当然の招聘 ~関越道から外環道から首都高5号~
6月5日 12時11分 東京都練馬区大泉町 関越道大泉JCT付近
「…ねぇ。」
「なに?」
「ネクタイは?」
「竹橋過ぎてからでいいだろ…」
黒塗りのワンボックスの後部座席で言葉少なに会話する久慈屋とジル。
彼らは年に片手で数えるほどしか着用しない”スーツ”に身を包み、研究所のある秩父から都内中心部へと向かっていた。
彼らの乗る車は、ちょうど大泉JCTから東京外環自動車道へと進路をとったところだ。
平日の昼頃となると、交通量もさほど多くなく流れは順調。
追い越し車線を長距離トラックや営業車が近寄りたくない速度で駆け抜けていくのを横目で見届ける。
なぜこんなことになったのか?
それは、一昨日に関係各国のスタッフを交えての”お話”をした後、最初に情報を開示する連絡が来たのは中田副大臣だった。研究所を出て総理官邸までかっ飛ばしたらしい。
ちなみに残る2人も昨晩までに連絡があった。全員が全員、政府中枢まで我先にと戻ったようだ。
さて、一番早く情報を手に入れた”政府”である日本政府は、昨日には反応を示した。
久慈屋はそのときのことを、恐怖と共に思い出す。
薫子を交えて研究所とその運営母体である日本次世代研究財団の運営に関する調整を話し合っていると、電話が来た。政府からの連絡など、現在の状況を鑑みるとありふれたものではあるが、それが官房長官からの直通で、しかもご本人直々にとなると話が全く変わる。あの手の偉い人は、秘書だのなんだのを挟んで連絡してくる。本人直々というのは、よっぽどのことだ。
状況を理解した久慈屋は、うんざりしながら薫子に事情を説明。彼女にも対応を手伝ってもらうことで通話を始める。話は簡潔で、中田が持ち帰った内容が総理と官房長官の目に入り、事の重大性に秘密裏に閣議が招集されたらしい。それも深夜に。
そして、”専門家”…つまり久慈屋たちから直に見解を聞きたいと、丁寧ではあるがかなり強い口調で要請された。ほとんど命令に近い。
久慈屋が答えあぐねていると、薫子がすぐに了承する旨を返答する。この時点で久慈屋とジルから主導権が奪われた。こうして時間も内容もあれよあれよと固まり、できれば遠慮したかった永田町参りが決定した。
一連の流れで久慈屋が犯した失敗は2つある。1つは政府と研究所の”おざなりな調査研究委託規約”に頼りすぎたこと。もう1つはそんな情報を自分たちだけで処理しようとしたことだ。
前者は、官房長官から言外の圧力を嫌というほど感じる口調により精神的に切り詰められた。後者は、官房長官との話が終わった後に状況を掻い摘んで説明して実態を把握した薫子から”お説教”をもらった。
多忙であることは考慮され、怒号のようなものは一切出ていない。が、優しい口調で理を並び立てられ、どれだけ詰めが甘いのかということを2人の女傑から絞られた久慈屋とジルは、一切のぐうの音も出なかった。
久慈屋は回想の果てに、改めて強い疲労感を抱いて深く大きな溜息をつく。
それに反応したのは前の座席に座るもう一人の同行者の薫子だった。
「…陰鬱な雰囲気ですね。」
「まあ…こんな早くにあそこに出向くことになるとは思いませんでね…」
「…申し訳ないですが、自業自得ですよ。」
「はい。身に染みて感じております…」
久慈屋は肩を落とす。彼は事故以来、これまで以上に時の人となっている。主に悪い意味で。
何せ、事故当時の研究所責任者で真っ先に何らかの罪に問われるはずが、その後の”奇縁”によってあらゆる難題を振りかけられることで罰を受ける暇もなくなった。もともと体面よく表に立つということが苦手なタイプである久慈屋にとって、それらは怪我の功名と言えた。”社会的責任を問う”という大義名分を与えられた無意味な罵詈雑言を浴びせられる場にわざわざ出向かなくていいからだ。
