ、私も急いでいたので。すいません。」
「こちらも少し不注意だった。朝は苦手でね。」
男性は、女性の言葉に少しはにかみながら答える。ここで女性は、初めて彼の顔をしっかりと視認した。
綺麗さっぱりにまとめられた淡い金髪に灰色の瞳、肌は白く、口元から除く歯はさらに白い。
何よりも、端正な顔立ちにやや子供っぽさが残る彼の顔は、まさしく美形と呼ぶに相応しかった。
俗物な言い方をすれば、スーツをビシッと着こなした男性フィギュアスケーターと言える。
彼女がなぜそんな印象を抱いたかといえば、彼の英語にロシア訛りがあったからだ。
非常に厳しい現実では有るが、美しいものを見て気分が晴れない人はそうそう多くない。
彼女もまた、その大多数の人々の一人であり、彼の見た目により少しだけ”会話”をする気になってしまった。
「…私も寝不足だったんです。すいません。」
「…仕事かい?大変だね。」
「ええ。これからトンボ帰りですよ。」
「へぇ…ちなみにどこへ?」
男性も満更ではなさそうだ。彼女の見た目はやや素朴さを含む、赤毛で大きな瞳を持つ快活そうな白人女性。失礼な物言いではあるが、絶世の美女というわけではないものの、非常に人好きする雰囲気を持っていた。
男性は端正な顔立ちでさらにまばゆい微笑みを携えながら彼女と会話を続け、彼女もまたそれにさらに応えた。
「ロンドンです。しかも帰ったらすぐに上司に付き添って上に報告ですよ。」
「…てことは、はるばるロンドンから東京にきてまたすぐ帰るの?…本当に大変だね?」
「まあ、仕事ですから…」
「…私はお客の出迎えだ。気難しい相手でね。苦手な朝がさらに憂鬱だよ。ま、今は少し気分が良いけど。」
仕事の愚痴。年代はそう離れていない人間であれば、共通の話題になるだろう。なにせ、朝の7時半に空港に出向くとは、お互いに日常が目まぐるしく過ぎていくような多忙な職務に就いていることの現れだ。
共通の話題が出ると、人は途端に警戒心を解いて距離が縮まる。結果、二人は軽い愚痴を話し後に少しだけ沈黙し、そしてお互いに笑い合った。嬉しさと照れ隠しが混じった非常に甘いが酸味もある笑いだ。
その後、二人は有ることに気づく。先手を打ったのは男性だった。
「…失礼、エリセイだ。」
「マーガレットです。」
二人は遅い自己紹介をしながら握手を交わした。
エリセイという名前を聞いたマーガレットはやはりロシア系なんだと納得し、マーガレットという名前を聞いたエリセイは英国で多い女性名であると思う。もっとも、彼女が高等教育を受けた英国人特有の発音である”容認発音”を完璧に使うため、英国人である可能性は非常に高かった。
この先の考えられる展開は、主に簡単な話をして、時間があれば朝食代わりのコーヒーでも片手にさらに深い話をして、連絡先を交換してさようなら。あとはゆっくりと中を育む…というのもある。
が、残念なことにある重要なモノが、2人には無かった。時間だ。
マーガレットが屋内の英語放送を耳にして思い出したように時計を確認し、すぐに慌てたような表情になりエリセイに言った。
「…ごめんなさい。上司を待たせてるし、もう搭乗が始まってるの。」
「それは大変だ。早く行くといい。」
エリセイも空気を読める男だ。先にロンドンへ帰るという言葉を踏まえると、彼女が乗るのは8時過ぎ発のBA便だろう。国際便の離陸時間まで40分足らずというのはかなりギリギリだ。
彼はマーガレットの肩に手を添えて急かしながら、一緒に出発ロビーへ向かうエスカレーターのあるロビーへと進んだ。
そして、エスカレーターの前に着くと、簡単な別れの挨拶をする。マーガレットにとって、エリセイは気遣いのできるいい男性という確固たる印象が出来上がっていた。
「じゃあね、エリセイ。またどこかでお会いできればいいですね。」
「ああ、楽しみにしてるよ。マーガレット。」
マーガレットがエスカレーターに乗るのを見届けるエリセイ。一方で、彼女はエスカレーターの中程で小さく振り返り、まばゆいばかりの笑顔と共に手を振った。エリセイもすぐにそれに気づいて手を振り返す。非常に柔和な微笑みを添えて。
少ししてマーガレットが見えなくなる。すると、エリセイは自身の胸ポケットから素早く携帯を取り出して連絡を始めた。
「…アントンか?エリセイだ…いや、陳特使はまだだ。それより…」
エリセイは彼女が出発ロビーのある3Fへと昇るために使ったエスカレーターの方向を再び見る。
しかし、その表情は柔和で人好きする笑みとは程遠かった。
まるで極寒なシベリアの大地を表情として再現した。それが適切だろう。
凍てつくような眼で周囲を見ながら、彼は電話先の”仲間”に指示を出した。
「”グラハム・ウォートン”の動きを調べてくれ。先ほど彼の秘書と出会った。」
エリセイ・カミロフ。駐日ロシア連邦大使館の書記官だが、その出自を知るものは本国でも非常に少ない。
そんな彼とグラハムの秘書が羽田で鉢合わせるなど、趣味の悪い冗談としか言えない。
6月5日 13時07分 東京都千代田区霞ヶ関 外務省応接室
「…共同部会…ですか?」
「はい。まだ構想段階ですが…」