研究所や財団、そして日本政府はそれをいいことに久慈屋たちを社会の目から極力遠ざける事に成功した。
もっとも、そちらの責任問題以上の大スクープが2ヶ月ほど乱れ飛んでいたので、優先順位は必然的に落ちていたと思っていいだろう。
しかし、久慈屋のちょっとした失策によりそのボーナスタイムは突然の終わりを告げた。
永田町に行けば、誰かしらが久慈屋の顔を見る。そこから何が起こるかは想像に容易い。というより、すでに起こっていてもおかしくないのだ。そもそも、彼らが向かう総理官邸の正面玄関には官邸記者クラブの報道関係者が常に詰めている。あそこを通れば彼らの目に付き、なんだかんだと質問が出る可能性は高い。何もなかったとしても、翌日の新聞の首相動静に久慈屋たちの名前が乗る。
今まで事実上の雲隠れだった彼が表に顔を出す。それは、たまたま構築されていた報道統制の空気が破壊されることを意味していた。
「…その点は織り込み済みです。すでに財団で対応策を始動させています。」
「期待してます…本業に支障が出ることは避けたいので…」
「ええ、抜かりなく。」
薫子は久慈屋の懸念を察して、すでに行動を開始していることを告げる。久慈屋自身、彼女の手腕に一切疑いを持っていない。そんな彼女にその意思を示そうとして、やや疲れ気味ではあるが柔らかい表情を久慈屋は薫子へ返した。
薫子はそれにいつもの慈愛に満ちた優しげな表情を浮かべる。そして、ある情報を告げた。
それは、久慈屋の憂慮している点に対する政府の配慮だ。
「それに…おそらく、今日官邸に詰めている報道陣はそんなに多くないはずです。」
「…え?どういうこと?」
「急遽、与党の党本部で緊急会合が開かれるそうですよ。」
「…急遽?総理は?」
「会合に参加しますが、我々の到着後には来られるんじゃないですか?」
「…なるほど。気を遣ってくれたわけか。」
「というより、利害の一致ですよ。」
責任が問われる立場の人間が政府に出入りする。これはあまりよろしくない。
よって、人目を極力遠ざけたいというのは、政府の考えでもあった。
そこで、政府は”重要な案件”を話し合うという情報を事前に四方にリークして、報道陣の流れを官邸から遠ざけていた。久慈屋たちが来ることは一部の人間しか知らないことであり、報道各社の人的リソースはそちらに割かれる。つまり、官邸には最低限の人員しか居ない手筈だ。
「…あとは足早に玄関を通り抜ければいいと。」
「ええ。私達には”社会”に対しては言葉を告げる責任はありますが、”彼ら”に釈明する必要はありません。」
「心強い言葉だね。」
久慈屋と薫子は再び笑みを顔に浮かべる。それは平和なものではなく、策略的な含みをはらんだものだった。
それにジルはちゃらけるような様子で言葉を投げつけてきた。
「ま、そううまく物事が動けばいいよねー?」
「…なぜそんな他人事なのかな。」
「だって、なるようにしからないでしょ?」
「それを言っては元も子もないだろ…というか、知名度的にはお前のほうが上だぞ?」
「あらー、有名人って辛いわー」
ジルの悪ふざけ全開の態度に、久慈屋はやれやれと目を押さえる。
そんな彼女だが身のこなしは完璧だ。久慈屋と同じ頻度でしか着用しないはずのスーツをびしっと着こなし、身長は高くはないが欧米でも上の部類に入るスタイルのおかげでかなり様になっている。さらに、幼少期から貴族の家系もあって政治的なレセプションの場数を踏んでいる彼女は、こういう場ではなにげに重要な”戦力”だ。
この一連の言動も、出自と経験からくる研ぎ澄まされた感覚によるものであることは、長い付き合いである久慈屋や薫子はよく理解していた。
そんな彼女が”後ろ向き”な冗談を言うからこそ、冗談では無くなるのではないかと車中の人々は考えてしまう。
車は首都高5号線を進み、都心へと近づいていく。