外務省の前田と萩原は、応接室で厄介な相手と対峙していた。一人は冷たい目つきに大きな鷲鼻で常に口が真一文字の堅物である駐日ロシア大使館の2等書記官であるラス・コナノフ。もう一人は、顔が全体的に笑ったような作りで、丸顔の一見すると優しいお父様のような中年アジア人である、中国外交部政策研究局副長の陳特使だ。
前田と萩原はそれぞれアジア大洋州局中国・モンゴル第一課と欧州局ロシア課の所属であり、さらに外務省内に立ち上げられた”特異物群対応提言ワーキンググループ”のメンバーでもある。特異物群に関する協議を行いたいと、中露の政府関係者が突然訪問してきた結果、ちょうどいいと彼らが充てがわれた。
適材適所は最高だが、その当事者となった二人はいい迷惑だ…と思っている。当人がいる手前、決して顔には出せないが。
そんな2人の葛藤を知ってか知らずか、陳特使は話を進めた。
「それで、です。日本政府には全面協力をしていただきたいと、強く願っております。」
「はぁ…それで、共同部会というのは…」
「…ロシアと中国の2カ国による異次元集団対策組織を立ち上げるための前準備です。」
黙して出されたコーヒーをゆっくりと飲んでいるだけだったコナノフが突然説明した。
しかも、相手の顔を一切見ずに、コーヒーのカップの中身を見たままで。
その異様な雰囲気はやや気になるが、問題は説明の内容だ。前田と萩原は思わず顔を見合わせた。
中露が共同歩調を取ろうとするのは、両国の関係から言ってもない話ではない。が、こんなにも早く、それも隣国に協力を要請するような段階になっているとは思わなかったのだ。
他国への協力要請というのは、国内だけでの調整よりも厄介な根回しが必要だ。この2カ国は、それをすでに完了している。これが意味することは、外務省官僚である2人は十分理解していた。
少しの沈黙を挟んで、萩原はその真意を問いただす。
「協力…といいますと、具体的には…?」
「はい。貴国は類稀なる手腕により、彼らとの関係を世界でもいち早く構築された国です。その見地を是非とも我々の対応にも…その…」
「利用したい。と、考えています。」
「…直接的ですね。」
「…憂慮するべき事態ですから。」
かなりの優しさに満ちた陳の言葉とは対照的なコナノフの”利用”という表現に、思わず前田が反応してしまった。しかし、それにもコナノフは表情を全く変えずに淡々と発言するだけだ。
外交の場ではいろいろなタイプの人間がいる。コナノフは至極冷静に感情を極力廃して事態を掌握するタイプだった。
前田と萩原は再び視線で語った後、時間を稼ぐことにした。なにせ、彼らには大した権限がないのだから。
「…正直なところ、我々だけでは…なんとも…」
「しかし、”こちら”にもタスクフォースが立ち上がってますよね?彼らに対応するための。」
「え、ええ。ですが、主な対応は官邸及び対策本部が行っています。私達のチームは、提言を行うだけのものなんです。」
「では、是非とも提言をお願いしたい。」
コナノフは冷たさを感じる視線を送りながら、はっきりとした口調で言った。
この一連の話の流れは厄介な要素しか含んでいない。なにせ、象徴内部の状況をある程度把握している上に、それを踏まえた要求をしてきている。こうなると、その詳細を聞くしか道がなくなる。
前田と萩原は内心溜息を履き続けたい心境だった。慎重に言葉を選びながら、前田がコナノフにその真意を質す。
「…提言を行うとして、どのような…」
「貴国に現れた集団に、露中に現れた集団の取次をお願いしたい。」
今日何度目かわからない前田と萩原の目配せ。それには動揺が隠せていない。
そもそも、最初は中露の共同部会への協力要請だった。しかし、今やかなり踏み込んだ内容の要求へと様変わりしている。つまり、共同部会というのは建前と言える。
それを認識した哀れな官僚2人は、ある判断に至った。手に余る、と。
ここからは逃げ口上でこの場を切り上げるしか無かった。
その口火を切ったのは前田からだ。
「…我々も彼らとの関係を平常化にこぎつけた段階で、より踏み込んだ対応の依頼を行えるまでは…」
「いやいや、すぐのお話ではありません。それに、何らかの書簡などでもよろしいので、ご用意いただきたいのですよ。」
陳の口調は柔らかく、彼が口にした内容は、日本側と日本に現れた王国との関係を考慮したものだ。考えてみれば、最初から陳とコナノフの役割がハッキリしている。柔らかく、相手の事情を出来うる限り汲んだ発言を行う陳と、ただ冷たく、自分たちの要求を淡々と述べるコナノフ。まるで刑事ドラマの取り調べのようだった。
次に逃げの一手を放ったのは萩原だ。しかし、すでに退路は塞がれていることを、2人はまだ知らない。
「し、しかし…我が国と貴国らに現れた特異物群の交流関係はまだ不明瞭でして…」
「いや。それは違う。」
萩原の言葉に、短いながらも強い口調で否定を述べたコナノフ。彼は仕上げと言わんばかりの雰囲気で、手に持っていたコーヒーを飲み干してカップを静かに机においた。そして、前田と萩原を静かに見据えて、ある情報を話し始めた。
「貴国に現れた”王国”と、ユーラシア大陸の各地に現れた”連合国”。この両国は友好的なはずだ。」
「…えっ?」
終了だ。前田と萩原は言葉を続けることが出来なかった。
なにせ、コナノフから知らされた話は、彼らがまだ知るよしの無いものだったのだから。




